カエルの王子様 

ボンゴレ☆ビガンゴ

第1話

【カエルの王子様】



 雨の六月。深夜。静まり返った住宅地。

 一人の青年が雨に濡れることも気にせずに、じっとあたりを見渡していた。

 子犬を思わせる童顔のその青年は、鼻を鳴らしながらキョロキョロと視線をあちこちに動かしている。


「絶対にいるはずだ。臭いがきつくなっている……」


 青年は何かを探していた。

 雨粒が跳ねるアスファルトに目を凝らし続けること数分。ついに、


「……いた」


 青年はようやくお目当てのものを見つけることができた。

 青年の視線の先、路上の暗がりにそれはあった。


 車に轢かれて潰れたカエルの死骸だ。


 あたりに人がいないことを確認すると、青年はその潰れたカエルの元に歩み寄った。

 最近死んだばかりなのだろう。異臭を放ち臓器を撒き散らし死んでいるカエルの前で青年はしゃがみ込んだ。

「まだ若いな……」

 青年は呟くと傘を置き、潰れたカエルに手を伸ばして、臆することなくカエルの死骸を拾い上げた。

 白くて美しい掌はカエルの血液や飛び出した臓器で汚れたが、青年は気にも留めずにカエルだった物の全てを拾い上げた。幸いなことに顔はまだ原型をとどめていた。


 青年は両手に抱えたカエルに顔を近づけていく。

 そして、目を瞑り死に絶えたカエルの唇へ、ゆっくりと口づけをしたのだった。


 異様な光景ではあった。だが、少しもそれを感じさせないほど、彼の行動は手馴れていたし、何よりその光景は切なく美しく、どこか尊いものに思われた。


 口づけを終えると、カエルの死骸は淡い光を放ちはじめた。青年は長いまつげと濡れた瞳を少し伏せて、光に包まれたカエルの死骸をそっと地面に置いた。


 カエルの体を包む光は徐々に強く大きくなっていく。光は形を変え、カエルのシルエットを変貌させていった。青年はその様子を黙って見つめていた。


 しばし光は躍動し、やがて収まると、そこにカエルの姿はなかった。代わりに現れたのは幼さを残す少女の亡骸だった。

 フリルのついた可憐な衣装に痩身を包んだ少女が惨たらしい姿で横たわっていたのだ。

 細やかな装飾が施された純白のワンピースは血に染まり、四肢はあらぬ方向に折れ曲り、潰れた体の中央から臓器をぶちまけた壮絶な姿の少女は、絶望の表情を浮かべたまま、事切れていた。

 青年は少女の無残な体を見下ろす。


「……ごめん。僕にできることはこれだけだ。これ以上、何もしてあげられないけど、せめて君が人間としての最期を迎えられるように、祈っているよ」


 そう呟いて、青年は目を閉じて手を合わせた。

 降りしきる雨が青年と息絶えた少女を濡らしていく。

 祈りが終わると、横たわる少女の亡骸を残して、青年は傘をひらき静かにその場から立ち去った。



 

 例えば、世界という存在について、人はどのくらいのことを識っているのだろう。

 自分の生まれた街や国の歴史。人々が集団で生活する上で定められた法や慣習。

 生きるために必要なあれこれ。

 考えてみれば、誰だって知らないことだらけだ。有名な学者でも専門外の知識には疎いだろうし、逆に専門家であろうと、調べれば調べるほど疑問が出てくるのが学問というものだろう。全てを知る事は今の人間には困難だ。


 つまり、無知という事実、そのものについては仕方のないことだといえるのではないか。個々人の預かり知らぬところで世界は作られていくし、世界の真実など、何一つ明かされぬまま、人生はあっけなく終わってしまう。

 伏線フラグは生活のいたるところに張り巡らされているが、明確な伏線の回収などは一切おこなわれず、一生もやもやを抱えたまま生きていくことの方が多い。

 いくら考えても正解はない。どれだけ資料を漁っても正答にたどり着けない。


 そんなことはしょっちゅうだ。


 だが、だからと言って、生きていくためには日々、選択を迫られるし、やらねばならないことは山ほどある。


『やりたいこと』

『やりたくないこと』

『やらなきゃいけないこと』

『やらなくていいのに、ついついやってしまうこと』


 人生はそんなことばかりが具沢山の厄介なスープなのだ。


 だから。

 青年は『自分にできることだけはやろう』と決めたのかもしれない。

 何も知らない平凡な自分にできる唯一のことが『それ』だったから。




 青年が自分の能力に気がついたのは、まだランドセルを背負って学校に通っている頃だった。


 通学路に秘密の場所があった。

 マンションとオフィスビルの境目に子供一人が通れるほどの隙間があり、その先に小さな空き地があったのだ。雑草しか生えていない、四方をマンションとビルのコンクリートに囲まれた薄暗い空間。

 そこは少年しか知らない秘密の場所だった。

 何をするわけでもない。何かをできるほどの広さもない。だが、少年は学校から自宅までの間に自分しか知らない場所がある、という事実だけで満足だった。誰もいないその空間にこっそりと入り込んでは壁にもたれて空を見上げて悦に浸る。それだけで充分に存在価値のある、小さな秘密基地だった。


 その日も少年は学校帰りに空き地に寄った。表通りに人がいない事を確認して、狭い隙間に細い体を滑り込ませた。

 小石と雑草と湿った土。四方を囲む壁は高く、真四角に切り取られた夕暮れ空は手のひらほどの大きさに感じた。

 いつもと変わらぬ光景ではあったが、この日、少年は違和感を持った。まるで自分以外に誰かがこの場所に潜んでいて、じっとこちらを伺っているような、そんな居心地の悪い雰囲気を肌に感じたのだ。


 少年は狭い空き地を見渡した。産毛が逆立つような薄気味悪い感覚を浴びながら。

「誰か……いるわけはないよね」

 誰に言うでもなく呟く。じっと空き地を観察していると、ビルの壁の隅に一匹のカエルがいて、こちらを見つめていることに気がついた。

「……あっ、なんだぁ。君の視線だったのかぁ」

 少年は警戒を解いた。

 そこにいたのは少年の握りこぶしと同じくらいの大きさのカエルだった。


 少年はカエルが好きだった。ぴょこぴょこ跳んだり、のしのし歩いたりする様がおかしくて可愛くて特撮ドラマで見る怪獣みたいだったからだ。


 さっきまで違和感などは忘れ去り、遊び相手ができた嬉しさで、少年はカエルに近づいた。

「君もここを秘密基地してるのかい。かわいいなぁ……。あ、でも、なんか弱ってるみたい」

 よく見れば、体のあちこちに細かい傷があった。

「大丈夫かな。できれば連れて帰って看病してあげたいんだけど……」

 そこまで言った少年だったが、母親の顔が思い浮かんで言葉尻はしぼんでしまった。母はトカゲやカエルは大嫌いなのだった。


「ごめんね。ウチには連れていけないんだ」

 少年は申し訳なさそうにカエルの顔を見つめる。

 カエルは黙って少年の顔を見つめ返した。疲れ切ったような顔だった。

「頑張って生きるんだよ」

 少年は傷ついたカエルを労わるように手を伸ばし、その平べったい頭を撫でた。


 その瞬間、カエルの体が金色に輝いた。


「うわ。なんだっ!?」

 少年は驚き尻餅をついてしまう。

「君、今なんか光った?」

 目を白黒させて少年はカエルに呼びかける。目をこすってカエルを見直すが、もう光はどこにもなかった。

 当のカエルも目をキョロキョロさせて驚いたような表情をしていた。

「なんだったんだろ、今の」

 不思議そうに少年はカエルを見つめる。幻だろうか。それとも立ちくらみのようなもので、視界がぼやけただけだろうか。

「見間違えかなぁ、疲れてるのかも。母さんが言うようにゲームのやり過ぎなのかなぁ」

 立ち上がった少年がお尻を払って考えていると、さっきまで微動だにしなかったカエルが突然手足をばたつかせ、何かを訴えるように、のしのしと少年に近づいてきた。

「あれ。なんだ、元気でたみたいだね。よかった」

 急に元気になったカエルを見て安堵した少年は、光のことはとりあえず頭の隅に置いて、近づいてくるカエルを迎えようと、もう一度しゃがみこんだ。自分から寄ってくるカエルはあまりいないので嬉しかったのだ。

 少年の目の前まで歩み寄ってきたカエル。手のひらに乗ってくれたら嬉しいな、と少年は笑顔で手を伸ばす。だが、カエルはそんな少年の期待を裏切り、少年の顔めがけてジャンプした。


「ええっ!?」


 視界いっぱいにカエルが広がって思わず少年は叫んだ。

 両手を広げて飛びかかってきたカエルは少年の顔面に飛び込んだ。防御もできず、ギョッとして目をつぶしかできない少年の顔に、カエルの顔がぶつかった。


 その瞬間、再びあたりは光に包まれた。少年の目の前が輝く光に包まれた。


「うわっ!なんだこれ」

 少年は狼狽し顔に張り付いたカエルを無理やり引き離す。

 掴んだカエルはまたしても金色に光っていた。今度は一瞬ではなく、掴んで持ち上げてもずっと光り輝いている。

 しかも、手の中のカエルを包む光はグニャグニャと形を変え始めた。


「なな、なんだぁ!?」慌てふためいて少年はカエルを放り投げた。輝く光は宙を舞いながらもその形を変え続け、地面に落ちるとさらに輝きを増した。

 異様な光景に、少年は足が震えて動けなかった。目の前のカエルが光に包まれながら、形を変えていく様を怯えながら見ることしかできなかった。


 唖然としてその様子を見ていると、光は段々と大きくなり自分と同じくらいの大きさになっていった。

 そして、シルエットがはっきりと人の形だと認識できるようになった瞬間、光はすうっと消えていった。


 光が消えた時、そこに立っていたのは傷だらけの少女だった。


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