第三話 なんたらレンジャー

 ついこの前の、日曜日だったっけ。


「おぅ、麻央。おめぇ昔、アレ、好きだったよな?」


 毎日のようにお見舞いに通っていたあたしに、いきなり銀じいはそんなことを言い出した。


「アレ、って何さ? あたし、銀じいの奥さんじゃないんだよ? それだけじゃ分かんない」

「そっかそっか。違ぇねえ」


 かかか、と豪快に笑ったかと思うと、点滴を終えたばかりで片付けの最中だった若い女看護師さんのお尻を、ぺろり、とで上げた。案の定、きゃっ!と悲鳴が上がったが向こうも慣れっこらしく、照れたように頬を染めて笑ったかと思うと、骨ばったその手を嫌というほど、ぴしり、と引っ叩いた。


 おお、痛え、と手をさすさすり、ふーふー息を吐きかけながら銀じいは続けて言う。


「アレっつったらよ、アレだ。ええと……何つったかな……なんたらレンジャー!」


 はぁ、と溜息が出た。

 二つの意味で。


「『超国際救助戦隊ユニソルジャー』でしょ? 一個も合ってないじゃん。適当なんだから」

「そう、それそれ! 良いじゃねえか、レンジャーとか正義とか付けときゃ間違いねえだろ」

「ま、そうだけどね」


 やー!とか、たー!とか勇ましい掛け声をかけて、ベッドの上でポーズを取り始めた銀じいの子供じみた振る舞いに思わず、くすり、と笑ってしまった。


「で、それがどしたの?」

「ああいうの、もう見ねえのか? 今の時間やってんだろ? ほれ、そこのテレビは俺っち専用なんだ。点けてくれ。一緒に見てぇんだよ、麻央とな――」


 ほい、と渡されたリモコンの赤い丸ボタンには、窮屈きゅうくつな字で『つける』と書かれた紙切れがセロテープで張り付けてあった。老眼のせいか読めないので自分で貼ったらしい。でも、それを受け取ったあたしは首を振った。


「ね、銀じい? あたし、もう中学生だよ? それに、女の子だし……もうああいうの嫌い」


 嫌い――それは、他にうまい言い方がなかったから。

 途端、ずきり、心の何処どこかに痛みが生じた。


「嫌……い?」


 あたしは銀じいの顔に浮かんでいるだろう寂しそうな表情を見ないように、わざとそっぽを向いたまま窓際に飾っておいた花瓶を手に取ると、しおれかけた何本かを引き抜いてそれを足元の屑籠くずかごに乱暴に投げ込んだ。


「そ、そっか……嫌い、か。違ぇねえ。中学生だもんな」

「……うん」


 それがあたしが覚えている、銀じいと交わした、最後の、まともな会話だった。




 ◆◆◆




「お……い、麻央! 探し……たんだぞ!?」

「おー。美孝じゃん。どしたの、息切らせて」


 言われた美孝は、ぶすーっ、と不貞腐ふてくされる。


「いないからだろ。母ちゃんが探して来いってさ」

「ふーん」

「ふーん、じゃねえよ。早くしろって」

「おばさんが怖いから?」

「……違う。違うじゃんかよ」


 美孝は震える声で何度も首を振った。

 うつむき加減の前髪のせいで分からなかったけど。


 ――泣いてる?


 美孝が顔を上げた。気のせいだったみたい。


「もう……最後なんだぞ? ここで顔見とかないと、もう骨になっちゃうんだぞ? 触ったりもできなくなっちゃうんだぞ? だから……早く行こう」

「別にいい」


 あーあ。

 どうして誰も放っておいてくれないのかな。


「アレだよね、ちょっとひんやりしてて銀じいじゃないみたいだよね? あと、鼻の穴に綿詰まっててさ、あたし、ちょっと噴きそうになっちゃって――」

「………………行くぞ、ほら」


 ちぇ。

 少しは笑ってくれたっていいのにさ。


 あたしは美孝に手を引かれるままにのろのろとついて行く。中学生になってから、こいつにこんな風に手を繋がれたことなんてなかったっけ、とぼんやり思った。こんなとこクラスの子に見られたら、明日から、デキてるだとか夫婦だとか言われちゃうじゃん。




 それでもあたしは、その少し震えている手を、きゅっ、と握り締めていた。


 とても、とっても暖かい手だった。


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