第35話 沙織ちゃん、頑張りました! 上 【改訂版】

 今日は一日色々あって、疲れはてて大学から帰ってきた俺は……自室に広がる光景に固まってしまった。


 テーブルいっぱいに並べた俺の好物。

 その前にいる沙織ちゃん。

 その沙織ちゃんは俺がこのマンションに入居した当日、管理人さんお母さんに騙されて着ていた……バニーガール姿だった。


 沙織ちゃんが来ているのは玄関でわかったけど、まさかのバニーガールでお出迎え!? なぜ!? どうして!?

 驚いた俺は棒立ちになってしまった。

 いや、一つ誤解しないで欲しいのだけど。

 俺は別にバニーが悪いとは言っていない。

 むしろ沙織ちゃんには良く似合っているし、あらためて見てみても沙織ちゃんに着せる為に開発されたんじゃないかと思ってしまうほどにズバピタだし、着る人を選ぶバニーがこれ以上ないくらい似合っている沙織ちゃんのスタイルマジ凄いっていうか……ここから後は自主規制ね。

 そういう話ではなくて、あの日だけの特別なだまされたコスプレだったはずなのに、なぜ沙織ちゃんがまた着ているのか?

 それが俺の思った“なぜ? どうして?”なのだ。

 そしてこのバニー姿になってまでの歓待と、手作りらしい料理の数々は……?


 沙織ちゃんは俺を出迎えると、美女メイクしてないのに不思議なくらい艶のある微笑みを浮かべ……こう言った。


「ハッピーバースデーです! 誠人お兄ちゃん!」




 沙織ちゃんの思いがけない艶姿に硬直していた俺は、彼女の言葉を聞いて気が付いた。

 今日は、一月二十五日。

「あ、そうか……そう言えば今日は俺の誕生日……!」

 バニーちゃんがスタンバイしていた理由が分かった。

 沙織ちゃん、どこかで俺の誕生日を知って密かに準備をしてくれていたのか……それでそれを知っていた管理人さんが、俺に今晩は沙織ちゃんと一緒に居ろと。

 俺の誕生日なんかをお祝いする為に、あんなに恥ずかしがっていたバニーコスまでわざわざまた披露してくれるとは。沙織ちゃんの好意がありがたいと言うか、そこまでしてもらって気恥ずかしいと言うか。ちょっと、照れる。

「あ、ありがとう沙織ちゃ……あれ?」

 礼を言いかけて、俺はさっきの沙織ちゃんの言葉にふと違和感を持った。


「ハッピーバースデーです! 誠人!」


 誠人、“お兄ちゃん”?


 一人っ子の沙織ちゃんがお兄ちゃんが欲しかったという話は管理人さんに聞いていた。確かに沙織ちゃんは俺を兄みたいに見ているような素振りが時々あったのだけど……今までお兄ちゃんなんて呼んだことはなかったぞ?

「あれ? 沙織ちゃん、『お兄ちゃん』って……」

「お兄ちゃんはお兄ちゃんです!」

 沙織ちゃんの回答が要領を得ない。

 その意味に俺が首をひねっている間に、いつの間にか沙織ちゃんは距離を詰め……俺の胸に飛び込んできた。

「さ、沙織ちゃん?」

「誠人お兄ちゃん! ずっと“お兄ちゃん”って言いたかったんです……」

 びっくりした俺は距離を取ろうとするけど、沙織ちゃんは俺の背中に手を回してぎゅっと抱きついて離れない。とても可愛い。

 ……のだけれど、沙織ちゃんは小さな子供ではなくて十七歳のお年頃の美少女で。

 おまけに超高校級の抜群のプロポーションを持っていて、となると俺の方も可愛く思うだけの感情ではすまないわけで。

 しかも半裸と表現してもいいくらいに今は肌面積多めのコスチュームで、剥き出しの胸の谷間が俺の胸板にムギュッと押しつけられて立体感がめちゃヤバいことにいいいいいいいいい……!

「さ、沙織ちゃん!? あの、ちょっと、色々ヤバいから一回離れて……お願い!」

「嫌です! もう放しません!」

 離れてと言われた沙織ちゃんは困惑する俺に、余計にぎゅっとしてくる。

「お兄ちゃんの誕生日の今日こそはって、お正月から決意していたんですから! このチャンスを十年以上待ったんです……私、もう離れません!」

「沙織ちゃ……え? 十年以上?」

 何とか変なところを触らないように沙織ちゃんを引き剥がそうとしていた俺は、不意に沙織ちゃんの口から飛び出した言葉に動きを止めた。

 

 “十年以上”って、どういうこと?




 沙織ちゃんが俺の胸に埋めていた顔をそっと上げた。

「誠人お兄ちゃん、覚えていないですか?」

 切なそうな彼女の目元を見ているうちに、俺も何か既視感があるような気がしてくる。俺は何か……そう、すごい大事な何かを忘れているような。


 ……だけどごめん、バカな俺で。

 気がするだけで全然思い出せん。


 胸に縋り付く沙織ちゃんが、ぽつりぽつりと説明してくれた。

「私もお母さんも、お兄ちゃんに初めて出会ったのはこの部屋の入居の時じゃありません。もっと前です。私が小学校に上がる前、三回ぐらいお兄ちゃんのお家へ夏に遊びに行っていたんです」

 

 三年ぐらい、夏に……? 

 俺は小さいガキだったころの記憶を手繰り寄せる。沙織ちゃんが小学校に上がる前なら、俺は上がったばかりの頃。その頃の夏……夏休みにうちに来ていた女の子……。

 俺の脳裏に、引っ込み思案なおとなしい女の子の姿が浮かび上がった。そう言われれば、目元があの子に似ているような……!


「……沙織ちゃんが、あの時の女の子!?」

「思い出しましたか!?」

「いや、でも……!?」

 俺も思い出した。確かに可愛らしい女の子がいつも俺の後ろをついて回って……でも、沙織ちゃんとあの子とは絶対的な違いがある!

「でも、あの子は身長が一メートルもなかったはず!」

「幼稚園児ですから!」

「それに、胸がぺったんこだった!」

「幼稚園児ですってば!」




 ちっちゃいあの子と身長が百七十近くてナイスバディな沙織ちゃん。体格がまるで違う二人が同一人物だという説に対する違和感は、「成長期」の一言で説明できるらしい。


 嘘だろ……あんなちっちゃい子が、十年経つと沙織ちゃんになるだと……!?

 

「お兄ちゃん、私と過去に出会っていた事実よりも第二次性徴にショックを受けてません?」

「だって、こんなに変わるだなんて……いや、でも……ええ!?」

 俺が人体の不思議に驚愕していると、胸に縋り付く沙織ちゃんがため息をついた。

「お兄ちゃんの頭を千咲さんが心配していた理由がわかりました……」

「え? 沙織ちゃん、うちの母と話した事あるの?」

「定期的に連絡を取り合って、お兄ちゃんの写真を送ってもらう仲です」

お母さまあのババア!、そんなことは一言も言ってなかったぞ!?」

「うちのお母さんと千咲おば様は中学高校の同級生なんです」

「管理人さんとうちの母さんが!?」

「お母さんだって、私を預けに行くときに顔を出していたんですよ?」

「ええー……」

 ……俺、あんな奇天烈なイカレた人も忘れていたのかよ。それじゃ沙織ちゃんの事も覚えていないはずだ。

「夏になると、いつもかまってくれる誠人お兄ちゃんに会いに行けるのがずっと楽しみだったんです。でも私が小学校に上がる頃に、仕事の都合とかで行かなくなって……もう会えないのかと思うと、ずっと寂しくてつらかったんです!」

 そういうと沙織ちゃんは、改めてぎゅっと目をつぶって俺の胸に顔を埋めた。

「沙織ちゃん……」


 つまり。

 沙織ちゃんは空想した理想の兄に恋い焦がれていたのではなく、兄みたいな俺をずっと慕っていたということだったのか。

 うちの田舎に来なくなった後も、その思いを今まで抱え続けていたと……。


 純情な沙織ちゃんのいじらしさに俺は思わずそっと彼女を抱きしめかけ……それによって喫緊の課題を思い出した。

「あ、あの……沙織ちゃん?」

「……なんですか?」

 積年の思いを吐露し、目じりに涙を浮かべて懐かしい思い出に浸っている沙織ちゃん。

 そんなピュアな少女にこんなことを言うのは、非常に申し訳ないのだけれど……。

「と、とりあえず座って落ち着かないか? 今、君にこんな事を言うのは凄い気が引けるんだけど……バニー姿で抱きつかれていると、その……」

 自制心が崩壊寸前なんだよ。俺だってほら、草食系とはいえ健全な男なんだし……感動的な場面なのに申し訳ない。

「……ああ!」

 沙織ちゃんもそのことに思い至ったようだ。

 パッと笑顔になった沙織ちゃんは一歩離れると、、大きく腕を開いて微笑んだ。

「お好きなだけ、どうぞ見てください!」




 違うんだ。そうじゃない。


 バニー姿に興味があるってのはその通りなんだけど。

 もちろん好きなだけ見てって言うならじっくり眺めていたいんだけど。

 今お願いしたのは、好奇心で眺めたいって話じゃなくて……男のアレがアレになるって言いたいんだ……。

 俺は認識の違いをどう説明しようかと考え……数秒間黙った後仕切りなおした。

「あのね、沙織ちゃん?」

「はい」

 小首を傾げる沙織ちゃんは可愛いが……今から俺は、この子の笑顔が曇るような事を言わなければならない。

「その、綺麗な思い出を聞いた直後に、こんなことを言うのは俺も忸怩たるものがあるんだけど……」

「はい?」

 俺は言葉を選びながら、そして彼女の表情を伺いながら慎重に話を続ける。

「あの……俺も沙織ちゃんを妹みたいに思ってて、もちろん女性としても凄い可愛いと思ってて」

「えへへ、お兄ちゃんたら……」

 俺の前置きを褒め言葉と受け取った沙織ちゃんが、また飛びついて来て抱きついたまま嬉しそうに身悶えする。

 やめて!? その素敵なふくらみを擦り付けないで!?

 意識がどうしてもぬくもりを感じるそこに行きそうなのを、必死で思考回路に繋ぎ止める。

「……なんだけど、いかんせん君が、その……女性的に魅力がありすぎてね? どうしてもただ好きというだけじゃなく、俺は性的な意味で君を見てしまうというか……」

「えーと?」

 照れていた沙織ちゃんが、俺のくどい説明に不思議そうに首を傾げる。回りくどいのは自覚しているんだけどさ……ズバッと言いにくいので、そろそろ忖度して意味を察してもらえんものだろうか?


 直言するのが恥ずかしいので俺はやたらと言葉を濁しまくったが、ちょっとは言いたいことが伝わったらしい。

「それは、要するに」

 聞いていた沙織ちゃんが、俺が言いにくかったことを要約してくれた。


「誠人お兄ちゃんは、どうしても私をエロい目で見ちゃうということでいいですか?」


 その通りだけど!

 一言半句間違ってないけど!


 ……沙織ちゃん、直訳し過ぎ。

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