第二十九話 完全

 私は一気に距離を詰めてフックを放った。

「ふっ」

 だが、ガイアはかわすと同時にストレートを返してきた。

「くっ!」

 私は下がってストレートをかわし、その流れでローキックを放った。

「――っ」

 ガイアは膝を上げてガードしようとしたが、私のローキックのほうが少し速く奴の足をとらえた。

 奴は一度下がって間合いを取り再び構えをとった。


「……とんでもねー奴らだな」

 子生がごくりと唾を飲み込んだ。

「ああ、だが今の攻防は紅葉のほうが押していた。姉きが下がるのは初めて見たぜ……」

「確かに。あたしがガイアと戦った時は怒涛どとうの攻めで反撃する暇もなかったからな。紅葉の野郎、マジで覚醒しやがったな」

「……そうだな」

「紅葉、行けるぞ!」

 子生がガッツポーズをして私に叫んだ。確かに自分でも驚くほどの速さだった。私にこんな力が眠っていたとは……


 下がりながらの攻撃だったため、ガイアはダメージをさほど受けていないようだ。だが、顔からはあの微笑が消えていた。やはり精神的余裕は無くなったのだろうか。


「行くぞ」

 ガイアが素早く体を振り、後ろ回し蹴りを放ってきた。

「はっ!」

 その蹴りをすれすれでかわし、右ストレートを奴の顔目がけて叩き込んだ。


ガシッ


 ガイアは両手をクロスさせてガードした。だが、さっきとは違い後ろには下がらなかった。

 ここで一気に畳み掛ける……!

「は……」

 その時、ガイアと目が合った。

「うっ……」

 その瞬間、思わず下がり距離を取ってしまった。


「何やってんだ紅葉! そのままブチまわしちめーよ!」

 子生が怒鳴った。が、私は返事をする事が出来なかった。


 何だ今の感覚は……蛇に睨まれた蛙とかではない、ただ純粋な恐怖が私を支配していた。


 私は頭を振って構え直した。ガイアがゆっくりとこちらに向かってくる。

「く……」

「紅葉! 下がるな!」

 子生が再び叫んだ。はっとして気付くと、私はじりじりと後退していた。


「くそっ!」

 私は恐怖を打ち消そうと前に出た――

「かはっ!」

 が、ガイアの姿が消えたかと思った瞬間、横腹にリバーブローをくらってしまった。フェイントを入れつつ死角に入られてしまったようだが、全く奴の動きが見えなかった。


「くっ!」

 体勢を立て直して反撃しようとしたが、間髪入れずガイアが中段回し蹴りを放ってきた。

「はぐっ!」

 強烈な一撃に私は思わずひざまずいてしまった。

「もっ、紅葉っ!」

 箕輪の悲鳴が辺りに響いた。くそっ、すぐには立てない……


 このままではやられる、そう思った時、

「まだ……完全じゃない」

 と、ガイアがぼそっとつぶやき、無表情で私を見つめた。

 意味不明だが攻撃の手は止まった。この隙に私は何とか立ち上がった。


「……お前の姉きはバケモンだな。今の紅葉はあたしとやった時とは比べもんになんねーほど強えーよ。だがガイアはその上を行っている。今のあいつに勝てる奴はこの世にいねーんじゃねーか」

「確かにな。だが、紅葉はまだ完全に目覚めていない気がする」

「なんだと? そりゃ本当か?」」

「俺にも分からないが……姉きがあれだけ紅葉との対戦にこだわっていたんだ、同等の……いや、それ以上の力が眠っているはずだ」

「紅葉……」


 私は肩で息をしていた。一瞬とはいえ奴に勝てると思った自分がバカだった。あきらかに奴のほうが強い。


「この程度か」

 ガイアが吐き捨てるように言った。

「確かに……私はお前には及ばないかもしんねー」

 痛む腹部を押さえながら声を絞り出した。

「だけんども……」

 私は顔を上げた。

「お前にだけは負けらんねー!」

 そう言うと同時に私はガイアの顔面を狙って右ストレートを放った……はずだった。


「――っ!」

 ガイアが私の右ストレートを回転してかわしたと思ったその時、奴の左バックブローが飛んできた。

「がっ!」

 バックブローが直撃し、私の顔面が弾けた。

「くうっ……」

 かろうじて踏みとどまり再び構えた瞬間、


ゴスッ


 私の頭上から高々と上がったガイアのかかとが落下してきた。

「紅葉ーーっ!!」

 荒地が私の名を叫んだ。だが私は反応することが出来ず、スロー再生のようにゆっくりと地面に倒れた。


「いやあっ! 紅葉ぃーーっ!」

 箕輪が泣き叫んでいた。

「うう……」

 私の口からうめき声が漏れる。力を入れても起き上がることが出来ない。

 昨年と同じだ……私はこの場所でこの女の前に屈した。しかも同じ技でとどめを刺されるなんて、まるで悪夢を見ているようだ。


「――もう、終わりなのか」

 ふいにガイアが独り言のようにつぶやいた。なぜだか声が震えている。


 ――なんで、泣いてんだよ。私は心の中で叫んだ。


「お前も……私を救ってはくれないのか」

「……」

 消え入りそうな声だったが、確かに『救ってはくれないのか』そう聞こえた。

 救う……そうだ、荒地が言っていた過去のトラウマからガイアを解放するには私が勝つしかないんだ。


「荒地……」

 彼の名を口にした。仲間たちが呆然としている中、彼だけは力強い眼差しで私を見つめていた。

「荒地」

 もう一度彼の名前を呼んだ。その瞳には光が残っている。

 まだ……終われない。


「くっ……」

 私は両手を踏ん張り上体を起こそうとした。


ザザッ


 その時、唐突に横の茂みから一人の男が飛び出して来た。


「借宿おおお!」

 その男は喚きながらこちらに向かって走って来た。よく見ると手にはナイフが握られている。

「いいザマじゃねーかぁ!」

 あいつは……リゲル! 私に復讐しようと茂みに潜んでいたのか。だが、ダメージが深く体に力が入らない。


「死ねぇ!!」

 リゲルが迫って来た。これで終わりか……そう思い目を閉じた時だった。


ドスッ


「えっ?」

 目を開けて見上げると、私の前に荒地が立っていた。

「ぐ……」

「荒地……?」

 次の瞬間、荒地が膝を着き仰向けに倒れた。腹にはリゲルの握っていたナイフが突き刺さっている。


「あ……」

 私は突然の出来事で言葉を失ってしまった。荒地が私をかばってリゲルに刺されたのだ。


「くそがああああ! 邪魔しやがってぇぇぇぇ!」

 リゲルが大声で発狂した。

「この外道野郎っ!」

 その時、子生が叫び声とともに飛びヒザ蹴りを直撃させた。

「ぐへあっ!」

 リゲルが悲鳴とともに吹き飛んだ先に、ベテルギウスが獣の表情で待ち構えていた。

「ウガアアアアア!」

 雄たけびを上げるとリゲルの体を掴んでジャーマンスープレックスで地面に叩きつけた。

「ぶぼっ」

 リゲルは白目をむいて気絶した。


「荒地っ、荒地ーーーっ!」

 荒地のまわりにはみんなが集まっていた。だが、私はなりふり構わず荒地に抱きついた。


「しっかり、しかっりして荒地!」

「落ち着け紅葉、今救急車を呼んだとこだ」

 子生が私の肩にそっと手を置いた。だがとても冷静になれる状況じゃない。


「紅葉……」

 荒地が苦しそうに私の名前を呼んだ。

「無理にしゃべらないで! もうすぐ救急車来るから!」

「姉きを…」

「え……」

 荒地が私の手を握った。

「姉きを救ってやってくれ……お前なら出来るはずだ……」

「分かった……分かったから!」

 私は荒地の手を強く握り返した。荒地の手からどんどん力が抜けていく。


「た……のむ……」

 荒地の手がするりと滑り落ちた。


「あ……荒地っ! お願いだから目を開けて!」

「待て紅葉、そんな揺さぶんな! まだ息がある!」

 子生があわてて私を荒地から引きはがした。

「救急車が来るまで動かしちゃいけねーよ。それよりさっきの荒地の言葉……忘れんなよ」

 そう言うと私の背後に目線をやり、ベテルギウスとともに荒地を抱きかかえて下がった。


「ガイア……」

 振り向くとガイアが微笑を浮かべて立っていた。


「何で笑ってんだよ……実の弟が刺されたのに何で笑えんだよ!」

「これでお前の本当の力が見れるからだ」

「……それ、本気で言ってんのか」

「もちろんだ。荒地には感謝している。犠牲になってくれてありがとう、とな」

 ガイアが声を出して笑ったその時、頭の中で何かが弾け飛んだ。


ズン


「ぐ……はっ……」

 うめき声とともにガイアが片膝を地面に着いた。


 いつの間にか奴の腹にボディーブローを叩き込んでいた。恐怖心は完全に消え、体中から力が溢れ出してくる。

 だが、それとは対照的に、感情は無になっていた。


「立てよ……まだこんなもんじゃすまさねーぞ」

 私はガイアを見下ろし冷たく言い放った。


「ガイアが膝を着いた……」

「アア、ハジメテミルスガタダゼ」

「それより今の紅葉の動き、さっきよりも速かったっぺ。しかもあの顔……」

「はい、めっちゃ怖いっす。紅葉さん……完全にキレてはる……」

 仲間たちがざわついていたが、私の耳には何も入ってこなかった。


「来いよ。おめーの中に取り憑いた死神を消し去ってやる」

 私はガイアに手招きをして構えた。


「ふ……」

 ガイアが立ち上がり膝の砂をはらった。

「どうやら完全に目覚めたようだな。この時を待ちわびていたぞ」

 そう言うとガイアも構えをとった。


「行くぞ……借宿!」

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