第17話 日本国内地、独立行政法人気水研究所


 昨年の正月に同居の申し出をしてから、一年と三ヶ月を経た今年の四月から、レイラニは東京で勇凪と同居を始めていた。

 最初に自分のほうから申し出をしておきながら疑問だったのは、仕事はどうするのか、ということだった。彼女は高校卒業後、ずっと漁協の事務で働いてきたのだ。

「東京に転属にしてもらったんだよ。それで時間がかかっちゃった」

 と彼女は軽く言ったものだ。


 レイラニから同居に関する返答があったのは今年の三月の終わりで、勇凪が博士論文を提出し終えた頃だった。一年越しの返答だ。東京の研究所に就職する可能性があるというのはそれ以前から既に電話で伝えてはあったが、正式に決まったのは三月になってからだ。なので東京へ行く準備をしていたのであれば、勇凪のために、というのとは違う気がする。地元の人間が多い漁協ならそうそう転属などないだろうし、であれば能動的にレイラニが田舎も田舎なガンジスから東京へ出てきたのは、彼女なりの目的があったのかもしれない。

「どっちにしろ、今までの家にひとりだと寂しいから……どうにかしようとは思ってたんだ」

 とレイラニは言った。


 今年の四月からレイラニと暮らすようになったことは、勇凪に幾つかのメリットをもたらした。たいていは彼女のほうが早く帰ってきて、食事の準備をしてくれるし、収入もあるので家賃を折半して広いマンションに住むことができるようになった。何より大きかったのは、母が死んだあとでひとりきりになった彼女の身体を心配しなくて良くなったことだ。レイラニは——幼い頃に障害を患ったために引き摺るようになった左脚を除けば——身体に特段悪いところはなかったが、それでも女の独り暮らしとなると心配があった。


 デメリットは単純だ。レイラニは重荷だった。


 土曜。本来であれば休日だったが、勇凪は平日と変わらぬ時間に研究所に来ていた。その理由は単純だ。家に居たくないからだ。レイラニと一緒にいるのが苦痛だからだ。

 幸いなのは、出勤すればやることがいくらでもあるということだ——と勇凪はモニタを睨みながらキーボードを叩く。現在行なっているのは新島を含む全世界で観測されている雲データの処理だ。雲は単純に目で捉えて大まかな量や高度を推定するほかさまざまな波長を用いたカメラやレーダー、雲の粒子を直接捉えるゾンデつき気球などで観測されている。雲がなぜ重要かというと、雲はつまりは水か氷の塊であり、水循環が地球のエネルギー収支に非常に重要でえあるからなのだが、勇凪にとってしてみればそれよりも重要なのは「研究する余地がある」ということだ。

 無論のこと、建前は大事だ。どんな研究論文だって、最初はイントロダクションから始まっており、その中でなぜその研究が重要なのかーー研究するに足る対象なのかを解説するものである。研究には金がかかる。観測装置、機器、旅費、そして人件費。中世であれば研究者になるのは金持ちかパトロンを見つけられた人間だけだったのだろうが、現在それを肩代わりしている大部分は国の財産であり、つまりは税金だ。それを使うからには、相応の理由をつける必要があるというわけだ。


 調べることは幾らでもある。だから研究は終わらない。終わらないから、兎に角続けなければならない。終わらない仕事だ。だから仕事がなくならないわけで、考えようによってはありがたいことなのだろう。この世の中のあらゆることが理解できてしまったら、もはや研究者という役職は必要が無くなってしまうのだから。

 ほかの仕事はどうなのだろう。一般的に土曜日曜は休みだろう。勇凪の両親は幼い頃に別れ、その後父親とは何度か会う機会はあったものの、彼が仕事をしている姿というのを知らない。休日はどうしているのだろうか、だとかも。


 余計なことを考えていると、手が止まる。どれだけ技術が進歩しようが、機械と対話——すなわちプログラミングやデータ処理を行うのに最も効率的なのは、モニタを通して目で見て、キーボードを通して指で入力するという手法だ。それ以外のデバイスでは無駄に時間がかかるだけである。本当に機械に向かってばかりだな、と勇凪は幼い頃に出会った大学院生の女性の言葉を思い出した。

 思い出すといえば、ついでに先日、研究所内で行ったセミナーのことまで思い出してしまう。就職してから、初の発表だった。

「発表の内容はさておいて、発表の仕方がなってない」

 教室の片側の壁をぶち抜いてくっつけたようなセミナー室で、在籍している研究者からそんなことを言われた。内容を知らない相手に説明する内容ではない。独り善がりでわかりにくい。前の発表者と比較すると雲泥の差だ。

 結論としては、「よく卒業ができたもんだ」ということらしい。


 すみませんと謝っておいて、とりあえずその場は収まったが、むしろ心を刺したのはそのあとだった。セミナー担当の議長チェアマンがわざわざ部屋に来て謝りに来た。「高尚な内容で」だとか言っていたが、ようは発表がわからなかったということだ。そして、それでこいつは人一倍理解力がないのだな、などと断じて浸れるほど勇凪は自分に自信を持てていなかった。肯定的に見ようとしても、それだけ発表に問題があったということだ。下手糞だということだ。何よりも「事前に他分野の人も聞きにくるということを伝えておくべきでしたね」などと抜かす。違う。おれは他分野の人間が聞きにくることを承知で今回の発表だったのだ。あんたたちの注意が足りなかったのではなく、おれが駄目だったのだ。心配されるということは見下されるということで、気遣われるということは問題があると思われるということだ。であれば、相手の手をそのままに掴みたくはなかった。


 ああ、認めなければならない。おれは発表が下手なのだ、と。研究者として、それは問題だ。一般には研究者というのはコミュニケーション不全であり、病的に己の分野の研究のみを続ける社会不適合者として扱われるが、実際にそれでは役に立たない——いや、本当に研究分野に対して強い能力を持つ一握りの研究者であればそれでもやっていけるのかもしれないが、大部分は違う。

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