8/19 航空の日

「先輩、私、宇宙飛行士になりたかったんですよ」

 夕暮れ時、二人きりの美術室で、一つ下の後輩が世間話とばかりに語り出す。

「……未来の宇宙飛行士様が、なんでこんな美術同好会なんかで燻ってるんだ?」

 キャンパスに顔は向けたまま、言葉を返した。

「夢は、夢でしかなかったってわけです。夢に溢れていたころの私は現実を知って、いまも変わらず地上の只人です」

 語りながらも、彼女の筆は止まらない。静かな部屋に掠れた音が数度。それから。

「いまは、もう、思い出すことしかできませんけど……あの頃はきっと、どこかに飛び立ちたかったんだと思います」

 まるで遠い昔の話のように語る。そんな彼女に、俺はといえば眉をひそめていた。

「別に、今からでも、遅くはないだろ」

「遅いですよ。だから、諦めました。夢の時間はおしまいなんです」

 どうだか、と心の中で呟く。彼女を近くで見ているから、知っているのだ。彼女はいつだって、目の前ではないどこか遠くの場所を見ていることを。やがて堪えきれなくなった彼女はそこに向かうのだということを。

 だって、ほら。彼女のキャンパスには、青い空がどこまでも続いている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る