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 明朝。

 白い朝霧が眺望を遮る中、マルシレスラは浴衣よくいを纏い、巫女用の沐浴場で一人禊をしていた。


 早朝の禊は巫女の日課だが、今朝は常にも増して早い。日頃は濡らさぬように巻き上げておく、腰まで伸ばした長い髪まで水に浸したせいで頭が重かった。

 どれだけ水に晒しても、もはや真白くはならない気がする身体を仰向けに倒して、無気力に水面に浮かべていると、立ち入る者の限られたそこに、ひたひたと足音が近づいてきて、続けてぱしゃりと水に入る音がした。


「姉上様、昨夜は――」

「言うな!」

 マルシレスラは水底に足を着けながら、こちらもまた、いつもより早くにやって来た、巫女嗣みこつぎリテセラシアに浴衣が貼り着く背を向けた。


「わかっているなら言うな! せっかく頭を冷やしたのに、また思い出してしまうじゃないか!」


「頭を冷やさねばならなくなるようなことを何故なさったのです? 間接の間接であったのに翻弄されてしまって……、我が身は清いはずなのに、凌辱されたような気分です。アルセイアスの顔をまともに見られる気がしません!」


 怒りと恥辱で顔を赤くして、リテセラシアは唾棄するようにそう言った。珍しく度を失ったリテセラシアの手振りに合わせて、撥ね上げられた大小の飛沫が散る。


「全く……、双子というのは難儀だな。決して誰にも知られたくないような、秘め事までもが筒抜けだ。殊にお前は敏すぎる。そのくせ自分を閉じることは得意で、我にはめったに心を漏らさぬくせに、不公平もいいところだ」


「好きで敏いのではありません。昨夜のようなことは、私とて経験したくありませんでした。大神の花嫁と呼ばれる身で、何という淫らな真似を……!」


 喧々と小言を連ねるリテセラシアを振り返り、マルシレスラは妹めがけて両手で水を浴びせかけた。


「姉上様!!」

 子供染みたマルシレスラの反撃に、リテセラシアは声を荒らげた。とっさに庇った顔の前から、リテセラシアが濡れそぼった腕を下ろすと、マルシレスラは一瞬だけ合った視線を伏し目にして外した。



「望んで大神に嫁したわけじゃない。先代様からお教え頂いた、禁断のお愉しみというやつだ。周囲が期待するほどに我は……、ひょっとしたら、歴代の巫女方も、清浄ではなかったということだよ」


 濡れた髪を掻き上げ梳き流しながら、マルシレスラはそう白状した。開き直ったマルシレスラの、耳を疑うような発言に、リテセラシアは愕然とした。


「だから、セリアを、アルセイアスに娶わせたのですか? 魂を依り憑かせる巫女の目として、誰よりも姉上様に馴染むあの子を――」


「否定はすまいよ。姉妹の中で一人だけ異眸に生まれたセリアに、だからこそ授けられる使命を負わせることで、我やラシアに対する劣等感を、拭わせてやりたかったというのは言い訳だろうな」


「むごいことを、姉上様は……。昨夜のことで、セリアは姉上様のお心を察したでしょう。次代の巫女や【知】シルヴの長の候補を産む役割など二の次で、常処女とこおとめでならねばならない姉上様の、身代わりに寵を受ける器として、姉上様が思慕する相手に差し出されたのだと……」


「そうして優越も得ただろう。我が疑似的に、おこぼれに与かるしかないものを、セリアは直にその身で受け止めることができるのだと。誰にも一歩も引かぬ気持ちで、セリアはとうにセイアスを好いているよ。

 昨夜は……、我とてさすがに不味いと思って、程々のところで抜けるつもりが、思いがけずセリアに囚われた。ここまで五感を共有したならば、果てまで覚えていけと言わんばかりに……。

 もう二度としない。この身に今も残されている気がする、悦びも温もりも、痛みすらも全てセリアのものだ。こんな空虚な思いを、重ねてゆけば気が狂う――」


「姉上様……」


 らしくもなく自嘲し、弱音を吐くマルシレスラを目にしながら、リテセラシアは意を決した。大神の花嫁には、禁じられた情念を持て余している姉を、楽にしてやれる方法が一つだけある。


「譲られませんか? 御位を。それほどの想いを抱えておいでなのならば……。私とて、長らく巫女嗣と呼ばれる身。先代様の時代から、その覚悟はございます」


「は――。それでお前はこの我に、今さらただの女へ成り下がれと言うのか? 妹を含めた他の妻たちと、実を欠いた男を分け合い、数夜に一度の妻問いを待つ」


「そうです」


 夜を過ごし肌を重ねる多数の中の一人になるのと、きぬさえも触れ合えぬ唯一人の主のままであるのと、どちらが幸福なのだろうか?


 なれど、瞳の色が役割を分けるアテンハルダの里で、最も貴ばれる【心】イオスの同眸に生まれ、幼い頃から重責を担わされてきたマルシレスラの判断は、通常の女の幸福とは、大きくかけ離れたところにあった。



「『巫女にはリテセラシアの方が向いている。しかしおびとに就けるには、マルシレスラでなくてはならぬ』忘れたわけではないだろう? 我ら双子を共に巫女嗣としてこられた先代様が、最終的に我を後継へとお選びになられた時のお言葉だ。

 自分でもわかっているのだろう? ラシア。保有する力も、その心根も、大神の花嫁に相応しいのは確かにお前だ。だが、大事な局面で倒れてしまうようなお前に、里の首が務まるものか」


「それは……」


「おまけに、我のような愚者の行いはせぬまでも、胸の内に大神ではなく、人の男を住まわせているのはラシアとて同じだろう。他者はともかくとして、我にお前の忍びの恋が、ばれていないとでも思っていたのか? 我よりも早くに恋初めたお前が、我よりも清らかであると胸を張って言えるのか?」


 思いの外厳しい追及によるマルシレスラの棄却に、リテセラシアは何一つ反論できずに唇を噛んだ。

 なんだ知られていたのかという脱力からか、もはや隠す必要はないのだという安堵からか、抑えていた感情が一息に噴き出して、リテセラシアの全身をわななかせる。


「なんて――、な」


 マルシレスラは包容豊かに頬を崩し、長時間の水浴で冷えた身体で妹を抱いた。甘え下手なリテセラシアは、姉に縋りつくこともなく棒立ちになったままだった。


「優しさだけ、ありがたく頂戴しておく、リテセラシア、愛しい我の半身。お前まで、空疎な神の花嫁でなくていい……。

 慕う男がいるのに、しかもこんな折も折なのに、醜い我欲に付き合わせて悪かった。お前がずっと、胸が潰れそうな気持ちでいるのは伝わっている。何事もなく――ということはなかろうが、無事に帰って来るといいな」

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