第3話:彼はモテるがにぶい

「……冬君、何度言えばわかるの!」

「はい……」


 バイト先のファミレスにて。

 冬は遅刻をして、九歳年上の美人店長に叱られていた。

 香月美保こうづき みほ。それが店長の名前である。


 個人経営の小さなファミレスを一人で営む彼女は、人件費も相まって遅刻には厳しい。

 最近遅刻はしていなかったのだが、今日は特に従業員が少ないシフトだったのかお怒りモードは収まらない。


「い、いや、あの、ちょっと気になることがありまして……」


 冬はファミレスの制服に着替えながら何とか言い訳をしようとする。しかし、店長は聞く訳がない。

 とはいえ、なぜ自身が着替えているのに、冬専用となった男子更衣室に店長は普通にいるのか。

 そちらのほうが冬には疑問だった。


 遅刻したことを責められているのであって、仕方ないこととは言えど。

 せめて着替えてからにしてほしい。


 それから延々と説教が続き……


「店長。叱るのはそれくらいにして……そろそろ混み出す時間ですよ」


 店長の説教を止めてくれる救世主が。

 セミロングの黒髪を後ろで束ねる飾りとして蝶の留め具が印象的な女性は、冬より年上の大学生の女性だった。

 女性から可愛いと評判のウエイトレス姿がよく似合う、比較的おとなしい女性だが、その綺麗で大人しい雰囲気に、癒されたいと男性の客を虜にする、このファミレスの人気ウェイターの一人であり、店長不在時はこのファミレスを束ねるリーダーだ。


「あら、和美さん」


 坏波和美はいなみ かずみ


 スズの言っていた『奇麗な彼女達』の一人である。


「冬ちゃんだって反省してるから、それくらいにしてあげてくださいな。それに、倉庫に荷物を運んでもらわないと……」

「あら、もうそんな時間?……しょうがないわねぇ……まあいいわ。冬君、今度からは遅れない事。い・い・わ・ね?」

「は、はいです!」

「ん、じゃあ、お願いね」


 そう言うと、店長はくるっと踵を返し、ひらひらと手を振りながら去っていく。


 がみがみと先程まで説教していたのがまるで嘘のように、けろっと仕事モードへと切り替わった店長に、その言葉は何度言われているだろうかと思う。

 遅刻常習犯の冬を雇ってくれている理由はよく分からないが、人を雇ってまた教育するのも疲れるし、無駄も多いからかもしれない。


 とはいえ、学校での授業中の睡眠は、素晴らしい程の眠りに誘う先生のありがたい声があるので止められない。


 次に遅刻したらクビかなぁと思いつつ、いつも助けてくれるリーダーも、なぜこの更衣室に普通に入ってきているのだろうかと疑問を持ちつつ、制服の裾のボタンを止めながら彼女を見た。


「助かりました。ありがとうございます。坏波さん」

「どういたしまして」


 汗も出ていないくせに、額を拭う仕種をして礼を言うわざとらしい仕草に、和美はくすっと笑った。


 この笑顔が見たいためにこのファミレスに通う輩もいるそうだが、それなら一緒に働けばいくらでも見れるのに。と、自分のバイト時間がなくなりそうなので口が裂けても言えない冬である。

 もっとも、これから先バイトに来れる時間を作れるかは、まだ未知数ではある冬ではあるのだが。



「さぁてと、荷物運びをしますね」

「ちょっと待って、冬ちゃん」

「はい?――ぐぇ」


 ぐいっと袖をあげた――だったら裾のボタンをつけるなと思うが、そんな抜けた所も彼らしい――やる気満々の冬の服を和美は引っ張り止めた。


 意外と引っ張る時に力が籠っていて、ぐっと首が締まって苦しく。

 冬は、けほっと一度咳き込んでから止まり振り返る。


「……明日、暇?」

「明日ですか。……すいません、実は今日の夜中からやらなくてはならないことがあって……」


 自分の背後に腕を隠し遠慮気味に聞いてきた和美の表情が曇った。


「明日からしばらく休みもらってるのかな?」

「ええ。学生なので意外と暇な時間が多いのですが」

「友達と遊びに行くとか?……例えば、あの、よく一緒に行く同級生の子とか」

「スズのことですか? スズとは遊んだりしませんよ。僕はそんな友達多くないので、用事がなければいくらでもお付き合いできたのですが……」


 意外と粘るけど、何か大事な話でもあるのだろうかと、冬は疑問を持つ。


「……外せない用事があるってことね」

「あー……そうですね」


 そう言えば、以前彼女の相談に乗ったことがあった。

 ファミレスの常連の男にストーカー行為を受けているという話だが、その話は確か警察に一緒に話をしに行き終わっていたはず。


 その結果はどうなったのかを聞いていなかったが、その話の報告かもしれないと、冬は和美が話しづらそうにしていることから考えた。


 話を聞いてはあげたい。

 たが、明日はどうしても、誰にも邪魔されたくない一大イベントが待っていた。

 いくらごねられようとも、いつもお世話になっていようとも、それこそ今日のように店長から助けてもらっても。

 親切を無下にしてしまうことになるが、外すことができない、大事なイベントだ。


「……そう。……そっか。うん、じゃあいいよ。ごめんね、引き止めちゃって」

「は、はあ……じゃあ、お互いに仕事、頑張りましょう」


 冬は出口に向かって走っていく。

 実は今日から準備は必要なのだ。だから、今日は仕事を残して残業等は行えもしない。


「……そっか。無理、なんだ……」


 和美は背後に隠していた腕を前に出し、しばらく、持っていた四角い紙を見つめていた。


「一緒に、映画見に行きたかったんだけどなぁ……」



 冬は、常に。

 このようにチャンスを逃している。




 だが、冬にとって明日から数日間は、自分の人生を変えるイベントが待っていた。


 

 資格の最終試験。

 裏世界へと入るための最終試験が、明日から待っている。

 受からなければ死ぬ。精神的にではなく物理的に。


 そんな資格のために、今日は仕事を早く終わらせて準備をしなければならなかった。


 彼が受ける試験。



  国家試験

  『殺人許可証』資格取得試験。



 彼は明日から、裏世界へと足を踏み込むための切符を手に入れるために、今日のバイトを、明日死ぬかもしれないからこそ、必死に頑張る。

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