第3話 沙織ちゃんと荷ほどき 上 【改訂版】

 朝の日差しで目が覚めれば、疲れてうたた寝している間にもう翌朝になっていた。


 俺は布団の運搬袋にもたれかかったまま寝てしまっていた。容赦なく降り注ぐ陽光に、今日はまずホームセンターでカーテンを買って来ようという決意を固めた。

「あー、もう朝か……」

 身体の疲労感が寝る前より酷い。

 おかしな姿勢で寝てしまったことに加えて、一晩中夢の中でバニーさん一杯のハーレムを堪能している夢を見ていた。当然全員沙織ちゃんだ。……もしかしたら管理人さんも混じっていたかも知れないが、そんなどうでもいい細部は覚えていない。

「ウハウハで楽しい夢だった筈なんだけど……覚めてみると罪悪感と自分のゲスぶりにどっと疲れが……」

 オカズにするのは、美人なら誰でもいいってもんじゃないと思い知った。

 雑誌のグラビアとかは、全然知らない相手だからこそいいんだね。身近な隣人とか、個人的にどんな人柄か知っている相手で夢に見てしまうって言うのはよろしくない。顔を見るたびに妄想ゆめを思い出しちゃって、罪悪感がハンパない。

 あと、現実にはその子が俺に振り向いてくれるベタぼれなんてありえないんだと、起きた途端に痛感する虚しさとかね……。

 

「ま、まあいいさ。至近距離で沙織ちゃんびじょのあんな艶姿を堪能できただけでも。普通はこんな体験、一生に一度も無いんだし」

 まぶたに焼き付いて離れないバニー美女を振り払い、俺は立ち上がる。

 とにかく朝飯だ。と言っても荷ほどきもほとんど済んでいない我が部屋に生鮮食品なんか、当然あるわけ無い。駅前に牛丼屋とか並んでいたなと思いながら、俺は自室を出て鍵をかけた。




 階段を一階まで降りると、管理人さんと住人らしい制服姿の女の子が管理人室の前で立ち話をしていた。俺の姿を見つけた管理人さんが手を挙げる。

「よおっすー」

「おはようございます」

 俺の声に女の子も振り返り、ぺこりと頭を下げた。俺も近寄って女の子にも挨拶する。

「おはようございます」

「おはようございます」

 俺を見上げてちょっと微笑むこの女の子も、沙織ちゃんに負けず劣らずハッとするくらいかわいい子だった。

 サラサラロングの黒髪に、ぱっちりした目元で品のある小顔。ブレザーを通してもわかるスタイルの良さに、スラリと伸びる黒ストッキングに包まれた美脚の見事さよ……ん? この細いながらも張りのある太股……。

「えっ!? もしかして君、沙織ちゃん!?」

「すぐにわからなかったんですか!? というか、今どこを見て判断しました!?」

「ハーハハハハハハハハッ!!」


 管理人さんのバカ笑いが収まるのを待って、俺はむくれる女子高生に謝罪した。

「いやごめん、昨日のが強烈過ぎて。化粧を落とすとこんなかわいい感じになるんだね」

「むぅ」

 沙織ちゃんはまだご立腹だけど、昨日は見事に大人メイクだったから、本当にパッと見ただけでは判らなかったんだ。

 化粧を落としたほぼスッピンだと、確かにこう元から美人系なんだけど……子供っぽさというか、年相応の可愛らしさが前に出ている。ていうかメイクしているかどうかで、こんなに受ける印象変わるのかよ……化粧怖い。

 今日の沙織ちゃんは、だから美女というより美少女という感じ。そしてそんな愛らしい美少女には、このきちんと着こなした制服がよく似合う。

「この服も可愛いね」

「ホントですか!?」

「うん!」

 ハイレグバニーの露出度やあふれ出るエロスも良かったけど、今日の沙織ちゃんなら断然清楚なこのファッションだ。俺は心から賛辞を贈った。

「すっごい似合っているよ! 今日は女子高生のコスプレなんだね!」


 管理人さんの再び始まった大爆笑と沙織ちゃんの憮然とした顔に、俺はまた何か失言をした事に気がついた。

「……俺、何かやっちゃいました?」

「お、おま、ハハハハハ! おまえ、ハハッ、現役にコスプレとか……ブハハハハ!」

 どこか陰のあるふくれっつらの沙織ちゃんも、目線を合わせずにぼそぼそと呟いている。

「私、そんなにサバ読んでいるように見えますかね……私服だとよく言われるんですよね。二十歳前には見えなかったって……制服着てるとアレですか? 無理な若作りコスしているイタイ成人に見えますか……」


 ……あっ……。


「ごめんよ!? 昨日の今日でコスプレ趣味かと思っちゃっただけなんで!?」

「これは学校の制服だし、昨日のはお母さんの趣味です!」

「あたしは言っただけよ~? 着たのは沙織が自分の意志で着たんだしぃ?」

「お母さん!?」




 プンスカ怒って学校に行ってしまった沙織ちゃんを見送り、管理人さんが俺に訊いてきた。

「それで? あたしが買い物に行った後はどうだったの?」

「どうだったと言われても」

 別にどうという事はない。(コスプレのおかげで)ちょっと気づまりながらもそこそこ雑談をして、そこそこ打ち解けられたように思う。今怒らせたので、現在の好感度がどうなっているかは知らないが。

「えー、そんなもん? 娘にいくら訊いても、むくれて教えてくれなかったんだけど」

 言外に、俺と彼女の間に何かあったんじゃないかと疑ってくる管理人さん。俺はその点はきっちり否定させていただきたい。

「それは全部バニーガールあんたのせいです。着替えがなくって家に帰れなくなって、凄い困って大変だったんですから」

「それで? どうしたの?」

「俺の着ていたパーカーを貸しました。引っ越し業者の応対を俺がマンションの外でしている間に、急いで鍵を取りに行ってもらって帰らせました」

 男物の上着だから丈が長いとはいえ、素敵な脚はほぼ剥き出しだった。だけど、バニーのレオタード姿で走り回るよりはよほどマシだろう。

 管理人さんは苦々しい顔で指を鳴らした。

「ちっ、引っ越し業者か! そうか、来るって言ってたわね。あー、邪魔が入る可能性を忘れていたわ」

「なんですか、そのハプニングを期待するような発言は」

「いや、我が娘ながら見た目はグラドルにも負けないレベルで完璧だし、そこへハイレグバニーさんともなれば思春期男子の煩悩直撃っしょ?」

 否定はしない。

「そして話題の糸口にも事欠く何もない密室に二人っきりともなれば、これはすぐにでも『ヒャッハー!』になるかとワクワクしながら隣の部屋で聞き耳立てていたのに」

「あんた隣にいたのかよ!?」

 やっぱこの人とんでもねえ!

「万が一にも本当に間違いが起こったらどうするんですか!? ましてや自分の娘でしょう!?」

「そこはそれ。管理人だからあんたの実家も保証人も住所連絡先は押さえているし? 娘を傷物にした責任を取れって怒鳴りこむ準備はできてるわ」

「自分で火をつけといて損害賠償を請求するの!? 怖い!? 都会の大家怖い!?」

「大家じゃなくて管理人な?」

 管理人さんは怯える俺を鼻で笑う。

「ふふん、“貸し剥がしの詩織”とはあたしのことよ!」

「自慢しないで!?」

 

 畳んだ新聞を振りながら、管理人さんは自分の事務所に入っていった。扉を閉める前、肩越しにニヤリと笑う。

「まああの子も見ての通り、抜けているうえに男に免疫なくてね。一人っ子だったから、“お兄ちゃん”に憧れもあるのよ。あんたを信用して預けるから、面倒見てやってよ」

「はあ……」

 俺は閉まった管理人室の扉を見ながら、首を傾げた。


 『信用しているから』って……なんでまた、ほぼ初対面の俺をそんなに信用しているんだろう?




 俺、沢田誠人は自分で言うのもなんだけど平凡な男だ。

 そこそこな普通の片田舎で生まれ育ち、そこそこな成績で地元の普通の中学高校を卒業し。そこそこ凡人レベルに勉強をして、聞いたことがあるっちゃあるような知名度の二流私大に合格して今ここにいる。

 見た目は中肉中背に平均点な顔、目立つ特技も趣味も無し。高校時代はゆるい部活に類友な友人たちとのんびり暮らし、スポーツに命を懸けるような熱い青春とは無縁だった。どこからどう見ても、俺はごく普通の文系草食男子だ。

 女性との付き合いは、クラスメイトや友達なら普通に喋れる程度には慣れている。逆にいわゆるカノジョ的な物体には縁が無かった。ちなみに縁は無いが興味はある。

 このまま大学でも気の合う少数の男友達を作って、女性関係はずっと何の話題も無いままだろうと自分でも思っている。多分サークルの先輩後輩がカワイイだのつき合いてえだの言いながら、結局行動を起こさず卒業まで行くものだと……そう思っていた。思っていたのに。

 転居当日、いきなり眠りっぱなしの恋愛脳を揺り動かすとんでもない逸材に出会ってしまった。


(昨日のバニー沙織ちゃんもエロカッコよかったけど、今日の制服姿も抱きしめたいぐらい可愛かった……)

 瞼に焼きつく沙織ちゃんの姿が二つに増えてしまった。脳内二股事案だ。モテる男はつらいなあ。

 あんなかわいい女の子とあんなに近くで、一対一で話をした事なんていつぶりだろう。

 ……いや、バニー美女とお話しした記憶なんかはあるはずがないな。

 そして女子高生バージョンについて言えば、俺の高校にあのレベルは一人もいなかった。

 いつぶりじゃなくて、どっちも生まれて初めてだった。

(沙織ちゃんか……つき合う相手が二つ年下くらい、当たり前だよな? あんなかわいい子が彼女だったら……)

 ただの隣人として流すには、最初の色気を思い切り強調したバニー姿はインパクトがあり過ぎた。

 俺のせいばかりとは言いたくないが、出会いがアレ過ぎたせいで……思い浮かべるあの子の可憐な笑顔を、どうしてもうるふのいやらしい目で見てしまう。


 けど、キャッキャウフフの妄想に突入して悦に入る前に我に返った。

「いやいやいや。現実問題沙織ちゃんに彼氏がいなかったとしても、俺が口説けるわけないじゃないか」

 管理人さんは「沙織ちゃんが男に免疫が無い」とは言っていたけど、逆を言えば俺にも恋愛経験値がない。それに口説けるかどうか以前に、沙織ちゃんが憧れているのは“お兄ちゃん”だと言っていた。兄弟がいないからそういう存在に憧れていると。

「てことは、俺が求められているとすれば別に彼氏役じゃないんだよな」

 お兄ちゃんか……平々凡々を絵に描いたような安全男子・沢田誠人。管理人さんが俺の性格を見定めて娘のガードを託そうと考えるのもあり得る話。あの人もなかなかお目が高いね、俺も納得の評価だ。

 しかし。

(草食動物にだって、性欲があるのはわかってくれよぉぉぉぉぉ!)

 表に出さないだけで、俺だってエロスに興味津々だ!

 初めにあれだけ美味しそうなラッピングバニーガールで沙織ちゃんを鼻先に突きつけておいて、四年間“お預け”で触るなだと!? 

「舐めるな! って言いたいところだけど。管理人さんも人を見る目があるよなあ……俺に手を出す度胸があるとは、自分でも確かに思えないや」

 そうなんだよな。草食男子って、性欲じゃなくて度胸の問題なんだよ。

「……管理人さん、万が一の時は責任を取らせるとか言っているけど……」

 万が一の事が起こった場合、どう責任を取らせるつもりなんだろう。

「どちらにしても……我慢できなくなって押し倒した、だけはしたくないよな」

 この先、沙織ちゃんに怯えと軽蔑の目で見られるのだけはイヤだ。


 正直(多分に下心エロを含んでいるとはいえ)、沙織ちゃんに一目惚れしたのは認める。

 女子を性的に見ていたことは何度でもあるけど、こんなに意識したことは初めてだ。

 でも一度も経験のない身で、口説いて付き合う未来は見えない。

 そして思春期真っ盛りのムッツリスケベとして、一切邪な思いを抱かずに良い“お兄ちゃん”でいられる自信もない。

 現実問題ヘタな事をすれば、俺は下宿どころか女ばかりの実家も追い出される。


「俺は……どうしたいんだろうね」

 手つかずで冷めたキムチ牛丼(大盛)を前に、俺は頭を抱えてカウンターに突っ伏した。

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