第18話 Route666➂

(1)

 

 アレックスに家まで送ってもらう道中、張り込みをする警察の姿をあちこちで見かけた。今日は『警戒』の日だ。だから、帰宅早々、赤い豆電球を点けるために二階へ急ぐ。階段を半分まで登ったところで呼び鈴を鳴らす音が聞こえ、次いで、あたしへのの呼び声に全身が震え上がった。


「すみません、『テイタム・キャッシュ』さん。スウィントン署の者ですが……、ちょっとお話を伺わせて頂きたいのですが……」


 警察が家にくるのは、もうすっかり慣れ切っていたしそこは問題じゃない。


「いるんでしょ、テイタム・キャッシュさーん??」


 

 あたしはテイタム・キャッシュなんかじゃない。

 フランシス・キャッシュなんだ。


 今すぐ玄関の扉を開け放し、警官に向けて思い切り叫び散らしてやりたいのに。

 あたしは階段の手すりに手をかけたまま、足が竦んで身動き一つ取れず、声を上げることすらできない。外からは警官が『テイタム・キャッシュ』さんと、何度もしきりに呼びかけてくる。


 あぁ、あんまりその名を呼ばないでおくれ。

 周囲の人にまで疑いの目を持たれちまうじゃないか。


 これ以上、テイタムの名を呼ばれたくなくて、あたしは鉛のように重たい足を一歩、二歩、と、ずるずると引きずって階段を下りていく。

 けれど、居留守を使わなかったこと、玄関の扉を開けてしまったことを、あたしは後に激しく後悔する羽目になった。





(2) 




 ―テイタム・キャッシュさん、貴女、フランシス・キャッシュという偽名を名乗り、一年程ここスウィントンで生活しているそうだな。

 貴女の本名はテイタム・キャッシュ。

 同ヒュージニア州ショーシャーナの農家出身で旧姓ベイカー、二十九歳。

 十九歳の時、近所の煉瓦職人の三男フランキー・キャッシュと結婚。

 夫フランキーは出稼ぎで滞在していたアリスタット州にて複数の強盗事件及び銀行を襲撃、更には殺人未遂の罪により懲役三十年の刑に服している。

 夫が収監されてからは、実家のベイカー家に戻って母親と二人で暮らし、ダウンタウン・ヒュージニアの食堂で賄い婦として働いていた――





「――で、その食堂でロイ・フェルディナンドと知り合ったそうだね??」


 薄汚れた冷たいコンクリの天井から吊り下げられた、小さな電球の真下。

 あたしはパイプ椅子に座らされ、白髪が目立つ刑事と机を挟んで向き合っている。


「食堂の若いウエイトレスの証言によると、ロイは初めてこの食堂に訪れた際、賄い婦である君に高額なチップを払っていった、と」

「…………」

「黙秘を貫くつもりか??」

「…………」

 あたしは刑事の、猛禽類を思わせる鋭い眼光を避けるべく、彼からそっと視線を外す。

「話の続きだ。貴女が奴に車で連れ去られる現場を、食堂の店主の末娘がアパートのベランダから目撃していたそうだ。その時は、まだ三つの幼子の言うことだから、と、誰も取り合わなかったらしいが……」

「…………」

「だが、貴女の母親が警察に捜索願を届け、ショーシャーナはおろかダウンタウン・ヒュージニアを始め、近郊の街で君の行方を捜すためにビラを配る姿に周囲も感化され、店主の娘の発言を見直すことになった矢先――、ロイ・フェルディナンドとサンディ・ハッチャーの逃亡劇が始まった」

「…………」

「これは最近発行された、とあるゴシップ誌の記事だ」

 刑事は調書の下に置かれていた一冊の雑誌を取り出し、栞を挟んだ箇所のページを開いてみせた。

「…………!!…………」


 そこには、サンディの交友関係を赤裸々に書き連ねた内容と共に、働いていたカフェのカウンター席に笑顔で座るあたしとサンディ、化粧品の宣伝ガールを務めたポスターと、二枚の写真が掲載されていたのだ。


「記事の内容はどうでもいいんだよ。たまたま、この記事を目にした貴女の母親が『これは失踪した私の娘だ』と騒ぎ出してね。そこでショーシャーナ署の者達と協力し合って貴女の居所を突き止めたんだ」

「…………あたしを、逮捕する、の??」

「いや、身分詐称して金銭を騙し取ったり、医者や弁護士等資格の必要な職業についている訳ではないから、罪には問われない」

「……じゃあ、何だってのよ?!」


 頭の悪いあたしには刑事が何を目的にしているのかが全く読み取れない。

 明らかに動揺を見せ始めたあたしを、刑事はどうどう、と自らの分厚い胸の前に両手を拡げ、宥めすかせようとしてくる。


「貴女さえ捜査に協力してくれるなら……、夫のフランキー・キャッシュを恩赦で仮釈放できるよう、働きかけよう。幸い、彼は模範囚だそうだし、交渉次第では実現可能だろう」

「…………」

「何なら、彼の働き口も与えてやってもいい。だから」

 刑事の瞳に刃物の先端を思わせる、尖った光が宿る。

「……あの二人に関して、お前の知っていることを、洗いざらい全部吐くんだ!!!!」

 

 刑事はそれまでの穏やかな態度を一変させ、机に固く握った拳を力一杯叩きつけた。

 バン!!!という大きな音と叩いた時に生じた僅かな風圧のせいで、頭上の電球が小刻みに揺れる。


「まだだんまりを貫くつもりか?!いいだろう!!それならば、こちらもそのように対応させてもらうからな!!!!」


 これだから、すぐに大きな声で怒鳴り散らす男は大嫌いなんだよ。

 声を張り上げて脅しつけさえすれば、相手が必ずや屈服すると信じ切っている傲慢さはもっと嫌いだ。

 内心、あたしは刑事に対して鼻白み、濃緑の瞳に侮蔑の色を混ぜて彼を見上げてみせる。

 しかし、心とは裏腹に、あたしの足は迫り来る恐怖によって、がくがくと大きく震えていたのだった。






(3)


 絶え間なく続けられる恫喝。

 何度となく繰り返される、脅迫まがいの尋問。

 その度に何度となく答えた言葉を告げるが、ほんの僅かな言い回しの違いにすら、揚げ足をとっては食い下がってくる。


 さすがに直接暴力を振るわれはしないものの、四方の壁を無機質なコンクリ壁で囲われた狭い部屋の中、休む間もなく老練の刑事からの執拗な言葉攻めを受けるあたしの精神は削り取られていく一方。

 時計が一つも置かれていないので、今が何時なのか、朝なのか昼なのか夜なのかも全く分からない。ここに連行されて何日経過したのかすらも。

 すっかり時間と曜日感覚が麻痺してしまったことが、あたしを益々持って追い詰めていく。


 やがて、憔悴しきったあたしの様子が哀れに見えてきたのだろうか。

 面前に座る刑事の目付きと口調から険しさが解け、代わりに労わるように優し気な、それでいて気色悪い猫撫で声へと変化していく。


「なぁ、キャッシュさん。あんたが今、俺から厳しい尋問を受けているのは全部ロイ・フェルディナンドのせいだ。大体、あんたは奴に誘拐されたと言うのに、何故今まで黙って泣き寝入りしてきた??あいつに報復したいとか一切思わないのか??」

「…………」


 あたしはゆっくりと首を横に振る。

 ロイに一矢報いたい気持ちはあるけど、そうなるとあいつと一蓮托生のサンディまで裏切ってしまう。

 刑事は、お手上げ、とでも言うように、わざとらしく肩を竦めてみせる。それきり、刑事は胸の前で腕を組み、黙ってしまった。




 どのくらい沈黙が続いただろうか。




 実際の時間に換算すると、ものの数分程度かもしれない。でも、あたしにとっては何時間も経過したみたいに思えた。


「……今日の所はここまでにしようか……」

 唸るような低い声で刑事は呟くと、席を立つよう顎で促してみせる。

「……今日、って、どういうこと……。今は一体、何時……」

 よろよろと椅子から立ち上がるあたしの問いに、刑事は袖を捲って腕時計で時間を確認する。

「今は、夜中の二時半だ」


 てっきり、とっくに朝を迎えていた、もっと言えば、何日も経過していたと思っていたあたしは疲れを湛え、思わず目を丸くした。


(…………早く、家に戻らなきゃ。万が一、サンディが家に来てしまっていたら……)


 きっと、あたしが口を割らなかったことで、家の周辺にも警察が厳重な張り込みを開始するだろう。ロイが銃殺される分には構わないけど、サンディは……。 


「ほら、ぼさっとするな。さっさと部屋を出て玄関に向かうんだ」


 考え事に耽っていたあたしを刑事は横目で睨みつけてくる。刑事の尊大な態度を苦々しく思いながら、照明が半分以上落とされた署内から玄関へと向かう。

 刑事は署内ですれ違った若い警官に、あたしを家まで送るよう伝えてその場を離れて行く。そのまま警官の後をついて行き、さほど広くない駐車場に止められていた白いシボレー(警察車両)に乗せられ、星も見えない暗闇の中、田舎道を走り抜けて帰宅の途に就いた。

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