第21話 紀子(2)

 会長のお妾さんが、初台御殿で焼身自殺を遂げていたという情報は、雅美さんを動揺させるには十分な重みを持っていました。車の中で、

「やっぱり、お妾さんはいたんですね。それも社長ではなくて御先代だった」

 と私が言うと、雅美さんは、

「私は家のことを知っているようで、実は全く知らなかったのかもしれません」

 と、深く沈んだ声で答えました。

「しかたないですよ。雅美さんが生まれる前のことですから」

「昨日も言いましたが、私はてっきり妾の人が手紙を送ってきたんだと思っていました」

「ええ」

「ウチの周りで時々見かけるお婆さんもその人だとばかり思っていました。でも違っていました。彼女はだいぶ昔にウチに来て焼身自殺。そんな大事なこと、全然聞かされていなかった!」

「まあ、あまりペラペラ話す内容ではないし、いつしか秘密のような、、、秘密っ!」

 私はつい叫んでいました。でも雅美さんは冷静にそれを制して、

「いや、確かに秘密といえば秘密なのでしょうが、それは今回の秘密、つまり、父が落とし前をつけようとしている秘密とは違うと思います」

「違う?というと?」

「だって、もう一旦は、事件として恐らく報道されただろうし、お妾さんがいたということも家族に知られてしまったのだろうし。だから今更、父が動くほどの秘密ではないと思うんです」

「ふ~ん、なるほど、そう言われるとそうですね。雅美さんは秘密は別にあるんじゃないかと?」

「ええ、それが何なのかはわかりませんけれども」

「手紙の主と社長の二人だけがそれが何なのかわかっていて、社長はお妾さんの住むところへ来ていると・・・」

「今言ったように、手紙の主がお妾さんだと思ったので。でもその人はかなり前にウチで焼身自殺しているから、どうやら違うようです。父はここには来ていませんね」

「どうします?紀子って人の住んでいた家へ行きます?」

「ついでに行ってみますか。そろそろ着くみたいだし」

 寺岡支店長にセットしてもらったナビが目的地の到着を知らせたのは午前十時三十分の少し前でした。近隣のコインパーキングに車を入れ、目的地の周辺を歩いて人の気配があるところを探しました。程なくすると公園が見えてきました。若い主婦が子どもを遊ばせていたり、七~八十代の男女がベンチに座ってお喋りをしたりする光景が見えました。私は雅美さんに、

「あそこの人たちに聞いてみましょうか」

 と言ってみました。

「そうですね、あの、お話中、申し訳ありません、今少しいいですか」

 そこには楽しそうに話をしていたお爺さんお婆さんたちがいました。ところが急に声をかけられたものだから、一斉に全員が会話をやめて『ん?』という表情をこちらに見せました。こちらも一斉に見られ、虚をつかれた格好でドギマギしてしまいましたが、ようやく雅美さんがその中の一人のお婆さんに、

「ちょっと人を探しておりまして、ご存知でしたら教えていただけませんでしょうか」

 と言うと、お婆さんは耳が遠いらしく、

「ええ?」と、要領を得ないご様子。

「教えるって何を?」と、その横にいたお爺さんがぶっきら棒に聞き返してきました。

「あ、あの、人を探していて、その・・・」と、雅美さん。

「人を探してる?」と、また別のお爺さん。

「誰を?」と、また別のお婆さん。

「だからあ、それを教えてほしい、ってことでしょ?ね?」と、最初のお婆さん。

「そ、そうなんです」と、雅美さん。

「そいで、あなたがたは?」と、ちょっとリーダー格っぽいお爺さん。

「だから、人を探してる人よ」、以下省略。

「いや、知り合いの者でして・・・」

「そんなもん、名前もわかんないんじゃあ、なあ」

「あ、あ、紀子さんという方なんですが」

「だれって?」

「紀子さん・・・」

「だれ?」

「の・り・こ・さ・ん・だってよ」

「ノリコサンって誰?」

「だからそれを聞いてるんでしょ、この人たちは」

「女かい?」

「典子はこの人よ」

「もう、アタシはマ・ツ・コ」

「あ、そうだったっけ、メンゴ、メンゴ、ハッハッハ」

「で?誰を探してるって?」

 帰ろうかと思いましたが、そこをグッと堪えて、

「二十五、六年前に、お亡くなりになっているのですが、紀子さんという方を・・・」

「亡くなっとるって?」

「じゃあ、ここにはいねえな」

「ハ、ハ、ハ、ハ、ハ」

「いつだって?」

「だ~か~ら~、二十五、六年前だってよ」

「そんな昔のこと、ねえ」

「昨日食ったメシだって覚えてねえもん」

「その頃、俺はバリバリだった」

「ウチもお父さんまだ生きてたわ」

「拓さん、あの人じゃないかねえ、いつだったかね、あれは」

「俺?誰よ。あれ、紀子さんって。ああ美人の!」

「ハハ、やだ。美人だって」

「俺も思い出した、思い出した、器量の良い人だったわ」

「マツコって誰よ?」

「俺にカミさんさえいなかったら、手え出してもおかしくなかったよ、な、ヨッさん」

「マツコじゃなくてノリコ!」

「よせよ、俺はカミさん一筋だから!」

「アッハッハ」

 兎に角、みんなで思いついたことを口にして、言いたいことが言い終わって、

「でえ?」

 と聞いてくる始末。

「あ、いえ、親しかった方はいらっしゃいますか」

「親しかったって、そんなもん、言えっかよ、な、ヨッさん」

「若い人をからかうんじゃないよ」

 雅美さんはそれでも勇気を振り絞って、

「親しかったというか、良く話すとか、挨拶を良く交わしたとか・・・」

「イヤラシイ意味じゃなくて、知り合いだったかってことだろ、わかってるって」

「なら、いいです」と、雅美さん。

「あたしたちは良く知らないけど、あの人なら良く知ってるんじゃないかしら?」

「誰よ?」

「ほら、あのスーパーの」

「馬鹿こけ!奴はこの前三回忌やったばっかだ」

「だから、奥さんのほうよ」

「ああ?」

「奥さんっ」

「ああ、奥さんのほうね。あそこは昔から配達してるからな、知ってるんじゃない」

 やっと、聞きたいことが聞けるようになってきました。

「スーパーというのは、どちらに」

「バス停があるでしょ?あるの!あっちに。バス通りに出ると、バス通りわかる?」

「行けばわかるよ。あるから!その近く。で、あんたら何?」

 誰なのかは既に冒頭で伝えたので軽く無視し、

「わかりました。教えてくれてありがとうございました。行ってみます」

「気ぃつけてね」

「暑いから死ぬな」

 私たちは暑さよりもこの人たちのパワーにグッタリしてその場を後にしました。お爺さんお婆さんたちはまだ『マ・ツ・コって誰?』で盛り上がっていました。

 スーパーへ向かう前に、今は別の人が住んでいるであろう、かつての紀子さんの住まいに行きました。戸建ての一軒家でした。庭があり、物干し竿には大人や子どもの衣類が干してありました。玄関には車が一台、ママチャリが一台、そして小さな子ども用の自転車も一台止まっていました。親子三人で住んでるのかな。この時間帯はお父さんは働いて子どもは学校に行っているけれども、夜になれば親子三人が暖かい食卓を囲むんだろうなと色々思い巡らせるものがありました。紀子さんも子どもと二人でたまにしか会いに来ない会長のことを思って暮らしていたんだろう。二十六年前に何があったのか、なぜ紀子さんは子どもを残して自殺しなくてはならなかったのか。きっと雅美さんはそう思っているのでしょう。それとなく雅美さんを見やると雅美さんはどこか途方を見つめて寂しく立っていました。

「雅美さん?」

「え?」

「大丈夫ですか」

「あ。大丈夫です。スーパーでしたね、行きましょう」

 ヨッさん(多分)が『バス停からキョロキョロすればすぐに見つかる』というのでまずはバス停を探しました。ありました。果たしてバス停からほど近くの場所に「フレッシュ柿枝」はありました。郊外型のなんでも品揃えがしてある、駐車場が広い、ごくごくありふれたスーパーでした。私たちは車を駐車場に止め店内に入りました。レジのところに六十歳くらいの女性が恭しく「いらっしゃいませ」と出迎えました。来店客は一人もいないようでした。私たちは目配せをして、雅美さんが、

「あの、ちょっとお伺いします、今少しよろしいでしょうか」

「はあ、なんでしょう」

 女性は道案内かしらという眼で私たちを見つめました。

「昔ですね、このちょうど裏の道を入ったところに紀子さんという方が住んでいらっしゃったと思うのですが、紀子さんのことをご存知かなと」

 女性は、下の名で聞いてくるこの二人連れは一体何者かといった顔つきに変わり、

「この裏に?紀子さん?ええっと、今、生憎わかる者が出ていまして、申し訳ありません」と無難な答えを返してきました。

 雅美さんは少しだけ迷って、

「そうですか、朝比奈さんというのですが」

「朝比奈さん?、、、ちょっとわかりませんね、今、『住んでいらっしゃった』とおっしゃいました?」

「ええ、その方は随分昔にお亡くなりになっていて」

「ああ、そういうことですか、手前どもはよく配達であちこち回りますが、このあたりに朝比奈さんはいらっしゃいませんよ、、、昔というと」

「平成元年までお住まいだったんですが」

「あら、そんな昔ですか、そうすると、私しか知らないわね。朝比奈さんって方はウチのお客さんにはいなかったと思いますよ」

 万事休す。そこで私は、

「逗子北町◯丁目◯番地で。当時、三十歳前後で男の子と二人暮らしだったのですが」

「あら、じゃあ本当に近くね。う~ん。。。そう言われてもねえ。。。ん?それヤマザキさんじゃない?」

「ヤマザキ。。。」

「ええ、そういう人だったらよくウチも配達してましたよ。普通の『山』に山冠の『嵜』。お店にもよくいらっしゃいましたよ」

「どんな方でしたか」

「どんなって。あの、調査か何か?」

「はあ、いえ、身内のものです」

「苗字もわからないのに?」

「ちょっと複雑な事情がありまして」

レジの女性はこの“複雑な事情”に何故か関心を催したらしく、

「ああ、それでえ」

 と妙に得心したようでした。雅美さんが、

「『ああ、それで』と仰ると?」

 と聞くと、レジの女性は、

「いえいえ、噂ですけれども、あの、本当に御身内の方ですか」

「はい、遠い親戚で」

「そう。なら申し上げますけれど。主人が三年前に亡くなったんですが、『あそこは日陰の家庭だ』って言ってたんですよ」

 ビンゴ。私たちはようやくきたと顔を見合わせ話を促しました。そんな雰囲気を察したのか、

「まあ、折角お出でになったんだから、お茶でも出しましょうね」

 と言って女性(店名からおそらく柿枝さん)は奥へ行って冷たい麦茶を出してくれました。

「で、その、紀子さんをお探しになっているのですか」

「ええ、どうしてもお伝えしたいことがありまして」

「そう。。。でも、それは無理ですよ」

 と柿枝さんはきっぱり言い切り、

「なんでも自殺なさったとかでねえ」

 と、さあ驚いたかと言わんばかり。それは知っていたことではありましたが、雅美さんは、

「え?そうなんですか!自殺を」

 と、少しオーバーなくらいに話に食い入ってきました。それを見て柿枝さんは、

「そうなの!ねえ、怖いわね。そんな感じの人じゃなかったのにい。山嵜さん、よくウチのお店に来てくれて、私も話好きだからよく立ち話をしちゃってね。明るい気立てのいい人だったわ。そんな人がねえ、あんなことするなんてねえ、わからないものねえ」

「あんなことと言うと」

「いや、なんでもね、ただの自殺じゃなくてねえ」

「はあ、どんな?」

「なんでも山嵜さん、どこかのお妾さんだったみたいよ」

「お妾さん」

 雅美さんの鸚鵡返しや共感の姿勢に、柿枝さんの口からどんどん出るわ出るわ、

「そう。その相手っていうの?その人の自宅へ行ってねえ、自殺しちゃったんだって」

「そうなんですか、なんでまた?」

「それがね。気が触れてたって話よ」

「気が?!」

 思わず雅美さんは声が上ずってしまいました。

「噂ですよ。その相手っていうのはね、なんでも東京の会社の社長さんらしいのよ。でも、その社長さんがお亡くなりになって。で、その社長さんの会社の人がご丁寧に知らせに来たらしいのよ。それからその人、気が触れてしまって、社長さんの家へ行ってね、自分で自分の服に火を付けて、ねえ、怖いわねえ」

「。。。」

 雅美さんは声にならない、相当の衝撃を受けている様子で口を固く閉じました。

「あと、これも噂ですよ、その人、妊娠してたみたいよ」

 静かに回る扇風機の音。軒先に吊るされた江戸風鈴の音。時折通り過ぎる車の音。柿枝さんは舌の調子が良くなって色々な話を続けていきましたが、私たちの耳から次第にその声は遠のいていきました。

 雅美さんが、我に返って、

「あの、それで、息子さんというのは」

 と聞きました。すると柿枝さんは、

「ああ、なんでも、実家の方が引き取っていったとか。違っていたらごめんなさい」

「その実家というのはどちら?」

「ううん、そこまではねえ。お茶もう一杯いかが?」

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