第14話 事件

 雅美さんとは代々木八幡駅のそばにあるカフェで八時半に待ち合わせることになりました。

代々木八幡駅というのは、東京都渋谷区代々木にある小田急線の駅で、昭和の時代はどこにでもあるような平凡な住宅街でした。しかし、高度経済成長期とともに朝日奈不動産が大々的に手がけるようになってから事務所ビルが建ち並ぶようになり、アパレル会社やその関連会社、デザイン事務所などが入居し、また、重蔵氏のコネクションから有名人も家を建てるようになり、今では知る人ぞ知る大人のおしゃれな街へと変わっています。朝比奈家の初台御殿からは歩くと結構ありますが、バスだと停留所で四つばかり。

 駅とは対照的に、鬱蒼と生い茂る森に囲まれた小高い丘のような場所に一二一二年創建と伝わる代々木八幡様が鎮座しています。また、この境内には、一九五十年に加曽利土器とともに関東ローム層の土を浅く掘り窪めた住居と柱穴が発見されました。このことから約四千五百年前には人が住んでいたと推定され、縄文時代の遺跡として区指定史跡に指定されています。なお、竪穴住居は復元され自由に見ることができます。

 私は待ち合わせのカフェに八時半ギリギリに着きました。雅美さんが来ているかどうか焦りましたが、まだ来ていないようでした。結局雅美さんは十五分遅れの八時四十五分にやって来ました。雅美さんは、

「お待たせしました、遅れちゃって、くたびれちゃいました?」

 私は言うなら今しかないと思い、

「いえ、それはいいんですが、雅美さん、やっぱり、あの・・・」

 そもそもあんな手紙など単なる悪戯だと思うから誘い文句に迂闊に乗るのは得策ではないと提案するつもりでした。しかし、私が言い終わるのを待たずに雅美さんは、

「お忙しいとこありがとうございます。あれから色々考えたんですけどね、ウチの家のこと随分お話しているから結構何でもご存じですよね」

と、私が嫌がっているのを、割って入ってきたのでした。

「はあ、色々聞かされ、あ、いえ、お聞きしています」

 雅美さんは私が表現を言い換えたことを気にする風もなく、店員さんに、

「すみません、紅茶、アッサムをお願いします。いえ、ストレートで結構です」

 と注文すると、

「それで、あれからね、それとなくね、ウチの事情を探ってみたんですけどね。親戚と言ったらやっぱり今一緒に住んでる祖母と両親しかいないみたいで。祖父はだいぶ前に亡くなってるし。ただ、、、」

「ただ?」

「ただ、ずいぶん前に言ったと思うんですけど、うち親子二代で女性にだらしないって話、恥ずかしい話ですけど、しましたよね」

「ええ、ま、噂でしかないけれども、って話ですよね」

「そうそう。もしあの手紙の内容が本当の話だとすると、もしかしたら、そっち関係の人が出した手紙かも。。。わからないですけど。どう思います?」

「どう思いますって」

 雅美さんは明らかに自分の考えに同意してほしがっています。

「いや、もうこの際だからぶっちゃけますね、当時の不倫相手、祖父なのか父なのか、どちらなのか知らないけど、その人が今になって何かガタガタ言ってきてるのかもしれないなぁって。どう思います?」

「はあ、可能性はありますね、でも・・・」

「でも、って」

 ちょっとでも反論めいたことを言うと、途端に不機嫌になります。

「いやいや、雅美さんの言うことを否定するわけじゃないですけど、現実問題、実際にそんなことって起きますぅ?それに、もし、それが本当だとしても、どんと構えていればそれでいいんじゃないかなって」

「でもね」

「でもね、って」

 こっちの意見にははっきりノーを言うんだ。。。

「手紙には『餓鬼がやってきた』って書いてありました」

 たしかに今日読まされ、基、読ませてもらった手紙には十善戒なる戒めの言葉があって、餓鬼に食われるとか、色々書かれていました。しかし引用した内容の示唆することが何であり、目的が何であるか全くわかりません。それに、このご時世に餓鬼だなんて。。。

「ま、今にわかりますよ、その人の正体が。もう約束の時刻ですよ?」

 私は結局、行くのを止めようと提案する筈が、自分から後押しするかたちになってしまい、なぜこうも自分は押しに弱いのかと溜め息交じり。それに比べて、雅美さんは冷めたアッサムティーを一気に飲み干し、「ドキがムネムネしてきました」と意味のわからぬ台詞を言って意気揚々。遊園地のお化け屋敷にでも行こうかといった感じでした。


 夏のこの時期は夜七時くらいまではまだなんとなく明るく、しかも日本独特の蒸し暑さが「まだまだ一日を終わらせないよ」と主張するので、夜九時であっても夜である感じがなく一向に涼しさも感じられません。むしろ道路に向けて備え付けられた無数のエアコン室外機が熱風を吐き出して私の顔に直接浴びせるものだから、それが相乗効果を生んで著しくやる気を損ないました。颯爽と歩きだした雅美さんではありますが、代々木八幡の境内へつながる階段に差し掛かると、鬱蒼と生い茂る木々の光合成で生れた空気が気温を五度は下げているような感覚にさせ、その足取りは重くなっていきました。でも果たしてそのような感覚にさせるのは空気の存在だけでしょうか。いやいや、それだけではないモノも作用しているように思えてなりません。それは何事かに対する漠然とした不安であり、真っ黒にしか見えない境内の中に何者かがいる、あるいはいるであろうことに対する恐怖心でした。それらが混在し、より一層寒々とさせるのではないかと思えてなりませんでした。

 気が付くと私たち二人は知らないうちに無口になっていました。気づくと雅美さんは何を思い詰めているのか眉間に皺を寄せ口はへの字に曲げてキッと挑むかのような目をしていました。

 境内へつながる階段は一直線に伸びていましたが相当に長く、途中に何ヶ所も踊り場が設けられていました。勾配も急で今の建築物ではありえないなと思わせるものでした。はじめに気がつきませんでしたが隣のスペースには女坂があっていろは坂のように階段がジグザグになっていました。降りる時にはこっちの方が良いなと思いながら上っていくと、半分くらい行った踊り場で雅美さんが急に立ち止まって、こう切り出しました。

「この階段、結構きついですね」

「ええ、そ、そうですね、ちょっと休みます?」

雅美さんは返事をしません。そのかわり、

「来てると思います?」

「来てる?」

「ええ」

「さあ、、、どうして?」

「うん。。。いや何でも」

「言ってください、心配になりますよぉ」

「やっぱりお妾さんですよね。。。来てるとすれば。。。ちょっとここで待っていてくれませんか」

「ここで?一人で?嫌ですよお。なんでそんなこと言い出すんですか」

「いやちょっと」

「ちょっと?何ですか」

「巻き込みたくないし」

「ここまで来て?」

「う~ん」

 私は雅美さんが急に考えを改め始めるなんて妙でしたが、雅美さんという人はこれでなかなか気遣いのある性格なので、私を本当に巻き込みたくないんだなと思い、逆に勇気づけようと、

「『二人で行けば何とやら』って雅美さん、さっき言ったじゃないですか」

 そう言い、階段を上り始めていきました。

 上り詰めるとすぐのところに鳥居があり周囲は鬱蒼とした木々に囲まれていました。石敷きの参道が曲がりくねりながら続き、見上げると満月が葉の間からペンダントライトのように社を照らしていますが、残念ながら辺りの様子を知るにはその光は弱すぎました。人の気配は全くしません。こちらも自然と抜き足になって進んでいくと程なくして、左手に木が生えていない代わりに網状のフェンスで囲われた竪穴住居が見えて来ました。この住居については前述した通りです。ところが少し状況がおかしいようです。フェンスに備え付けられたフェンス扉が半開きになっていたからです。この時刻ですから施錠して閉めるのが普通だと思われましたが、誰かが鍵を壊してしまってそれっきりにされ何かの拍子に半開きになっているのかもしれません。それでも気味が悪いものです。

 私たちは顔を見合わせ、無言で「どうする?」の応酬をしました。すると雅美さんが私の腕をチョンと押しました。私は、

「ちょ、雅美さん、嫌ですよ」

「シー、そうじゃなくて、あれ」

「ええ?」

 雅美さんが指をさしたほうを見ると扉の向こうに何かが。恐る恐るフェンス扉をくぐり、復元住居の入口のそばまで行きました。

「ヒャッ!」

「え?何?ヒャ~ッ!」

 私たちは思わず悲鳴に近い声をあげていました。復元住居の玄関というか入口から裸足の二本足がにゅうっとのぞいているではありませんか。かかとが上を向いていました。ということは中にいる体はうつ伏せ?

「ダメ、雅美さん、帰りましょ」

「え?でも、誰か倒れてるんじゃ?」

「だからあ、だから帰りましょ」

「倒れてたら助けないと」

「うんまあ、ええ?」

 雅美さんが意を決したように私の前を過ぎ、入口の中へ。私は引きずられるように後を追いました。

スラックスを履いているようなので男性?誰?ホームレス?ええ、何?辺りを見回しても誰もいません。仕方がないので、私も引きずられるように雅美さんの後を追い、吸い寄せられるように復元住居の中へ入りました。でも真っ暗がりで何がどうなっているのかわかりません。暑い!なんで?ん?焦げ臭くない?なんで?それに何か鉄のサビたみたいな。雅美さんがスマートフォンの画面をつけてそれを上の方にかざしました。

「ウッ!! ウ〜!!」

「ウッ!! ウ~!!」

 中の状況はこうでした。中央には囲炉裏のような円形の浅く掘り窪められたスペースがあり、火をくべた跡なのか黒く変色していました。その中に人が、人が顔を突っ込んで倒れていました。髪の毛は全部チリチリに焼け焦げ、左を向いている顔も真っ黒焦げ、あるはずの目・鼻・耳がなく顎は外れていびつにぐにゃっとひしゃげていました。ああ、なんておぞましい真っ黒焦げの頭。惨憺たる、それはそれはむごたらしい状況でした。

 とんでもないのを見てしまった、どうしよう。。。兎に角、慌てて復元住居から出ると雅美さんが「あっ」と外の方を見て言いました。

「どうしたんですか」

「あっち。。。」

「え?どこ?」

 灯籠の灯もなく闇の中。月光が頼りですが何も見えません。

「ち、ちょっとわかんない。どうしたんですか」

「なんかいました」

「いましたって?」

「え、なんか、でも暗くて、・・・」

 もう一度、私は階段のほうへ目を凝らして見てみましたが、もう気配は全く感じませんでした。

「犯人?」

「ううん、、、さあ、、、」

 ただの散歩人ではないと思います。もしそうなら私たちの悲鳴を聞いてこっちに来た筈。私たちはまた竪穴住居の中に戻りました。

「お父さん。。。」

「ん?」

「あ、いえ、なんでも」

 雅美さんはこの時何を言おうとしたのでしょうか。

「お父さんが殺された」と言おうとしたのでしょうか。

 それとも、

「お父さんが殺した」と言おうとしたのでしょうか。

 どちらとも取れました。社長が殺されたのなら犯人は手紙の主である可能性があり、社長が殺したのならこの死体は手紙の主である可能性が。。。

「雅美さん、兎に角、どうにかしないと、、、警察?、救急車?」

 とりあえずここは警察でしょうということになりました。

 私はすっかり動揺してしまい、腰が抜けてしゃがみ込んでしまいました。一方、雅美さんは私に「そこに座っていてください」と言って、「落ち着け~落ち着け~」と言いながらスマホで警察に通報しました。

 それにしても、、、

 。。。

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