前のエピソード――第三十三話　ヒーローごっこ

「じ、地震だよ、一郎ちゃん！」

「う、うおっ！」

　田中一郎（仮名）はたたらを踏みながら辺りの物に手当たり次第に手を伸ばし、よろめきながらも年老いた女店主の下へと必死で歩み寄った。

「怖いよ、怖いよお！　お助け……！」

「だ、大丈夫です！　自分がついてますから！」

　守るように覆い被さった胸元に、いつも以上に震える手ですがる老店主に引き攣った笑みで何とか笑い返し、田中一郎（仮名）は必死で願った。

（どうか――）

（皆も無事でいてください――！）

　また別の場所では――。

「くそ！　こいつはでけえ！　なんまんだぶ――」

「おやっさん、念仏唱えてる場合じゃねえってば！　早く逃げねえと！」

「そ、それがな……こ、腰が抜けちまって……！」

「もう！　さ、俺の背中に捕まってくださいよ！」

「済まねえ……でもな、もう儂ゃあ歳だから――」

「馬鹿言わねぇでくださいっ！！」

　弟子の鈴木太助（仮名）が怒鳴り散らすと、老いた職人は腰が抜けたままの姿勢で驚き目を丸くした。そこにむっつりと真っ赤な顔が素っ気なく告げる。

「俺……まだ全部教わってないから。まだ半人前だから！　今、逝かれちゃ困るんですよ！」

「……ばぁか。まだ半人前以下だよ、てめぇは」

　背中から伝わる温もりと湿った声に知らずに笑みを浮かべた鈴木太助（仮名）は、老職人の重みをかみしめながら一気に立ち上がって駆け出した。

　そして、ただ、ただ、願った。

（絶対に――）

（誰も死なんでくださいよ――！）

　◆◆◆

　みーっ！

「う――うおっ！？」

　みしみしっ！と施設のあちこちが悲鳴を上げる。アバターの中のあたしはパニックになりかけ、玉座から立ち上がることもできず、棘だらけの肘掛をそれこそ血が滲（にじ）みそうになるほど必死で握り締めた。

　そこに唐突に平坦な女性の声が割り込んでくる。

『――震度七強ノ局地的ナ直下型地震ガ発生中』

　タライさん、冷静すぎだってば！

　ってか、大広間もテリトリーだったのね！

「ＴＡＬＡＩ、局地的、とはどういう意味です？」

『――震源地ヲ中心トシテ円形ニ一〇キロノ範囲ノミガコノ地震ノ影響範囲デス』

「ば、馬鹿な！　それは非科学的ですよ！」

『――ッテ言ワレテモデスネ。実際ソウナンデス』

「それで！　震源地は！？」

『――ココノ真下ミタイデスネー』

「成程……！　先手を打たれましたか……！」

　その短いやりとりだけで何かを察したルュカさん。あたしや鬼人武者さんはただうろたえるばかりで、揺れが収まるのを必死で耐え忍んでいたのだが、ルュカさんはよろめきながら玉座まで近寄ってくると、あたしの手を、ぎゅっ、と強く握り締めて言った。

「御安心ください、アーク・ダイオーン様！　この施設は、この程度の揺れで壊れるヤワな構造ではありませんから！　それよりも――抜丸！」

「あいよッス……って、おっとっと！」

　即座に虚空の闇から染み出したのは抜丸さん。

「侵入者です！　地下倉庫へ急いでください！」

「ち――。こいつはあんにゃろうの仕業か！　御意ッス！」

　察しの良い抜丸さんはその短い指示に即座に頷くと、再び揺れに足を取られ、けんけんをしながらも瞬時に姿を消した。直後、揺れが徐々に鎮まるのを感じて思わずほっとしたあたしだったが、ルュカさんの科白が気になって口早に尋ねた。

「ルュカ、お前にはこれが何を意味するのか分かっているというのか？　そうなのだな？」

「ええ」

　ルュカさんは珍しく苦々しく表情を歪（ゆが）め、頷（うなず）いた。

「間違いないでしょう。タウロたち《改革派》の仕業です。彼らの一人、ドリル・コリドラスの能力で操れば何処でも自在に地震を発生させることができますから。それにしても直接狙ってくるとは――」

　コリドラスさんか……。

　確かに面会した時も打ち解けた感触はなかった気がする。能力についてもあまり話したがらなかった。その時からすでに不満を抱えていたのだろう。

「それで？　連中の狙いは何だ？　お前の考えを聞かせて欲しい」

「物資の調達のために侵入したものかと」

　ルュカさんは悔しそうに拳を握り締めた。

「我々は腐っても悪の組織ですからね。武器・弾薬の類も備蓄しているのです。それも……最下層にある地下倉庫に。地上から攻めてくる通常の相手ならば、それで安全な筈でした」

「だが、直接地下から攻められればひとたまりもない、か……」

「そうです。しかし、その逆もしかり。奴の掘ったトンネルを辿（たど）れば、《改革派》のアジトを見つけ出すことができるかもしれません。ですので――」

「い、いや、待ってくれ、ルュカ」

　あたしは号令をかけるべく高く挙げたルュカさんの右手をさっと制止した。振り返った当惑交じりの顔に向けて、あたしは告げる。

「その前にやらねばならんことがある。お願いだ。そちらを優先してはくれないだろうか？」

「……と、仰（おっしゃ）られますと？」

　あたしは迷うことなく答えた。

「地上の、この町の人たちが心配なのだ。この下町にある家々は年代物で、構造も建材も古い。何より、アルバイトとして潜入している構成員たち、そしてお世話になっているこの町の人々のことが心配でならないのだ……。彼らはきっと、我々の助けを必要としている。私はそう思う。私は悪の首領だ。だからこそ彼らを守ってやらねばならない責任を負っている」

　ルュカさんはわずかに躊躇（ちゅうちょ）したが、

「アーク・ダイオーン様はそういう方でしたよね。承知しました。侵入者の追跡は抜丸たちの班に任せ、手の空いている者総出で地上に向かいましょう」

「う、うむ。そう言ってくれると助かる」

「では、参りましょう。皆も手を貸してください」

　そして、あたしたちは災害後の下町へ急いだ。