第9話 帰宅

「と、申されますと?」


「メリットを提示するならデメリットも言うべきだと言ってるんだよ。じゃなきゃフェアじゃねぇ。どうして『』危険性を隠す? 金をちらつかせ自尊心をくすぐるばかりで悪いことは黙るなんて詐欺の常套手段ってやつだろうがよ?」



 その言葉にはっとした。冷水を背中に浴びせられたような衝撃だった。

 そうだ、あそこでは死は身近なんだ。

 もちろん現代社会でも事故や狂った人間に巻き込まれて突発的に命を落とすことはある。

 けれど町中に住んでいれば少なくても例外以外の安全性は保証されるんだ。

 

 ダンジョンというならばおそらく階層を進むごとに敵は手強くなる。

 ゴブリンの数に一喜一憂しているレベルで俺は何を舞い上がっていたんだ。自分がチート持ち勇者にでもなったと勘違いしそうになっていたんじゃないか?

 言動はえらくとげとげしいが白藤先輩が最も冷静だった。



「無論そういったことはあります。しかしわざと話さなかったのではなく、すでに心得られていると思ったからです。現に探索者様は全員それは承知の上で挑まれておりま――」


「はっ! この三つ並んだ間抜け面を見てよく言えるぜ。全く考えてもいなかったってのが見え見えじゃねぇか。何にも考えてない馬鹿を放り込むノルマでもあるんじゃねぇのか? あんたここを辞めたらセールスマンにでもなりな。保証してやるよ。だがよ俺はお前らの使いっ走りになるなんてまっぴらごめんだ。帰らせてもらう」



 白藤先輩が立ち上がり、もうここには用がないと言わんばかりに背中を向けて一人で外に向かおうとする。

 突然のことに俺たちは口を開けてその成り行きを見ているしかなかった。

 が、そこに咲さんが衝撃の一声放つ。



「ダンジョンの最奥に到達すれば『』としてもですか?」



 その呼び止めるために発した台詞に、ぴたりと綺麗な背筋で歩く先輩の足が止まった。

 


「ダンジョンの最深部に最も初めに到達したものは『何でも願いが叶う』。過去から伝わっている情報にはそう記されておりました。現在、最深到達階層は六十八階。おそらくは百層がゴールだと言われています。少々分が悪いでしょうが、今なら追いつける――いえ、追い越せる可能性もありますよ?」



 数秒、何か考え事をしてからゆっくりと首がこちらに振り返る。

 その表情は怒りと戸惑いとが入り交じる今日見た先輩の中でもとびっきりの複雑な面持ちだった。

 

 

ふかしじゃねぇだろうな?」


「もちろん今回はまだそこまで到達したパーティーがいないので確定とは言えません。しかし伝わっている情報がここまで全て真実だと証明されてきています。この話もきっと真実である可能性が高いでしょう。それに物理法則や質量保存など私たちの常識など無視した場所がダンジョンです。それぐらいのご褒美があっても不思議じゃないと思いませんか?」


「……」


「もし仮にそれが偽りであったとしても最終回層に到達するパーティーは莫大な金銭を持っているでしょう。加えてルミナスはダンジョン素材を研究し現在の科学や医療分野への発展も望ましくなっております。お金で解決できることは多いと思いますよ?」


「ちっ!」



 不満そうな表情でスカートを翻し白藤先輩が戻ってきて、どかっと元いた席に座り直した。

 彼女はお金には反応しなかった。ということはお金で解決できない叶えたい願いがあるということだろうか。

 その中身まではさすがに顔を見ても読み取れなかったし、聞いてもたぶん教えてくれないだろうなぁ。



「あと急に帰られると困るので先にこれをお渡ししますね」



 バインダーから咲さんが取り出したのは紙とペンだ。

 それを一つずつ俺たちに配っていく。



「これは?」


「誓約書です。内容はここで見た聞いた知ったことを外に口外しないというものですね。当然、ご家族にも内緒で、中で手に入れた素材や道具なども見せてはいけないし、売るのもご遠慮して頂きます。簡単には信じてはもらえないでしょうけど、それでもここのことを漏らされるのは困りますから」



 家族にも話せないとはまるでスパイだ。

 紙には名前と職業クラスを書く欄があった。



「もしうっかりでも話してしまった場合は?」


「程度にもよりますが、ペナルティがあります」


「それは?」


「申し訳ありません。まだ一週間目なので私も知らされていないんです。具体的にどうなるかはその時にオーナーが決めるらしいのですが」


「曖昧過ぎませんかそれ……」



 さっきの白藤先輩とのやり取りがあったばかりだ。

 咲さんというか、ルミナス自体が得体の知れないものに思えてきた。

 


「何を言っても無駄だ。要はこれを書かないとダンジョンには入れてもらえないんだろ? 言いふらさなけりゃペナルティでもなんでもねぇ。それだけの話だ」



 そう言われるとそうだけど、この人切り替えが早いなぁ。さっきまで真っ先に帰ろうとしてたくせに。

 全員が書き終わるとそれを回収される。

 印鑑などは必要としなかった。単なるサインのみ。ということはこれは法的にどうこうというものではないということだ。

 もし破ったらどうなるか分かってるだろうな? という無言の圧力のためだけにやらされているんだろう。


 

「さてそれでは――」



 咲さんが違う説明をしようとした時だった。

 熊井君のポケットに入っていたスマホから着信音が鳴り出した。



「あっ! す、すみません。お母さんからです」



 彼は立ち上がって電話に出た。

 その中断された隙に俺もスマホを確認すると、すでに時刻は午後七時過ぎになろうとしていた。

 全く気付かなかったがこっちもアプリに親からのメッセージが入っていた。

 何も言わずにこんな時間はさすがにやばいか。



「あぁ学生さんの辛いところですね。この続きはまた明日にしましょう。それとフェアに話しますが、もちろん挑まないという選択もありです。それにこの面子でパーティーを組まないといけないというルールは無く、人数が足りない場合はこちらで斡旋あっせんも行っているので無理に引き止めるつもりはありません。まぁ新しいチームメイトを見つかるかどうかは運次第なのでできれば今のままが良いと思いますが。ですのでよく考えてみて下さいね。私、花岡咲がみなさまの担当とさせて頂きます」



 『フェア』あたりで一瞬、チラっと白藤先輩に目をやったので実は内心で根に持っていたのだろうか。

 咲さんはただ微笑むばかりだ。

 そこに通話を終えた熊井君が「ごめんね」と戻ってきて、先輩が全員の顔を見回していく。



「もしここで死んでも誰も責任を取らねぇ。お前らも体験してきただろうが、きっとここはそういうシビアな場所だ。大企業だからとか大人がいるからとかそういう甘い考えや常識は捨てろ。自分の身は自分で守るしかねぇってことを理解した上で来れるやつは明日、夕方の五時にここに集合だ」



 五時と時刻を定めたのには明日がまだ平日だからだ。

 授業終わりに集合という意味。

 それまでに決断しなければならない。


 ――命を懸けてまで挑むべきに価するのかどうかを。


 手短に集合時間を告げた後、白藤先輩がさっきと同じように出入り口に向い、俺たちも無言で付いていった。

 色々と見学したい気持ちはあったが、早く帰らないとまずい。


 自動ドアを潜り外に出ると、もう真っ暗で空には星がいくつも見えていた。

 さらにここは海沿いなのでほんの少し潮の匂いが鼻孔をくすぐってくる。

 


「あれ? 俺たちここからどうやって帰ればいいんですかね?」



 よくよく考えるとここは交通の便が悪くて流行らなかったところだ。

 下手をすると駅までここからそこそこ歩かないといけないんじゃないのか。



「あそこにタクシーがいる。あれでいいだろ」



 白藤先輩がずんずんと進む方向には監視カメラが一体になった電灯の下に、無人のタクシー乗り場があり、そこに数台のタクシーが止まっていた。


 この市には監視カメラが多い。犯罪抑止のためにルミナスが備え付けたものでたいていの場所に置かれている。

 さらにセンサーにより、事故や病気でその場で倒れたりした場合もすぐに通報が行くようになったり、予め顔写真を登録した認知症の人が勝手に出歩いた場合も連絡がいくようなシステムだ。

 それを窮屈と感じる人もいるが、おかげで窃盗事件やご近所トラブルなんかも減ったという報告もあって概ね賛同されていた。

 


「あ、僕そんなにお金が……」


「だったらさ、みんなで乗って割り勘でどう? それならたぶん数百円ぐらいで済むしょ」


「それならなんとか」



 一台に一人ずつだとここからならけっこう掛かりそうだけど、ある程度近いところまで行って解散なりすればいい。

 ここはスマホでの電子マネーの支払いに割り勘だってできる町だ。



「仕方ねぇな」



 何だかんだ言いながらこういうところは協力してくれるのが白藤先輩だった。

 彼女は先に乗り、熊井君、そして俺が乗車すると、最後に雨宮さんだけが残った。



「あれ? 乗らないの?」


「ええと、すみません。ちょっと私用事がありまして、別方向に行くんです。ですのでお三人でお乗り下さいです。私は一人で次のタクシーに乗りますので」


「ふぅん。分かった。じゃあね」



 タクシーがゆったりと発進すると雨宮さんだけが外から窓越しに手を振り後ろへと消えていく。

 熊井君の大きな体のせいでぎゅうぎゅう詰めになって後ろに三人で座ったのを後悔しながら帰路へ着くことになったが、その間、考えることも多くあまり会話は弾まなかった。



□ ■ □ ■□  ■ □ ■



「はぁ。色々大変でした……」



 三人を見送った雨宮が一息ついたかのように息を吐いた。

 


「さすがのありえない展開の連続でふらふらです。それにしても『何でも願いが叶うダンジョン』ですかぁ。怪談話で『皆殺しにされました』ってオチはじゃあみんな死んでるのに誰がその話を広めてんだ? ってやつぐらいうさんくさいですよねぇ」



 ぶつぶつと呟く彼女のポケットから突然着信音が鳴る。

 


「ひょわわ! しまった! 定時連絡を忘れていました!」


 

 恐る恐るスマホを耳に当て電話に出た。

 その仕草からは怯えているように窺える。


 

「はい……申し訳ありません! ハプニングに巻き込まれてしまい……ぴゃ!? ……はい、本当に申し訳ありません……いえそれは……はい。分かりました。では」



 タクシー乗り場を照らす電灯の光の下、通話を切った雨宮の口からまたため息がもれた。

 


「いつまでこんな生活が続くんだろ……」



 電話の内容が明るい話題で無かったのかどんどんと彼女のモチベーションが落ちていくばかり。

 その彼女の耳に獣の唸り声が聞こえる。

 ふいに顔を上げると少し離れたところで猫同士の喧嘩が見えた。

 しかし体格差があり、喧嘩というよりは大きな猫が小さな猫を一方的に嬲っているかのようだった。



「……強い者が弱い者を支配する。どこの世界でも一緒ですね」



 どこでもありふれた光景に助ける気にもなれずそっぽを向こうとするが、そこでぴたっと止まる。

 


「『ブラホ目隠し』」


「にゃ? にゃにゃにゃ!? にゃー!」



 雨宮の『意志ある言葉』に反応し、大きい猫の視界が遮られた。

 びっくり仰天して何が起こったのか分からず芝生の上を転がり回り、やがて時間切れなのか暗闇は晴れて、その猫は血相を変え大急ぎでそこから離れて行く。

 残された猫もほうほうの体で別方向の闇へと消えて行った。



「魔法って外でも使えるんですねぇ。でもこれはすごい! どうしようもない私でもこの魔法だけは本物だ。私がこれを使いこなせるようになれば見返すことができるかもしれない。ならダンジョン探索を止めるって話はないです」



 ぐっと拳に力を入れ雨宮の瞳に意志が灯っていく。 



「どうしようもないと思っていた。絶望に打ちひしがれていた。でもこの力があるなら……。先輩たち利用させてもらいます」



 少女は電灯の下でひっそりと決意を固めた。

 

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