06. Into the deep blue

「あー、やっぱり広まってるね」

 夜、複数のダンボールが転がっている部屋で、パジャマ姿の羽月は机の上に置いたノートパソコンを弄っていた。画面には匿名掲示板に貼り付けられた刹華の画像が映し出されている。

「しばらくすれば飽きられるだろうし、知ってる人がこの画像を見ないと誰だか分からないレベルだろうから、大人しく様子見かな。これから、あんまり考え無しにレッダーの力を使わないようにね。この時もいい加減に使った訳じゃないんだろうけどさ」

 刹華はジャージにTシャツでベッドに座ったまま、面倒臭そうにその様子を眺めていた。指名手配犯を捕まえようとしていたら、刹華自身が逆に指名手配まがいのことをされている。よく分からない話だと思いながらも、まあ仕方ないと諦め気味なのは二人揃って同じ気持ちだった。

「お前って器用だよな。パソコン使えるみたいだし」

「……君が結構重度の機械音痴なのは分かった。いつか困る時が来る前に、少しは触れるようになることをお勧めするよ」

 渋い顔の刹華をよそに、疲れた羽月は背伸びをしながら椅子と共にくるくると回る。回りながら、羽月は思い出した。

「ところで、君って何が出来るの?」

「あ? あたしが何もできないって言いたいのかよ」

「そういう意味じゃなくて、レッダーとしてどんな能力を持ってるかってこと。元の絶滅した動物によって能力は違うみたいだし、何が出来るか分かれば見た目と合わせて何の動物か推察出来るし、それが出来たら気づいてない特性も分かるかもしれないでしょ? ほら、犯人探しに役立つかも」

 自分の能力の元になっている動物など、刹華は考えたこともなかった。そんな彼女にとって、そのような思考の道筋が存在するとは今まで思い付きもしなかった。

「ええっと……とりあえず運動能力は普通の人間には負ける気はしねぇな。力とかもそこそこあるし、爪は生える……あと、鼻は利くぞ」

「……鼻が利くなら、なんで腐ったおにぎり食べようとしてたのさ」

「仕方ねぇだろ。意識しねぇと働かねぇんだから。それでも普通よりは利くみたいだけどな」

 羽月はなるほどなるほどと言いながらパソコンに記録していく。

「その鼻が利くっていうのは、具体的にはどのくらい? 例を出してくれると把握しやすいかな」

「そうだな……本気出したら、今からお前が寮の何処かに隠れたとして、それくらいなら迷わず捕まえられそうな気はする。ただ、あんまり試したことねぇし分からねぇな」

「ふうん。なんだか警察犬みたいだね」

「誰が犬だ。嚙むぞ」

「ハイハイ怖いですね。あ、もしかして火神の匂いとか追えたり……しないね。火神の匂いが分からないか」

 露骨にがっかりする羽月と、羽月が今後どうするつもりなのかを考える刹華。そんな思考を羽月は先回りする。

「まあ、しばらくはネットで情報収集かな。土日は目撃情報があった場所を探すから、ちゃんと空けといてね。空けられない時は事前に連絡すること。いい?」

「へーへー。じゃあ寝ていいか? まだ何かあるなら……」

 言いかけたところでふと、刹華は朝のことを思い出した。

「……なあ、お前って鳥か何か飼ってたのか?」

 黒くて大きな濡れた羽。それが何を意味しているのか、未だに解明出来ていなかった。

「ん、なんで?」

「こいつだよ。なんでこんなもんが落ちてんだって思ってな」

 刹華は部屋の隅に落ちていた羽を拾い、それを羽月に見せた。時間が経過したからか、湿気は既に乾いていた。

「……なんだろうね。カラスでも侵入したのかな」

「そんな記憶はねぇし、そもそもカラスのものにしてはデカい気がする」

 羽月は少し考えてから、

「何かは分からないけど、何かの拍子に私のタオルか何かに挟まってて、それがタオルを使った時に落ちたとか? 私、今朝シャワー浴びたし」

 と、仮説を提示した。何か引っかかるような気はしたが、そこに刹華か否定を差し込む余地は無かった。

「……まあ、ここにあるんだから何考えても無駄か。寝る」

「了解。あっ、羽をその辺に捨てるな! ちゃんとゴミ箱に入れろ!」

「……っせえな。分かったよ。捨てりゃ良いんだろ」

 捨てた羽を再び拾うと、刹華はそれをゴミ箱へと落とすように入れた。

「まったく……そういう変な癖、直して貰わないと困るからね」

 羽月の苦言に刹華は応えず、毛布に包まり黙り込んだ。




 迎えた次の日の朝、耳に突き刺さるような騒音で刹華は跳ね起きた。絶え間無く鳴り続ける耳障りなベルの音。その発生源は、刹華の目覚まし時計の横に置かれた見知らぬ銀色の目覚まし時計だった。咄嗟にベルを止めようとしたが、上部にアラームを止めるボタンではなくベルがついているタイプの目覚まし時計を使った経験が刹華にはなかった。結果、しばらく格闘してみたが止める方法が分からず、後ろから電池を外すことで事なきを得た。些か無理矢理ではあったが。

 荒ぶる心拍が落ち着いてきた頃に、やっと刹華の頭が動き始める。

「あいつか……」

 犯人は一人しかいないのだが、ベッドの上を確認しても彼女はいない。大方、遅刻しないようにと要らぬ気を回したのだろうと推測しながらも、寿命が縮みそうな思いをしたことに対する恨みが湧き上がる。自分の目覚まし時計があるのだから、こんなものは要らない。そこまで思った時に、ふと思い返す。昨晩は不貞腐れるように毛布に包まり、そのまま眠ってしまっていた。つまり、アラームを仕掛けていなかった。

「……」

 時計を確認すると、七時三十三分。自分でアラームを準備しなかったのが悪いというのも正論かもしれない。刹華は動かなくなった目覚まし時計を犯人の机に置きながら、まだ言われてもない言葉についてそんなことを思う、金曜日の朝。




「悪かった」

 朝から一言も言葉を交わさなかった刹華と羽月だったが、ホームルームが終わってからやっと口を開いた。

「……どうかした?」

 羽月は思いもよらない言葉をかけられ、頭上に疑問符が飛んでいる。

「目覚まし時計、昨日仕掛け忘れてた。気を遣わせてしまったな」

「そんなことで謝るの? なんか意外。メチャメチャうるさいアラームだから、逆ギレされると思ってた」

「愉快犯かよ」

「でも、あれ私が使ってたやつだよ。一発で目が覚めたでしょ」

「お陰様でな。うるさ過ぎて若干殺意が湧いたけど、それもお門違いだった。悪かったよ」

「ちょっとやめてよ。こっちが申し訳なくなってくるじゃない」

 荷物をまとめるついでに、羽月は顔を逸らす。

「これからは、真面目に授業を受けるよ。お前に迷惑かけたくないしな」

「ああ……今日は居眠りが少なかったみたいだけど、そういうこと?」

「よく見てんな、お前」

 刹華は呆れるように天井を仰いだ。

「……今の、本当の本当ー?」

「うわっ! い、いきなり後ろに立つな!」

 刹華の後ろで、葛森ゆうりが目を丸くしていた。

「せっちゃん、変なもの食べてない? 大丈夫? お昼のお弁当のおかずに変なもの入れてないよ私」

「……食い気味に問い詰めるんじゃねぇ。何もヤバいもん食ってねぇから」

「すごいよはーちゃん! 私が何回言っても聞いてくれなかったのに。こんな短期間でせっちゃんをやる気にさせて、私、私……」

 ゆうりは感極まって泣きだしてしまった。

「……葛森さんって、こんな感じなの? おっとりさんだと思ってた」

「こんだけ興奮してるのは、あたしも初めてだ」

 ゆうりと二人の間には、温度差の壁が出来ていた。その差は最早誤差とは呼べなさそうである。

「じゃあ今夜はお赤飯だねー! 今から帰って作ったらお部屋に持っていくねー!」

 ゆうりはそのまま、涙を拭いながらごきげんな様子で下校していった。

「ほんと、気持ちを無駄にしちゃ駄目だよ? 特にああいう純粋無垢な子の」

「……逃げ場を塞がれた気分だ」




「……と、そんな訳だから、明日は未明から捜索に出るからね。日曜の夜はバイトらしいけど、私は一人で探すから」

「未明ってなぁ……まあ、夜に動きそうなのはわかるけどよ」

 校舎の中を歩きながら、刹華は羽月にぼやく。

「私は二時から行こうと思ってたのに三時まで妥協したんだから、ちゃんと起きてよね」

「へーへー。終わったら死んだように寝るからな」

「……信じていいのか不安。ところで、なんで真っ直ぐ帰らないの?」

 刹華が下校する時には、少し特殊なルートを使う。特別教室があるフロアを通りながら、少し迂回気味に靴箱へと向かう。

「今は人が多いからな。人混み、嫌いなんだよ」

「ん、昨日は普通に帰らなかった?」

「昨日は無理矢理靴箱に直行させただろ。引っ越しがあるとか言って」

「ふうん……」

 他人事のような羽月に若干腹が立ったが、いちいち羽月に噛みついても仕方がないと、刹華はここ数日で学んだ。

「しっかし、本当にやる気かよ。未だに正気の沙汰とは思えねぇぞ」

「思えなくてもやるの。私達は明日の明朝、絶対に勝ち取るの。お金の為だもの」

 どうやったらそんな固い決意が出来るのか、尋ねてみたいもんだ。そう刹華が口にしようとした時、事件は幕を開けた。

「……ちょっと、あんたたち。今の聞き逃せないんだけど」

 声のする方へと振り返ると、金属製のキャリーケースと、極彩色の髪をした女生徒が立っていた。

 霧山美里。その名を持つ女生徒は、何故か二人に敵意を向けている。明確に。

「……どうしたの? 何か怒ってるみたいだけど」

 何が起きているか分からず、会話を試みようとする羽月は、そんな言葉を選んだ。

「怒ってるみたい? 怒ってるみたいじゃなくてさぁ……」

 だが、そのチョイスは失敗だった。怒気を放ちながら近づいてくる美里から後退るも、そのペースが遅過ぎる。

「ブチ切れてんだよォォォォ!」

 抜刀術のように、美里は突然羽月目掛けてキャリーケースを振り抜いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る