第6話 なぜだかお隣さんのことを俺は忘れている。
「ごめんね。今日も勉強見てもらっちゃって」
「別にいいよ。そのかわり今日は騒がないでよ?」
放課後。昨日に続いて俺の部屋で勉強をするという話になり、俺は今、美少女と部屋に二人きりになっていた。
まあ昨日と同じなんだけど。
「今回の英語の範囲って、どこらへんだっけ?」
「基本的には比較級・最大級がメインだったはず。あとそこに現在完了と不定詞がちょこっと」
「そっかー。現在完了、苦手なんだよね……」
昨日今日と軽くかおりの勉強を見ていて思ったことは、吸収がめちゃくちゃ早いということだ。
今まで高校のテストではだいたい平均点くらいだったと言ってはいるが、この調子でいけば八割から良くて九割くらいの点数が望めるんじゃないか。そんなふうに俺は勝手に思っていた。
ついさっきまでは。
「かおり、現在完了がとかじゃなくて、基本的なところから英語が壊滅的なんだけど……」
教科書に付属のワークに咲いたレ点の花畑を見て、俺は愕然とする。
「さっき一通り、教科書の内容は説明したよね?」
「いやぁ、いつもテストのときは教科書の日本語訳とワークの答えを全部暗記してるからさ……」
あぁ。典型的なその場しのぎの勉強法だ。
しかしそれでも学校の定期テストではそれなりに点が取れてしまう。だから、英語が苦手な人は日本語訳を暗記し、受験で一切使うことのない教科書の内容を完璧に網羅する。
俺には身近にも同じようなことをやっている人がいるからわかるが、このやり方では受験前になって絶対に後悔することになる。
広範囲に渡って見たことのない問題が次から次へと出てくる模試や受験本番では、こんな勉強法は全く通用しないからだ。
「そうたぁ。これ分かんないよ~。なんでここにいきなり seeing がはいるんだよ~」
突然。
ノックもなしに突然開かれたドアに、泣きつくようにして部屋に入ってくる姉。
それを見てかおりは唖然としている。
そりゃそうだ。俺だって友達の部屋に行って突然姉がそこに乱入してきたら、同じ反応をするに違いない。
なにより、昨日冷たい目で俺たちを見下ろしてた女とは別人に見えるほど幼い挙動がかおりを若干引かせている。
「教えてくれよそうたぁ~」
「いいか、かおり。三年のこの時期になってこんなふうになりたくなかったら、しっかり今から基礎を勉強するんだぞ」
茜を見て、大きく立てに首を振るかおり。
「おいそうた……って、昨日のかわい子ちゃん⁉」
一方の茜は今の今までかおりが視界に入ってなかったというのだから驚きだ。
「なんだよ……テスト期間はいつも私の勉強に付き合ってくれてたくせに……。こんなに可愛い女子を連れこんで私はほったらかしかよ……」
「いや、別に言ってくれれば茜の勉強にだって付き合うって」
姉のメンツもどこへやら。完全に甘えモードというか弱気モードというか、そんな
状態の茜。
「いやだよ! 昨日あんなの見せつけられて、なんか私おじゃま虫みたいじゃん!」
もう駄々をこねて手に負えない。
「じゃあ茜は夕飯食い終わったら一緒に勉強しよう。もうその時間にはかおりも帰ってるから、それでいいだろ?」
「……ちゃんと教えてくれるなら」
「よし。じゃあ今は出てった出てった。こっちも勉強中だよ!」
俺は唇を尖らせる茜をなんとか追い出して、ごめんとかおりに謝った。
「全然大丈夫だけどさ。なんかそうくんのお姉ちゃんってもっとさばさばしてると思ってた」
「外だとよくそう言われるんだけどさ。あいつスポーツは何でもできるんだけど勉強がからっきしで。それで苦手なことになるとああやって子供みたいになるんだよね。家の中だと」
自分で言っててどんな姉だよ、とも思うが、そんな姉なんだからどうしようもない。
それでも、昔は苦手でよく母さんに泣きついていた料理も努力で上達して、毎日弁当を作ってくれるほどにまでなった。
周りの人の見えないところで努力するそういう健気なところは、俺も少しは弟として誇りに思っている。
「さっ、勉強の続きをしようか。じゃあ、英語の基本的な文法の説明からするよ」
「うん!」
元気に返事をしたかおりに、俺は一からレクチャーを始めた。
◇◇◇◇◇
「いやだから、ここは分詞構文って言って、主語とbe動詞を省略してるんだよ。ここで省略されてる主語っていうのは、カンマの後にある文の主語と同じで、もし違う場合は省略されないから」
「うーん……やっぱり難しい~。疲れちゃったし、ちょっと休憩しよ」
「まあ、茜がいいならいいけど」
夕飯を済ましてシャワーも浴び、九時前に茜の部屋で勉強を始めてからもう一時間半。
茜も集中力が切れたようで、大きく腕を伸ばしてそのまま後ろに寝転がった。
「いやぁ。それにしても、奏太が部屋に女の子連れてくるようになるなんてねー」
ふぅ、と息を吐きながら茜が言う。
「しかもそれがあのかおりちゃんだっていうんだから、なんとも驚きだよ」
「え? 茜、かおりのこと知ってんの?」
なんとも感慨深い表情を浮かべた姉の発言を聞いて、咄嗟にそんな返答をした。
まるであたかもかおりを知っているかのような、そんな口ぶりだったからだ。
かおりも俺とは以前から面識があるようなことを言っていたが、そういわれて考えてみても何も思い出せなかった。
俺でさえそんな様子だったのに茜が覚えているだなんて、どうかんがえてもおかしい。
そんな考えの俺をよそに、茜は俺を嘲るように答える。
「知ってるも何も、昔よく奏太と遊んでた子でしょ? すっかり可愛くなっちゃって、今日お母さんから聞くまで私も気づかなかったけど」
「……」
ちょっと何を言っているのか、分からなかった。
確かに俺は勉強でも暗記科目が苦手で、記憶力には自信のある方ではないけれども。
それにしても。それにしてもだよ?
いくら俺だってそんなに仲良くしていた女の子がいたら、忘れるはずがないじゃないか。
「茜、からかってんの?」
「え? なにが?」
当たり前だが、どんなに思い返してみても、幼少期にそんなに仲の良かった女の子なんて俺にはいない。
茜が適当なことを言っているのかとも思って聞いてみたが、しかしその様子からしてそういうわけでもないようだった。
「あんまり根詰めても体に悪いだろうし、今日はこのくらいにしておこうか。ちょっと眠いし、俺はもう寝るよ」
「え? もう? まだ十一時前だよ?」
急に立ち上がった俺に驚く茜は放っておいて、自分の部屋へと戻る。
どういうことなんだろう。
いくら考えても、過去にかおりと親しくしていたような記憶は俺の中にはない。この事実は何度か試しても変わらないものだ。
俺は押入れからアルバムやら昔の写真やらを引っ張り出して、一枚一枚確認してみる。
小学校の運動会やら合唱祭、修学旅行などいろんな行事の写真が出てくるが、そのどれにもかおりらしき女の子は見当たらない。
「やっぱりないよな……そもそも枚数自体もそんなにないし……」
しかし、もう諦めかけてこれで最後にしようと開いた小学校の卒業アルバムの中に、遂に探していた名前を発見する。
その上にはまだ幼いがどこか面影のある顔写真も載っている。
「これって――」
『藤宮かおり』
そう。
彼女は紛れもなく、小学校時代のクラスメイトだった。
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