第2話 ファーストキス


 2年3組。奇しくも、俺は琴葉と同じクラスだ。

 昼休み。琴葉が作ってくれたお弁当を食べながら会話をする。


「ねぇ、拓哉」

「なんだ?」

「私ね、好きな人出来たんだ」

「へぇ、あの琴葉に好きな人が」


 ずっと俺と一緒に野球やってたこいつがな……。

 見た目は贔屓目なしにしても可愛いと思う。最近は日焼けにも気を遣っているらしく、肌は白いままキープされている。

 長く伸びた少し茶色を帯びた髪は、ポニーテールで纏めている。クリっと丸い目に、丸みを帯びた鼻。

 女子高生で限定して見れば、少し大きな胸。

 琴葉のスペックはかなり高いと思う。


「拓哉は何も思わないの?」

「んー、良かったな?」

「ちがうー!」


 元気いっぱいにそう言い、琴葉は俺の手を握った。


「いや、ここ教室なんだけど」

「カンケーない!」

「いや、あるだろう。好きな人いるんだったら尚更さ」


 誤解とかあとから色々めんどくさいぞ?


「い、いいの。拓哉は特別」


 琴葉はグイッと顔を近づける。純粋無垢な瞳が、バッチリと俺を捉えている。

 琴葉に見つめられている。その事実が何だか凄く恥ずかしいような気がして、慌てて視線を逸らす。


「目、逸らしちゃダメ」


 琴葉は俺の手を離し、今度は両手で俺の顔を挟み、前を向かせる。

 そうすると、必然的に彼女と俺の視線は交錯する。

 顔に熱が帯びる。真っ赤になっていくのが分かる。


「このまま、キスしてもいい?」

「は?」

「だから、このまま――」

「馬鹿なのか?」


 俺は慌てて琴葉から距離を取る。クラスメイト達が俺たちに視線を集めていたことに、今更ながら気がつく。


「な、何もないからな!」


 その場にいることすらも恥ずかしくて。俺は逃げた。教室を出て廊下を走り、階段を駆け上がる。

 そして屋上に出る。


 心地の良い風が吹いており、上を向けば綺麗な青空が広がっている。空を仰ぐのを邪魔する天井はない。このままずっとずっと上には宇宙だって広がっている。

 そんな空に向かって、俺は手を伸ばした。


 決して届かない。はるか向こう。

 手を伸ばしても無駄だ。

 俺と同じ。

 かつては全国制覇を掲げ、プロを目指していた。

 だが、もうプレイすらしていない。

 そんな奴がいくら手を伸ばしたところで、何も掴めない。


「もう……遅いんだよ」


 そう呟く俺の声は涙に濡れていた。

 野球が出来ないことが悔しい。でも、父さんたちを殺したのは野球をしていた自分なんだ。

 野球なんて、しない方がみんなが幸せになるんだ。

 だから、俺はもう野球はしないって誓った。


「ねぇ、拓ちゃん」


 そんな時だ。

 屋上と校舎を繋ぐドアが開き、声がした。

 よく聞いた琴葉の声だ。

 懐かしさのこもった呼び方。

 いつからだろうか。琴葉が俺を拓ちゃんと呼ばなくなったのは。

 完全試合をしたあの試合では、まだ拓ちゃんと呼ばれていた気がする。


「琴葉」

「私ね。知ってるんだよ?」

「……」

「拓ちゃんが誰よりも野球が好きなこと。今でもグローブ磨いてるでしょ?」


 目じりに熱いものが込み上げてくる。

 野球はやめたけど、グローブは捨てられなかった。父さんたちが地方大会決勝前に買ってくれた、形見のようなグローブ。

 今となっては、手が大きくなってもう使えないけど。大事で、暇さえあれば磨いている。

 それを知ってくれていた、という事実。

 それだけで嬉しくなった。俺を見てくれている人が居たってことが分かったから。


「私ね。好きな人いるって言ったでしょ?」

「あ、あぁ」

「本当はまだ言わないつもりだったんだけど。言うよ」

「俺に言ったって何もならないと思うぞ?」


 次々と溢れ出る涙を見せないように、琴葉に背を向けながら涙声にならないように気を使いながら言う。


「いいの。私のこの想いは3年前から変わらないの」

「3年も片想いしてるってことか?」

「そうっぽい」


 俺の言葉を聞くや、琴葉の語気は少し弱くなるのが分かった。


「ぽいって、曖昧だな」

「だってさ。私の好きな人は拓ちゃんだから。ずっと、ずっと。初恋をまだ続けてるの」

「……嘘、だよな?」


 父さんたちが死んでからいじけて、引きこもった時期もあった。

 情けない姿をめちゃくちゃ見せてきた。

 そんな俺を3年も好きだと、言うのは信じられない話だ。


「うんん、本当だよ。私は幼馴染みだから、拓ちゃんの色んな姿を見てきた。でも、最後はぜったい乗り越えるんだもん。どんなピンチも、どんなチャンスも拓ちゃんはどんな形でも超えてきた」


 そこまで言い、琴葉は歩き出した。そして、俺の前に立つ。涙で顔がぐちゃぐちゃになっている俺の前に立つ。

 琴葉は自分の手で、俺の涙を拭いながら柔和な笑顔を浮かべてそっと言った。


「そんな、拓ちゃんが好きなの」


 そして、ゆっくりと背伸びをして。琴葉は俺の唇に唇を重ねた。

 ふんわりと柔らかい彼女の唇の感覚と、零した涙のしょっぱさが混じった。そんなファーストキスだった。

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