第8尾【キラキラ、輝く星のよう】

 あれから数日経過——


「それじゃ、留守を頼みましたよ、キュウ」


 珍しくスーツに身を包む涼夜は玄関先でキュウに向き直る。キュウは笑顔で手と尻尾を振る。


「じゃ、行って来ます」


 玄関の扉が閉まる。キュウは内側から鍵を閉め腰に手を当てて一人頷いた。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 涼夜はタクシーを呼び止める。

 運転手に行先を伝えると車はゆっくりと走り始める。向かった先は隣町のとあるビルの前。一階にカフェが併設された七階建てのビル。

 涼夜は料金を支払いビルの中へ。

 内装は比較的新しく掃除も行き届いている。白い大理石を模した床に麻色の壁、反対側はガラス張りでカフェの店内が拝める。


 ビルの五階、『エヌオカ出版』は涼夜を含む数十人の作家を抱える比較的新しい出版社の本社。小学生、中高校生向けの、若年層を意識した小説や絵本などを主に取り扱う。涼夜の得意分野でもある。


 エヌオカ出版で発行された書籍は発売元となる『天界ヘヴンズ講社』より配本され、取次店を経て店頭に並ぶ。今でこそ基盤がかたまっているが、発足当初は苦労した。

 そんなエヌオカ出版の社会的デビューは輝かしいものだった。


 一人の女性作家が書いた『獲物フレンズ』というライトノベルが驚異的な売り上げを記録、そこからコミカライズ、アニメ化、更に映画化もされた。エヌオカ出版は一躍有名出版社となる。

 今や獲物フレンズ、通称エモフレは子供から大人まで楽しめる人気コンテンツとなった。そのエモフレを執筆したのが、当時十七歳の女子高生だったのだから驚きである。


 その後を追うように、エヌオカ出版からは続々と書籍が発売され、そのどれもがそこそこの売り上げを記録している。涼夜はエモフレの二次創作コンテストで大賞を取り、エヌオカ出版とのパイプを得た。そこで、彼女に出会った。


 さておき、エレベーターで五階に移動した涼夜。

 五階ワンフロアがエヌオカ出版のフロアだ。涼夜の姿に気付いたインテリ眼鏡美人が手を振る。控えめな胸が小さく揺れているのはこの際どうでもいいとして、涼夜は小さく会釈をした。


「おはよ、エモフレ続編、冒頭の原稿、確かに確認したわ。流石は涼夜君ね。あの子の特徴、書きそうなお話に仕上がっていると思うわ。とはいえ、これから更に完成度を上げていかないとね。ガンガン赤ペン入れてくから覚悟しなさい?」

「ありがとうございます、西岡社長。しかしまだまだ彼女のようにはいきませんね。赤ペン……覚悟は出来てますが。こ、根本的に脳の造りが違うと言うか。おかげで殆ど眠れませんでしたよ。

 それはそうと、今日は人が多いですね」

「あぁ、ほら、この前ウェブでアマチュア作家向けのコンテストを開いたでしょう? その受賞者の子達が来ているのよ。あちらは担当に任せてあるから、私達は下で話しましょう。

 あ、それと、社長はやめてよ。可愛い妹の旦那なんだし身内みたいなものでしょう?」

「あ、はい、すみません、麻衣さん。しかし社長は社長ですし」

「私なんて、名だけの社長よ。いくらコンテストに出しても選考落ちるし、お金借りてまで友達と会社立ち上げたはいいものの、自分達の作品は鳴かず飛ばず、最後には一緒に始めた仲間にも見限られる。

 そこにあの子、結衣がとんでもない作品をぶっ放してくれたおかげで今があるんだから。私なんて、大した事してない。あの子が居なけりゃ、盛大に失敗して借金まみれの生活よ。結衣の遺してくれたエモフレを継続させる事で会社の利益を得——」

「麻衣さん」


 涼夜は首を横に振った。


「麻衣さん、貴女が無謀にも会社を立ち上げていなかったら、結衣も小説なんて書かなかったかも知れません。エモフレも誕生しなかったかも知れません。あくまできっかけを作ったのは麻衣さんです。

 私も、そのおかげで彼女に出会えたのです。

 そしてエモフレの継続は彼女の意思でもありますから、それを気負う事はありませんよ」


「涼夜君は優しいね。ほんと、優し過ぎるくらいだよ。ささ、今後の打ち合わせをするわよ」


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 一方、キュウはというと、


「キュキュッキュ、キュッキュ、キュキュッキュキュウ〜」


 ご機嫌に洗濯物を干し、合間に夕飯の下準備。

 尻尾は陽気に揺れる。その度にワンピースがふわりと靡く。どうも気になる。

 キュウは顎に手をあて考える素振り。程なくして思い立ったように瞳を煌めかせ白いワンピースを脱ぎ捨てた。——全裸です。


 下着はネットで注文したが、まだ届いていない訳で、従って、全裸。

 ほんのり薄ピンク色に染まる、まるで人形のように綺麗な肌、そこから生える軟雪を彷彿とさせる九つのモフモフ。尾骶骨より少し上、その辺りから伸びる尻尾は付け根の部分で収束されて細くなっている。

 キュウは何処からか裁縫セットを持ち出して、ハサミを手に取る。終始ご機嫌でワンピースに切り目を入れた、その時——


「ただい……ま……え? 何故なにゆえ?」


 涼夜帰宅。当然、視界には全裸のモフモフ少女。その手にはハサミ。

 キュウの真っ白な肌がみるみるうちに赤く染まる。ハサミが床に跳ねると同時に、キュウは涼夜に駆け寄る。無修正の全裸が巨大な球体をこれでもかと揺らし迫って来る訳で、当然涼夜はドン引き。


 次の瞬間、部屋に乾いた音が響き渡った。


「……ブフォァッ!」


 不意打ちに黒縁眼鏡が跳躍、後、床に跳ねる。更に、パァンパン! と乾いた音が続け様に響く。


「ぐはぁっ……お、おうふく、ビ……え? ちょ、キュウ? お、落ち着いてくだブフォァッ!」

「キュキュキュキュキュキュキュキュキュキュウ!」


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 リビングのソファーに横たわる涼夜の顔、——主に頬は真っ赤に腫れ上がっている。立派なイチョウ型が無数に重なっている。

 あまりのダメージに流石の涼夜もダウンを余儀なくされた訳で。簡潔に状況を整理すると、キュウの強烈な往復ビンタが涼夜に炸裂したのだ。


 腫れた顔を氷水で冷やす涼夜を心配そうに見つめるキュウはどこか気まずそうでもある。因みに、お尻に穴が空いたままのワンピースを再び着ている。キュウは空けた穴から器用に尻尾を出した。

 どうやら、尻尾を通す穴を空けたかった様子。ハサミで切っただけで未処理の穴から尻尾を出した事でワンピースが捲れなくなった訳だ。後はボタンを付けるなり工夫すれば完成。


「痛ぅ……まさか帰宅早々往復ビンタを喰らうとは思いませんでしたよ。とはいえ、確かにいい考えですね。それなら不意にお尻が見える事もなくなります……」

「キュ、キュ?」


 キュウは頬を真っ赤に染めて膨れて見せた。涼夜はフルボッコになった残念な顔で小さく微笑む。


「冗談ですよ」

「キュン!」


 意地悪に笑う涼夜、口を尖らせるキュウ。二人の目が合う。不意にキュウが笑うと、涼夜もその笑顔につられるように笑った。


「そうです、キュウ。今日は一緒に結愛ちゃんを迎えに行きませんか? 勿論、姿は消してですが、結愛ちゃん喜ぶと思いますよ」

「キュ、キュウ!」


 キュウは心底嬉しそうに笑い涼夜に飛び乗る。


「ぐっ……ちょ、キュウ! 駄目ですって……!? あ、こらっ、やめなさいって……」

「キュウキュウキュン!」

「キュンじゃないです! 私は君にそういった感情はないのですから!」

「キュゥゥ〜」

「膨れても駄目ですよ。もっと自分を大事にしないと。この前の事だって……ほら、わかったら、降りてもらえますか?」


 キュウは不服そうな表情を浮かべ渋々ソファーから退くと、涼夜を見下ろす形で柔らかな優しい笑顔を浮かべた。不満と喜びの入り混じった表情、——そう例えるのが妥当か。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 夕暮れ時の商店街、手を繋ぎ歩く涼夜と結愛。相変わらず手を引くのは結愛の方で、涼夜は引きずられるように腰を折り歩く。

 結愛の右手を涼夜の左手が覆う。

 結愛の左手は姿を消したキュウの右手が優しく包み込む。ちらほら人とすれ違う。年配の老夫婦に駄菓子屋の少女、野良猫、公衆電話と向き合う日に焼けた男、夕日を背に駆け巡る高校生と思しき男女のカップル、一人歩くツインテールの女子小学生。


「キュウちゃん、消えてるのに温かいです」

(キュウ〜)

「結愛ちゃん、聞いて下さいよ。お昼私が家に帰るとですね——」

(キュキューー!)


 乾いた打撃音が響く。


「ぁ痛っ!!」

(キュキュ、キュー!)


 涼夜の眼鏡が盛大にズレた。


「死角からのビンタは勘弁して下さい……」

(キュ!)


 二人を見上げる結愛が不意に両手を放し振り返る。ズレた眼鏡の位置を直す涼夜と、消えてはいるがプンスカとうるさいキュウに向け、



「ふふっ、二人ともおかいしっ……あはははっ!」



 ——結愛が、笑った。



 涼夜は目を見開き結愛を見やる。眼鏡を外し、眼に入った埃を取り払うように拭い、切れ長の瞳を波打たせた。そして、結愛をギュッと抱きしめた。

 当然、結愛は頬を染め抵抗する。

 結愛が混乱していると、確かなぬくもりが彼女を包み込んだ。キュウも結愛を抱きしめた。


「……帰りましょうか、私達の家に」

「……く、苦しいです、もう……」

(キュウ〜!)



 一年もの間、一度も笑う事のなかった結愛が、笑った。


 ——笑って、しまった


 空の赤が、黒に溶けてゆく——溶けゆく空に、幸せな笑い声が吸い込まれて、


「お腹、すいたのです」

「今夜はから揚げみたいですよ、結愛ちゃん」

「やったのです!」


 その笑顔は、キラキラしていた。


 ——日々は過ぎてゆく

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