第29話 寺岡支店長、気づく

「さて、名刺も送ったし。正確にはうちの若いやつにやってもらったんだけど。でもこれで安心、安心と。


 二十六年前か。だんだん思い出してきたぞ。もう二十六年になるか、そりゃもう。しかし、紀子って人は罪深い人だったな。あんな美人、そりゃもう、俺だって惚れるわ。先代から直々に「ちょっとそっちに女を住まわせてやってくれ」というから何事かと思ったもんだ。子が一人いるという。先代も会いに来るだろうから粗末な物件は紹介できんし、それなりに間取りも必要だろうし、そりゃもう頭を使ったわ。俺を採用してくれたのは先代だったから恩義もあるし。駅に迎えに行ってびっくりしたもんだ。あんな美人、見間違うもんか。一目惚れっつうのはこういうことを言うんだな。でも『先代の良い人を好きになっちゃあかん、あかん』って、そりゃもう、どれだけ自分に言い聞かせたものか。そりゃもう大変だったわ。


 しかし、先代がなくなって、俺は社長に言ったんだ。紀子さんに早く知らせないとって。そしたら社長、『その人については自分が全て対応するから気にしなくていい』なんて、そう言ってきやがった。二代目の分際で生意気な。ふん。だからそれから俺は彼女に関わる権限がなくなった。そりゃもう苦しかった。彼女が初台御殿へ行ったのも後で知ったくらいだ。そりゃもう驚いた。しかも、"気が触れた"だの"自分で自分の体に火をつけて自殺した"だの色んな噂が立ったもんだ。支店の連中もそりゃもう俺に色々聞いてきたが、俺はダンマリを決め込んだ。せめて俺くらいは彼女を悪く言いたくなかったからな。


 でも、変だよな、そりゃもう、雅美さんに言われて気づいたが、社長は先代のことをどんな風に紀子さんに伝えたんだろう。妾と父親の関係なんて、死をきっかけに簡単に切ることができた筈だよなあ。でも紀子さんにはすぐに先代の死を伝えなかった。社葬が終わって一週間後くらいだったかな。で、そのあとなぜか度々会いに行っている。何をしに行ったんだ。そりゃもう、このご時世だから電話でじゅうぶん用を足せるし、いざとなったら俺を使えばいい。それを社長はしなかった。二番目の子にしたって父親は誰なんだ。雅美さんの言うように年齢的にも健康状態からしても先代じゃない。それに二番目の子の葬式は東京でやったのか? 少なくともこっちじゃやってないし俺にも知らせてきていないから本当のことはわからんが。


 しかし、紀子さんって人は可哀そうな人だったな。愛人とはいえ好きな人に先立たれ、二番目の子にも先立たれ、自分は自殺。。。

 残された息子も可哀そうだった。耕やすの"耕"に太郎の"太"で"耕太"。心配でちょくちょく遠くから気づかれないように様子を見に行ったもんだ。そりゃもう、利発な子で~、気丈に振る舞ってはいたが、内心はボロボロだったろう。

 親戚の叔父さんが彼を迎えにきた時、俺は一応、物件の引き渡しという名目で立ち会った。あの子はそりゃもうすっかり無口で、黙って俺に一礼して、叔父さんに手を繋がれて出て行ったな。うつむいてたよな~。可哀そうにな~。

 今、大人になった彼に会うことができて、もし何か言うことがあるとしたら、なんと言ってあげようか。『お前の母さんと父さんは立派な人だったよ、君もしっかり前を向いて、二人の分まで生きてくれ』、かな。ちょっとかっこ良すぎるか~、自分。


 しまった!そうか!ああ!なんかモヤモヤしてたんだ。今わかったぞ!

 ん! とすると?

 そりゃもう、こりゃ大変だ!

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