第十三話 悪の首領

 あたしは、学校が終わるや否や猛ダッシュで家に帰ることにした。


 美孝は部活だと言っていた。隣のクラスの麗は……生徒会の会議がある筈だ。美孝の隣が庶務の男子なので二人の会話を耳にしたのだ。どのみち麗とはまだ顔を合わせたい気分じゃなかったから丁度良かった。


 あたしはと言うと、美術部の活動はあるにはあったけど、入部当時から家庭事情って奴を理由に、文化祭みたいなイベントの前後を除けばほとんど顔を出さない幽霊部員なのである。


(麻央は絵の才能がありますのに勿体もったい無いですわ! それにサボりなんて――)


 あーはいはい。


 ご丁寧に頭の中で反復された麗のお小言にうんざりしながら首を振る。全員何かしらの部活に所属しなきゃダメって校則だから入っただけだし。行ったところでオタクと腐女子の巣窟そうくつみたいな集まりだし。正直どうでもいい。




 今日は誰とも会いたくなかった。

 あの人たち以外には。




「ただいまー……って和子おばさんもいないかー」


 当たり前のように瀬木乃家のドアを開け、玄関脇のホワイトボードで確認する。和子おばさんは日舞に行っている日だ。あたしは『麻央』と書かれた白いマグネットシートをがし、裏返して黄色い方を表に、ぺたん、と貼り直す。そしてその隣に、きゅきゅっ、とこう書いた。


『部屋で勉強してる』


 さあて。


 ドアを閉め鍵を掛け直すと、あたしは家に戻って学習机の上に勉強道具一式を広げ、スタンドライトを点けて準備万端整えてから――VRゴーグルと指輪を装着した。




 ◆◆◆




「これはこれは。アーク・ダイオーン様。お疲れ様でございます」

「うむ」


 昨日と変わらぬうやうやしい会釈えしゃくで迎えられ、あたしはゆっくりとうなずき返してから玉座に腰を降ろした。そこから見える景色に人影はまばらだ。


「どうだ、ルュカよ。皆の様子は?」

「勿体ないお言葉です。特に変わりございません」

「なら、良い」


 皆の態度と彼の立ち位置から、ルュカさんがこの悪の組織に欠かせない参謀役であり、実際に優秀な頭脳と判断力を持っていることがあたしにも分かっていた。


「お、おほん!」


 なので、もう少し突っ込んだ話をしてみる。


「いまさらこの私が聞くまでもないことだろうが――普段、皆は何をしているのだろうな?」

「普段、と言いますと?」


 ルュカさんは涼し気な表情を崩さず問い返してくる。


「あー……。ここにいない時は何をしているのか、ということを聞いておこうと思ってだな」


 この世界は仮想の物で、いわゆるMMORPGの世界ってことなんだろうから、ログインしていない時には何をしてるのかなー、ってことなんだけど。


「そうですね」


 しばしルュカさんは顔を上向かせて目を閉じ、思いを巡らせてから答えてくれた。


「構成員にも向き・不向きがありますので、それに応じた任務を与え、遂行させております」

「……ほう?」


 ふつふつと疑問が湧いたけど今は続きを聞こう。


「たとえばですが――」




 空き缶拾いや屑鉄集め。その他にもゴミ集積所に捨てられている物のうち、まだ使える物があれば、修理してリサイクルショップに持ち込んで換金。あとは行きつけのパン屋さんで、パンの耳や切れ端を貰ったり。


 って、皆苦労してる……。

 っていうか、それってホームレスさんのすることじゃないの?




「……他には?」

「いえいえ。もちろん今のは特にひいでた能力を持たない構成員に与えている任務でして――」


 ははは、と乾いた笑いを発してからルュカさんはこう続けた。




 迷子のペット探し。これはペットの種類によって報酬がまちまちらしい。菓子折りだけってこともあるみたいで、苦労の割には報われなさそうだ。あとは自警団的な夜の見回り。路地裏での喧嘩やカツアゲみたいなのを見つけては仲裁し、謝礼をいただくんだそうだ。これも金額はバラバラなので確実とは言えない。


 最終的に分かったことと言えば、定職に就いている人がほとんどいないってことと、皆リアルは苦しい生活の人ばかりなんだな、ってこと。そんな状態で、仮想世界でゲームしていていいんだろうかって中学生のあたしですら心配になってくる。




「……大変なのだな」


 思わずこめかみを揉みほぐしながらつぶやくと、ルュカさんは慌てて手を振ってみせた。


「いえいえ。アーク・ダイオーン様が心を痛めることではありませんよ。それに、これはアーク・ダイオーン様自らが望まれたことを、我々なりの解釈で実践しているだけですから」


 え?


「私が……望んだ……?」

「そうですとも」


 ルュカさんは神妙な顔つきで頷き返した。


「――正義か悪かを決めるのは、他人ではない。人の道に外れたことをするのが悪であるという安易な考えをしてはならぬ。己に信ずる悪がある限り、善い行いも悪しき行いも全てが悪のためである。貧すれども悪、己に恥じない悪と成れ――そうおっしゃったではありませんか?」

「う、うむ。そうであったな……」


 いかにも銀じいらしいや。


「そうであった! そうだとも!」


 思わずじわじわと込み上げてくる感情を噛み殺し、あたしは語気を強めて頷いた。


「良い! 実に良いではないか! それでこそ……ええと……我ら……」


 やばっ!

 宙に浮いたまま行き場を失くしたあたしの科白をルュカさんは素早く繋いでくれた。


「――我ら《悪の掟ヴィラン・ルールズ》である、そう仰っていただけるのですか! 何と嬉しきお言葉」


 さすがは有能な参謀役だ。助かる! 偉い!


「だがな、ルュカよ?」

「何でございましょうか、我が主」


 おほん、と咳払いをしてあたしは言った。


「我らが真に向き合い、立ち向かうべきは正義ではないのか? 特に正義の皮を被った悪――それこそが真に叩くべき相手であろう? 違うか?」

「おお……」


 ルュカさんは目から鱗が落ちた、とでも言いたげにきらきらと瞳を輝かせて頷いた。


「まさにアーク・ダイオーン様の仰るとおりにございます! 《悪の掟》の参謀を仰せつかりながらその考えに至らなかった自分めの不甲斐なさに呆れるばかりで恥じ入ります……」

「い、いやいやいや――!」


 今にも消え入りそうな恥辱ちじょくにまみれた表情で下唇をきつく噛み締めているルュカさんの態度に慌ててしまい、手を振って否定した。


「お、お前は十分に役目を果たしている。そのことを一番知っているのがこの私だ。お前が至らぬと思うなら、それは私の至らなさだ。真に恥じるべきはこの私であるのだ。お前は誇り、胸を張ればよい」

「はっ!」


 うわー。超嬉しそー。


 思わずこっちまでにやけそうになるのを必死で堪えるあたし。ゲームとは言え、こうまで喜んでいる人を目の当たりにすると胸の奥がむずむずする。


「しかしながら……疑問をていすることをお許しいただけますか、アーク・ダイオーン様?」

「えっ」


 危うく素のあたしが顔を出した。慌てて引っ込め、殊更ことさら厳めしい顔付きをし、咳払いをして頷いた。


「こほん。ああ、勿論だ。許そう」

愚昧ぐまいなる私めにはアーク・ダイオーン様の指し示す敵なる者の姿がまだ見えておりません。具体的には……どのような?」

「あー……その……」


 ツッコまれると思っていなかったあたしはしどろもどろになりながらも、今思いついたばかりのことをそのまま口に出してみることにする。


「えー……。こ、この世には、本当は悪い行為だと皆が知っている、分かっているのにも関わらず、正しいと認めてしまっていることがあるだろう? あ、あるんじゃないか……と思うんだが? 違うか?」

「ふむ。成程」


 ルュカさんは呟いて頷き返しながらも、今一つピンときていない様子である。当たり前だ。


「つ、つまりだ――」


 ええい。どうとでもなれ。


「我らは悪の組織なのだからな、正義を名乗る者にこそ牙をくべきなのだ。一般市民の方々にご迷惑をかけるのは良くないぞ。うん。あー、警察にもちょっかいを出すのは止めておけ。あれは市民の中から選ばれた彼らに与えられた仕事でしかない。あくまで、仕事、なのだ」

「となると?」

「た、たとえばだぞ?」


 いよいよ核心に近づいてしまった。

 あとはこの前テレビで見たニュースが心細くも数少ない頼りだ。


「政治家の汚職事件……あれは良くないな。うん。この国のため尽力じんりょくすると誓い、人心を集め当選したにも関わらず、己が利権と私服を肥やすべく手を汚した訳だろう? 彼らを正義と信じて送り出した人々の思いを踏みにじるような卑劣な行為ではないか。違うかね?」

「いえいえ! まさに仰るとおりでございます!」

「あと、あれだ――」


 後から思えば、この時のあたしはすっかり追い詰められた格好で、どうでもいいことまで口にしてしまっていたような気がする。と言うか、そこまで気を回す余裕がなかったのだ。


「パチンコ屋! あれは良くないぞ。日本はカジノ非公認の国家ではなかったのか? うるさいし煙草臭いし……。大体、換金所なるものは法の抜け穴そのものではないか。店が手渡すガラクタ同然の景品を買い取ってくれる所があるだなんて、ご都合主義にも程があろう。終いにはそこが襲われたから警察が捜査して犯人を捕まえるなど、まるで茶番ではないか!」


 何のことはない。ソースはこの前観た『特命!警察24時/密着夜の大捜査‼』。

 あれ、意外と好きなんだよねー。


「は、はあ……。パチンコ……ですか」

「そうだ。ああいうところのバックにはヤクザがいて、彼らの資金源になっているのだと聞くではないか。表向きは株式会社を名乗り、きちんとした団体だと見せかけているが、それこそ正義の皮を被った悪だろう? 真の悪を名乗る我々を愚弄ぐろうしているとは思わんか?」

「おお、そういうことでしたか。得心とくしんしました」


 ええい、ついでに言っちゃえ。


「未成年アイドルの飲酒・喫煙行為や、正統派タレントの不倫……あれも正義を売りにしている者が皮を剥ぎ取られた醜い姿だな。考えても見るがいい、ルュカ。彼らの軽率な行為によって、あの時、あの瞬間に視聴者が感動して流した涙まで嘘偽りになってしまうというのは、あまりに罪深い行為ではあるまいか? 無垢むくなるファンたちが心に負った傷と失った時間を思えば、到底とうてい許せるものではない。許せるものか!」


 決して実体験じゃないから!

 もうしは作らないし忘れたし。ちっくしょう!


 最終的には何が言いたいのか分からなくなってしまったけれど、ぜいぜいと肩で息を吐き、整えてから玉座に座り直したあたしを真剣な眼差しで見つめ、ルュカさんは深く頷いた。


「成程。ようやく理解いたしました――全て」

「え……」


 す、全て、って何処まで?


 何だか沸々と嫌な予感も湧いてくるのだけど、今のあたしは悪の組織の首領、アーク・ダイオーンなのである。なるべくうろたえた素振りは見せないようにしないといけない。


流石さすがだな。それでこそ有能なる我が参謀、ルュカ」

「何と! 勿体ないお言葉!」


 その場に片膝をつき首を垂れたルュカさんは、顔を上げ決意みなぎるきらきらした目で言った。


「早速、皆に与えている任務の見直しを図ることにいたしましょう。先程拝聴しましたアーク・ダイオーン様の御意思をしっかりと汲み入れた形で、活動範囲と対象を見直さなければならないでしょうから。ふふ……これは久々に腕が鳴ります」

「そ、そうか……? あー、うむ、大いに結構」


 必要以上にルュカさんのやる気に火を着けてしまった気がする。途端に落ち着かない気持ちになって玉座の上でむずむずをお尻を揺り動かしていると、ふとVRゴーグルの中の右下の数字が視界に入ってきて、余計に慌ててしまった。


 もう夕方の六時じゃん!

 瀬木乃家での夕ご飯の時間は厳守だ。


「おっと! な、長居をしてしまったな! 後の手筈は、ルュカ、お前に一任しよう。私はしばし留守にする。またのちほど顔を出すとしよう。頼りにしているぞ」

「万事お任せを、アーク・ダイオーン様」


 深々と会釈をするルュカさんに見送られ、あたしはスリッパ履きの足をもつらせながら猛ダッシュで部屋へと戻ったのであった。



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