第8話 朝比奈重蔵-2

朝比奈重蔵-2


 紀行氏が亡くなると、朝比奈の跡取りは自分以外になく、赤の他人とはいえ戸籍上の子である訳だから、重蔵は正式に朝日奈不動産を引き継ぎました。

 美子が身籠もった赤児は別として。。。

 そして、紀行氏が生前アドバイスしてくれたやり方で、重蔵は片っ端から逗子市一帯を首都圏のベッドタウンに変えていきます。

 そして、朝比奈不動産も社員が百人を超える規模になり、株式を上場する準備を始めるまでになりました。

 さらに、このやり方を武器に東京へも進出し、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す世界的な大都会において、マンションだけでなく立地に応じて事務所ビルも手掛けて大成功を収め、重蔵は一気に不動産王の異名をつかみ取ったのでした。

 彼のビジネスモデルは、土地は地主の物であるから決して買わない、その代わり地主との信頼関係をじっくり構築して土地活用のお手伝いをするというものでした。

 具体的には、当座の資金は朝比奈ホールディングスと関係の深い金融機関が融通する。

 そしてそのお金で、地主に代わって農地を宅地に転用し、マンションやアパート、或いはビルを建て、家賃収入を地主に得てもらう。

 当然、建物の設計・監理・施工はホールディングスの子会社が請け負うし、完成したらこれまた仲介専門の子会社が地主に家賃保証を付けて一気に満室にする。

 そうするとそっくりそのまま不動産仲介手数料が入ってくる。

 まさに地主と金融機関と朝比奈ホールディングスのウィン・ウィン・ウィンが成立するのです。

 他の不動産会社と明確に違うのは、ここまで徹底的に地主との関係を続けていく点でした。

 プライベートにおいては三十五歳で結婚し、東京都渋谷区初台に、地元の人から初台御殿と呼ばれる、敷地一千坪はあろうかという大邸宅を建てます。

 事業で大成功を収めた重蔵氏ではありますが、心の中にひとつだけ、ポツンと墨を落としたようにどす黒く、そして、ふと頭をよぎって心を深く沈ませる、小さいけれど非常に強い重力を持つ気がかりがありました。

 何を隠そう、紀行氏の元妻、美子がその後どうしているか、でした。

 ある意味、美子は重蔵にとって厄介な存在です。

 自分の若かれし過去を知っている人物が今もどこかで生きているかも知れない。

 自分はマスコミにも取り上げられるようになり名前も顔も知れ渡った。

 だから、いつ何時、あの“奥さん”が、「あんた、今、何したか、わかってるでしょうね」と勝ち誇ったように自分に言い放ったあの"奥さん"が、自分の目の前に現れて来るやもしれぬ。

 彼はついに、一人息子の静馬氏に美子の消息を調査し報告するよう指示を出しました。

 ただし興信所などを使ってはならぬと付け加えて。

 おまえ一人で捜すんだ。

 社員にも言ってはならぬ。

 これは誰にも知られてはならぬ。

 この手で、この世から抹殺せねばならぬのだと。


 時間はかかりましたが、6つの報告があったと言います。

・指示通り自分(=静馬氏)が直接北海道へ行って直に調べてきた。

・美子は帰郷後、国鉄N線Y駅前の小料理屋「歌乃処(かのじょ)」で働いていた。

・国鉄民営化とともにN線が廃線となり街も廃れ歌乃処も店を閉じた。

・身寄りの者とは絶縁状態である。理由は不明だが、カネとオトコと思われる。

・幾人かと男性と関係を持つも、関係が終わると街を追われ転々とした。

・現在はO市の市営住宅に住み、自力で経済活動ができないと市が判断し民生の保護下にある。

 重蔵はこれらの報告を最後までじっと聞き、一つだけ質問をしました。

「子どもは。子はいないのか」

「あの様子、あの状態では、いないと思う。いたとしても絶縁状態と思う」

 そう静馬氏が返答すると、重蔵氏は椅子をくるりと窓側に回転させ、しばらく途方を見つめ、そのあと両手で顔を覆い、ゆっくり髪をかきあげ、窓を向いたまま、こう言いました。

「嫌なことをやらせてすまなかった」

 この時の静馬氏には、重蔵翁の並々ならぬ感情のほとばしりを感じたといいます。

 なにやら、父の若い頃に女沙汰があって、もしかしたら、それが今も恨み辛みとして残っている。

 ただ、その張本人があの美子って婆なら、心配は要らない。

 あの生活の有り様を見たら、父だって何の手出しもして来ないと思うだろう。

 いや、待てよ。子どもがいるかと聴いていたな。いやいや、それもない。生きてるかどうかさえわからなかったのだから。

 静馬氏は、そう思いながらも、何か背筋のぞっとする感情を隠せませんでした。


 晩年、重蔵は心臓の具合が芳しくなくなり、体の不調を訴える頻度が高まってきました。

 自然と、飲み食いに出かけることも減りました。

 そしてとうとう、静馬氏へ社長の椅子を譲ります。

 が、会長職とは依然として残り、亡くなるまで事実上の意思決定権と財産管理を静馬氏に託すことはしませんでした。

 何故か。

 噂では、自分以外に知れては困る地所があるとかないとか。

 そこに女性を住まわせているとかいないとか。

 そして彼女には終生生活には困らせないように取り計らっているとか。

 妻の正子様に、その辺りのことが分からない訳はありませんが、

「自分が黙っていることで家の人たちが平穏であれば一切黙っていましょう」

 と周囲の人には漏らしていたようです。

 正子様はもともと病弱で一日寝て過ごす日もあるくらいだったので、そんな自分が重蔵を満足させられる自信がないとみて、重蔵の女性関係には穏便にしたかったのかもしれません。

 しかし、この正子様のスタンスが、結果的に、大きな意趣遺恨を残すことになろうとは。

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