第26話 溶明

「最後の依頼はあんたの護衛かよ」

「ご不満かね?」

 シンジョウは肩を竦めた。

「最近は私の周りも物騒になってきてね。この二か月余り、君の活躍もあって<ナイツ>の取り締まりにはほぼ成功したが、お蔭で敵が増えてしまった」

「敵?」

「うん。麻薬の流通を見逃して裏金を稼ごうとしていた、上司や同僚の首をいくつか飛ばしたからねぇ。結構恨まれてる」

 話の内容のわりに気楽そうな様子である。意外に胆力があるのだろう。

「どこへ行く?」

 レオはシンジョウの服装をじろじろ見ながら言った。

 いつものダークスーツより少し明るめの服である。春にはまだ少し遠いが、一番寒い時期を脱したこの世界の光は、少し明るくなって、日が沈む時間も遅くなったようだ。

 陽が沈む直前の暗い紅の光線が街を暖かく覆っている。

「下町へ」

 官庁街の無機質な通りを下りながらシンジョウは言った。

「下町?」

「家族がいるんだ」

「……」

「意外そうだな? 私に家族がいるなんて変かね?」

 シンジョウはレオを振り返って笑った。

「別に」

「娘なんだよ」

「……」

「生まれる前からずっとほったらかしにしていてね。今更許してもらえるとは思ってなかったんだが、十年以上ぶりに連絡を取ったら、なんと会ってくれるというから……」

「……」

「彼女の木が変わらぬ内にお情けにすがるんだ」

「喋ってもいいかい? 独り言では味気なくてね、君は無関係だし、適当に流してくれていいから」

「勝手にしろ」

「ああ」

 シンジョウはぶらぶらと歩きながら夕陽を見上げた。今日はお付きの車も、人間の側近もないようだった。

「私と妻は学生結婚でね。世間の事を何にも分からないまま結ばれたんだ。しばらくはお互いに夢中でね、貧乏だったけど幸せで……だけど、私が適性を持っていても、難関と言われた公安局の幹部候補生の試験に合格してから少しずつ歯車がずれてしまった」

「ふぅん」

 レオは無感動に相槌を打った。野人の感覚からは考えられない事態なのだ。

「私は次第に仕事に取り憑かれ、彼女の待つ部屋に帰る日が少なくなっていった。妻は出版関係の仕事に就いていたが、概ね端末でできる仕事だったからね。彼女は特に文句も言わないで、ずっと辛抱してくれ、滅多に帰らぬ私に安らぎをくれて……なのに、私はそれに甘えてやりたい放題。はっは!」

「……笑うとこか?」

「違うねぇ。それでも、その内子どもができた。私はあまりに若くてね、あんまり実感がわかなかったんだ。父親なんてね。だから、正直嬉しいと思ったことはなかったな。……で、妻を抱けぬ事を言い訳に、あちこちで……ね。所謂浮気と言う奴だ」

「最低だな」

 レオは吐き捨てるように言った。

「最低なおとこだ。つがいには尽くすべきだ。死ぬまで」

「ああほんとに。野人が羨ましいよ。……それで、幾つかメールももらったが、恐くて読めなくてね。挙句の果てに、妻の出産にも入院にも一切付き添ってやれず、彼女が退院した次の日に、やっと部屋に帰った時にはね、彼女は既にいなかったのさ」

「……」

「わずかな荷物と赤ん坊と一緒にね。残された端末のデータに離婚届が入力されていたっけ」

「リコン?」

 無論野人には離婚の概念はない。

「そうだ。彼女は優しい人だったが、同時に筋を通す人でもあった。私の情人たちの事も知って猶予期間をくれたのに、私が無視したんだ。頼み込んで街を出てゆく彼女に一度だけ会って、子どもの名前だけ教えてもらった。そして、あなたはもう要らないと言われた。すっかり腹を括っていたんだ。それで終わりだ。後は追えなかった。謝ろうにも許してもらえないことは分かっていたからね。俺は見放されたんだよ」

「当然だ」

「だね。それからはもう仕事三昧さ。いつの間にかこの街の公安庁長官にまで上り詰めていたがね。要するに今じゃあ、しがない一人暮らしの親父ってこった。頭は薄くなるわ、腹は出始めるわで昔遊んだ女たちの誰にも見向きもされない」

「……」

 じろりとレオはシンジョウを見下ろしたが、本人が自嘲するほど見てくれは悪くはなかった。人間の男としては体格も良い方だろう。

「ま、でも。仕事柄、家族の行方くらいは知っていたんだ。妻……メグミは、子どもを育てながらしばらく西の大都市、ゴシックシテイで働いていたようだったが、体を壊して五年前にこの街に戻って来た。それを知って、援助を申し出たが又してもあっさり断られてね。一生許してもらえないのかと落ち込んだ」

「俺なら死ぬな」

 レオはあっさり言った。

「ははは! 野人の雄に生まれなくてよかったよ。でも、メグミはその数年後に亡くなってね」

「後を追わなかったのか?」

「今ここに生きてるじゃないか。けど、あの頃なら考えたかもしれんな。二人で暮らし始めた頃……」

 シンジョウは遠い目で落ち行く夕陽を見ていた。

「後には子どもが残った。十五歳だった。けれど、彼女らしく娘にはちゃんと生き抜く術を伝えてあってね、ちゃんと一人でやっていく立派な娘に、どの面下げて俺が父親だと名乗れるかい? メグミは最後の最後に私の事を伝えていたらしいが、今まで娘から一切の連絡はなかったんだよ。今回初めて大学を卒業するからもう援助はいらないと、私のプライベート端末にメールがあった。それが初めてだ」

「援助してたのか?」

 レオは意外そうに聞いた。

「まぁね。金銭でするとすぐに分かってしまうから、分からないように学費の引き落としを一部分だけこちらに回すとか、奨学金に上乗せするとか回りくどい方法でだが……それくらいしかできなかったし、させてもらえなかった。バレないとは思ってたんだが、分かっていたようだな。娘には」

「あんたに似なくて良かったじゃねぇか」

「全くだ。で、調子に乗ってダメもとで会いたいと言ったら、なんと会ってくれると言う。最初で最後のチャンスだ。私はそれに飛びついたという訳だ」

「初めての親子のご対面に俺なんかが付いて行っていいのか?」

「少し離れてくれたらいいよ。俺の事で万が一にも娘に迷惑を掛けたくないし……メグミに迂闊に会いに行けなかったのも、俺に敵が増えたことが一因だしね」

「ふぅん……」

「おや、珍しく感慨深げだね? 君もいつまでハンターなんて危険な仕事をやるつもりだい?」

「野人に認められる仕事はハンターしかないんだろ?」

「そりゃ、西の大都市じゃそうなんだろ。ジャポネスク・シティは今まであまり野人はいなかったし、野人がらみの事件もなかったから、現在のところ、そういう決まりはなかったと思うが」

「そうなのか……」

 レオは少し考えこんでいる、シンジョウは興味深そうにその端正な横顔を眺めた。。

「君とこんなに話ができるなんて思わなかったな。……あ、この通りだ。この中にある店を指定したんだ。昔メグミとよく行った場所でね。店自体は変わってしまっているが……店には知らせてあるから君は表で待っていてくれ。ここまで来れば……!?」

「下がれ!」

 いきなりレオがシンジョウの首根っこ掴んで自分に引き寄せる。途端シンジョウの顔が激しく引き攣り、太ももから鮮血が飛び散った。

「狙撃だ! 警報!」

「警報! ヨビコヲナラセ!」

 シンジョウが謎の言葉を叫んだ途端、ヒューヒューとサイレンの人工音が通りにあふれた。街のあちこちに埋め込まれたセーフティシステムは、決められた音声を入力することによって作動する。シンジョウが叫んだのはその一つで、公安の人間しか使わない言葉だったようだ。

『ゴヨウダ! ゴヨウダ! ゴヨウデアル! モノドモミチヲアケヨ!』

 聞き慣れない言葉に人々は慌てふためきながらも、速やかに建物の影や軒下に身を伏せた。古来からこの街の人々は集団恐慌状態にならないことで有名である。

「店へ!」

 レオは大腿部を打たれて歩けないシンジョウを抱えて店に飛び込んだ。彼が引っ張っていなければ、腹部か胸部を撃ち抜かれていたことだろう。

「救援要請!」

 レオは驚いている店の主に向かって叫ぶ。痛みをこらえているシンジョウを奥の長椅子に横たえると、傷の具合を見た。銃創自体は小さいが動脈を傷つけたらしく出血が激しい。すぐにそこら辺の布で応急措置を行う。

 その時――

「レオ君? レオ君がなんでここに……」

「ムツミ!」

 レオが愕然と振り返ると、見慣れた愛しい姿が立ち尽くしていた。

 何でムツミがここに、今日は仕事だと言ってあったのに。

 レオはこんな危険な場所につがいを置きたくないと、さっと立ち上がったが、ムツミはレオを通り越して彼の背後をを見ている。

「お――お父さん!?」

 

 

 

 

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