聖女《ニセモノ》がいなくなった王宮で②

「殿下、大変です! 神殿に民衆が……!」


 エルダーは焦っていた。


「今祈りを捧げている最中だ! ヒマリの邪魔するなと伝えておけ!」


 苛立ったようにそう叫んで、執務室に飛び込んできた従者を追い返す。


「くそっ! どうしてこんなときに魔物の氾濫スタンピードが……!」


 エルダーは苛立ったように机を叩いた。


 ◆


 オラシオン国には、魔物の氾濫期スタンピードと呼ばれる、魔物が大量発生する時期がある。


 その発生の仕組みはまだ解明されていないが、なんらかの理由で魔界と人間界が近づいたときに、魔界から大量の瘴気が漏れ出てくるのだと言われていた。


 そしてそんなスタンピードの時期に、国民を瘴気や魔物から守るのも、聖女の役目だった。





 プレセアが処刑されてから、初めてのスタンピードがやってきた。

 いつものようなスタンピードなら、ヒマリの力でどうにでもなるはずだった。

 けれど今回のスタンピードは違った。

 歴代最悪と言われるほど、魔界からの瘴気が濃く漏れ出ていたのだ。

 原因は分からないが、国内の瘴気濃度が一気に跳ね上がっていた。


 それでも死人やけが人が出ていないのは、ひとえにヒマリの聖力の強さのおかげなのだろう。

 ヒマリは昨晩からずっと、休みもせずに祈りを捧げ続けていた。


 ヒマリがいなかったらと思うと、エルダーはぞっとしていた。

 もしもこれがプレセアだったなら、一体どれほどの被害が出ていたのか。


 けれどもそれと同時に、エルダーは思っているのだ。


 ──ヒマリとプレセア、二人がいたら、どうだった? と。


 ◆


「ですから、殿下。わたくしめは何かあってもいいようにと、申し上げたのです」


 神殿内部。

 訪れたエルダーを部屋に招き入れ、大神官は重々しくため息を吐いた。

 大神官は、立派なヒゲを蓄えた年嵩の男だった。

 その周りには何人かの神官がいて、彼らも大神官の意を肯定するかのように頷いていた。


「聖女が二人いるのなら、それはそれで良いことではないですか」


「……」


「なにも処刑などしなくても良かったのです」



 大神官の苦言を聞きながら、エルダーは隣に座るひまりに目を向けた。

 かわいそうに、昨日からずっと祈り続け、疲れ切っているのだろう。


 休ませてやりたい、が。


 歴代最強の聖力を持つ少女でも、現状はきついのだ。

 できればスタンピードの間は、ずっと祈りを捧げて、結界を強化していてほしい。


「……いつになったら、スタピードはおさまるのでしょうか」


 震える体で、ヒマリはそういった。


「山場は越えたような気はしますが……もしもまた同じような状況になったら、今度はわたしだけでは、ささえきれないかもしれません……」


 大神官は頷く。


「今回のスタンピードといい、年々きつくなっている印象を受けます。ヒマリさまだけで支えるのも、かなりしんどいことでしょう」


「……プレセアさんがどれほど重いものを背負っていたのか、今になってやっと分かりました」


 私一人じゃ、支えきれない……とひまりはつぶやく。


「ヒマリ……」


 エルダーはそんなヒマリを見て、眉を寄せた。


「やはり、異世界から来たばかりの君に、こんな負担を強いるのは……」


 エルダーもひまりも、表情は暗い。

 ひまりは疲れ切ってしまったのか、くたりとエルダーにもたれかかっていた。

 そんなひまりをエルダーは愛おしげに撫でる。


 大神官はそんな二人を見て、ため息を吐いた。


「殿下……少し、お話が」


「なんだ?」


「プレセアのことについてです」


「やつがどうした。もうこの世にいない女の話をしても、仕方あるまい?」


 大神官は、少し戸惑ったように、言葉を濁した。


「それが……」


「……なんだ?」


 エルダーは眉をひそめる。


「プレセアの胸に刻印がなされていることは、殿下もご存知かと思うのですが……」


「ああ……昔、プレセアが逃げ出そうとした際に刻んだ、あの刻印のことか」


 エルダーは眉をひそめた。

 その刻印は、人間たちが嫌う「魔法」によってなされたものだったからだ。

 刻印は、プレセアの消息を確かめるためのものだった。

 あのときは仕方がなかったのだ。

 もしもプレセアが逃げ出したら、追わなければいけないのはこちらなのだから。


「それが……弱いながらも、プレセアの生存反応があるのです」

 

「!」


 エルダーとヒマリの顔に衝撃が浮かぶ。


「生きてるの? プレセアさんが?」


「嘘だ。この目で処刑したところを見たんだ」


 大神官は首を横に振った。


「いいや。考えてもみてください。プレセアは、サークレットを外したら、魔法が使えるんですよ」


「っまさか!」


「可能性は大いにある」


 二人の目が見開かれる。


「どこにいるんだ!」


「落ち着いてください」


 声を荒げるエルダーを、大神官は諌める。


「生存は確認できたのですが、場所までは特定に至っておりません」


「なぜだ!! あの刻印は、居場所をはっきりさせるためのものなのだろう!?」


「おそらく……サークレットから解放されたプレセアの魔力が、刻印の魔力をうわまっているのかもしれません。それか、誰かが故意に隠している可能性もある」


「なんだと!? 一体誰がそんなことをするというのだ!」


「落ち着いてください。わたくしどもも、全力を挙げて捜索しております」


 大神官はそういった後、ちらりとヒマリを見た。


「では殿下……その、プレセアを取り戻す、という方向で良いのですかな?」


「……彼女は罪人だった。しかし、ここで罪を償わせるというのも、また一つの手だ」


「わかりました。それではこちらも、捜索に全力を注ぎましょう」


「……ふん」


 エルダーは苛立ったように鼻を鳴らした。

 それは肯定の意を示している。


「今は隠れていますが、おそらく聖力を発動させた場合に、あの刻印は一番の力を発揮します」


「聖力を使わないと捜索は難しいということか?」


「そうなります」


 エルダーはイライラしたように、いった。


「それでは遅い。やつがもっと遠くに逃げたらどうするのだ!」


「……彼女は五歳の頃からここで暮らしていました。そんな彼女が、外へ放り出されて、うまく生きていけると思いますか?」


「まさか、どこかでひどいことをされてるんじゃ……!」


 声をあげたのはヒマリだった。


「わたしと同じ十五歳なんだもの……」


「ああ、それにプレセアは、神殿での贅沢が身についてしまっているからな」


 うまくやれてないんじゃないか、とエルダーは笑った。


「ええ、ですから一刻も早く取り戻すべきかと。それに聖力を使わないなんてことは、ないはずだ。怪我は誰しもつきものですからね」


 大神官はしみじみとそういった。


「取り戻したら、もちろん、ヒマリ様の役に立ってくれると思いますよ」


「当たり前だ。役に立たないなら、探す必要はない」


 エルダーは少し落ち着いたのか、ぽつりと呟いた。


「あいつはすぐに逃げようとするからな。何か縛るものがあったほうが、いいかもしれん」


 しばらく考えた後、突然、エルダーはひまりに向きなおって、言った。


「隠していても仕方がないので、ここで一応言っておこう。どうか、俺を信じて、話を聞いてほしい」


「え……?」


 エルダーはひまりの肩を掴んで、真剣な表情で言う。


「以前考えていたことなのだが……もしもプレセアが帰ってきたら、彼女を側室として娶ろうかと思っている。子供を産ませれば、さすがに出ていこうなどとは思わないだろうからな」


「な……っ」


 ひまりは絶句した。


「私以外の奥さんを作るということですか!?」


「心配するな、子を産ませても、絶対に後継にはしないから。あくまでヒマリの手伝いをする召使のようなものだ」


 部屋も贅沢も与えはしない、とエルダーは力強く言った。


「……そん、な」


「俺の愛は、貴方だけにあるよ、ヒマリ」


 ひまりは黙り込んでしまった。


「それにヒマリも、そちらの方が楽だろう? プレセアは部屋に閉じ込めて、祈らせておけばいい。そうすれば、貴女ももっと楽に暮らせる」


「殿下……」


「今すぐにとは言わない。でもどうか、考えてはくれないだろうか」


 ヒマリはしばらく黙ったあと、頷いた。


「分かりました、少し考えてみます。でも殿下、一番に愛しているのは、私だけですよね? プレセアさんは、二番目なのですよね?」


「当たり前だ。プレセアなんか、愛せるはずないだろう。あれは奴隷のようなものだ」


 なんて可愛いことをいうのだろう、とエルダーはヒマリを抱きしめた。


「それで、プレセアは見つかるんだろうな?」


 エルダーは鋭い視線を大神官に向ける。


「ええ、刻印がつながりさえすれば、あとは簡単です」


 大神官は笑う。


「いつものように、脅してやればいいのです」


「ああ……」


 エルダーもほくそ笑んだ。


「そうか、なるほど……あいつは妙なところで、情が厚いからな」


 ヒマリを抱いて、エルダーは笑った。


「馬鹿なプレセアめ、連れ戻したら、きっちり仕置してやる」



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