第4話 二人はみんなのために

 先の見通せないほど長く暗いトンネルに、二人の足音が響き渡る。

 その音はこの巨大な、怪物のようなトンネルの中に吸い込まれ、消えていく。

 だが、本当の怪物は二人の背後に迫っていた。


「ねぇ、ユリナ。あいつのこと知ってるの?」

「知ってるも何も……あー、そっか。ユイにはまだ話してなかったっけ」


 ユリナとはかれこれ三ヶ月ほど一緒にいるけど、あんなセレクターの話はされたことがない。

 手足が黒いセレクター。一体何なんだろう?

 それに……リサ。リサという名前も聞いたのもさっきが初めてだ。

 リサって誰のことなんだろう。ユリナが言っていた「大切な人」なんだろうか?

 脳内に大量の疑問符が生まれつつあるユイに向かって、ユリナは話し始めた。


「あいつは……変異セレクター。ユイと出会う前に一回戦ったことがある」

「……変異セレクター」

「そう。あいつは――」


 ユリナの声を遮ったのは、けたたましいほどの咆哮。

 どうやらその「変異セレクター」が出した声のようだ。


「……来る。ユイ、飛ぶよ」

「えっ?」

「あたしの手を握って」


 鬼気迫るユリナの表情を見て、ユイは黙ってユリナの手を握った。

 次の瞬間、二人の体は再び宙に浮かぶ。

 浮かぶと同時に、トンネルの奥に向かって落ち始めた。


「すごい。まるで地下鉄に乗ってる時みたいな速さだね」

「それだけ危なくなるから気を付けてよ? それから、早いとこ後ろに回ってほしいな」


 手が塞がってると銃が使えないから、ということらしかった。

 指示された通りに、ユイはユリナの背後に回って腰に手を回す。

 手を繋いでる時より密着度が高くなった。そのせいか、さっき抱きしめられた時の感覚が蘇ってくる。

 気が動転していて記憶が曖昧だけれど、体は確かにあの時の感覚を覚えていた。

 ユリナの体の暖かさや軟らかさとか、パーカーのふわふわした感じとか、それだけではなくて。

 何というか、幸せな感じ。密着すればするほど、心の底から止めどなく溢れ出してくる感情。

 ずっとその感覚に浸っていたかった。

 だが、今はそんなことをしている場合ではない。

 ユイは顔を左右に振って気持ちを真剣モードに切り替えた。

 今は下手すれば命を落としてしまう状況。

 流石にそのくらいの分別はあるつもりだ。



「……落ち着け、冷静になれあたし。今はあいつを殺すことだけ考えて。大丈夫、あの時とは違うから」


 狙撃銃を構えながら、消え入りそうな声でユリナが呟く。

 呟きから程なくして、前方の闇の中からさっきの変異セレクターが現れた。

 セレクターとは思えないような速さでユイたちを追いかけてきている。

 ユイたちが地下鉄並みのスピードで移動しているにも関わらず、それに追いつく勢いで。

 尋常じゃない脚力だ。

 ユリナがフラッシュライトで照らすと、その出で立ちが闇の中に浮かび上がった。普段よりも不気味さを増したその姿を見て、ユイは自分の顔が青ざめるのを感じた。

 それとは対照的に、ユリナは変異セレクターを冷静に見据えている。

 スコープを覗き、走ってくる変異セレクターに狙いを定めている。

 そして、銃声。ユリナの持つ狙撃銃PSG1から七・六二ミリの弾丸が放たれた。

 放たれた弾丸は変異セレクターの心臓めがけて飛んでいく。

 銃弾が心臓を貫き、変異セレクターは再び闇に消え……ることはなかった。

 銃弾は外れた。いや、当たらなかった。

 残像のようなものを残して、変異セレクターは銃弾を横に回避していたのだ。


「やっぱこの距離でも避けちゃうかー。本当にすばしっこいやつ」再び狙いを定めながらユリナが言う。

「信じられない……絶対当たったと思ったのに」

「普通のセレクターなら間違いなく当たってただろうね。でも、あいつは異常だから」


 ユリナの狙撃銃PSG1に使われている七・六二ミリ弾は、発射されてすぐに秒速八〇〇メートルほどまでに加速される。

 二人と変異セレクターの間の距離では、到達するまでに数十ミリ秒しかかからない。

 それにも関わらず、あの変異セレクターは弾を避けたのだ。

 まさしく人智を超えた怪物という表現がふさわしい。

 でも、ユイは不思議と不安にはならなかった。

 根拠はないけれど、ユリナならきっと何とかしてくれる。そういう確信に近い思いがあった。

 そしてユリナも、やはりまだ諦観するつもりはないようだ。



 狙いを定めて、撃つ。セミオートマチック式の利点を生かして次々と射撃していくユリナ。

 その度毎に、変異セレクターは右へ左へ、時には反対側の線路も使って銃弾を確実に回避していた。

 当たる気配がない。時間が経つにつれて、ユイの心の中に若干の焦りが生じ始めていた。

 ユリナならきっと何とかしてくれる、そう思っていたけれど、今のユリナは明らかに様子がおかしかった。息遣いは荒く、体温もはっきりと分かるレベルで高くなっている。

 マガジン内の弾を撃ち尽くした後、リロードをするユリナ。その所作にいつもと違う何かを見た時、ユイは我慢できずにユリナに尋ねた。


「……大丈夫、ユリナ?」


 問われたユリナはユイの方を向かずに答える。


「ん? 大丈夫、だよ。まだ、別プランがあるし」


 その「別プラン」に自信があるのか、以外にもユリナの声色からは焦りが感じられなかった。

 しかし、すぐにユリナは声色を変え、伏し目がちに声を漏らす。


「……まぁ、今は、ちょっと、別な意味で大丈夫じゃないんだけどさ」

「えっ、それってどういう意味?」


 まさかお腹が痛いとか気分が悪いとか? それとも怪我? いや、さっきは怪我してなかったから違うかな。

 しかしユリナはユイの心配をよそに、


「どっ、どういう意味でもなーい! さーて、追い付かれないようにどんどん撃つぞー」と言って再び射撃を始めた。


 その様子を見たユイは首を傾げる。

 上手い具合にはぐらかされてしまって腑に落ちない気持ちではあるけれど、今は前方の脅威に集中しなければ。

 二人を追い続けている変異セレクター。銃弾を受けている間は二人を追う足も遅くなるが、そうでないならばすぐに元の勢いを取り戻してしまうようだ。

 追い付かれないようにするためにはひたすら射撃を続けるしかない。

 かといって、それだけではいつまで経っても倒せないので別の方法を取る必要がある。ユリナはもうその別の方法を考え付いているみたいだけど。

 数発撃った後、ユリナが再び口を開いた。


「ユイ、今何駅くらい通過したか覚えてる?」

「えーと、確か、一、二、三駅くらいだったと思う」


 指を折って数えながらユイは答える。トンネルに入ってから通過した駅っぽい場所は三つくらいだったと思う。もうすぐオチアイ駅に着くところのはずだ。


「それならもうすぐ終点、か。早めにケリをつけないとだね」

「ケリをつけるって言っても、具体的にはどうするの?」

「別プラン、の出番かな。ユイ、あたしの宝物、持ってきてるよね」

「宝物? うん、もちろんちゃんと持ってきてるよ」


 ユイは持ってきた鞄の中を確認する。そこには確かにユリナの宝物である弾薬が入っていた。赤色と青色の弾薬が一つずつ。色以外は普通の弾薬と何ら変わりはない。


「それ、AS特殊弾っていう特別な弾薬なんだよ。どういう仕組みかは分からないけど、赤い方の弾は当たると大爆発を起こすようになってる。それこそ、このトンネルが崩れちゃうくらいの途轍もないやつをね」

「え、すごい。それなら簡単に倒せそうだね」

「上手くいけば、ね。この弾をくれた人には『本当に使うべき時に使って』って言われたから、あまり使いたくなかったんだけどさ」

「その『使うべき時』が来たってこと?」

「うん。あたしはそう思う。あいつは絶対にここで倒さなきゃいけない。ずっと探してたあいつを殺すチャンス……無駄にはできないから」


 静かにそう言うユリナの横顔には、確かな決意が秘められていた。

 


「そろそろかな。ユイ」

「うん」


 持っている狙撃銃を下ろすと、ユリナはユイに指示を出した。ユイは赤い弾薬を取り出して、ユリナに素早く手渡す。ユリナはそれを手早く弾倉に込め、銃に取り付けた。

 二人はオチアイ駅を通過し、地上まであと二キロ弱のところに来ていた。地上に出るまであまり時間が残されていない。地上に出てしまうと変異セレクターを倒すのは絶望的になってしまう。しかし、地上に出る寸前で撃たないと崩落に巻き込まれてしまう可能性がある。変異セレクターだけを倒すには、ギリギリまで引き付ける必要があった。

 二人の間に緊迫した空気が漂い始める。

 銃撃が止んだことで変異セレクターは再び二人との距離を詰め始めた。


「そんなに急がなくても、必ず殺してやるから安心して?」


 少しも感情がこもっていない声でユリナが言った。こういう時のユリナは少しだけ怖い。怖いけど、嫌ではない。それも含めてユリナだから。

 トンネルの終端に差し掛かり、トンネル内が仄かに明るくなり始めた時、ユリナは引き金を引いた。

 真っ直ぐに飛んだ赤の弾丸は、変異セレクターの前方の地面に命中し、大爆発を起こした。

 とてつもない爆風と熱がトンネル内を包み、天井が崩落を始めた。

 天井が次々と崩落し、二人に迫る。

 だが、それが二人の足を止めることはなかった。


 

 完全に崩落したトンネルの外に二人は立っていた。

 トンネルは完全に塞がれ、中から何かが出てくるような気配はない。

 二人は、生き残った。


「リサ……あたし、やったよ。リサの仇、取ったよ。リサ……リサ……!」


 塞がれたトンネルに向かってそう呟くユリナ。

 その声は悲哀に満ちていて、ユイはどうしたら良いのか分からなくなった。

 ユリナはしばらくトンネルの方を見つめていたが、やがてユイの方に顔を向けた。

 目には涙を浮かべ、ユイが今まで見たことのないような表情をしていた。

 立ち尽くすユイに対して、ユリナは静かに語り始めた。


「……昔、ユイと会うずっと前ね、一回死にかけたことがあったんだ。

 食べ物が全然見つからなくて。これ以上何も食べなかったら動けなくなって餓死しちゃう。そんな状態になってさ。

 どうにかして食べ物を見つけなきゃって思って、E地区の自警団の倉庫に忍び込んだの。

 でも、見張りに見つかっちゃって。その人は銃を持ってた。殺されると思った。

 だから、撃っちゃったんだ。そして急所に当たった。

 それから、あたしは、本当に最低な人間になった。

 人から物を盗んで、騙して、殺して。

 他人のことなんかどうでも良くて、自分が生きられればそれで良かったんだ。

 生きるためだったら何でもする人間。それがかつてのあたし」


全然知らなかった。ユリナにそんな過去があったなんて。

驚きを隠せないユイ。そんなユイに向かって、ユリナはさらに続ける。


「でも、それは長く続かなかった。

 ある時、ある女の子を襲ったの。名前はリサ。

 いつもみたいに簡単に行くと思ってたんだけどね。でもリサは違った。撃っても全く当たらなかった。そしてあっという間にあたしの銃を壊された。

 終わった……って思ったよ。遂にあたしも罰を受ける時が来たんだって。

 けどね、リサはあたしを殺さなかった。代わりに一つ提案をしてきたの。

『今ここで私に殺されるか、一緒に来るか選びなさい』ってね。

 そうしてあたしはリサと一緒に行動することになった。

 それからあたしを待っていたのは、二人で壁の中の色んな地区を回って、セレクターを倒す日々。

 リサは本当に優しかった。初対面の人にも親身になって、助けてあげて。どうしようもなく最低な人間だったあたしにも色々良くしてくれた。

 そんな、リサの心の温かさに触れているうちにあたしは少しずつ変わっていったんだ。自分のためじゃなくて、他の人のために何かしたいって思うようになった。

 そんな時だったんだよ。あいつが現れたのは。

 変異セレクター。

 前触れは何もなくて。G地区の地下鉄駅を探索していたら急に襲われたの。

 突然現れたのにはびっくりしたけど、あたしもリサもまだ楽観的に考えていた。その頃のあたしたちはセレクター相手に後れを取るようなことはなかったからね。

 だけど、すぐにあたしたちの顔色は変わった。瞬きをする間みたいな、ほんの一瞬でリサが吹っ飛ばされたの。さっきユイと見た、あんな感じの動きでね。

 そこからは二人で必死に戦った。リサは反重力シューズを使えたんだけど、全然駄目だった。さっきみたいに弾が全く当たらなくて。しかもあいつは賢くて、あたしたちの間に割って入ってきた。そうするとフレンドリーファイアを恐れて、あたしたちが攻撃できなくなるのを知っていたんだ。

 戦ってもこっちが消耗するばかりで、逃げようとしてもすぐに回り込まれちゃう。これはやばいって思ったときにはもう手遅れだった。

 そして、唐突に終わりが来た。弾切れで、隙を見せたあたしにあいつは狙いを定めた。死んだと思ったその瞬間、リサの背中が目の前に見えた。

 次に私の目に映ったのは、血の海と、その中で寝ているリサ。あいつは、何故かあたしには手を出さずにいつの間にかいなくなってた。

 あたしは必死にリサに呼びかけて、泣き叫んで。そんなあたしを見つめるリサは、とても悲しそうな顔をしてた。そしてリサはあたしに最期の言葉を遺した。

 実は反重力シューズとあの弾薬は元々リサの物だったんだよ。それをあたしが譲り受けた。言わば、これはリサの形見。だからあたしだけのものなの。

 それからは……あいつを探してた。セレクターを倒しながら、ずっと。そして遂にそれが報われた。

 でも、まだ終わりじゃない。

 リサは最期に『セレクターを、全部倒して。そうすればみんな救われる。何もかも元通りになるのよ』って言ってた。

 だからあたしはセレクターを倒す。全滅させる。リサが救いたかったこの世界を救うために」


 ユイはユリナの話を静かに傾聴していた。そして話が終わってしばらくの間、ただ立ち尽くしていた。

 そんなユイの様子にユリナは慌てて、


「あっ……いっ、いきなりごめんね、長々と話しちゃって。いやー、何やってんだあたし。急に語りだすなんて。何話してんだろうって思っちゃったよね?」

「ううん……そんな事ないよ。むしろ、お礼を言いたいくらい。ありがとう、話してくれて。秘密を話すのって、結構勇気がいることだと思うから」


 そこでユイは一旦言葉を切って、ユリナの目を見据えて続ける。


「倒そう、セレクター。わたしは戦えないけど、頑張って手伝うから。一緒に、この世界を救おうよ」

「ユイ……!」


 黄昏時の日差しに包まれながら、二人の影は再び重なり合った。

 そんな二人を、茜色に染まった空が静かに見守っていた。

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