04. Into the new life

 朝。耳障りな電子音が遠くから聞こえてくるような気がして、刹華は目をゆっくり開けた。寝ぼけ眼で枕元の目覚まし時計を確認すると、八時四十五分。午前七時半に目覚まし時計をセットしている彼女にとって、なかなかの大遅刻だと言える。朝のホームルームもとっくに始まっている時間だ。ただ、遅刻については然程珍しくもないので、こんなにも大幅に寝坊してしまった理由の方のみを、顔を洗いながら考える。考え始めてすぐに、昨夜ベッドの上段に横たわる気配を感じて眠れなかったことを思い出す。

 烏丸羽月。同じ部屋に住むことになった転校生。そういえばとベッドの上を確認してみる刹華だったが、そこに羽月の姿を見つけることは出来なかった。どうやら、先に登校してしまったらしい。

 部屋の中には羽月の荷物らしきものがちらほら置かれているが、本格的な引っ越しは今日らしく、当然その量は少ない。それでも、自分の部屋によく分からない存在が並んでいることに、既に刹華は若干のストレスを感じていた。何者かによって縄張りに侵入された獣も、こんな風に感じるのだろうかと考える。考えるだけで、その答えも発展性も皆無なまま、昨日の約束を思い出す。

 指名手配犯を捕まえる。今更ながら、成り行きとはいえ厄介事を請け負ってしまった気がする。刹華の認識はこのようなものではあったが、請け負ってしまったからにはやらねばならないとも思っていた。ただ、主体として動くのも違うだろうという認識もある為、羽月の出方を見るのが得策だろうと結論付けた。

 頭の中が纏まったところで、ジャージから制服への着替えが終わった。恐らく教師から𠮟られることを思うと憂鬱になる刹華だったが、賞味期限切れのおにぎりが入ったビニール袋と鞄を持ち、渋々部屋から出ることにした。

 ドアに向かう途中、シャワールームの前に落ちている不審なものを見つけ、刹華は立ち止まった。

「……ん?」

 拾い上げて見ると、それが何かは明白だった。

 羽。それも真っ黒な。先端にインクを付ければ立派なペンにでもなりそうな、一本の羽。羽毛の部分を撫でてみると、少し湿っているような気がする。当然、この部屋で鳥など飼ってはいないし、寮の中で飼われているという話すら聞いたことがない。そもそも、衣類にくっついてくる類のものですらない。

「まあ、いいか」

 程なくして、刹華は思考を諦めて黒い羽を放り投げ、登校する為にエンジニアブーツを履き始めた。




「あのさ、せめて遅刻しないでくれないかな」

 昼休みの開始と同時に、それまで黙っていた烏丸羽月は口を開いた。

「遅刻はするし、授業中も寝てるし……転校早々、同室の君を起こすように頼まれるって何事だよ。どれだけ不真面目に学生してるの。授業中に先生から向けられる呆れと哀れみの眼差しを、何とも思ってないワケ?」

「お前はあたしの保護者か」

 余計なお世話だと、刹華は面倒臭そうに突っぱねた。

「私だって、こんなこと言いたくて言ってるんじゃないの。火の粉が飛んでくるからやめろって言ってるんだよ。明日から、私の出る六時半に起こすからね」

「それは流石にお前の身の安全を保証できねぇぞ。あたしは寝起きが滅茶苦茶悪いからな」

「……なんで威張ってんのよ。怒られてる立場なの、ちゃんと理解してる? 私は怒ってるの。君は怒られてるの」

 ぎゃあぎゃあと言い合っていると、そこにとある人物がトコトコ歩いてきた。

「二人とも、早速仲良しになったんだねー。私なんか、せっちゃんと仲良くなるのに一年かかっちゃったのにー」

 葛森ゆうりだった。二人の口論を微笑ましそうに眺めている。

「どこをどう見たら仲良く見えるんだよ。こいつにギャーギャー言われる身にもなってみろよ」

 刹華が面倒臭そうに異を唱えると、

「でも、遅刻と居眠りは烏丸さんの言う通り、いけないことだよー。めっ」

 と、ゆうりには珍しく刹華を咎めた。

「あ、はじめまして烏丸さん。葛森ゆうりだよー。よろしくねー」

 ゆうりはマイペースに自己紹介をする。反論する隙を失わせるようなその様子に、刹華はそっぽを向いた。

「よろしく、葛森さん。名前を覚えてくれててありがとう」

「えー、だって話題になってるんだもん。初日で勉強してきてない小テストで満点とったりー、今日の体育のバスケで大活躍だったりー。『文武両道の優等生が転校してきた』って、みんな言ってるよー」

「そんなことないよ。小テストは偶然だし、バスケはチームのみんなのおかげだね」

 楽しそうに話す二人に、刹華はほんの少しの苛立ちを感じていた。というのも、刹華自身の小テストの結果はいつも通り散々で、バスケに関しては味方のエースである栄花リオンとのチームワークが壊滅的で、その上に相手チームの羽月に散々掻き回されたからというのもある。そしてそれ以上に、羽月が猫を被って愛想良く立ち回っている事が刹華を苛々させていた。自分には脅しをかけながら近づいてきた癖に。

「ねー烏丸さん、お昼一緒に食べない? 勿論せっちゃんも一緒にー」

 そんな事を気にもしていないかのように、ゆうりは羽月を昼食に誘う。

「あたしはいい。一人で食べる」

 刹華はそっぽを向いたままピシャリと断った。

「えー。せっちゃんも一緒に食べようよー。おかず、分けてあげるよー?」

「いらん。おにぎりがある」

 意地を張っているのは、他の二人から見ても明らかだった。

「そのおにぎり、賞味期限切れでしょ。しかも卵かけごはんのおにぎりに関しては、ありえない規模で切れてる。ちゃんと分かってる?」

「あ?」

 羽月の指摘により、刹華は思わずビニール袋を取り出し、中の卵かけごはんおにぎりを確認する。それは確かに賞味期限が二週間前を示しており、匂いを包装の上から確認しても不快な気分になる代物だった。どうやら、持って帰る際に手違いがあったようだ。

「……なんで知ってんだよ」

「朝、君がグースカ寝てる間に確認したの。廃棄の食品を持って帰るにしても、もっとマシなもの持って帰りなさいよ。体壊したらどうするつもり?」

「そんなの、お前に関係……」

 直後、関係あったことを思い出す。羽月とは同室で、しかも彼女がやろうとしている事を手伝うと言ったばかりだった。

 刹華は、思わず黙ってしまった。

「……ま、分かればいいんだけどね。だからおにぎりを少し多めに作ってきたし、分けてあげる」

「わー。烏丸さん、できるお嫁さんみたいだねー」

 お嫁さんというゆうりの発言に対しては、二人揃って複雑な気持ちになる他なかった。




「いただきまーす」

「いただきます」

「……いただきます」

 屋上に響く不揃いな食事の合図は、彼女達の微妙な距離感を表しているようだった。

 羽月からはおにぎりを、ゆうりからはおかずを分けて貰うことになった刹華にとって、今日はかなり豪華な昼食だった。ただ、ゆうりはともかく、羽月から食べ物を貰う行為については餌付けでもされているのではないかという疑念があり、刹華の持つ割り箸のスピードは速くなかった。

「そういえば烏丸さん、この街にはもう慣れたー?」

 鳥の唐揚げを齧りながら、ゆうりが羽月に質問する。

「……三田ヶ谷に来て二日だから、流石にまだ慣れてないかな。学校と寮とその周辺を少しだけ覚えたって感じだね。葛森さんはオススメスポットとかあったりする?」

 頭の悪そうなことを聞くゆうりに若干呆れながらも、羽月が聞き返す。

「んー、もう少しでマルサがオープンするらしいけど、中のお店を詳しく知らないんだよねー。オープン記念で安売りとかするんじゃないかなー。あ、二年坂のバリーズとかいいよー。落ち着けるし、あそこだけの限定メニューがあったり、新メニューの先行販売とかあったりするんだー」

「ちょうど昨日行ったよ。確かにいい雰囲気だったし、新メニューも美味しかったね」

 デパートの開店や甘いものの話題で盛り上がる二人を眺めながら、刹華はゆうりの弁当箱からウインナーをつまんだ。タコの形に切られており、マメな奴だなぁと思いながらそれを咥えた。

「ん。タコさんウインナー、それ自分で作ったの? かわいいね」

 羽月はそれを目ざとく発見し、話題として提示する。

「そうだよー。こういうの、作ってたら楽しくなっちゃうんだー。こっちはカニさんでー、こっちは薔薇。ついつい作り過ぎちゃうから、余りを冷蔵庫に貯めこんでたりしてー」

「私はあんまり見た目に拘らないね。自分で食べちゃうし。ほら、おかずが二色くらいしかない」

 茶色い弁当を自虐する羽月、それをフォローするゆうり。刹華は同い年の二人を眺めながら羽月が別途作ったおにぎりにかぶりつき、年頃の女の子は楽しそうだなぁと心の中で呟いた。

「そういえば、最近この辺って結構物騒みたいだけど大丈夫なの? ほら、レッダーの暴力事件とか」

 羽月がおもむろに振った話題に、刹華はむせてしまった。

「だ、大丈夫? せっちゃん、ゆっくり食べていいんだよー?」

 背中を撫でるゆうりと落ち着こうとする刹華を見て、羽月は呆れるような目をしていた。

「……レッダーって、確か絶滅危惧種の最後の個体が死ぬ時に、一人の人間に対して意志を託すように人間に変異が起こるんだよね。科学的なメカニズムはまだ解明されてないとかで、予測では日本におよそ三千個体いるとかなんとか、らしいよ」

「へぇー、烏丸さん詳しいねー」

「ちょっと調べたからね。この街でそんなのが暴れまわってるなら、警戒しなきゃいけないでしょ? 凶暴な性格のやつも多いらしいから」

 凶暴などと言われている身としては、隙を見てぶん殴ってやろうかと思う刹華だった。

「でも……レッダーの人って、本当に凶暴なのかな」

 そう呟くゆうりの口調に、二人は違和感を覚えた。

「どうしてそう思うの?」

 羽月が聞き返すと、ゆうりは我に返ったような様子で、

「あ、ううん。何でもないよー。ただ、なんとなくそんな気がしただけー」

 と、お茶を濁してしまった。

「私ちょっと課題残してたから、先に戻っちゃうねー。せっちゃんはゆっくり食べてていいからねー」

 ゆうりは自分の箸だけ仕舞うと、トコトコと屋内へと戻っていった。

「……テメェ、どういうつもりだよ。あたしのことをわざと引き合いに出しやがって」

 刹華がそう突っかかるも、羽月はすました様子だった。

「物事を誤魔化すの得意かどうか、ちょっと試しただけ。君、意外と正直者だよね。嘘つくの下手そう。ガラ悪い癖に」

「ガラ悪いは余計だ。そして試すな」

「あと、君がレッダーだってことを彼女は知ってるのかなって思って。さっきの感じだと、知らないみたいだったけど」

 食えない奴だと思いながら、刹華は溜息をついた。

「教えてないんだから知らねぇよ。それに、そんなことあたしに直接聞けばいいだろ」

「嘘が下手って情報は今まで無かったからね。今後は聞くようにするから、ちゃんと答えてくれると私としても助かるよ」

 こいつはあたしのことを信用してるのか、それともしてないのか。そう思うと、刹華としても過度に信頼することが得策ではないように思えた。

 それでも、肝心な時には信じてしまうんだろうなと思いながら。

「そういえば、昨日出された課題はちゃんとやった? 葛森さんが言ってたの、多分あれでしょ?」

「……やってない」

 この後、昼休みが終わるギリギリまで二人は口論を続けることになった。

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