4 スラムにて 前編

 時刻は昼を回る前といったところか。まだ小鳥がちゅんちゅんと元気よくさえずっている中、ショウタロウとジルはトーキョーの街中を歩いていた。


 ショウタロウが朝から出かけるということらし

 いので、暇だったジルは同行することにした。部屋に篭っているのは好きな方ではないのでいい気晴らしになるだろう。


 ラピスはついてこなかった。魔力抜けの影響で体が重いらしい。

 魔力抜けはこういったふうに波があるのも厄介だった。時期に慣れてくるとは思うが。


 トーキョーは朝っぱらから自動車のエンジン音やクラクションの音が鳴り響く。なんとも騒がしい。不意に隣で信号待ちをしていたグレーの車がクラクションを鳴らした時はとても驚いた。


「科学文明都市ってのはうるさいもんだな。ひっきりなしに車は通るし、人も多いし」

「これが夜通し続いたりするからね。騒音問題とかもあるくらいだよ」


 激しいクラクションにジルは耳を塞いだ。


 前を歩くショウタロウは今日は大きなバックパックを背負っている。中身はわからないが重そうであった。


 ジルの口ぶりから見るに、彼は魔法文明都市の出身のようだ。見慣れないものが多いようでよく当たりを見回している。


「携帯もこういう都市ならではのものか」

「そうだね、連絡取る以外にできること多いから大半の人は持ってる。ジルは使ったことないの?」

「あるし持ってるけど、ショウタロウのよりも旧式で壊れてる。俺が行くところは何かと使えない所の方が多いから修理はしてないし、できるかどうかもわかんない」


 ジルはカバンから自身の携帯を取り出した。ショウタロウのタッチパネル式とは違う、昔はよく見た二つ折り式だった。父親が新旧式それぞれを仕事用として使っていたのを思いだした。


 しかし、ジルの携帯の側面には2センチ程の穴が空いていた。


「何、この穴……?」

「ポケットに入れてたら弾丸が当たったらしいくて」

「うわぁ、おっかねぇや」


 ショウタロウはジルから携帯を貰ってまじましと見た。貫通こそはしてないものの、開いてみると液晶部分にバキバキにヒビが入っていた。


 ショウタロウは黙って携帯をジルに返した。とある世界の一面を垣間見たような気がした。


「携帯を使えないとなると、魔法文明の人達はどうやって遠くの人と連絡とってるの?電話自体はあるの?」


 ショウタロウは気になることがあるとすぐに質問をしてくる。特に文化関係に興味があるらしくことある事に魔法文明について尋ねてきた。


「固定電話はちゃんとある。けど電波は悪い方だから魔法使ったりメッセンジャーを使った方が速いな」

「メッセンジャー?」


 聞きなれない言葉にショウタロウはすぐに反応した。


「手紙とかを届けてくれる人達のことなんだけど、すっごく早く届けてくれる。隣国くらいなら一日かからないな」

「へぇ!それはすごいなぁ。なんでそんな早く届けられるんだろ?」

「メッセンジャーをやってるのはだいたいドラゴンライダーとか鳥人族なんだよ。飛べるから山とかなんかも楽に越えられる。空なら渋滞とかもない」


 ジルはちらりと車道を見た。さっき隣にいたグレーの車が同じ場所にあった。

 信号は何回か変わっているというのに、あれから全く車の列は動いていなかった。


「こんなかんじのな」

「ははは………」


 それから二人はさらに歩いていきトーキョーの中心部から抜けた。車が通れるような道も減っていき建物も小型化してくる。本当に建物が密集しているので時に道は人一人通るのがやっとということもあった。


 二人はそんな郊外をも抜けていき、トーキョーのほぼ外辺りにたどり着いた。背の高い建物は無くなり、そこに広がっているのは粗末なプレハブ小屋やトタンをツギハギにして作った小屋だった。その隙間を蠢くように人々が行き来している。


 二人は今少し高い場所にいるのでその群れが一望できた。


「俗に言うスラムってやつか……トーキョーにもこんなとこあるんだな」

「貧困や人口過多の問題は普通にあるからね。特に外側には多いよ」

「豊かそうに見えてもさして余所と変わらないか」


 ジルはぼうっとスラムを眺めている中で、一つだけ綺麗な建物があることに気づいた。


「あれはなんだ?一つだけ立派なのがあるけど」

「どれ?」

「あそこの………緑色の屋根のやつ」


 ジルが指を指すと、ショウタロウはすぐにその指先へと視線を持っていく。すぐにどれのことかわかったようである。


「ああ、あれは教会だよ」


 ショウタロウはそう答えた。


 よく見てみると確かに屋根の上に十字架が立っている。それに建物の隣にあるのは墓地のようだった。小さくだが墓標がいくつか並んでいるのがわかった。


「こんな所に教会か?」


 ジルは不思議そうにショウタロウに尋ねた。


「もともとはここにあるのは教会だけだったらしい。父さんが子供の頃から既に教会自体はあって、そこで炊き出しとかしてたら周りにスラムができていったってとこかな。何回か改修とか繰り返してるけど教会自体はすごく古いんだ。もしかしたらトーキョーができる前からあったかもね」

「やけに詳しいな」

「古本とかをよく持っていくからね。今日もそのためにここに来たよ」


 ショウタロウは背負っているバックパックを軽く叩いた。


「じゃあその中身は本か」

「あとは塗り絵とか。それとスラムの子供たちに簡単な読み書き教えてる。教会と知り合い同士でいらない本やお金を持ち寄ってボランティアでしてるんだ」


 二人はスラムへと向かっていった。みっちりと並ぶトタンでできた住居の間を子供たちが駆け回ったり、ご婦人が家と家の間に紐を吊るしてそこに洗濯物をかけたりしていた。


 スラムの中に顔見知りもいるようで、途中ショウタロウは何回か声をかけられたりしていた。一方、ジルの方は不思議そうな目で見られた。この派手な色の髪が見慣れないのか、単に知らない顔なのかはわからないが慣れっこなので特に気にしなかった。


 そうこうしているうちに教会の目の前にたどり着いた。ショウタロウの言う通り、改修工事で見た目は綺麗だったがかなり前からあるもののようで少し作りが古かったり、中心部ではほとんど見かけなかった木造建築だった。


 入口の扉はかなり古いもののようで、木が黒く変色しいい味を出している。もしかすると教会設立当時から扉は変わっていないのかもしれない。細やかな彫刻も美しい。


 ジルはその彫刻を見てあることに気づいた。


「この十字架の彫刻からしてクルシアナか?」


 所々に十字架が彫刻されているのだ。十字架を装飾に取り入れるのはクルシアナ教の特徴である。


「そうだよ。トーキョーは無宗教の人が一番多いけどクルシアナはそこそこいる」

「へぇ、無宗教がいちばん多いとは珍しいな」


 ジルは少し驚いたようであった。


 今の時代、無宗教が多い国というのはかなり珍しいものだった。特に魔法文明都市では国民の大半は何かしらの信仰があるのは当たり前であったし、宗教の力で成り立ってい国もある。


 ノーラ王国も元はあの地域特有の精霊を信仰するスカンディナ教から起源がきている。シイナも一応信者で月に二、三回ほど礼拝堂に行くと言っていた。ダウナー街でも宗派は違うがスカンディナ教様式の礼拝を行っている者を何名か見かけた。


 あんな荒れた街でも信仰があるほど今の時代と宗教は密接に絡んでいるのだ。


 だが科学文明都市では宗教に対する感覚は異なってくるのだろうか。


「ここの地域は魔法はてんで使えないし、精霊とか妖精とかもほとんどの人は見たことないからね。神とかを説かれてもぴんとこないんじゃない?……あ、でも哲学系での宗教答弁とかは結構コラムとかでも見るかな。神話とかを解釈してくのも結構面白いし全く関係なしってわけでもないかも……神学ってのもあるし………」


 ショウタロウはそうしてぶつぶつと何かを呟き始めた。なにかとあるにつけてこうして考え込むことが多々あった。

 こうなると外のことに対する興味はおろそかになる。


「…………ショウタロウはどうなんだ?」


 ジルは別の話題を引っ張り出してショウタロウの意識を現実に戻した。


 ショウタロウの反応はほんの少し遅れた。


「え?俺は特に何も信仰してないよ。父さんはやってたっぽいけど信仰は自由だって俺に無理には入信させなかった」

「へぇ………まあ、こんなとこで突っ立ってないでさっさと入ろうぜ」


 なんとかショウタロウの興味をこちらに引く事に成功したジルが促した。


 ドアには控えめな装飾が施された銀のドアノッカーがあった。ここにも十字架の装飾が見られた。質素だが美しいことには変わりなかった。


 ショウタロウがドアノッカーを何回か鳴らすと、中でベルがなるのが聞こえた。どうやら連動しているようである。


 しばらくすると重厚な扉がぎいぃと音を立てて開いた。そこから修道女らしき人物が出てきた。黒を基調とし、白いラインと十字架が入っている修道服を身にまとっていた。


「はい………あ!天草様!いらしてくれたんですね」


 訪問者がショウタロウと言うことを確認すると修道女はぱっと明るい顔をした。


「こんにちは、リサさん……すこし予定より早かったですかね?」

「いえいえ、そんなことはありません。ちょうど用意も終わったところです………えーと、そちらの方は?支援団体の方でもなさそうですが……」


 リサと呼ばれた修道女はジルの方に目を向けた。パーツの一つ一つがはっきりした顔にはまだ少女らしさも残っていた。歳は恐らくそんなに離れてはいないが二人よりは若いだろう。


「あー、今ショウタロウのところで居候してるものだ。ジルだ。暇だったもんでついてきた」

「彼は傭兵で放浪の身ですけどちょっと縁があったもんで部屋を貸しているんです」


 傭兵と聞くとあまりいいイメージを持っていない人もいるだろう。まして神に使える立場からしてみればなおそうかもしれない。


 ジルはもし嫌な顔されたらショウタロウを置いておいて自分は辺りをフラフラしていた方がいいかと考えていたが、リサは特になにも気に止めることなく「へぇ、そうなんですか」と言った。


「はじめまして、私はリサと申します」


 そして笑顔で自己紹介をされた。客人として歓迎されているようだった。


「あ、お客様が増えたから用意するお茶の数も増やさないといけませんね……こんなところで立っているのも疲れますし中に入ってください。子供たちも待ってますよ」


 二人は言われるまま教会の中に入っていった。

 入ってすぐの場所は礼拝堂であった。奥には簡素な祭壇と宗教画があった。毎日あれの前で礼拝しているのだろうか。今はその周りを同じく修道服に身を包んだリサよりも幼い少女達が丁寧に掃除を行っていた。


 リサはその子達に次の指示をだしてショウタロウ達を、その礼拝堂の左に抜ける、隣の部屋へと通した。


 礼拝堂よりは狭い部屋だがそこそこの広さがあった。そこにはたくさんの子供たちがいた。格好を見るに、恐らくその周りのスラムの子供たちや教会が保護している子供たちだろう。


 歳もまだはいはいしかできないような子からそこそこ大きくなっている子など様々である。

 後で聞いた話だが、ここにいる子は教会が保護してる子はもちろん、普段スラムで暮らしている子が過ごす場所としても日中は解放しているとのことらしい。


 皆絵本を囲んで読んだり、絵を書いたりして各々好きなことをしていた。


 リサが部屋に入ると子供たちは一斉にそっちを振り向いた。そして子供たちの何人かが近寄ってくる。


「リサさーん、お仕事終わったの?」

「リサー!えほん読んで!」

「はいはい。でもちょっとだけ待ってくださいね」

「みてみて!絵描いた!!」


 リサはしゃがんで子供たちの相手をする。彼女はとても楽しそうだった。


 子供たちはショウタロウ達の方にも寄ってきた。


「あまくささんこんにちはー!」

「今日もお話してくれるの?」

「えほんもってきてくれた?」

「うん、持ってきたよ。それと塗り絵も。これは下野さんからのね」


 ショウタロウはバックパックを下ろして、中身を取り出した。それを子供たちに手渡す。子供たちは嬉しそうにはしゃいで「ありがとう!」と大きな声で言った。

 ショウタロウの顔もそれを見て綻んだ。


「このおにいさんだれー?」


 無論子供たちはジルの方にも寄ってくる。子供たちがこちらを見上げている。遠くで遊んでいる子もじっとジルの事を見ている。


「僕の知り合い、ジルだよ」


 ショウタロウが軽く説明すると子供たちは元気に挨拶をした。子供たちは特にジルを怖がる様子もなかった。


 先程礼拝堂の掃除をしていた少女の一人がお盆にお茶を三つ乗せて部屋に入ってきた。そして、お茶を部屋にあった大きめのテーブルに置いて礼をして出ていった。


 そこに三人は腰掛け、しばらく会話をした。大まかな内容としては今日持ってきたものの確認と次の炊き出しなんかの予定のことだった。あとは少しばかりの世間話だった。


 話が終わると、ショウタロウとリサはすぐに子供たちの相手に写った。話をしている時何回かちらちらと子供たちが見ていたので終わるタイミングを伺っていたのだろう。


 リサはまだ歯も生えていないような赤ん坊のお守りを歳が大きい子共たちと一緒にしていた。子供たちもリサの指示を聞いてテキパキとオムツを変えたり、掃除をしたりしている。


 ショウタロウは子供たちに読めない言葉などの読み方や意味を教えていた。教えるのが上手いのはこういうわけのようである。子供たちは覚えた言葉を嬉しそうに何回も復唱していた。


 ジルがそれを見ていると、ふと、自分の服をくいっと引っ張られた。


 引っ張られた方を見てみると女の子と男の子が立っていた。2人とも顔が似ている。兄弟だろうか。自分の服を引っ張ったのは男の子の方だった。


 子供は嫌いではないので相手をしてやってもいいだろう。


「何かな?」


 とジルは尋ねた。二人はしばらく顔を見合わせ、モジモジとしながら少年の方が口を開いた。


「えと……しえんだんたいのひと?」

「違うよ。俺は単なるショウタロウの知り合いってとこ。お前らは……兄弟か?」

「そう。こっちがお兄ちゃん、ユウゴお兄ちゃん。あたしはミナ」


 後ろからミナと名乗った少女が答える。ユウゴは妹によって名前が明かされてしまったのが恥ずかしいのか俯き気味で「ユウゴです……」と、答えた。


「俺はジルだ。よろしく」


 ジルが微笑みながら名乗ると向こうの緊張も少しとけたようで、ぽつぽつといくつか話をした。そしてミナにこんなことを聞かれた。



「ジルはトーキョーのひと?」

「違うな。俺の出身はここからもっと南」


 それを聞くとミナは自分が抱えていた絵本をジルに差し出した。かなり古い絵本だった。


「トーキョーの人じゃないならこれよめる?見たことない文字なの」

「なるほど……こんなのは多分ショウタロウの方が専門かもしれないけど…」

「ん?なに?」


 ショウタロウは子供たちの波から抜けたようでこちらを覗き込んだ。ちょうどいいタイミングであった。


 しかし、ショウタロウの助けはいらなかった。ジルは絵本をみて少し驚いた。


「お?……これもしかしてリタ語か?」

「ああリタ語だね………ジル、読めるの?」

「リタは俺の出身地だ」


 ショウタロウはリタの情報を頭から引っ張り出してきた。リタはたしかここからはるか南にある魔道国家でトーキョーからはかなり遠い。


 ショウタロウは驚いたように尋ねた。


「え、そんな遠くからきてるの?」

「まあ、もうリタを出て十四、五は経ってるからなぁ。今の状況も全く知らないし」


 ユウゴとミナもその話を聞いていた。


「リタ?そこにおうちがあるの?」

「……まあ、そうだな。一応」

「ジルのお父さんやお母さんも?」


 ショウタロウはその質問に対してどきっとした。


 ジルは流れ者だ。先程リタを出てだいたい十五年は経っているとも言っていた。

 ジルの見た目から見るに歳は自分と一緒くらい。つまりリタを出たのはだいたい十歳のころだろう。そして恐らく、話す様子からして出てから一度も帰っていないのだろう。


 自分の妄想かもしれないが、この条件だとリタを出た理由は決していいものとは言えないような気がする。ショウタロウはその結論に至った。


 本の読みすぎだと言われるかもしれない。しかし、今世界は混乱期にある。可能性が無いわけではないのだ。国を出なければならなくなる理由はいくらでもあるし、作れる。


 子供の無知とは時折良きせない毒となる。


 昔読んだ本で見たその一説を思い出した。


 ショウタロウは不安を悟られないように本の方にある視線をちらっと少しだけジルの方に向けた。


 しかし、彼は案外あっさりとしていた。表情も変わらなかった。


「いや、父さんは俺がチビの時に死んじまったし、母さんももしかしたら生きてるかもしれないけど、出た時点で既に結構歳だったからな……歳を考えるともう亡くなってる可能性はある。でも弟はいる」

「おとうといるの」

「そう……まだ、生きているかどうかはわからないけどな」


 ジルの態度は特に変わった様子はなかった。


 たが、ショウタロウは盗み見る横顔にほんの一瞬だけ悲しそうな表情があったのを見逃さなかった。



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