7 文明人
キーボードを叩く音が聞こえる。ショウタロウは自室で机に向かって無骨なパソコンを操作していた。
作っていたのはメールのようでちょうど完成したようだった。
ショウタロウは宛名を見て、行き先が編集部であることを確認した。添付したファイルの方も確認したし、文面に誤字脱字は見られない。
「………よし、送信と……」
エンターキーを叩くと画面にバーが出現し、バーの中を青が満たしていく。青が完全に満たされると、画面には送信完了の文字が映されていた。
その時、扉をノックする音がした。
「おーいショウタロウ。終わったか?」
扉が開きラピスが青い髪を揺らしてひょっこりと顔を覗かせた。そして、部屋に入ってくる。
「ああ、ちょうど終わったよ」
ショウタロウはパソコンの電源を落としてラピスの方を振り向いた。
ラピスは机のパソコンをまじまじと見た。
「それがパソコンか。思ってたよりも小さいな」
「持ち運びのできる小型のやつだからね」
ショウタロウはコンセントを抜いてコードを巻きとり、まとめた。そして本体と共にちょうどそばに置いてあった鞄に詰めた。
ショウタロウの鞄は使い込まれていてすこし古いものだった。
「持ってって使えるかどうかわからないけどね。でも編集のほうとかと連絡取るにはこっちじゃないと細かいことできないから」
パソコンを鞄に入れる時に持ち物をざっと確認した。特に忘れ物はなさそうだった。あっても現地で何とかなるだろう。
ショウタロウは鞄を背負い、ラピスと共に部屋から出た。
部屋の外はあまりにも殺風景だった。テレビや飾り棚などは売るなどをして処分してしまい、あるのはダイニングテーブルと椅子だけになっていた。
元々から殺風景だったが更に殺風景になった部屋でジルが待っていた。ただ窓の外を見ていた。
すぐにジルがこちらに気づいて振り返った。
「準備できたか?」
ジルがそう言うと、ショウタロウは頷いた。
「まさかここでも連れてって、って言われるとはな………」
ジルは腕を組んでそう呟き、ショウタロウとラピスをまじまじと見る。二人は顔を見合わせて笑った。
先日、スラムから帰宅してからショウタロウが思いついたいいことについて尋ねた。
なんとその内容は護衛としてジルを雇うということだった。ジルはラピスときほどではなかったが随分と驚いたものだった。
ちょうど隣で話を聞いていたラピスもぽかんとしていた。自分がジルに連れていけと無理を言った時のジルの気持ちを理解した。
ジルは最初いろいろと難色を示したが、提示された破格の報酬とショウタロウの想いの強さに折れた。あの時のショウタロウの話を面白いと思ってしまったのだから提案を出されたこと自体は悪い気はしなかったのだ。
ただ報酬の額はいくらなんでも多すぎるので提示されたぶんの半分ももらわなかった。
「はい、これ。お金」
しかも報酬は前払いときた。
ショウタロウはジルに封筒を渡した。
ジルは中身を軽く確認した。額はこちらが言ったぶんがちゃんと入っていた。半分もないと言えどこちら側の世界からすればかなり良すぎる額だ。三人の旅と考えてもかなり余裕がある。
ラピスは初めてこんな大金を目にしたようでまじまじと封筒の事を見ていた。
「にしてもなんでそんな額がぽんとでてくるんだ?」
ジルが封筒をあの鞄につっこみながら尋ねた。この額を財布に全部入れておく気にはならなかった。いくらかどこかに預けた方がいいだろう。
「両親の遺産かな。正直俺の仕事の収入だけで生活はできてたからなんにも手をつけてなかったんだ」
「まあ、そんなとこだとは思ってたけど………」
「金銭面の負担は任せてもらってもいいよ。お金だけは無駄にあるし」
「けど収入はないだろ?」
「まあ………そうだね。実質無職か」
完全にやめたわけではないのだが休職になっているため月々の給料はゼロだ。
考えて使わないと、とショウタロウは笑う。
「それよりもまず生き抜く事を考えないとな。死んじまったら書くこともできないだろ?」
ジルは笑って言うが、言葉には重みがあった。
そう、たんにノーラなどに行っていた時の楽しいだけの旅ではない。死と隣合わせの命懸けの旅だ。突然の悪事で呆気なくなんてこともありえるだろう。
頭で思い浮かぶものだけでもかなり過酷なものだった。
それでもこの想いが尽きることはない。そんなの想定済みで、ショウタロウはこの程度でへこたれるようなものではなかった。
なんとしてでもこの世界を書き上げてみせる。
「ああ。なんとしても生に縋り付くまでさ」
その思いを頭の中で反芻し、ショウタロウは真っ直ぐジルを見返した。
ショウタロウは笑って返すが、目には強い光が宿っていた。
「これからはショウタロウも一緒かぁ」
となりでラピスがボソッと呟いた。
「何?なんか不満でも?」
ショウタロウがそう言うとラピスはハッとして首をブンブンと横にふった。
「いやいや、そんなことないよ?!ただ……賑やかになるなぁ……って」
決してそんなことないと、わたわたとラピスが焦るのにくすくすとショウタロウが笑った。
誰かと動くこと自体、ジルに出会うまでの暫くほとんどなかった。ジルと出会って、それからいろんな人と出会い、触れ合ってきた。恐ろしい経験もあったがそれでも人と出会うこと、繋がることの喜びをラピスは感じるようになっていた。
「うーんと、なんかよくわかんないけど……誰かと一緒ってことが楽しいというか…………」
もじもじと恥ずかしいそうにラピスが言う。
「そうだ。仲間が増えて嫌なことってなかなかないもんな」
「うん、それは俺も一緒かな。二人に出会えたことを嬉しく思うよ」
ジルとショウタロウが優しく笑う。ラピスも顔を綻ばせて笑う。
「そろそろ行こうか」
ジルが玄関の方へと向かう。その後にラピス、ショウタロウと続いていく。
ショウタロウが部屋を出る時、少しだけ後ろを振り返って部屋を一瞥する。
ここは自分が生まれて、育った場所だった。
両親の記憶と幼い時の記憶が浮かんではきえていく。長いこと過ごしたこの場所を離れるとなると少しだけ寂しかった。
それといままで交流のあった数少ない友人たちのことも思い出した。彼らに今回のことを話すと、だいたい驚いたような呆れたような返事が帰ってきたが、みんなそれがショウタロウだと背中を推してくれた。
随分といい友を持ったものだ。しかし連絡は取れるかもしれないがしばらく会うことはできない。
再びこの場所に帰ってこれるだろうか。
………いや、必ず帰ってこよう。
そして、自分が生きた世界を誰かに伝えて残していく。荒廃してもまだ生きている世界を。
それが天草彰太郎としての使命だ。
ショウタロウは一人静かに笑うと、部屋の扉を閉めた。
窓の外の無機的なトーキョーの風景が三人を見送っていた。
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