第17話 青ゲット、帝都に立つ

 青ゲットの殺人鬼は、事件から時を経ても未だ捕まっていない。正体は依然としてわからず。はじめに連れ出されたとされる家長の加賀村吉の遺体も見つからず。

「謎の多い事件ですね。何がしたかったのかいまいちわかりません」

 吉江孤雁がしきりに首を傾げている。

「怨恨の線が濃厚ですけど、被害者一家には恨みを買うようなことはまるでなかった。家族仲も良く、村吉が真犯人である筋も疑わしい。行きずりの犯行にしては手がこみすぎている」

 彼が困惑するのも無理もあるまい。突然、帝都で起こったわけでもない事件を調査することになったのだ。

 しかも未解決事件だ。謎が解けていたら解決しているわけだから、これは一筋縄ではいかない。

 もちろん今、独歩社が総力をあげて調べているのは、福井で起こった「青ゲットの殺人事件」である。

 地方のネタだから、帝都の『怪奇』を取り上げるという前提で発行している怪奇画報には載せられない。帝都で同様の事件が起こったという報告も、今のところはないから、何かの事件に便乗して報じるのも微妙なところである。徒労に終わる可能性も高いだろう。

 しかし、泉鏡花が冗談半分で話を持ってきたとも思えないのだ。

 もし帝都で同様の事件が起こる可能性があるとすれば、元の事件を知らないのではお話にならない。調べておくにこしたことはないだろう。ついでに、ネタになりそうな猟奇事件も掘り返している。

「青ゲット事件は、帝都まで報が届いた程度に有名だ」

「でも、ゲット自体はそう珍しいものではないですよ。たまたま青かっただけで、単に田舎から上京してきたばかりの人を見かけたのかもしれないです」

 ゲット――毛布をかぶるのは、舶来品のコートなどが手に入りづらい、田舎から出たばかりの若者がよくしている格好だ。特に赤色が多く、帝都では「赤ゲット」と言えば田舎者を揶揄する言葉として使われるほど。

 偶然、青ゲットで上京する若者がいてもおかしくないし、帝都に昔から住んでいる者がゲットを全く使わないわけでもない。

「吉江の言いたい事はわかるよ。しかしどうにも僕には、泉君はその程度のものを見て、いかにも『怪奇』が起ころうとしていると考える御仁には見えなかった」

 そこが、独歩がこの一件を社に持ち帰った所以である。

 泉鏡花は、帝都でなくても怪奇現象の類をみるほどの霊感の持ち主だ。

 福井で見た青ゲットと、帝都で見た青ゲット。それに明確な共通性を見出したからこそ、独歩に話を持ちかけたのに違いない。関連があるという前提で進めるべきだろう。

「青ゲット事件を、もう一度おさらいしてみよう。まず。一人ずつ呼び出している、という手口が奇妙だ。して、この理由が一人ずつしか殺せなかったからとすれば、犯人は単独犯である可能性が高い、と」

 独歩の語りを聞いた窪田、手近にあった紙に鉛筆でメモを取る。吉江と同様に、彼もやはり困り果てた様子である。

「一人ずつでなければ殺せる自信がないから、一人ずつ殺したってことですか? 吹雪だったとはいえ、途中で不審に思われる危険性の方が高いですよね」

「家で殺すわけにはいかなかったのか。吹雪の晩でなければいけなかったのか。なるほど、ちっともわからん」

 小杉が村の地図を描きながら、ため息混じりに口をはさんだ。独歩もつられてため息をもらす。

「さっそく迷宮入りだ。未解決になるのもさもありなん、ということだな」

「ネタとしては面白いが、帝都じゃないのが残念だな。残念、というのは不謹慎か?」

 小杉の言葉に、独歩は肩をすくめた。

「いや、正直面白いよ。もちろん、亡くなった方は惨いと思うが、考えるほどに謎が深まって興味深い。それこそ帝都の事件だったら急いでこれでひと記事書くところだ」

 長く続けば号外的に別の地域の事件を取り上げるのもありだろうが、帝都怪奇画報はまだ始まって数冊の雑誌である。確かに黒字は出した。主力の婦人誌の次に売れてはいるの。だが、まだまだ軌道に乗ったとは言い難い。ここで雑誌のコンセプトを変えるのは、得策とはいえない。

「泉君とは、今度一緒に会う約束をしていてね。もちろん、僕一人で会うのはなんとも気まずいから、秋聲君と花袋にも助太刀をしてもらうことになるが、そこで帝都の青ゲットについても聞いてくるさ」

 小杉が「お?」と声を上げた。

 尾崎紅葉の作品を嫌う独歩が、尾崎の弟子筆頭とも言える泉鏡花と、仕事のためとはいえ会う約束をしたのが意外だったと見える。

「これで福井の方の事件解決に繋がったりしたら、独歩社としては儲け物だ。警察にも恩を売れる」

「独歩さん、警察とことを構えるのは、ちょっと」

 うろんな顔をする吉江に、独歩はニコニコと微笑みかけてみせる。

「吉江、別に喧嘩を売るわけじゃあないさ。有力だと思える情報が得られたら、少しばかりの協力と引き換えに情報提供をするだけさ。これは立派な取引だよ」

「ものは言いようだな」

 呆れた様子の小杉のぼやきも、独歩は涼しい顔で受け流した。



 その日独歩は、陽が暮れる前に一度、家に戻った。

 青ゲットの資料を持ち帰り、晩には久しぶりに鰻でも食べようと花袋を誘った。独歩の長屋で待ち合わせだ。

 まだ空に明るさが残っているからか、隣家の娘、ハルが軒先を箒で掃いていた。彼女の家はこの長屋の大家であるから、軒先を掃除するのも彼女の仕事のうちらしい。

「あ、独歩さん、おかえりなさい」

「ただいま、ハルちゃん」

 ハルは愛想良く、かわいらしく笑った。

 最近、怪奇画報が売れるようになって忙しかったから、こうして彼女と顔を合わせるのも久しぶりだ。最近では、家賃替わりに彼女や彼女の妹に読み書きを教える機会が、ぐっと減ってしまった。

 ハルは気立てのよい少女だ。それに独歩は子供と遊ぶのが好きだから、彼女の妹に懐かれるのも悪い気はしない。

 家賃が払えるようになって、少しばかり寂しい思いをしている。

「ハルちゃん、もうすぐ暗くなるよ。気をつけなさい」

「独歩さんこそ、最近お仕事大変みたいですけど」

「怪奇画報が、思っていたよりも売れてくれてね。ハルちゃんにも手伝ってもらったし、少しは面目が立ったよ」

 何せ、独歩はハルを何度か『怪奇』の事件に駆り出してしまっている。

 本来、雑誌社とはなんら関係のないハルを巻きこむことになったのは、彼女が『怪奇』の音を聴く霊感の持ち主であったからに他ならない。

 独歩は『視る』。花袋は『嗅ぐ』。藤村は『察する』。そしてハルの『聴く』が合わさると、大概の『怪奇』は誰かしらの霊感に当たるというわけだ。犬も歩けば、という理論である。

 とはいえ、作家仲間の面々は、これも創作の一助になればと思わないでもなかろうが、単なる町娘であるハルを手伝わせていることは申し訳なく思っているのだった。

「売れているならいいじゃないですか」

「家賃も払えるしね」

「もう、それは確かに大事ですけど、私は独歩さんの心配をしているんですからね!」

 ハルは腰に手をあてて、頬を膨らませる。子供っぽいしぐさだが、普段からしっかり者の彼女がやると、お姉さん的な仕草にも見えるから不思議だ。

「まぁまぁ、独歩社の困窮については、ハルちゃんが心配するほどのことではないさ。僕はあんまり商売が上手とはいえないけれど、助けてくれる友達はたくさんいる。ありがたいことさ。今日これから花袋と会うんだ」

 しかし、そこでハルは、先ほどまでとは別の意味で心配そうな眼差しを独歩へと向ける。

「花袋さん、また無茶を言われているんです?」

「ハルちゃんの中で、一体、花袋は僕の何だと思われているのかな……」

「仲良しなのだとは思っていますけど、独歩さん、花袋さんには無茶を言ってもいいと思っているでしょう」

 どことなく冷めた眼差しで見つめられた。しかも実に反論しづらい内容である。

「いやいや、少しばかり相談事があるだけさ。大体、今回受けた話は、花袋が昔師事していた作家先生の、兄弟子からのものなんだ。どちらかというと、今回は僕が巻きこまれた方さ」

「だぁれが、巻きこまれたって?」

 剣呑な声に振り返ってみれば、眼鏡の奥に鋭い視線を湛えて花袋が立っていた。

「いつからそこに」

「私が話を振った時から、花袋さん、後ろにいらっしゃいましたよ?」

「早く声をかけてくれ」

「お前がいけしゃあしゃあと、俺に責任をなすりつけてくれたから、声をかけそびれたんだよ!」

「人聞きが悪い。僕だって、君が全ての原因だなんて言った覚えはないとも。単に、どちらかというと君の方が関わり深い話だと言いたかっただけだ」

「俺じゃなくて! 俺の友達の関係だ! というか、秋聲はお前とも友達だろうが」

「友達ではないと言った覚えもなし。それに、確かに持ち込んだのは秋聲君だけど、どちらかといえば泉君の問題であるから、僕よりは君の方が関わりあるだろう」

 屁理屈を重ねる独歩に、花袋は深いため息をついた。それを見て、ハルはどこか困ったように笑う。

 この時ハルに、新しい相談が持ち込まれていることを知られたことが、後に波乱を引き起こすことになろうとは気づいていなかったのだった。



 泉鏡花との二回目の会合には、鏡花の他に秋聲、花袋、それと島崎藤村が同席した。

「霊感が関係ある話だっていうから、國男君よりは僕かなって思ったんだ」

「それ、國男本人の前で言うなよ。いじけて大変なことになる」

「言わないよ。まぁ……彼の場合、後で言ってもいじけはすると思うけれど。先に言ったら、意地でも来るでしょう」

 五人でもだいぶ大所帯であるのに、さらに増えるのでは何の会合かという様相になる。特に、國男は賑やかな男であるからなおさら。藤村の考えは正しい。

 何せ、誰の霊感があたるかわからない状況なだ。そして鏡花とさほど親しいわけではないので、秋聲を抜くのも何とも気まずい。

 さすがに殺人鬼がらみのことにうら若き少女を駆り出すのは気が引けたので、ハルは誘っていない。決して、先日花袋に屁理屈をこねているところを見せてしまったからではない。

 待ち合わせは神楽坂。華やかなる繁華街である。花街も近く、若い娘に耐性がない花袋は眼鏡の奥の目をあちらこちらに彷徨わせている。

 鏡花と秋聲は先についていた。鏡花は以前と同じように和装で、秋聲は洋装である。そういえば以前、龍土会に来た時も大体洋装であった気がする。

「今日は二回目だし、僕は国木田君とは何度も会っているんだから、洋服にさせてもらったよ。僕は洋服の方が、脱ぎ着がしやすくて合理的だと思うのだけど」

「人に会うなら礼儀に反しない服装が良いでしょう。礼儀に合理性は必要ありません」

「洋服だから礼儀に反するってこともないだろう。国木田君だってずっと洋装だ」

 同じ尾崎の弟子といっても、秋聲と鏡花では作風だけではなく服の趣味まで違うようだ。ソリもあっているとは言い難い。

 独歩は伝統よりも斬新さと合理性を重視する方なので、秋聲の意見を支持する。もちろん、この場で口に出したりはしない。

「泉君は、例の青ゲットをこの神楽坂で見たわけだね」

「ええ、そうです」

 神楽坂は人が多い。ゲットを被った田舎者のひとりやふたり、冬場なら混ざっていてもおかしくはない。

 ただ、今はまだ秋口だ。いくらなんでも、毛布をかぶるには早すぎる。

「私がそれを見たのはもっと前、まだ夏といっていい時期でした」

「そりゃあおかしいと感じるのも無理はあるまいよ」

 だから鏡花は、その青ゲットが『怪奇』であると即座に疑ったのだ。『怪奇』と人間の差異が一見しただけではわかりづらいという彼が、どうしてそこまで確信を持っていたのか合点がいった。

「ひとつ聞きたいのだが、福井の青ゲットを見たのも、おかしな時期だったのか?」

「ええ、そうです。向こうは帝都よりは涼しいですけど、それでもまだ暑い時期だったので奇妙に思いました」

 福井で鏡花が見た青ゲットが犯人であったなら、生真面目な性格である彼がそれを警察に通報しないはずがない。幽霊怪奇の類であろうという推測が立っていたから、彼は何もいわなかった。

 福井であろうと帝都であろうと、夏場に毛布をかぶって歩く者はそうそういないだろう。蝦夷地とは違うのだ。

「福井と神楽坂に、共通点が見えないな」

「案外、地域は関係ないのかもしれないね」

 雑踏を眺めながら、藤村が何やら物憂げに呟いた。

「花袋、何か妙な匂いがしたりはしないか」

「俺を犬のように使うな。っていうか、お前は何か見えないのか」

「わからん。それこそ青ゲットがこの場に現れてくれたら話は別だが、僕は結構近づかないと見えないからな。藤村はどうだ?」

「僕も、これだけの人混みだと、気配を感じるのは難しいかな」

 少なくとも、今の時点ではすぐにわかるものでもなさそうだ。夜になれば少しは変わるかもしれない。

「俺もこれだけ人が多いとなぁ。現状ではそこの菓子屋の匂いが一番強い」

 花袋が指でさし示した先には、老舗らしいどっしりとした店構えの和菓子屋があった。店先には団子や大福が、所狭しと並んでいる。

「ああ、あのお店は尾崎先生の御用達なんですよ」

 鏡花がパッと顔を輝かせた。独歩と花袋は複雑な顔で眼差しを交わし合い、秋聲がどことなく気が重そうにため息をつく。

「土産に饅頭を包んでもらおう」

「おや、秋聲にしては気が利くではありませんか」

「ご挨拶だね。どうせ僕が言わなくても、君はあの和菓子屋に立ち寄っただろうさ」

 弟子同士のやりとりを横目に、独歩もハルに土産を買って行こうかと店先を覗き込む。

 その時だった。

「この愚図! 何をもたもたしているんだい!」

 激しく叱り付ける声が、裏手から聞こえてきた。驚いて目をやれば、丁稚奉公をしているであろう少女が、涙を目に溜めながらうなだれていた。桶が転がって地面が濡れているところを見ると、汲んだ井戸水をひっくり返したらしい。

「水を汲むだけなのにどうしてそんなに時間がかかるんだい? 花街に売っぱらったっていいんだからね!」

「ごめんなさい、女将さん。すぐに汲み直します」

 少女は言い返すことなく桶を拾ったが、その唇はぎゅっと弾き結ばれていた。一方、女将は少女を追い払うようにして、店に戻っていく。

「やれやれ、穏やかではないな」

 ことの次第を見届けて、独歩は軽く息をついた。

 丁稚奉公の少年少女がひどい待遇に遭うことは、残念ながら帝都に限らずよくあることだ。

 彼らは田舎からほとんど身売りのような形で出稼ぎに来て、帰る家も持っていない。行き場のない相手には時に恐ろしく残酷になるのが、人間である。

「以前は女将さんも陽気な人で、あの子のことも可愛がっていたんですが……」

 使いでこの店にはよく来ている鏡花は、多少事情を知っているらしい。憂鬱そうな顔で息をつく。

「あの子は姉弟でこの店に奉公していたんです。でも、春先に急病で弟さんが亡くなってから、あの子へのあたりがキツくなって」

「ふむ、姉弟の片方が死んだからといって、何があったのだろうな」

「わかりませんが、どちらもよく働くいい子でしたよ。少し話したことがあるのですが、郷里が近いので、何となく心配なのですよね」

 郷里が近い、ということは、鏡花だけではなく秋聲もそうであろう。彼らは同郷だと聞いた。

 独歩が、意見を求めるような眼差しを向けたからだろうか。秋聲は肩をすくめてみせた。

「多分だけど、女将さんは弟の方を育て上げるつもりだったのだと思うよ。それが弟の方が亡くなってしまったから、力の弱い女の子が残ったのが不満なのかもしれないね」

「そんな不当な扱いをする人では、ないと思ったのに……」

「人間、いつどんな理由で心変わりするかわからないものではない?」

「秋聲君は、意外に悲観主義者なんだね」

 この中の陰鬱な顔つきをした藤村がそんなことを言い出したので、秋聲は「君にはあまり言われたくないなぁ」とぼやいた。藤村はどこかきょとんとした様子で、それに答える。

「僕は生まれながらの憂鬱を常々骨身に感じているけど、それは僕の境遇がたまたまそういう悲観的なものであったというだけで、僕自身が世の中に悲観を持っているかといえば違うかな」

「そうだな。藤村君は割りかし、精神的には逞しいと思うよ。僕や花袋なんて及びもつかない」

 文学には、繊細さだけではなく、ある種の大胆さも必要だ。時に恥や外聞を捨ててでも、それを文学として昇華する剛担なまでの潔さが必要だ。そういう意味では、身内の不幸を文学的題材として見ることができる藤村は、そうとうに強い。

「独歩君も大概だよ。僕はスキャンダルでスキャンダルをもみ消すなんて、そんなこと思い付きもしなかった」

「おっと、そう来たか」

 そこを突かれるとなかなか痛い。

 結局、その日は『青ゲット』に出会うこともなく、手がかりを得ることもできなかったのだが――。

 この五人は、ほんの数日後に再び神楽坂に集うことになる。

 尾崎紅葉御用達の、和菓子の老舗。

 店の女将が無残に殺されたのは、まさにこの翌朝のできごとだったからだ。

 そして、その犯人は青ゲットを被った人物であるとまことしやかに、囁かれている。

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