#11.2 家族ごっこ

 雪空の中を彷徨い続けた末、海に辿り着いた。海は墓場のように真っ暗で、今の僕の心情と上手い具合に調和していた。海に足を踏み入れると、まるで引力に引き寄せられるように足が前に進んだ。歩く度に自分を構成している部品のひとつひとつがボロボロと崩壊して海の中に溶けていくようで心地よかった。

 あの日、あの病室で、僕は死ぬべきだった。それなのに、無理に生きようとしたから天罰が下ったのだ。僕がもっと早く死んでいれば、大事な人を傷つけることはなかった。

「あ・・・・・・、ああ・・・・・・、あああ・・・・・・」

 真冬の海の中を突き進んでいると、誰かが僕の肩を掴んだ。

「止まりなさい」

 後ろを振り向かなくても、声だけで誰か分かった。

「帰れよ。お前なんか要らないって言っただろ」

「貴方の心が助けて欲しいと叫んでいました」

「そんなこと、思ってない」

「私は世界中の誰よりも、貴方を必要としています」

「うるさい!うるさい!うるさい!」

 顔を見なくても、声を聞いただけでハルを思い出してしまう。ハルが死んだという事実を受け入れたくないのに、受け入れざるを得ないことが辛くて、苦しくて、死にたくなる。

『もし死にたいと思うほど辛いことがあったら、その時はどうか傍にいる人たちのことを思い出して。僕も含め、渚のことを大事に思っている人はたくさんいるから』

 ふと観覧車でハルに言われた言葉を思い出した。僕は行き場のない悲しみを拳に込め、海面を力いっぱい叩いた。

「頼むから放っておいてくれ。お前といると苦しいんだよ」

「そうやって、貴方は、貴方を助けようとした彼女の気持ちを否定したのですね」

「ちが・・・・・・」

 彼の言う通りだ。僕はハルが大事だったからこそ、自分から拒絶した。だが、結果的に僕は彼女の好意を否定しただけで、ハルを大事に出来なかった。

「自分を愛してくれた人を失って悲しいと思うなら、どうして貴方は残される人のために生きようと思わないのですか?」

「僕が死んでも誰も悲しまないよ」

「貴方が死ねば雅人が悲しみます」

「あの父親が僕の死を嘆き悲しむものか。むしろ僕がいなくなった方が、ケアロボットの製作に没頭出来るんだから好都合だろ」

「雅人は貴方のことを大切に想っています。なぜ貴方は、人の好意を素直に受け取れないのですか?」

 全身の血が沸騰するような怒りを覚えた。気付けば、僕はウーティスの頬を思い切り叩いていた。

「あいつは、母さんや兄さんを見捨てた!ひとでなしなんだよ!」

 ウーティスは頬を押さえながら、僕をじっと見た。

「雅人は、貴方が思っているような人間ではありません」

「黙れ!お前はさっさと父さんの所にでも帰ればいい。僕の世話を命じられているのなら、今すぐ僕の首を絞めて殺せ!」

「分かりました。貴方がそう望むなら」

 ウーティスは僕の胸倉を掴むと、マグロの一本釣りのように僕の身体を砂場へと引っ張り上げた。ウーティスは目を白黒させている僕の腹の上に躊躇なく跨ると、間髪入れずに僕の首を絞め始めた。

「あぐっ・・・・・・あ、あ・・・・・・」

「貴方がそんなに死にたいのなら、私が殺して差し上げます」

 意識が遠のいていく。これ以上絞められたら本当に死ぬ。

「・・・・・・・・・やめ・・・」

「なんだ、やっぱり生きたいんじゃないですか」

 ウーティスの手が僕から離れる。咳き込んでいる僕に、ウーティスが造り物の腕を見せた。そこには、くっきりと僕の指の跡が残っていた。

「質問を変えましょうか。なぜ貴方は、幸人を拒絶するのですか?」

 ウーティスの質問に、心臓がドクンと跳ねた。咄嗟に逃げようとしたが、ウーティスに顎を掴まれたせいで逃げることが出来なかった。

「貴方が自分の居場所を求めているように、幸人もまた、温かい家庭というものを求めていたんですよ。リビングに皆で集まって、一緒に食事をする。辛い時は励まし合い、嬉しい時は喜びを分かち合う。そんな家庭を、幸人は築きたかったのです」

『もう一度僕たちで家族をやり直そう』

 兄の言葉を思い出す。なぜ彼が温かい家庭にこだわるのか、それはなんとなく察しがついていた。

「僕は、家族ごっこに付き合うつもりはない。お前と兄さんと父さんの三人で仲良くすればいい」

「貴方がいなければ意味がありません」

「僕がいなければ、兄さんや母さんが死ぬことはなかった!!」

 自分の感情が暴走するのを感じた。怒りと悲しみが一気に押し寄せ、自分で制御することが出来なかった。

「僕が全部壊したんだ。だから、僕が温かい家庭にいちゃ駄目なんだ。僕がいたら、また壊してしまう」

「・・・・・・貴方って人は」

 ウーティスが手を振りあげるのを見て、反射的に目を瞑った。叩かれると思いきや、その振りあげられた手は、僕の頭の上に着地した。

「貴方は、そうやって自分を責め続けて生きてきたんですね」

 ウーティスが僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。幼かった頃に兄が僕の頭を撫でてくれた記憶が蘇り、胸の中に溜まっていたヘドロが涙になって零れ落ちた。

 僕は兄が大好きだった。心から尊敬していたし、いつか兄のような優れた人間になりたいと思っていた。だが、その想いは、いつしか兄のようにならなければ、兄を超えなければという義務感へと変わっていった。兄と同等、もしくは、それ以上の存在にならなければ、僕は両親から愛されない。そう思い、努力し続け、やがて力尽きた。

 どれだけ両親から愛されたいと願っても、兄を犠牲にして生き延びた僕は、一生、彼らから愛してもらえない。そのことに気づいた時、僕は温かい家庭への憧れを捨てた。

「・・・・・・僕だって、本当はずっと憧れていたんだ」

「憧れているのなら、手に入れればいいじゃないですか」

 僕は首を横に振った。

「僕は自分が許せないんだ。親の期待に応えられなかった自分が、大事な人を大事に出来なかった自分が大嫌いで、許せない。僕は生きていてはいけないんだ」 

 そう言った直後、ウーティスから頬をつねられた。

「痛っ。なにするんだよ」

「よく聞きなさい。貴方は親の期待に応えるために生まれてきたのではありません。また、今からでも大事にしたい人を大事にすることは出来ます。今の自分が嫌いというのなら、これから時間をかけて、貴方が好きな自分になればいいじゃないですか」

 ウーティスは服に付いた砂を払うと、地面に座り込んでいる僕に手を差し伸べた。

「帰りましょう。こんなところにいては風邪をひいてしまいます」

「・・・・・・うん」

 ウーティスの手を掴んだ時、彼の手に温もりを感じた。

 ハルだけど、ハルじゃない。その事実を受け入れ始めている自分がいた。













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