7 冬守り
「よしよし、元気にしてた?」
シイナは目の前の大きな白い塊とじゃれあっている。その白い塊の正体であるこの辺りに住むモンスター「ユキクマ」は嬉しそうにぺろぺろとシイナの顔を舐めまわしていた。
シイナも嬉しそうにユキクマを撫でている。
「本当におっきいな………。」
ラピスはそのユキクマの巨体の腹あたりを撫でていた。毛はしっかりとしていて硬かった。
こんな図体をしているが、性格は穏やかで人懐っこい。顔も優しい顔つきをしている。
このユキクマはこの街の住民がみんなで飼っているものらしく、他に何匹かいる中で特に人懐っこかった。
「こら、シイナ。顔が唾液まみれになってるよ。これでふきな。」
「ありがとう、ママ。」
ユキクマに海藻をまるめたボール状の餌を与えて、シイナはノグロからタオルを受け取り、顔を拭いた。
シイナは顔を拭きながら、隣に置かれているソリの元に駆け寄った。そこでジルがソリの組み立てをしていた。あそこに傍に置かれている荷物を載せるのだろう。
この街に滞在しておおよそ2週間弱になってきた。
その3日目くらいにシイナの家にノグロが帰ってきたのだ。
大きな声で話して笑い、毎日のように酒を飲む。そのせいでいつも酒臭い。
よく酒場で近所の老人と賭け事をして遊んでいるのを見かけた。
彼女はここに帰ってくるといつもそうしているらしい。店の店員も久しぶりに顔を見れて嬉しそうにノグロと話していた。
ラピスはその際ノグロにちょっとしたテーブルゲームのルールを教えてもらい、お菓子を賭けてやってみたがいっつも負けてばっかであった。
シイナはノグロのことを「ママ」と呼ぶが、本当の母親ではない。
彼女の父親の母親の姉にあたる存在になるようである。
だとしたらノグロの歳は普通の人間なら寿命を迎えていてもいい歳なのだが、彼女はぴんしゃんして毎日のように酒を飲んでいるし見た目も30代程である。
どうやら彼女は普通の人間とは違うらしい。
彼女はどうやら「魔術師」と呼ばれるもののようであった。
主に、己の魔法を利用して色々なことをし生計を立てていくのが魔術師と呼ばれるものである。人によっては「魔導師」「魔法使い」「魔女」とも呼ばれたりするようである。
そして、そのうちの何人かは溢れ出る魔力の影響によって、体の老いがゆっくりになり長い年月を生きることが可能になるらしい。
ノグロもそういった魔導師のようであった。
そういうわけで、ノグロはジルの幼少期のことも知っていた。
お菓子を賭けて賭け事をしていた時にラピスにこう話してくれたのだった。
「あいつは昔から流れ者の生活をしていたんだよ。あいつの養父。血が繋がってない父親のことさ。そいつ、シラドリアスはあたしの古くからの知り合いでね。近くに来る度にあの小屋に立ち寄っていたよ。もともとあの小屋はあたしの家で今はシイナの家でもあるね。昔からシイナは親の仕事が忙しい時にあそこに来ていたからそこで二人は知り合ったわけだよ。」
ジルの養父であるシラドリアス、シラーは既に病で亡くなっているらしい。けど、それからもジルは頻度こそ減っているもののこうしてここに立ち寄ったりしているとのことだった。
「けど昔は口数が少ないぶっきらぼうなガキだったよ。何をしても無愛想。まあ、今もガキだけどね、なんというか毒が抜けた?………まあ、そんなふうにあたしは思えるよ。」
ラピスはあの溌剌としたジルのことしか知らないので、さらに訪ねようとしたがここでゲームは終わってしまった。
この日ラピスは賭けたお菓子の3分の2を取られてしまった。得意げに笑い手に入れたお菓子を頬張るノグロの姿を覚えていた。
ぼうっとしながらラピスはユキクマを撫でていると、気づいたらユキクマは顔をこちらに向けていた。
ユキクマはべろりとラピスの顔を舐めた。
「わっ!!」
ラピスは突然舐められたので声を上げて驚いた。ユキクマはそのままべろべろとラピスの顔を舐め回す。
これはシイナいわくユキクマの愛情表現らしい。
「ははっ、くすぐったいよ。」
ラピスはユキクマを撫で返した。動物にこうやって舐められるのは慣れてないしべとべとするが嫌なものではなかった。
「こっちにもベトベトなのがいるぞ。」
ジルがこちらに近寄ってきた。どうやらソリの荷造りが終わったらしい。
「すっげえ舐められてるな。」
「うん。すっごい舐めてくる。」
ジルがタオルを持ってくるとそれを受け取って舐められた箇所を拭いた。
「直ぐに懐かれたな。べとべとじゃんか。」
「ユキクマは誰にも懐くからね。」
シイナもこちらに歩いてきた。手には紐のようなものを持っている。ノグロもその後ろにいる。彼女が持っているのは酒瓶であった。朝から飲んでいたようだ。
「なにそれ?」
ラピスはシイナの持っている紐を指さした。
「手網だよ。この子が今つけてるこれ、くつわに繋いで使うんだよ。これでこっちから指示を出すことが出来る。」
シイナはそういうと早速手網を取り付け始めた。ユキクマの方は慣れているようで嫌がる様子はなかった。
「そういや、シイナの番がもう時期回ってくるってニケーネが言ってたな。まあ、可愛い娘をよろしく頼むよ。」
ノグロがシロクマを撫でるとシロクマはそれに答えるかのように鳴いた。
シイナが務めている「冬守り」という仕事は氷を割るだけではない。
道に溜まった雪を運んだり、屋根の雪を下ろしたり。
そして、市場で売れるものをもっと大きな街へと運んだり、そこからここで足りないものを運んだりもする。
これは冬守りそれぞれが交代で回しているのだが今回はシイナの番ということらしい。
毎回街にはこのユキクマに乗って行くようである。
「大丈夫だよ。前に行った人が特に道にも問題ないって言ってたし。それにジルとラピスちゃんもいるしね。」
そして、今回はこれにジルとラピスが同行することになったのだ。ジルはそろそろここを一旦離れようと思っていたようで、それがシイナの街に出向くのと重ねたわけである。
「そういや、街まではどのくらいかかるんだ?」
「ユキクマでなら、半日とちょっとかな?ここはあたりを山に囲まれてるからそれを超えないといけないし、ちょっとかかるけどそんなに厳しくはないよ。」
たしかに、ぐるっと見ると一面に山が連なっている。標高はそんなになさそうである。その山も雪を被って白く染まっていた。
「ちゃんと所々に寝泊まりできるくらいの小屋はあるからね。天気とかが崩れてもある程度は大丈夫だよ」
「それでも、山の天気は崩れやすいからねぇ…………。なんかあったら伝言鳥で知らせるんだよ。」
ノグロそういうと、パチンと指を鳴らした。その直後には指先にちょこりと小さな淡い紫に輝く小鳥が止まっていた。
「わかってるって。」
シイナも手袋を取ると、同じように指を鳴らした。彼女の指先にもオレンジ色に輝く小鳥が止まっていた。
「これも魔法?」
ラピスが尋ねると、シイナはラピスに向かって小鳥を飛ばした。小鳥はラピスの頭上を旋回し始めた。
光の粒子を伴って飛ぶ姿が美しかった。
「そうだよ。ママが教えてくれの。伝言を伝えたい相手に向かって飛ばすと伝言を伝えてくれるんだよ。」
「まあ、使うのにはちょっと何回か練習しないといけないんだけどね。また時間がある時に教えてやるさ。」
ノグロはそう言ってまた酒を飲んだ。一体どれだけ酒を飲めば気が済むのだろう。
「お、そろそろ時間か?」
ジルが天に昇る太陽を指さした。日は少しずつ東の空を登っていき、南の空に近づいてきた。
「あ!ほんとだ、行かなくちゃ!」
シイナはソリの最終的な準備をてきぱきと済ませた。そして、ユキクマの上に慣れた手つきでよじ登った。
「ここから登れるよ。ゆっくりね。」
ラピスはシイナに指示されたようにゆっくりと登っていった。その後ろに続いてジルも登って、3人はユキクマの上に座った。
ユキクマは何とも動じていない。平気そうだ。
「じゃあ、ママ!行ってくるね!」
「はいよ。2人も元気でね。」
「ノグロさんも酒の飲み過ぎには気をつけてな。」
「酒はあたしにとって水だよ!」
ノグロはまた大きく口を開けて笑った。
それと同時に、シイナが手網を引っ張った。するとユキクマの体が動き、進み始めた。
ユキクマは加速していき、積もった雪をまいあげて進んでいく。意外と速い。
ふと、ラピスが後ろを振り返ると、ノグロが気づいて手を振ってきた。
ラピスはそれに向かって手を振り返すと、視線を前に戻した。
道は森の中へと入り、木々の間の白い道を3人を乗せたユキクマは一直線に駆け抜けていった。
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