4 決裂

 薄暗い通路を進むことどのくらいたっただろうか。細い路地を抜けた先にある、岩山の壁に掘られた狭い通路はむき出しの電球が所々ぶら下がっており、ひんやりと冷たく荒い岩肌がむき出しだった。


 先頭を歩く若い男の後をジル達はついて行く。一体どこに繋がっているのだろうか。ラピスは少し覗いて前を見てみるが、まだぼんやりとした灯りが見えるだけだった。


 ジルは特に変わった素振りを見せることなく、ここまで素直にあの中年の男の要求を呑んでいた。ジル曰く、こういう時はしばらく様子を見たほうがいいらしい。


「ついたぞ。」


 先頭を行く男の足が止まった。目の前には木で作られた古い扉があった。


 男が取っ手に手をかけ、ゆっくりと扉を開く。扉の向こうの灯りが一気に降り注ぎ、二人は目を細める。そこにある空間は案外広かった。部屋の中央には低いテーブルがひとつ置かれており、それを囲むように男たちが立っていた。


 だが、その中で一人だけテーブルに向かって座るあの中年の男の姿があった。


「お連れしました。」


 案内をしていた若い男ががその男に礼をした。


「ご苦労。下がれ。」


 男がそういうと案内人は部屋から出ていった。


 それを見届けると中年の男がジルたちの方を見た。ジルの淡い赤の目と男の黒い目が静かに重なる。


「突然悪いな。まあ、座ってくれ。」


 男が口を開き、二人を諭した。ジルは静かに腰を下ろす。ラピスも後に続いた。


 ジルがふと、何か視線を感じ顔を上げると。中年の男の後ろにこちらを睨みつける金髪の男と目があった。その頭にはぐるぐると包帯を巻いている。


 ジルと目が会うなり、男ははっとしてばつが悪そうに慌てて目を逸らした。ラピスもそれに気づいたのか「あ。」と軽く声をあげた。ジルは少しニヤリと笑った。金髪の男は悔しそうな顔をしていた。


 中年の男が二人のやり取りに気づいたようで、タバコを吹かしながらジルを見て笑った。タバコの煙がラピスの方へと流れていきラピスは顔を顰めた。

 タバコというものの存在は知っていても、それがどんなものか匂いなどは見たことがなかったが、とりあえず臭い煙を出すものということだけ理解した。


「そうだ。昨日アンタの連れに手を出したのがうちのやつさ。威勢だけはよくて中身は空っぽよ。」


 そう言われて、金髪の男が縮こまっていくのが見てわかった。


「うちのもんが悪かったな。俺はグラードっていうんだ。」


 グラードと名乗った中年の男が男が机の上の灰皿にタバコを押し付け、ふうっと煙を吐いた。


「ところであんたら、名前は?」


 ジルは相手が名乗らないならこちらも名乗らないつもりだったが、相手が名乗ったのに名乗らないのは不平等である。


「ジルだ。」

「ラピス。」


 二人は端的に名前だけを述べた。グラードは二人をみて腕を組んで少し唸った。


「あんたらはどういう関係だ?見た感じ夫婦で旅……という訳でもなさそうだしな。」


 さすがに夫婦と見られるとは意外だった。いくらなんでもジルの年齢の割にラピスがまだ若すぎる。

 だが見る人から見ればそう見えることもあるかもしれない。


「ただ一緒に旅をしているだけだよ。そういった関係はない。」


 ジルは鼻で笑った。

 ラピスは二人がなんの話をしているのかてんでとわからなかったのでここは何も言わずにジルに任せることにした。


「んで、ジルは用心棒かなにかなわけだよな。そうやって武器を持っている訳だし。」


 グラードの言葉にジルは頷いた。


「用心棒じゃなくて、傭兵だ。ラピスはまだ何もさせてない。」


 グラードが「ほう…」と、声を漏らしてラピスの方を見た。不意に見つめられてラピスの心臓が軽くはねた。


「ますます変な関係だな。雇われてる訳でもないのに。」

「雇われてはないけど連れてってくれって頼まれたからな。」


 ジルが笑いながらラピスをみた。ラピスはなぜかその目に安心を覚えた。


「なるほど……で、この街に来た理由は?」


 グラードが問いかけた。表情は緩んでいるものの目には真剣なものが見えていた。

 ラピスの体が強ばる。ジルはだいたいこの質問をされると予想していたので至って普通だった。

 グラードの真剣になるわけは言われなくてもわかっている。


「特にない。たまたま行き道にあったから寄っただけだよ。」


 ジルの答えが静かに響く。なんの感情も乗せていない言葉に辺りに緊張が走った。

 後ろの男たちの視線と共にびりびりと空気が刺すように殺気立つ。体に妙な力が入ってラピスはその殺気に圧倒されそうになった。


「……まあ、そういうやつはいるだろうよ。そうぴりぴりとすんな。」


 グラードが後ろの男たちを制する。


「で、この街の情勢は知ってるよな?」


 グラードがジルの顔を覗き込んだ。ジルは静かに見つめ返した。


「ああ、最初寄った酒場で聞いたよ。近くに炭鉱があってそこの元締が揉めてるって。お前らがいわゆる炭鉱の元締め………ってところか?」


 ジルが話すとグラードが頷いた。先程諌められたにも関わらず後ろの男たちはまたぴりぴりとしだした。


「そうだ。俺たちを連中は旧って呼ぶがね……。新の連中が鉱山を乗っ取ろって話だ。こっちもたまったもんじゃねえ。稼ぎ場所が無くなれば俺もこいつらも食って行けねえ。この街は鉱山があるから栄えたようなものだ。」


 グラードが新たなタバコに火をつけ、口にくわえた。そして息を軽くすって、煙を体から押し出す。

 紫煙が上に登るにつれ薄くなり空気に溶け込んだ。


「恥ずかしい話だが……その新の元締が俺の娘なんだよ。………あの世間知らずが。急に家を飛び出していきやがったと思ったら、徒党を作って鉱山を乗っ取ろうとしやがって………。」


 グラードが苛立ったように机をドンと大きく叩きつけた。音に驚いたのかラピスの体が少し跳ねた。


「もうこっちも向こうも話す気にもなれねぇ。だからケリをつけようじゃねえかと、ぶつかる準備をしているわけだ。ラピスに手を出したのもうちが雇った用心棒だ。こうやって今俺達が大量にそういう奴らを雇っている。酒場に行ったなら見ただろ?仕事紙。」


 仕事紙と聞いて二人はヤツキの店のボードに貼り付けられていた大量の仕事紙を思い出した。


「で、昨日うちが雇った用心棒がこてんぱんにやられて帰ってきたんだよ。新のやつにでもやられたかと思って話を聞いたら、初めて見るガキを連れた派手な色の髪をした男だったって。しかも今日街に着いたばかりの。」


 ジルは派手な髪と言われて心当たりが無いわけがなかった。

 自分の目にかかったショッキングピンクの髪を耳にかけた。


「こんな頼りない奴らでも一応は用心棒さ。そんな奴らをあっという間にひねり潰してしまうなんて相当な手練だろうと思ったよ。それで街の宿屋を片っ端から調べたり、部下に探させ見つけ出したんだ。けど普通に呼んでもちょっと面白くないって若い衆が言い出してなぁ………宿の店主にはちょっと悪いがかちこんでもらったわけさ。はははっ。」


 グラードが口を大きく開けて、豪快に笑った後ろの男たちからも笑い声が聞こえてきた。

 ジルも釣られて軽く笑っていたが、ラピスの顔は引きつっていた。そんな軽い理由で突っ込んできたなんて呆れたものだ。


「けど、かちこませて良かったと思うな。うちの特攻部隊を簡単に潰してしまうんだから、あんたの実力はダテじゃないって。久しぶりに活きのいいやつを見つけたってな。」


 グラードがにやりと笑ってジルと向き合った。ここまでこれば要求は嫌でも理解出来た。ジルはなにも表に出さず、ただグラードを見つめ返した。


「どうだ。金はそっちが要求する額を払う。俺に雇われる気はないか。」


 グラードのその鷹のような目と後ろの男たちの視線が一気にジルに注がれる。

 男たちの目はギラギラと血走って光っており、先程の殺気以上の圧が一気に二人に吹き寄せた。変な汗が背中をつたい、体が硬直した。


 ジルは少し唸った後、少し困ったように笑った。


「悪いな、断るよ。今は仕事を探してない。連れにもいろいろ教えこまないと行けないしな。」


 ジルの返答に後ろの男たちからざわめきが起きる。ざわめきはどんどん大きくなり、その中に怒声や罵倒も混じっていた。

 恐らく彼らにとってはこの男の要求を蹴るという行為がありえないのだろう。


 ジルは笑った表情を崩すことはなかった。


「なんだお前!こんなお頭からの提案なかなかないんだぞ!!それを断るってのか!!!」


 後ろの男の一人がズカズカと前に出てきて、ジルのに掴みかからんばかりに詰め寄った。ラピスがジルから男を離そうとしようとしたが、その目は怒りに燃えているのを見て手を止めた。


 が、ラピスが手を止めた理由はそちらではなかった。ジルはその怒りを見透かしたように静かな目をしていた。

 ラピスには虎視眈々と機会を伺い、いつでも襲いかかれるぞと言わんばかりの獣を思い起こされた。


「おい、下がれ。」


 グラードが口を開いた。男はまだなにかを言いたげだったがグラードと目が会った瞬間にすぐに下がっていった。

 彼の目にはさっきの男とは対称的な冷たい刃のように静かな怒りが灯っていた。


「まあ、その辺はある程度みてやるつもりではあるが……それでもか?」


 グラードがジルに尋ねた。あの怒りは収まっていたが目には冷たい光が見えた。


 それをみてもなおジルは首を横に振り、ラピスの肩に手を乗せた。ジルの薙刀を使い続けてタコのできた硬い手が触れる感覚をラピスは感じた。


「それでもだ。みて貰えるといえどまだこういう所に出すには力が足りてない。現に俺がいなかったら連れていかれてただろうしな。」


 ジルはまた金髪の男の方を見た。男はい心地が悪く苦そうな顔をして、また顔を伏せてしまった。


「そうか………。ならば決裂だな。」


 断固として首を縦に振らないジルを見て流石に折れたようだ。グラードが静かに呟き、後ろの男の中から一人を呼んだ。


「いろいろ騒いで悪かったな。送ってやれ。」


 グラードにそう言われると、男は軽く頷いた。


「いい話だったけど今は都合が悪い。また会うことがあれは次の機会にでも。」


 ジルが笑い、その場に立つ。後ろの男たちから冷たい視線が降り注ぐが気にしない。


 ジルが立ち上がるのを見て、ラピスも腰を上げた。


「そうか、その時があればな…………。」


 扉を開けて、あの狭い通路に出ようとした時グラードが笑って呟いた。


 その彼の姿に軽く礼をして、案内人の男と共に部屋から出た。


「帰り道は気をつけて。」


 その時扉がひどく軋んだので、去り際に呟いたグラードのその声は二人には届かなかった。


 ***



 二人は案内人に連れられ、細く狭い道を歩いていく。ふいに空気が変わり、外の月あかりが見え始めた。


 外に出た時、星は弱々しく輝き東の空が明るくなり始めていた。


 夜明けが近いのだろうと、ラピスはその明るくなっている方の空を眺めた。自分の髪と同じ藍の空がだんだんと滲み、薄くなっていく。星も次々と輝きを失っていき、月明かりも消えて明るいまだ姿を現していない太陽の日が漏れ始める。


 来た時は暗かったので周りがよく見えなかったが今は細い路地が目の前にいくつも伸びていた。


 ラピスは来た時、どの路地を抜けてきたか覚えていなかった。


「傭兵………宿、どこだったっけ。」


 ラピスがぽつりとジルに投げかけた。なんだかんだで名乗ったあともラピスは結局ジルのことを「傭兵」と呼んでいた。


 が、「傭兵」もとい、ジルからの返事は帰ってこなかった。最初は聞いていないのかと思って、ラピスはジルの方を振り向いた。


 その時、ジルがラピスの問に答えなかったわけがわかった。


 ジルは険しい表情をして、辺りをじっと見回していた。その目がまさにあの闘技場に放たれようとしている獅子の目をしていた。


「………どうしたんだ……?」


 ラピスがおずおずとその赤い目を覗き込んだ。


「何かがいる。」


 ジルは静かに呟いた。その声と共にラピスにでも感じられるほどの動く気配を察知した。


 ざしりと、砂を引きずる音がだんたんと大きくなり、細い路地や岩陰から黒い人影がいくつも姿を現した。黒い人影がより一層その手に持つ白く光る刃を引き立たせる。


 その時に二人が感じたのは殺気だった。この殺気は先程感じたものとよく似ている。


「一筋縄では逃がしてくれないか。」


 ジルは笑って吐き捨てたがその目はあの闘志を宿したままだった。ジルは胸元にぶら下がっている小さな刃を手を取った。

 それは瞬く間に大きくなり、立派な薙刀となる。


 黒い人影の正体である、グラードの配下の男たちはじりじりと距離を詰めてきた。


 ラピスとジルは男たちに囲まれ、背中合わせに立っている。ラピスが首元のチョーカーに触れようとするが、ジルがそれを見ていたかのように止めた。


「戦わなくていい。お前は俺が逃げ道を作るからすぐ逃げろ。俺もすぐ追いかける。」


 ジルが静かにラピスの背後で呟いた。ラピスは眉を八の字に曲げてジルの方へと視線を送る。ジルの実力を信じていないわけではないが、それでも一瞬だがジルを置き去りにしてしまうのが不安だった。


 男たちはざっと見ただけでもかなりの数がいる。もしかしたらまだ隠れているのもいるかもしれなかった。


 流石にこれだけをいちいち一人一人相手にするほど余裕はない。

 まずは逃げ道を確保してラピスを先に逃がす。一人一人を観察し、そのための筋道がジルの頭の中で連なる。


 男たちが一斉に踏み込み、雄叫びをあげて一斉にジル達に飛びかかった。


「伏せろ!」


 その中に、聞き覚えのある声が混じっているのを聞いたラピスはその場に伏せた。


 直後に頭の上を何かが物凄い速さで通り過ぎたのを感じた。遅れて、金属がぶつかり合う鋭い音がいくつも聞こえてきた。


 ラピス伏せたままは少し目を上へと向けた。その青い目にはいくつもの弾き飛ばされた白い刃が、薄暗がりの中で反射するのを捉えた。


 ジルの薙刀が唸り声をあげる。薙刀が八の字を描くように振り回され、あっという間にいくつもの斬撃を弾きあげたのだ。


 弾き飛ばされたことで隙のできた男をジルは逃さない。薙刀を手の中で滑らせ、その男の腹に向かって薙刀を払った。紅が薄闇に散り、男が呻き声をあげた。男は少しよろめいた後、その場に膝をつき崩れ落ちた。


 倒れることを見届けることなく、その間にもジルは他の男の刃を弾きあげ男の腹を突いていた。鮮血がぱっとあがり、男は手と足を投げ出してその場に倒れ動かなくなった。


 あっという間に二人を片付けられて、男の何人かに動揺の色が見えた。だが、それでも怯まず男の中には再びジルに向かって剣を構える者もいた。ジルはそうこなければ面白くないというふうに口角を上げた。


 男の一人がこちらに向かって走ってくる、ジルは薙刀を振るい、迎え撃つが直前でジルの前から逸れた。


 逸れた先には伏せたままのラピスがいる。ラピスは刃がこちらに向かっているのに気づき、地面を転がって避けた。転がった先で、体制を立て直し立ち上がる。


 ジルはターゲットが自分だけではないことを改めて痛感した。


 ラピスが避けたことにより、刃が空を斬りバランスを崩した男に蹴りを入れて、弾き飛ばした。


 これは早めに隙を作って逃げるべきだ。だが、男達はジルがグラードからの要求を蹴ったことに相当腹を立てていたようで、躍起になり次から次へとこちらに突っ込んでくる。二人は避けることに徹するしかなかった。


 この状況では斬り込むにも一人を相手しているうちに他の刃が自分に降り注ぐだろう。ジルは薙刀を回転させ、相手の剣を弾きあげる。


 一方、ラピスはジルからあまり離れないところで攻撃を躱し続けていた。だが、ラピスの頭は強い眠気に見舞われていた。


 連日の疲れもあってか剣が空を切る音が時折遠くなったりして、集中が削げているのがわかった。ジルのナイフ裁きに比べたら目の前の男一人の剣はだいぶ楽なくらいなのだが、複数人で襲いかかってくるうえに、体が重く時折足がもつれそうになった。


 目の前の男が剣をラピスの脇腹に向かって突いたのを、ギリギリで躱す。


 びりっと服が破ける音がしたのと同時にラピスはなにかを踏んだ。足の裏になにかあるの感じて、見るとそこにあったのはは最初にジルに卒倒させられた男が持っていた剣だった。


 あれからずっと男と共に地面にほっぽり出されていたのだろう。柄の所を踏んでしまい、ラピスはよろめいてしまった。


 それを見るなり男たちが一斉に斬りかかってきた。


 ラピスが体制を立て直して避けようも、間に合わない。このままだと確実に男たちの持っている剣が、自分の体を斬るだろう。ラピスは大きく斬りつけられたことはないが、とにかく痛いということは容易に想像できた。


 ラピスここまでかと、目をぎゅっと瞑ってやってくるだろう斬られる痛みというものに備えた。


 だが、やってきたのは何かが腕を掴んで体がこっちに引き寄せられる感覚だった。あまりの予想外の出来事にラピスは目を開けた。目を開けるのと同時にいくつもの剣が空を切り生まれた風が吹き付けた。


 ラピスの危険に気づいたジルが、彼女の腕を引っ張りこちらに引き寄せていたのだ。男たちから距離を作るとすぐジルの手はラピスの腕から離れた。


 しかし、これがジルの隙を作ることとなった。チャンスと言わんばかりに男の一人がジルの懐に飛び込んだのだ。懐に潜られてしまえばリーチの長い薙刀は不利になる。


 ジルが薙刀を持ち直すのと同時に、男が剣を払った。


 赤い血がジルの脇腹から飛び散った。その赤がラピスには他の男が流す赤よりも酷く濃く鮮明に写った。


 ジルは焼け付くような痛みを感じ、顔を歪ませるが布を巻いてあったことで男が思うほど深手にはならなかった。


 ジルは怯むことなく石突の方へと短く持ち直した薙刀を、懐に飛び込んだ男の顔へ向かって突いた。ジルは懐に飛び込まれた時既に次の行動に出ていたのだ。


 にやりと気味悪く笑っていた男の顔がすぐに崩れ、驚いたようになりそれを避けようとするも間に合わない。


 石突は男の眉間のすぐ下辺りに命中した。

 男は視界が瞬く間に真っ暗になり、なにもわからなくなった。


「傭兵………!」


 ラピスの悲痛な呼び声が聞こえた。


 血が足へと伝い、地面に垂れる。傷自体は深くはないものの出血が酷かった。


 傷をいたわる暇もなく、再び斬撃がジルを襲う。


「ラピス!走れ!」


 ジルは薙刀を振るい、斬撃を弾きあげながら叫んだ。


 動くつどに傷がずきりと痛む。痛みは体を思うように動かせなくさせる。ジルはこれ以上の長期戦は不利だと判断した。


 ラピスがジルの方を不安そうに悲しげに見たが、くるりとジルに背を向けて走り始めた。男たちが逃がさまいとラピスに迫るが、ジルがそれを阻止する。


 ラピスはまだ響く金属音を背中にひたすら走り続けた。眠気は、さっきの赤色で覚めてしまったが今度は心細さが押し寄せてきそうだった。


 ラピスが逃げたことで攻撃はジルに集中する。


 傷を負ってなくて、もう少し広い所なら一気に片付ける方法があるのだが今はそれをする余裕がない。


 刃が迫り来る中、ジルはズボンのポケットから小さな丸い玉を二、三個取り出した。


 ジルがそれを地面に向かって放り投げると、カツンと軽い音がして何かが焦げるような匂いと共にその玉からもくもくと白い煙が溢れ出した。


 ジルが投げたものは煙幕だった。こんな時のためにいつも持ち歩いているものだ。


 男たちの目の前があっという間に真っ白に塗りたくられていく。ジルは煙の中を抜けて、細い路地に飛び込んだ。

 血が垂れているため、完全に巻くことは難しそうだが時間稼ぎくらいにはなるだろう。


 煙が晴れた時にはジルは男たちの前から姿を消していた。男たちは苛立ち、焦りながら「探せ!」と騒ぎ立てた。


 ジルはラピスの後を追いかけていた。だが、傷が痛むので思ったより速くは走れない。逃げていてくれよという思いとあまり遠くまで行かないでほしいという思いが頭の中で痛みと共に混じりあった。


 出血のせいか、息が上がるのがいつもよりも早かった。時折足がもつれてつんのめりそうにもなる。


 これは良くないと、一度止まって止血した方がいいかと迷っていた時、目の前に見慣れたツインテールの後ろ姿が目に飛び込んだ。それはこちらに近づく足音に気づいたようでこちらを振り向いた。


「傭兵……。」


 ラピスが細く小さな声で呟いた後、ジルにに駆け寄った。


「怪我は?」


 ジルがラピスに呟いた。ラピスは自分のことよりもジル自身のことを心配してほしかった。


「そっちこそ……血が……。」

「ああ……このくらい止血すれば……」


 そういう傍から、ジルはふらりとよろめいた。ラピスが驚いてジルの体を支える。

 男一人の体重がラピスにかかりラピスもふらつきそうになった。


「どこがさ。」


 ラピスがムッとした目でジルの顔を見た。


「………あー、こりゃ参ったな。」


 ジルは困ったように笑ったが、ラピスは全く笑えなかった。


 二人は薄暗い路地の壁に持たれて座っていた。ジルは傷に布を巻いて血止めをした。


 そのとき初めて自分が負った傷をまじまじと確認したが、すっぱりと腹を横にかけて大きく切れており血が固まり始めていた。


 だが、そう悠長にはしていられなかった。いずれ自身の身から垂れた血の後を追って見つかってしまうだろう。痕跡を消そうにも生憎そういった事ができるものを持ち合わせていなかった。


「これからどうするんだ?」


 ラピスがジルを見た。その目は不安が滲んでいた。


「まあ……とりあえず街を出るしかないな。ここにいたらまた見つかるし。」


 ジルは立ち上がろうとするが、傷が傷んで力を入れるのを辞めた。それ以前にラピスに止められた。


「まだ動かない方がいいだろ!」


 そう軽く怒られた。が、ラピスの目には怒りの他に悲しみも混じっていた。


 ラピスは責任を感じていた。自分があの時避けられていればジルに助けて貰うことなく、なおかつ怪我をすることはなかっただろう。ラピスは自分の非力さに悲観していた。ラピスはそのまま顔を伏せてしまった。


 ジルがラピスの感情を汲み取ったようで、声をかけようとした時背後から足音がした。


 二人は一斉にそちらを振り向き、ピリっとし張り詰めた空気になった。


 日が昇り始めてもなお暗い路地裏の奥からフードを被ったすらりと背の高い人影が姿を現した。フードのせいで顔はよく見えなかった。二人は警戒を緩めなかった。


「………あんたら、こんなとこでなにしてんだい?」


 フードの人影が口を開いた。二人はその声に驚いた。その声が温かみのある凛とした女の声だったからだ。背丈があるので男かと思っていた。ラピスが拍子抜けした顔をしていた。


「そっちこそこんな路地裏を彷徨いて何をしているんだ。」


 ジルは警戒を解かずにその女に尋ねた。まだ追っ手という可能性を消してなかった。


「ああ、ちょっと騒ぎを聞きつけもんで見に行ってたんだよ。それで今から帰るってときに……。」


 女が足元に視線を落とした。その視線の先には赤黒い跡が続いていた。


「旧の奴らとやっていたのはあんたらのようだね……。」


 女がジル達を見下ろした。要は騒ぎを聞いて様子を見て帰ろうとした時に血痕を見つけたということだろう。ジルは疑問に残るところはまだあったが、この女がグラードのとこの追っ手という線は捨てた。


「怪我してるのかい?」


 女が尋ねてきてジルは無視したが、ラピスが頷いた。女がそれを見ると二人の前に立って座り込んだ。女がジルの服に血がついているのを見つけ「ちょいと失礼。」と言ってジルの服をめくった。


 その時フードの奥から女の顔が顕になった。くりっとした大きな猫目にりんとした鼻筋。声に見合う綺麗な顔をしていた。


 傷には先程止血をするために当てた布が体にまきつけてあり、その布にも赤く血が滲んでいた。まだ完全に止まってはいないようだ。


「あちゃー、こりゃ酷いね……早いとこ手当しといた方がいいと思うけど、お二人さんこれからどうするつもりなんだい?」

「追われることになった以上ここに長く留まる意味は無いから今からすぐに街を出る。」


 ジルがぶっきらぼうに答えると、ラピスと女が顔を顰めた。


「こんな傷を負って……これからすぐ逃げるってことかい!?止めときな!傷が酷くなるよ!それに変なもんでも入ったら大変じゃないか!」


 ラピスも小さく叫ぶ女の意見には賛成だった。ジルにこれ以上無理をさせたくはなかった。


 ジルはまだ何かを言いたげだったが、二人の顔をみて困った顔をして辞めた。流石にこれは無理があると自分でも考えたのだろう。


 ふと遠くになにか騒ぎ声を感じて三人はそちらを見た。まだ正体は現していないが今度こそ追っ手かもしれない。


 女が口に手を当て何かを考え始めた。暫く唸った後、小さく口を開き二人に言った。


「うちにいい医者がいるんだ。そこで手当してやるからついてきな。」

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