スピーチ・形見・泉の精

 青年は、木こりを生業としている。自前の斧を携え森に入り、その斧でもって木々を切り倒し、切った木々を売って生活しているのだ。

 ある日のことである。森の奥地にある泉のそばで木を切っていた青年は、誤って斧を泉に落としてしまった。


 これでは木が切れぬ、どうしたものか、と青年が頭を抱えていると、目の前の泉が急に光り出すではないか。


「あなたが落としたのはこの金の斧ですか、それともこの銀の斧ですか」


 光輝く泉から現れたのは、たいへん美しい女性であった。驚きと女性の美しさにしばし青年は固まっていたが、ゆっくりと答えた。


「いや、私が落としたのはもっと古びた斧です」


「あなたは大変正直者ですね。そんなあなたには、この金の斧と銀の斧を差し上げましょう」


「いや、いらないです」


「え?」


 これまで笑みを絶やさなかった女性は、初めて目を見開き、心底驚いてますと言わんばかりの表情を浮かべたという。


「いやいや、金の斧と銀の斧ですよ?売ればかなりのお金になるでしょう」


「いりませんって。とにかくあの斧返してください」


「いやあ……」


「さては新手の物取りか、警察に突き出すぞ」


「ちょっとやめなさいよ。金銀の斧あげるって言ってるじゃないの、むしろ慈善事業みたいなもんじゃない」


「いらん。早く返してくれ」


「しつこいわね。第一、あんなサビたボロっちい斧なんて使ってるから、すっぽ抜けて泉に落とすのよ」


「開き直ったな、口調が素になってるぞ物取りめ。そもそもだ、落としたのは金の斧だと俺が答えていたらどうしていたのだ」


「そら嘘つきってことで金の斧も銀の斧も没収よ」


「なら嘘をついて元の斧を返してもらうべきだったな」


「何言ってるのよ。元のも没収よ」


「呆れた奴だ。本当に物取りじゃないか」


「人聞きの悪いこと言わないで。私はこの泉に住む精霊よ」


「ハッ」


「鼻で笑うのやめなさい」


 こうして、『金の斧と銀の斧を受け取って帰れ』『いらないから斧を返せ』、という押し問答が小一時間続いた。最終的には青年が根負けし、金銀の斧を引き取り家路についた。


 次の日。青年はその2つの斧を泉に思いきり投げ入れた。


「……この場合、私は何て言うのが正解なのよ」


「知らん。いいから俺の斧を返してくれ」


「だからそういうのやってないのよ。今あんたが投げた2本返すからもういいでしょ。そんな惜しむほどの斧でもないでしょう」


「親父の形見なんだ」


「……形見なら使わずに仏様のそばに置いておきなさいよ」


「俺の家は代々、木こりを生業としていてな。父から受け継いだ斧を擦り切れるまで使い果たして一人前という風習があるんだ」


「変わった風習ね」


「うちの村では割とよくある風習だ」


「ふーん。他にはどんなのがあるの?」


「例えばだな――」


 そうこう話しているうちに、日が暮れてしまったので、男は形見の斧を返してもらうことを諦めた。結局、金銀の斧を再び受け取り、帰路についた。


 そして次の日。


「あんたね……。私がせっかくあげた斧を2日連続で投げるとはいい度胸ね」


「親父の形見を返してもらわないとな」


「いいじゃない。壊れるまで使い込みました、もう一人前ですってことにすれば」


「そんな不義理極まりないことできるか」


「お堅い男ねあんた。あんたの村ってそんなのばっかりなの?」


「そういう訳でもないさ」


「へえ。じゃあ他にどんなのがいるの?」


「そうだな――」


 次の日。


「昨日どこまで聞いたっけ?」


「お前、斧についてツッコむのやめたな」


「いいじゃない。それよりお調子者の助六の話が個人的にツボなのよ。もっとエピソードないの?」


「形見の斧を返してくれたらいくらでもしてやる」


「あー、考えとく考えとく。だから何か話してちょうだい」


「……そういえば昨日――」


 次の日。


「今日天気悪いわね」


「そうだな。形見が返ってこないことには俺の気持ちも曇りなんだがな」


「はいはい。ねえねえ聞いてよ、昨日のことなんだけど」


「お前、斧の話するつもりないだろ」


 男が金の斧と銀の斧を泉に投げ入れ、泉の精が現れ、日が暮れるまで2人は談笑し、再び金の斧と銀の斧を男が持ち帰る。そんな日々が数か月続いた。初めの一週間程度は男も形見の斧を返せと催促したものだが、忘れたのか諦めたのか、話題に挙げることもなく、ただ談笑に明け暮れたという。


 そんな毎日が続いたある日のこと。


「やけに今日は表情が硬いじゃない」


「……明日はここに来れないかもしれん」


「あら、どうしたの?」


「少々、野暮用が、な」


「歯切れが悪いわね、野暮用って何よ」


「……父が亡くなっているのは知っているな」


「ええ」


「俺が生まれてすぐに亡くなったもんで母と二人暮らしなんだが、母も歳でな。家に人手が欲しい、それにいい歳した男が独り身でってよく言うようになってな、それで――」


「……らしくもなく歯切れが悪いじゃない。いいから野暮用って何か言いなさいよ」


「……その、見合いだ。だからその、明日は」


「ふーん……。いいじゃない、行きなさいよ。別に私たち毎日会うって約束してるわけでもなんでもない。素敵な人だといいわね」


「すまない」


「なんで謝るのよ。……今日はもう体調悪いから泉に引っ込むわ。それ持ってさっさと帰りなさいよ」


 ぶっきらぼうにそう言い放った泉の精は、金の斧と銀の斧を青年に放り投げ、そそくさと泉の中へと消えていった。

 毎日会ってるけど約束してるわけでもなんでもない、あの男が他の女とどうなろうが関係ない、そう言い聞かせて泉の精は眠りについた。


 翌日、彼女の目を覚まさせたのは、2本の斧が泉に投げ入れられる音であった。


「……あんた今日お見合いじゃないの」


「断ったよ」


「なんでよ」


「なんでだろな、俺もわからん。とにかく気分じゃなかった」


「ふーん……。お母さんすごい怒ったんじゃないの、ざまあないわね」


「なんだ、昨日はえらく不機嫌だったくせに、今日は随分上機嫌じゃないか」


「あんたが怒られてるのを想像したら楽しくなってきただけよ」


「耳赤いぞ」


「うっさい!」


 そういったやり取りもあり、2人が毎日逢瀬を重ねるようになってから、多くの月日が流れた。

 青年が初めて斧を落としてから丁度1年を迎えた日、泉にはいつものは違う、えらくこじんまりとした小箱が投げ込まれた。


「……あなたが落としたのはこの金の斧ですか、それともこの銀の斧ですか」


 そして現れたのは、顔を真っ赤にし、目頭に涙を溜めた泉の精であった。


「いえ。私が落としたのは、もっと小さくて安い、けれども精いっぱいの気持ちを込めた給料3ヶ月分の指輪です」


「……あなたは正直者です。そんなあなたには、幸せな気持ちでいっぱいの泉の精を、差し上げます」






『えー、この聞いているこっちが恥ずかしくなるような台詞を言って、木こりと泉の精さんの交際はスタートしたわけですね。落ちたのは形見の斧ではなく、恋だったということですね、いやーご馳走様です!お二人の馴れ初めを語ったところで、友人代表、わたくし助六のスピーチを終わらせていただきます。お二人ともお幸せに!』




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