第23話 大切なもの

 暗い、世界の中で感じる浮遊感。

 右も左も、上も下もわからない。ただ、なすがままにその暗闇をただ見つめるしかない。


「ぶはっ……!?」


 その最中、地面に叩きつけられたような感覚が背中に走る。それと同時に、暗かった世界に光が戻った。

 少し驚くけれど、すぐに自分が畳の上に転がっていることを把握する。


 一瞬の間だけど、今、俺、失神してたのか。

 何度か経験のあることだ。師匠との「真剣勝負」の時、強い打撃をモロに顔に食ったりしたときに感じる感覚。


 そこからわかるのは、今の一撃がいかに重かったかということ。すぐに立ちあがろうとするけれど、胸の空気が詰まったような感覚が奥からせり上がってくる。


「ぐ–––––––ごほ、げほ––––––!」


 そして、思い切り咳き込む。

 やばい、今、試合中だろ。こんなことしてる場合じゃ–––––––!

 そう思って前を見ると、佐倉さんは既に、俺の元へと駆け寄ってきていた。


「大丈夫ですか天龍くんっ!! ああもう私のバカっ! つい我を忘れて……!」


 いつの間にか通常のモードに戻った佐倉さんが、凄く心配そうな顔で俺の様子を伺う。


 いや、まぁ仕方ない。試合だし。師匠とやり合う時なんてもっと酷いからさ。

 それにこうして中断してまで心配してくれるだけ嬉しい。ふわりと優しく身体を支えてくれるなんてそんな真似しなくても別に大丈夫なのに。


「大、丈夫。ありがとう、佐倉さん。一時的なものだから、心配ないよ。さぁ、続きを––––––」

「ダメですっ!! なんと言われようともうおしまいですからねっ! もう、私をあんな気分にさせないでくださいっ……」


 立ちあがろうとするのを彼女に強い力で静止される。力強いな、びくともしねぇや。

 てかあれ、やっぱり無意識の領域だったんすね。あまりにも豹変するもんだから本当びっくりした。


 まぁ、あのテンションの佐倉さんもまたこう、なんか心にグッとクるものが––––––––って、


 何考えてんだ俺。思わず寒気覚えちまったじゃねぇか。やめろやめろなんか戻れなくなりそうだ。


「そうじゃな。司、もう終いでいいよ。ところで–––––––、何か気づいたことはあったかの?」


 横から、そんな師匠の声が聞こえる。正直、気づいたこと、なんて烏滸がましい気がして言いたくないけど、そうだな。

 気づいたこと、で、間違い無いんだろうな。これは。


「……はい。こんなに俺が、佐倉さん相手に動けるなんて、思ってもみませんでした。こんなにやれたんだって」


 そう、こんなに善戦できるなんて、思っても見なかった。手加減されてても、もっと蹂躙されるものだと思ってた。

 俺、ここまでやれたんだ。そう思うと、なんとなく嬉しいような、そんな感じがする。


 でも、どうして。どうして俺はここまでやれたんだろう? 

 自分でもあそこまで動けることは予想外だった。その「予想外」を、どうして俺は引き出せたのだろう。


「うむ。じゃろうな。思ったよりやれたじゃろ……。ところで、さっきお主はどんな気持ちで闘ったったかの?」

「彼女が止まらないならやるしかない。うだうだ言ってらんないなって……って」

 

 なるほど、そういう事か。

 なんとなくわかった気がする。俺がここまでやれた理由が。

 そして、師匠は多分、それを自覚させるために、こんな無茶を言ってきたのだろう、と思う。


「そう、そこじゃよ。本当に引けない状況になった時、人は本当の力を発揮するものじゃからな。こうなったら前に踏み込むしかない、と思うたじゃろ?」

「そう、ですね。もしかして、それを俺に自覚させるために––––––?」

「まぁの。ワシ以外の、全く経験したことのないモノとぶつかれば嫌でもわかると思うてな」


 多分それは、ここぞという時に前に大きく踏み出す度胸、とも言い換えられるか。

 大胆に、思いっきり、恐ろしいと思う脅威にも臆せず前へと踏み出す度胸。それがあれば、おのずと自分の本当の力が見えてくる。師匠はそれを伝えたかったのだろう。


 思えば、ミソラさんの時もそうだったのかもしれない。やるしかない、と思った瞬間、自然と足が前へと動いたのだから。


「まぁでも、後先考えず突っ込んでいくのは違うからの。彼女とやって、お前が今どれだけの実力があるのか、等身大のものがわかったろ」


 そっか、佐倉さんとやり合わせたのは、そういった目的もあったのか。

 多分、俺に「強い」と思わせたり、脅威に一歩踏み出す度胸をつけさせるなら、もっと他に方法はあったのだろう。


 でも、それだけじゃダメだ。あの組織で生き残るためには、自分の実力をはっきりとわかっておく必要がある。

 俺が無茶して大きすぎる脅威に突っ込んで行かないように、敢えて格上の佐倉さんと当てて、自分の本当の実力を自覚させた、と。


 ……いや本当、敵わないなぁ。師匠にはさ。


「……ねぇ。天龍くん。私からも一つ、いいかしら?」


 師匠の横に座っていた夜霧さんが、おもむろにそう言って立ち上がる。そして、俺たちの方へと歩みを進めながら、話を続ける。


「あの組織では、いろんな任務があるわ。比較的安全な場所での警備任務から、テロリストや犯罪組織の制圧といった危険なものまで、様々よ」


 彼女は俺の前まで近づいて、俺の目線に合わせるために膝をつく。無表情だけど、じっ、と俺を見つめる瞳は、真剣そのものだ。


「その中でも危険なものは特に……、「脅威」なんていうものに出くわすことは茶飯事。そんな中でも、腹を括って飛び込んでいかなきゃいけない。そんな場面はゴロゴロあるわ。貴方が今自覚したその気持ちは、諜報員において必須のものよ。わかるかしら?」


 俺はその問いかけに、無言でこくん、と頷く。

 まぁ、この前津浦さんに言われたことと、少し似てることではあるけれど。


 でも、それは「任務について回る危険に対する覚悟」というかそんな感じのものだった。

 けど、今回の夜霧さんの問いかけはちょっと違うように感じる。


「でも、だからといって闇雲に突っ込んでいっちゃダメ。自分と相手の実力をはっきり見極めて、何ができるのかを考える。これが困難から生き残るために大事なことだと思うの」


 そう、夜霧さんが言いたいことは、「そんな中でも任務を遂行させ、生き残るための覚悟」みたいなものなのだろう。


似てるように感じるけど、本質はどこか違うように思える。どっちも、大切なものなのだろう。


「でも、今の貴方なら大丈夫そうね。そろそろ実戦に行ってもらってもいいくらいかも」

「……そうですか? まだもうちょっと実力をつけたいって思ってるんですけど。組織の勝手もまだ覚えきってませんし……」

「あら、また顔紅くしちゃって。今度はうまく隠そうとしてるみたいだけど。ふふっ」


 可愛いじゃない。と、夜霧さんは含みを持たせたような顔で微笑む。

 ……この人、意外と意地悪というか、朗らかな人なんだな。今日、「意外だ」と感じることが本当に多い気がする。


「……っ。そーですよね。女の子の微笑みごときにデレデレしてるようじゃこの先心配なので私がみっちりご指導して差し上げましょうか。ね。天、龍、くん?」

「ちょっと、早口で何いってんのさ佐倉さん……っていででで耳引っ張んなよっ!?」


 で、佐倉さんはなんかキレてるし。笑顔で耳引っ張んないでください怖いし痛いから。

 で、師匠と夜霧さんは微笑ましい目で見てないで止めてください。何やってんすか。


「ほら咲、その辺にしときなさい。……さて、天津様。今回はありがとうございました。天龍くんの力も見ることができた上に、咲も刺激になったみたいですし」

「ふ、なに、いいんじゃよ。これから更に、司や佐倉さんがお互い高め合ってくれればな。さて、佐倉さんや、司をこれからもよろしくな。危なっかしいやつじゃが、筋の通ったやつじゃからな。よく見たってくれ」

「はい。むしろこちらこそよろしくお願いしますって、感じですけど、ね」


 佐倉さんはちょっと苦笑いしつつ、師匠に向かってぺこり、とお辞儀をする。

 危なっかしい、か。確かに今はそうかもしれない。けど、


「そして司。組織に行くなら……、どんなデカい敵にも負けんくらいに強くなれ。心も身体も、な」

「はい。そのつもりですよ。今日は本当にありがとうございました。師匠」


 そんな事言われないくらいに、成長してみせるさ。

 そんな気持ちを新たに持って、グッと拳を握った。



「で、司や。お前この後残りじゃ。稽古つけたるわ」

「は? え、もうこれで今日終わりじゃ––––––」

「な訳あるか間抜けが。言うたろ、『みっちり稽古をつけてやる』とな。今日は簡単には帰さんぞ覚悟しいや」

「ねぇ何目ぇキラキラさせてんのさ……ってちょっと待ってマジっすかぁ!?」


 そういえばそんな事、言ってましたね。でもさ。

 綺麗に終わりそうだったんだから、そのまま畳んじまったっていいじゃないですか。師匠。

 そんな断末魔じみた俺の声は、虚しくも道場中に響いて消える、だけだった。


「天龍くん。気の毒に……」

「まぁ、仕方ないんじゃないかしら? これが彼らの子弟としてのあり方なんでしょうし」


 夜霧さん。悲しいこと言わんでください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る