夏の終わり

 固い床に身を任せて寝たのは昨日のことだった。いつの間にか眠りについたらしい私は、痛いくらい眩しい光で目が覚めたのだった。

 痛む身体をさすりながら、起き上がって辺りを見回す。脱ぎ散らされた靴、散乱した箱、開け放されたままの窓。昨日のままだった。夢ではなかった。

 彼女、夜乃さんに会えたのも、私が舞い上がりすぎて告白をしてしまったのも、返事を聞く前に逃げ去ったのも。全部全部夢じゃない、紛れもない現実で。向き合うには少々つらいものがあった。頭を抱えて、考える。答えなんて出ているくせに。

「もう一度、夜乃さんに会って、逃げたのを謝って。返事を聞く、」

 そう、出ているじゃあないか、答え。口に出した言葉を頭の中で反芻する。問題は、これを私が今日にでも実行できるかどうか。

 できるわけがなかった。前はあんなにも会いたかったのに、今は会うのが怖くて仕方ない。現実と向き合いたくなかった。

「課題、課題。終わらせなきゃ」

 現実逃避とでもいうように、積み重なった課題に手をつけ始めていた。



「柚木!」

「えっ」

 パチン、という音がして、急に視界が明るくなる。唐突な明るさに耐えられなくて

 思わず目を閉じて、手で覆う。

「ええ……なに」

「電気もつけないで勉強するのはやめなさい、目悪くなるわよ。」

 ゆっくりと慣らすように目を開く。お母さんは呆れきった顔でこちらを見ている。少しだけ心配そうな色を含ませていたので、軽い感じで生返事を返した。明らかにホッとした顔をして、「ご飯よ」とだけ言って、部屋を出て行った。

 ちらりと窓の方を見たが、やっぱり朝のままだった。靴は外に放り出したままだし、箱も出しっぱだ。靴を箱にしまって、窓を閉める。箱は、クローゼットの奥にしまう。

 あの海には行かない。勝手な私を許さなくていい、できたら面倒なやつに絡まれたなぐらいに思って欲しい、なんて自分勝手なことを思った。私にもう勇気など残っていないのだ。



 ◇◇◇




 海に行かなくなって一週間が経過していた。

 ずるい私は、ずるずると家に引きこもり、夜乃さんがいるであろう月がきれいな夜にさえ、海に行こうとはしなかった。クローゼットの奥にしまった箱は、少しずつホコリをかぶり始めている。それと同時に、夏が終わり始めていた。

 壁に掛けられた無機質なカレンダーを見る。

 長かった夏休みが終わって、新学期が始まろうとしていた。クリーニングから返ってきたばかりの制服が、カレンダーの横にかけられている。まだそんなに着てないせいかやけに真新しく見えた。

 夜乃さんのこともまだ終わってないのに、新たな課題が与えられたような気分だった。

 このままずるずると終わってもいいのか?真新しい制服がそう語りかけてきているようだった。そんなことないけど。制服はしゃべらない。私が勝手にそう思っているだけ。

 クローゼットの奥にしまった箱を眺めて。今日も海に行くのはやめた。

 憂鬱な気分のまま、ベッドに寝転がる。そして、ゆっくりと目を閉じた。

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