第16話 呪いの矛先②
オバケ部の部室から飛び出した金崎由香は、田口里奈の手を引きながら、長い廊下の上をただひたすらに進んでいった。
彼女達の足元から発する靴音が高く響く。
その靴音の速さからみても、彼女がかなりイラついているという事が容易に想像できた。
「…何なの!?アイツら!こっちが大人しくしてればつけあがってきて…!ほんっとムカつく!」
そう口にした金崎由香の足取りは、その怒りに伴ってさらに強く早足なものへとなっていく。
一方、田口里奈の方は黙り込んだまま、ただ金崎由香の思うようにされるがままとなっていた。
「あ~…マジでムカつく!何?あの男達の態度!下級生のクセに何様かっての!里奈もそう思わない?」
そう全身に怒りを
「…どしたの?里奈。」
田口の意外な行動に、思わず驚く金崎。
いつもの田口里奈ならば、即座に金崎の言うことに合わせてテンション高く賛同してくれる場面のはずだった。
「…私………める…。」
俯いたままの田口がそう呟く。
だが、それはあまりにも小さな声だった為に、金崎の耳までは上手く届かなかった。
「…里奈、何?」
いつもと違うそんな田口の反応を心配した金崎が、彼女の顔を覗き込む。
…だが、その意に反して当の田口の方は、金崎と決して目を合わせようとはせず、両手の拳を強く握りしめながら絞り出すような声をあげた。
「…私、もうこんなこと辞める!」
「…なによ、突然…」
突然田口の口から発せられたその言葉に、思わず戸惑ってしまう金崎。
田口は時折声を震わせながら、か細い声で言葉を続けた。
「私…今までずっと由香ちゃんに合わせて来たけど、こんなイジメみたいなの、もう辞めたい。いっつも二人でコソコソ陰湿な事して、今クラスでどんな目で見られてるか知ってる?…どんどん皆から距離置かれてるんだよ?私達…私…由香ちゃんとだけじゃなく、もっと…もっとクラスの皆と仲良くしたいから!」
そう言って、涙を浮かべながら立ち去って行く田口里奈。
「…なんなの!?アイツ…」
そう田口に一方的な言葉を放たれ、一人取り残されてしまった金崎は、小さくなってゆく彼女の背中を見送りながら、次第に腹の底から怒りの感情を沸々とつのらせていった。
ピコンっ
薄暗く静寂を保っていたはずの廊下の中を、その場の雰囲気にはとても似つかわしいような明るい通知音が鳴り響く。
金崎は怒りに支配されたまま、ポケットの中からスマホを取り出すと、その通知音の内容を確認した。
するとそのスマホの画面には『呪いたい相手が未登録です。』との通知が表示されている。
…ドプン…
その瞬間…金崎由香の体の中からは、まるで自分の臓器をも焼き尽くしてしまいそうな、何とも言い知れぬ深い怒りの感情が生まれはじめた。
それは先程までの、体の表面で感じるかのような、浅い怒りとは全く異なっている。
怒りに連動して震え続ける指先をなんとか制御しながら、彼女はスマホの画面を静かに開いた。
…ドプン…
まるで長年使い古した廃油かのようなドス黒い感情が、まるで水時計を落としていくかのように、自分の心の中へと溜まっていくのが分かった。
『呪いたい人の名前を記入してください』
金崎が手にしているスマホの画面には、黒地に血文字のような赤い字で、そう表示される。
…ドプン…
その文字の部分を無言でタップする金崎。
こうして開かれた入力フォームに、金崎由香は震える指を必死に抑えながら、ある人物の名前を入力したのであった。
「今日は疲れたねぇ~」
夕暮れ時。
部室を後にした4人は並んで歩いていた。
「…でも伶奈さん本当に大丈夫なんですか?確かに消したとはいえ、呪いのサイトに実際に名前を書き込まれてしまいましたが…」
そう言って静馬が心配そうな表情で、麻宮先輩に声をかける。
「…うん。今のところ本当に何の影響もないし…まぁ本名を書かれてしまった事は心配だけど、その名前ももう消してあるしね。」
そう言って優しく微笑んで見せる彼女は、控えめに言っても本当に天使だと思う。
「…まぁでもあのサイトがただのデマで良かったよね~…って、勇也あんた何やってんの?」
二人の会話に混じりながらも、後ろから無言で着いてきている俺に対して、いぶかしげな表情を浮かべながらそう声をかけてくる有栖川。
一方の俺の方はというと、苦手な英語の教科書を広げながら、ブツブツとまるで呪文でも唱えるかのように英単語を呟いていた。
「幸い呪いのサイトもデマだったんだし、俺は中間試験に向けて勉強を…」
そう言って、教科書を握りしめる俺の手は強く、心なしか目まで血走ってしまっている。
「…中間テストって…ゆうやん、テストなんてまだまだ先だよ?今は範囲すら発表されてない状態だし…」
「ほっといてくれ、静馬!俺は何としてでも中間と期末テストで上位10位以内に入らないといけないんだ!!」
そう言って、なだめる静馬の方へは目を向ける事もなく、ただひたすらに英語の教科書とのにらめっこを続ける俺。
「…それって、もしかしてヴェルサス狩鴨の優等生特待ルームに入りたいとかっていう魂胆?」
そう言って俺の肩へともたれかかりながら、妙に艶かしい表情で俺の耳元で囁いてくる有栖川未亜。
「…そっ!そうだよ!悪いのかよ!?」
そう言って、有栖川の優しい吐息がかかってしまったその耳元を、手で押さえながら必死に彼女と距離をとる俺。
「…別にぃ~、なんだかけなげだなって。」
そう言って意地悪そうな表情で俺の顔を覗き込んで来る有栖川。
「仕方ねぇ~だろ!今住んでる『よどみ荘』は古くて不便なんだしっ!」
…それにオバケも山ほど出るしね。
ヴェルサス狩鴨に入りたい本当の理由であるはずの最後の一文は、とりあえずなんとか飲み込んでおいた。
「まぁ、分からなくもないわよ?…だって未亜達が住んでる所は、ものすごく綺麗で超快適なんだもん。」
そう言ってポケットの中から何やらカードのような物を取り出して、二人同時にこれ見よがしと見せつけてくる有栖川と静馬。
「ヴェ…ヴェルサス狩鴨のカードキー!?」
すぐさま俺は静馬の手からそのカードキーをひったくると、ぷるぷると手を震わせながら、それを凝視していた。
「…まぁ、せっかくの高校生活だし?せめてプライベート空間だけでも快適に、そして安全に過ごさなきゃね。」
そう言って、前髪を自慢気にかきあげながら、まるでヴェルサス狩鴨のパンフレットのような文言を並べる静馬。
そんな静馬の様子を見てついに我慢ができなくなってしまった俺は、静馬に掴みかかりながらこう言った。
「静馬っ!お前!今すぐ俺と部屋を変われっ!今すぐにだー!!」
そう言って、ものすごい剣幕で激しく静馬の両手に掴みかかりながら、めちゃくちゃな事をわめき散らす俺に対して、当の静馬は相変わらずの爽やかな笑顔を浮かべながら、
「…僕は伶奈さんと隣の部屋になれるなら別にそれでもいいけど…未亜ちゃんみたいに元から寮費が安い優等生特待ルームならまだしも、僕の住むVIPルームは寮費が月15万円ほどかかっちゃうけどそれでもいいの?ゆうやん。」
と俺の事を
「15万!?」
静馬の口から発せられた思わぬ金額の大きさに、思わず俺の声も裏返る。
…ちっ!ボンボンめっ!!
その金額に、顔を険しく歪めた俺はその場で大きくふりかぶると…
「…あぁっ!!ひどいよ!ゆうやんっ!」
怒りに任せて静馬から奪いとったカードキーを光の彼方へと投げ飛ばした。
「じゃあ、未亜と一緒に住めばいいじゃない!はい、コレ。」
そう言って、再び艶かしい表情を浮かべながら俺の腕へと絡みつき、手にしていたカードキーを無理矢理俺の胸ポケットに押し込んでくる有栖川。
夕陽に照らされた彼女の瞳が、より一層彼女の姿を色っぽく魅せる。
「いらね~よっ!だいだい一緒に住めるワケがねーだろっ!!」
そう言ってすぐさま胸元のポケットからそのカードキーを取り出すと、俺は有栖川の元へと戻そうとしたが、そんな俺の手を有栖川はいとも簡単にひょいっと避け、上手く俺との距離を取ってしまった。
「未亜の部屋は、ヴェルサス狩鴨の505号室だよ。ちなみにそれ、スペアキーだから。ほんじゃいつでも遊びに来てねぇ~ん!」
そう言って俺に向かってウインク混じりの投げキッスを浴びせると、有栖川は手をヒラヒラとさせながら静馬と一緒にヴェルサス狩鴨の方向へと向かっていった。
「ばっ!ばっかじゃね~の!?アイツ…俺が行くわけが…ねぇ?麻宮先輩。」
そう言って麻宮先輩の方を向くと、麻宮先輩は何故か拳を強く握りしめながら無言で俯いていた。
心なしかその背後には、まるで般若の面でも背負っているかのような、おどろおどろしい重たい雰囲気が漂っている。
「…どうしたんスか?麻宮先輩…」
そんな悪しきオーラを著しく纏いながら、珍しく黙り込んでいる麻宮先輩の事を心配した俺が、彼女の顔を覗き込もうとしたその瞬間…
「…知らないっ!」
そう言って麻宮先輩は、俺の方を振り替える事なく、早足でよどみ荘へと向かって行ったのであった。
ヴェルサス狩鴨 505号室。
全面白梁で清潔感ある内装は、例え低価格での賃貸が行える『優等生特待ルーム』といえど、かなり豪華なものだった。
「…ふんふふ~ん♪」
そのゴージャスな部屋を抜けたその奥では、すりガラスのドア越しにシャワーを浴びながら鼻唄混じりに体を揺らしている有栖川未亜の姿があった。
彼女の弾けるように白い肌と、その柔らかな肢体をくまなくつたって、水はしぶきをあげながら勢いよく床へと流れ落ちる。
その水が絶え間なく叩きつけている床すらも、全面大理石だ。
彼女は一通り体を洗い終えると、洗い立ての濡れた髪に手際よくタオルを巻いて、湯船の中へと浸かった。
白く光沢のある陶器製の浴槽は、低身長である彼女でなくとも、足を伸ばすのには充分すぎるくらいの広さを誇っていた。
「…あ~…気持ちい~い…!」
そう言って浴槽の中でゆっくりと体を伸ばすと、彼女はすぐさまスマホを手に取って、自分のSNS投稿を見直していた。
「うん!今日もまずまずいいねついてるっ!」
有栖川の自撮り写真には1150件ものいいねが押されている。
その他にも数百件あるコメントの一つ一つに目を通しながら、気になったコメントに対して手慣れた様子で返信を入力していった。
ひとしきりコメントの返信を書き終えたところで有栖川未亜はふとあることに気がついた。
「そうだ!今日の部活の後みんなで撮った写真、アップするの忘れてた!」
そう言って、スマホを操作して一枚の写真を選択する有栖川。
その写真は今日の帰り道、有栖川未亜がふいに撮った夕日を背にした4人の自撮り写真である。
あまりにも不意討ちすぎて、写真の中の佐藤勇也の目が半目となってしまっているばかりか、麻宮伶奈もキョトンとした表情を浮かべているのがなんだか可笑しい。
「何コレ~!勇也の顔、マジいけてないじゃ~ん!麻宮ちゃんはビックリした顔も全然可愛いけどっ!」
そう言ってスマホの中の写真を眺めながら、バシャバシャと浴槽の中で足をバタつかせる有栖川未亜。
彼女の動きに伴って、浴槽の中の湯が激しい音を立てながら浴槽の外へとこぼれ落ちた。
「…静馬はやっぱりこんな時でもちゃっかりキメ顔なんだよね~、手慣れてるってゆ~か、ホントつまんない男ってゆ~か…」
そう言って再びケタケタと笑うと、「いつもの仲良し4人組!」というコメントをつけてイルスタへとアップした。
その後数分間浴槽の湯で体を十分に暖めた有栖川は、満足そうな表情で浴槽から上がると、体にバスタオルを巻きつけながら脱衣所へと移動した。
脱衣所では壁の一面が鏡張りとなっており、それに合わせるかのように広く真っ白な洗面台が設置してある。
有栖川は、スマホと頭に巻いていたタオルを洗面台の上へと置くと、ドライヤーで自分の髪を乾かしはじめた。
静かな脱衣所の中を、彼女が操るドライヤーの音だけが響いている。
しばらく髪を乾かしていた彼女は、自分の指へと絡まるいつもと違う感触に、すぐに違和感を覚えた。
違和感というよりも、それは不快感といった方が近いかもしれない。
その言い知れぬ感覚に思わずドライヤーを止め、自分の指を眺める有栖川。
見ると、有栖川の指には幾本もの黒く長い毛が絡まりついていた。
「…なによ、コレ…。」
それを見た瞬間、一瞬で息すらも止まってしまいそうなくらいに有栖川は驚いた。自分の体から、あり得ない物が出てしまったときの恐怖感と不安感。
まるで体を内側から強く打ちつけられたかのようにその心臓も高鳴っている。
それもそのはず。
有栖川未亜の髪は生まれつき薄く赤みがかかっており、しかもその髪は、有栖川未亜の髪よりも遥かに長い髪だった。
そればかりか、その指に絡みついた髪の髪質はまるでカツラのように傷んでおり、全く生気が感じられない。
その点から見ても、もともと柔らかで艶やかな髪を自慢とする彼女の髪とは明らかにかけ離れている事は歴然である。
「…気持ち悪っ!」
そう言って有栖川未亜は、指に絡み付いたその髪を、顔を歪めながら指先でゆっくりと丁寧に取り除くと、急いで洗面台の下のゴミ箱に投げ捨てた。
「も~!なになに!?マジで気持ち悪いんだけど…!」
その場で足踏みなんかをしつつ、ほぼ悲鳴混じりにそんな不満を並べながら彼女が手を洗おうと洗面台の蛇口をひねった瞬間…
彼女の両手の上を、ぬるっとした生暖かい液体が通りすぎた。
「…え?」
その触れ慣れない感触に、思わず自分の手元へと目を落とす。
見るとその蛇口からは…
水ではなく、おびただしい量の血液が絶え間なく流れ落ちていたのであった。
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