3 不協和音


 地下街は、四百年程前に世界各国に建造された施設の総称だ。

 原因不明の精神的不均衡が世界的に発生し、あちこちの国で戦争や内乱、内戦が勃発した頃に生まれた、大気を毒に変える兵器。その毒を含む大気は世界を覆い、人々はガスマスク無しで日常を送る事が不可能になった、そんな時代があった。

 その際に、完全密閉式の集合住宅の他に建造されたもの、それが地下街だ。

 遺伝子の順応により毒性を持つ大気に免疫が出来た人類は再び地上に住む様になったが、それ以前の人類がマスクを外して歩ける数少ない場所。今では、国際的な圧力に屈して政府が行った、移民法案改訂に伴い急増した移民・難民の『収容先』になっている。

 正規の手続きを受けて生活費を工面出来る者に問題は無かった。寧ろ、そうした中流以上の階級の人間であればいい。問題は難民や、自分達の生活を工面出来ない者達である。

 働かない、若しくは働きたくとも日本で非正規雇用で働くだけの能力さえも無い難民や移民は、政府の配給に生きるしかない。が、ただでさえ民間と公民の間での所得格差が大きく問題視される現代で、自国民以外の世話をする余裕は無い。国が想定していた以上の人が諸外国から流れ込み、全く対応策が取れないままなのである。

 取り敢えず裕福らしい日本という国に来てみたが、優遇されず、日本国民の殆どからは邪魔者扱いされ、まともな就職先も無い。隕石からの安全や自国の脅威から逃げ出してきた筈の難民達が直面したのは、新たな問題だけだ。しかし、島国にもう逃げる場所は無い。

 犯罪率は増加した。治安レベルはこの二十年、日本が先進国の中でトップ三十位以内に入った事が無いという事実を耳にすれば、どれだけ凄惨な状態であるかを理解出来るだろう。

 こうした現象が世界の先進諸国のあちらこちらで見られ始めてから、自警団の様な存在として生まれた星売り子の前身となる組織が姿を見せ始める。警察の代わりに自分達の手が届く範囲で街を監視し、問題を収束させる。元々日本に住んでいた者を守り、問題を起こした移民は警察に引き渡す。警察も次第に、暗黙の了解としてこの自警団の活動を認めていた。

 しばらくして、この組織は理念の弱体化が顕著になった。問題を起こした移民を賄賂で見逃したり、自警団という隠れ蓑を使い人を傷付ける者も増え、当時その絶対数を大きく減少させていた暴力団組織がこれに目をつけ、彼らを取り込む画策を始めた。

 遺棄された地下街が利用されるのは時間の問題だった。百人、千人とその数は増え、今では広大な地下街のあちらこちらを好き勝手に改造し、店を開いたり家を作ったりする者で溢れ返り始めたのである。いわゆる星売り子の闇市は、こうした環境の中で必然的に生まれた。

 こうした貧民層の街が生まれると、自然とそれに似通った存在も集まってしまう。移民でも難民でもない、日本の低所得者層が最終的に逃げ込む先は、大抵が地下街である。彼らもまた自らの過去と戸籍を消し、非人間として国の福祉や恩恵を受けられない身の上に落ちながらも、どんな悪事を働いてでも自らの手で生きる糧を得るという無法者として生きる事となる。

 ……だがそうした存在を別とすれば、多くの者は一応は、自分なりに真っ当な手段で稼ぎを得ようとする。

 ゴミ溜めでも、ゴミ溜めなりにルールがある。その事を、家を抜け出した祈はこの地下街に住む様になってから初めて理解した。

「チャンさん」

 ノックをしてオフィスに入ると、正面の年代物のデスクの上で、四台のディスプレイを並べたパソコン、そして二つのキーボードとマウスを使い分けている男が居る。一つのパソコンは株式のやりくり。もう一つは、祈やチャン達星売り子を牛耳る暴力団組織を中心とする『仕事』に関するメールとそれ絡みについて調べる為のものだろう。クラッキングや盗聴を恐れ、CPUやグラフィックボードなどの重要パーツを除き、チャンは自作PCのパーツの多くを、この五世紀も前の物で代用している。曰く、ローテク過ぎて大抵のハッカーやクラッカーは外部からも内部からも扱えないらしい。自身の電子端末さえも完全に使いこなせない祈からすれば、あまりにも彼のやっている事は理解の範疇を超えていた。

 どうした、と画面から目を離さないチャンが訊く。祈は答えた。

「武器を流してた連中を捕まえました。どうします?」

「移民か」

「いえ、日本国籍の学生集団です。ほら、この前大阪の方でガサ入れして捕まった左翼の連中が居たじゃないですか。あれのシンパらしいですよ」

 四年前の大暴動を機に、社会への不満、という名のフラストレーションの捌け口として本格的な活動が始まった、自称無政府主義者の革命運動。貧民層を中心として支持を拡大しているが、実際に関わってしまえば、連中が迷惑者である事は誰の目にも明らかだ。警察に引き渡すにしても、シンパは一層過激になるだけだろう。

「組みの人に引き渡せ」

 チャンは嘆息交じりに言った。そうなるだろうな、とは思ったが、やはり心苦しい。組に引き渡されれば、あの学生達はバラバラにされた後で活動家達の家に郵送される事だろう。せめて生きて逃がしたいのは山々であったが、チャンにも、そして組にも逆らう事は出来ない。所詮、星売り子は暴力団の使い走りだ。いくら、祈達がどれだけ必死に治安を守ろうとしたところで……

 やるせないな、と心の中で祈もまた嘆息して、承知しました、と答えた。

 部屋を去り際にもう一度チャンの顔を盗み見ると、かなり疲れた顔をしていた。何か声でも掛けられれば良かったのだろうが、祈には何と言えばいいのか、その為の言葉が分からない。彼もまた誰かを助ける為に、この地域の星売り子のリーダーとなった筈なのだけれど。

 今の自分達に、その大義名分を掲げられるだけの実績や矜持が、果たしてあるだろうか。



 ベイプの煙を人混みの中で燻らせながら、祈はのんびりと家路につく。日本語を始め、中国語、韓国語、英語、インドネシア語、その他訛りを含めた雑多な言語がそこかしこで聞こえてくる。移民・難民が集まった影響で、このゴミ溜め都市では地上で滅多に見られない独自の風土や文化が生まれ、定着し始めている。住民は生活上の必須事項として複数言語を話さなければならないので、大抵は最低でも三カ国語以上は話せるのだが、それを地上で役立てられる機会は無い。

 ゴミ溜めで生きる経験を積めば積む程、人はまともな暮らしが出来なくなる。法治国家は、法の道を外れた人間に慈悲を与えない。無理からぬ事だ。法という庇護を捨てて文字通りの無法者として生きる事を選んでしまえば、真っ当に社会復帰しようなどというのは甘えでしかない。

 それは、祈にとっても同じ事である。

 歴史の文献でしか見た事の無い、大昔の香港に存在していたという九龍スラム街にも近い作りをした集合住宅。その中の一室に、自分だけの城を持っている祈は、部屋に入るとドアに鍵を掛け、荷物を放り出して服を脱ぐ。下着だけになり、狭く窮屈な部屋の中で唯一得られる開放感を手にすると、汚れたベッドの上に横になり、天井をしばらく見つめていた。深刻な犯罪でも発生しなければ警察も介入しないこのスラムで、それでも住民は精一杯の平穏を得ようと協力し、慎ましやかに暮らす。星売り子である祈も、その願いは共通のものである。

 しかし、自分がいつか本当の意味で、心安らかに一日を送れるようになる、そんな日常はやってくるだろうか。今の生活を続けている限りは、決してそれは叶わないだろう。しかし、どうすれば打開出来るだろうか。

「元の生活に未練がある訳じゃないんだけどね……」

 言葉に出して言ってみたが、どうにも嘘臭く、そして言い訳がましく聞こえる。そして唐突に、千鶴の事を思い出した。今更ながら、何故自分と彼女は上手くやっていたのだろう。先日は意見を衝突させてしまった。その事は悔やんでいる。

 だがあの日彼女は、星売り子をまだ続けている祈に対し、その仕事を辞めろとも、そんな祈を嫌いだとも言わなかった。ただ、法を曲げてもなされなければならない正義があるという言葉に対して反発しただけで。

 千鶴はまだ自分の事を、友人だと思ってくれているだろうか。

 虚空を見つめながら、祈はしばし、答えの見付からない自問を繰り返した。


       *


 そもそも、隕石が地球に飛来する原因について分かっている事は少ない。

 ぎょしゃ座アルファ星のカペラと、ペルセウス座アルファ星のミルファクの間の辺りから決まって侵入してくるという事。重力に従う通常の天体ではなく、重力のメカニズムを利用したスイングバイ方式で幾つかの星を経由しているらしいという事は、かろうじて観測出来ている。だが後者についてはこの度の解析により、『重力のメカニズムを利用している』のではなく、『重力を利用する為のメカニズムを自ら作り出した』可能性が濃厚になった。つまり、真央ら人類は隕石に対する根源的な打開策など持ちえていないに等しいのである。ただ彼女達に残されているのは、防衛する事だけだ。

 隕石が去来した当初の様な、ミサイルによる迎撃を続けられれば良かった。しかし奇しくも当時、地球は未曽有のエネルギー危機に直面しており、連日の様に去来する流星群の破壊行為を維持し続けるだけのリソースが圧倒的に不足していたのだ。加えて、その隕石が新世代の莫大なエネルギー源となると判明すれば、単なる破壊に踏み切るのは愚の骨頂であろう。

 今となっては恩恵もある。壊滅的被害のあった都市の周囲に人工的な明かりが消えた事で、旧東京や関東近郊の一部跡地を開拓し、空船の発着場や天体観測所を設ける事が出来たのだ。ハワイの観測所程の精度は望めないが、世界中の研究機関から寄せられる利用許可申請の順番待ちをしなくて済むのは、この国の星漁における利点の一つだ。

 反重力エンジン搭載の官僚専用車は、海抜二千五百メートルまでの高度の空を自由に行き来できる。それも、観測所に真央がこまめに足を運び、現場とオフィスの間で迅速なフィードバックを遂行出来る長所だ。電話やメールだけでは把握しづらい事項が多いのは、流星が訪れる以前と変わらない事情だった。

「国連を納得させられそうですか?」

 深夜一時過ぎ、観測所の中心で大型光学赤外線望遠鏡の捉える映像を記録していたらしい研究者は、真央の姿を見ると苦笑して言った。

「まずは学会が認めないと、どんなに論理的でも門前払いですね。権威至上主義は、どの国でも同じです」

 広い観測室の中は、彼一人の様だ。まだ春の風さえ吹かない寒々しい空気に満ちており、コートの下で真央は体を縮こませる。研究員は慣れっこらしく、ダウンを一枚着ているだけで、元気そうだ。

 予想していた答えではあったが、溜め息が出る。あと、何年先の話になる事やら。だが落胆もそこそこに、真央はデータの入ったメモリをポケットから取り出した。

「閣僚会議を通している暇が無いので、『うっかり』抜き出したデータをここへ忘れていく事にします。『うっかり』開いて下さい」

「あとで気付く様にします」

 ふざけた会話を挟み、研究員は画面から目を離して背伸びをし、肩の凝りをほぐした。仮説は仮説として内閣に隕石が生命体である可能性についての報告をしたところ、隕石エネルギー庁を除く全ての庁と民間への情報公開を禁じられた為、事前に保存していたデータを持ち出すしか、研究所の手助けをする手段が無かった。真央が『うっかりした』このメモリには、ラオ・チェンの司法解剖の結果とスケール3隕石に関する研究データが入っている。せめて、この研究所の職員が成果に役立てられる事を願うしかない。

「それにしても、どうして戒厳令を?」

 研究員が尋ねる。真央は渋面を作って答えた。

「いつの時代も、命ある存在に過剰に大きな声を上げる層が居ます。犬やイルカや鯨を殺して食べる文化に対して、可哀想なんていう漠然とした理由だけを根拠に騒ぐのはナンセンスです」

「勇ましい考え方ですねぇ」

 女らしくない、という意味を彼なりに柔らかく言い換えた言葉だろう。真央はそう判断し、苦笑した。長く政治家をやり過ぎると、どうしても合理性を優先して考えがちだった。が、曖昧な物言いや根拠の無い意見に辟易する彼女としては当然の理屈であった。

 しかし娘にとってはどうだろうか、と再び考える。理屈っぽい母親は、多感な女の子の母親が担う役割としては適切だっただろうか。

「ああ、そうだ。皆スケール3がおじぎした事にばかり興味を持っていますが、その直前に起きた小隕石群がスケール3を取り囲む様に周回を始めた現象についても、僅かながら進捗がありました」

 研究員は眼鏡を外して目頭を押さえ、そう切り出した。「まず、問題のスケール3を含む当日の隕石群のデータを八割以上確認しましたが、これまで飛来した隕石と主成分や材質は変わりありません。しかし隕石がこれまでこうした危機回避行動を取らなかった以上、植物がそうする様な自己防衛反応とは違う何かが原因と考えられます。そしてそれは、状況に合わせた動物的な反応に近いです。そうなると、呼吸や血脈は何に代替されるかという論点になるんですが、やはり反重力粒子が全ての鍵になるのでは、と」

 どうも、難しい話は苦手だった。簡潔に言うとどういう事でしょう、と真央は先を促す。つまりですね、と姿勢を改めて研究員は言った。

「我々が星漁の目的としている、反重力粒子エネルギーを含む隕石。花崗岩の様に数ミリ径の結晶が寄り集まった無数の粒子構造の中に、微量の液体の様な物質を含有し、粒子を隕石内部に保存している。こうした性質を持つこの隕石の欠片を特別な培養液に浸す事で、従来ガソリンの数百倍のエネルギージュールを長期間に渡って生成出来る。副作用として、隕石が直接培養された液体に特定の出力と圧力を掛ける事で、数十トンもの物体さえも地球の引力方向とは逆方向へGを加圧させる事が出来ます。ここまではいいですね?」

 真央は頷く。高校の授業で誰しも習う事だ。「反重力粒子を含む隕石を保管している倉庫内で、乱数発生装置を使ったESP能力実験を行ったところ、大きな反応を示しました。しかも、職員が隕石を保存している容器に触れたり持ち上げたり、物理的な干渉をする度にパターンが変化していました」

 それを聞いて、まさか、と真央は口を開く。

「テレパシーで意思疎通しているのですか?」

「可能性はあります。これについては、面白い結果だったのでESP研にも報告して共有してますが、つまりあの隕石は、動物的本能による防衛反応だけでなく、コミュニケーションを可能にする言語らしきものも有しているという事になります。しかも、驚かないで下さい。ケースサンプルを確保する為に、約一時間半、倉庫内でこの作業を続けていました。すると、三十分を過ぎた頃から徐々に反応が鈍くなったんです。おかしいと思いながら続けていると、一時間と少し過ぎた頃には殆ど反応を示さなくなりました。……学習しているんです。我々があの隕石に対して通常と異なる行動をした為に警戒音を発していた隕石は、それが自分達を害する行動ではないと判断し、警戒音を止めたんです。つまりあの隕石は、個々に意思と意識と思考を持ち、正確に状況を判断し、お互いにその情報をリアルタイムで共有・伝達する手段を持っている。事実、その過程を推測した職員の一人が実験用のスタンロッドのスイッチを入れた時、それまでと違う行動パターンを取った為か、隕石が激しく反応を示しました」

 それはつまり。あくまで可能性の話だとしても。

 研究員は続ける。

「地球から遥か離れた宇宙から飛来した隕石が、星崩しと空船の用途や存在意味を理解し、そして妨害行動と回避行動を取った。あの隕石は、遥か彼方から飛来する同胞に、この星の情報を伝達しています。ラオさんの脳に侵入したとされる反重力粒子の液体が、肉体は死んでいるにも関わらず脳が生きている状態を作っていた理由も、これで一つの仮説を立てられるんです。何故あの隕石達は海ではなく、人類の住む陸地へ正確に落下しようとするのか。何故隕石が爆発四散し、その欠片と粒子をばら撒くのか。人体に接触しても尚爆発しなかった隕石の欠片こそ我々人類が初めて隕石を『生きた』サンプルとして捉えた例ですが、何故隕石は人体に爆発性を示さず残存するのか。それが目的だからでは?」

 真央の背筋に、悪寒が走った。


「隕石は、地球に住む我々の情報を収集し続けているのではないでしょうか?」


       *


 それを夢と認識出来た理由は、二つある。一つは、千鶴の両腕がまだ生身であった事。もう一つは、死んだ祖父が自分の隣を歩き、千鶴が彼と談笑していたからだ。

 不思議な感覚ではあったが、悪い印象は無い。当時六十を過ぎた祖父ではあったが、元消防士として体を鍛える習慣は抜けなかった為、まだ背は真っ直ぐ伸びていたし、体も大きかったのだ。

 人を助ける仕事に就いていた祖父を尊敬していた。真っ直ぐで豪放磊落な性格の祖父は人を惹きつける魅力があるのだろう、彼の知り合いや友人には、誰かの役に立てる事を喜ぶ人が多かった気がする。実際、父も警察官をずっと続けているような人だった。

 将来は、自分も誰かを助ける仕事をしたい、と話をした事がある。祖父はおおらかな人だったから、千鶴のあれやこれやという願いや夢を応援してくれた。

 だが、星漁師について口にした時だけは、苦い顔をした。そうして、彼は決まって言うのだ。

 直接助けるだけが人を救う手段じゃない。どの職業だって、誰かを助ける役目を持ってる。どんな目標を持っていても、その拘りさえ無くさなければ、お前ならどんな仕事でもやっていける。でも、星漁師になって私達を悲しませる事はしないで欲しい。

 その言葉は、千鶴の心の中に呪詛の様に刻まれ続け、大学三年生になったその日も、まだ自分の将来について悩み続けていた時だった。

 地下都市の入口から、建物の影から、通行人の波の中から、武器を手にした一部市民が飛び出し、暴動を起こしたのはそんな時だった。

 ……隕石が落下し東京が首都として機能しなくなった後、経済的な格差は嘗て無い程拡大していた。家族に公務員の多かった千鶴の家はまだ恵まれている方で、義務教育の終了する高校から大きく進学率が減る事は珍しくなく、千鶴の進学に際しても、それまでのクラスメイトの七割が就職の道を選んでいる。

 国の総人口が八千万人を割ったこの国の低所得者絶対数の増加は、あまりにも深刻で。

 増加する移民や一部受け入れた難民はこの国に順応出来ず、この国で生きていくには乏しい稼ぎと自分達の処遇に業を煮やした彼らは、この国を母国とする貧民層と共に決起したのだ。

 新設された大阪の国会を中心として、大阪や他都道府県の主要都市随所で暴動は起きた。綿密に計画したらしい、同時多発的な大暴動。それは、乾いた草木に火を放つ様に、瞬く間に伝播していった。

 千鶴の歩いていた旧東京も、あっという間の混乱に陥った。密輸された銃火器の破裂音。火薬、火炎瓶、手榴弾。

 暴徒の中には、敢えて混乱を拡大させるように騒ぎ立てる男達も居た。波紋が波紋を生む様に、人々は共鳴し、衝突し、そして多くの死傷者を出す。千鶴も、人波に飲み込まれて祖父とはぐれてしまった一人だった。

 爆発音、悲鳴、警察と市民の怒号、罵声、血。

 全てが、鮮烈で、残酷で、強烈だった。膝をついて動けなくなっていた千鶴を祖父が遠くから見付けた時には、そう遠くない場所で狂った男が、体に手製の爆弾を巻き付けた格好のまま支離滅裂な言葉を叫んでいるところだった。

 爆発が起きた時の事は、千鶴も良く覚えていない。だが、祖父が身を挺して自分を庇って死んだ事、それでも尚庇い切れなかった彼女の両腕が吹き飛ばされた事は、遠のく意識の中で理解した。



 目が覚めたのは、感じる筈の無い幻肢痛を両腕に感じたからだ。肩口から先に何も無い千鶴の虚無の両腕は、しかし熱を帯びて痛みを感じている。

 歯を食いしばって慌てて体を起こし、噴き出す汗にも構わず、和らげようも無い痛みにしばらく耐える。動悸と息切れがようやく治る頃には、窓から僅かに日が差し込み始めていた。机の上に放置された千鶴の両腕は、静かにただ横たわっている。

 まだ冷える室内の空気を吸い込んで体を起こし、両足を器用に使いながら右腕を、続いて左腕を装着した。接続された神経が一挙に感覚を取り戻すが、まるで感触の無かったそれが突然形を得る感触は、いつまで経っても慣れない気味の悪いものだった。だがこの気味の悪さが、千鶴に自分の生を実感させる。新調された右の義手は、今日も良好に作動している。

 結局千鶴は、家族も友人も彼女に望まなかった、星漁師の仕事に就く事になった。だが、それでも彼女自身が選んだ道には違い無い。そして、自分自身に救えない存在は無いのだと広く強く証明する為には、他の仕事ではなく、星漁師として活躍する事こそがその手段足り得るのだと信じて疑わない。

 例え、誰かの為に死ぬ事になろうとも。

 この両腕が、祖父が千鶴の命を救ってくれたが故に得られた両腕の力が、また誰かの命を救う助けになってくれるのだと証明する為にも。



 三週間の地上訓練(と言う名の謹慎期間だ、という事は何となく察していた)を終えた千鶴は、一回、二回と星漁に再び参加していた。そのいずれも、幸いにしてスケール3が来襲する事は無かったが、それでも千鶴は、次期星崩しの射手候補生としての訓練を受け始めていた。

 鍛えられた筋力によってようやく稼働が可能となるギプスを着用し、星崩しの模擬銃を振り回す事で、狭いエンボイ機上での柔軟な取り回しの為の体慣らしをする。加えて、バランスが崩れて射撃が困難な状況になっても引き金を引ける様な、瞬間的な判断力や筋力を鍛える訓練をした。これを、通常の星漁師の仕事や訓練を終えた後でやるものだから、連日千鶴の体は筋肉痛が止まらない。

 しかし進藤も他の星漁師達も、いい意味で千鶴を女扱いする事は無かった。星漁師としても射手候補としての訓練も、どちらも十分に他の漁師達に追いついているのが、たった数回の出撃でも認めてもらえているのだ。特に、初日にいきなりエンボイと星崩しを扱って成果を上げたという事が、ベテラン漁師の反感を買う事も無く、寧ろ彼女の評価を上げている。

「疎まれるかと思ってました」

 率直に言うと、謙遜しねえなぁ、と進藤は笑い、答えた。

「星崩しの射手は、確かに憧れの的だ。給料も跳ね上がる。でも、やるかやらないかを問われたら、やっぱりやりたくないと答える連中の方が圧倒的に多いのさ。アマチュアでどれだけ活躍していても、メジャーリーグに行こうと夢見る奴は少ないだろう? それに、命の危険が他の漁師の比じゃないしな」

 だからこそ賞賛されるのさ。進藤は、しかしその口調とは裏腹に、少し寂しげだった。

 しかし船長であるローランドは、あまりいい顔をしない。他の漁師と自分を比べると何処か千鶴を疎んじている様な、遠ざける様な、そんな態度を取るばかりだった。最初の頃は殆ど見る事の無かった、進藤との言い合いも何度か目にしている。だがいつも、大抵は進藤が譲歩して話が終わっている印象が多かった。理由を問うと、「船長にも色々事情があるんだよ」とだけ答えて、それ以上は教えてくれなかった。

 思えば、千鶴が入隊してからずっとそうだ。常にローランドは、千鶴を空船から、そして星漁から遠ざけようとしている風に見える。何故だろう。自分が女だからだろうか。星漁師として不適合だと判断されているのだろうか。いずれにせよ、自分の処遇に不満がある事は確かだ。

 それでも、初日から問題を起こした手前、声を大にして目立つ事など出来よう筈も無く。しかし星崩しの射手になるという強い思いは決して揺るがず。

 自尊心とフラストレーションの狭間で、誰にも見られないところで苦しみながら、彼女の六回目の漁が終わった翌日。

 スケール3を含む流星群が迫っていると、観測所からの報告が舞い込んできた。


       *


 星崩しの射手に任命されてから初めて、進藤は専用の鎧に袖を通した。他の星漁師が繋ぎの作業着よりもずっと薄い生地に、関節部など体を俊敏に動かすのに必要な部分を除いた箇所へ、専用のプロテクターが組み込まれている。それは正に、武者の纒う甲冑に酷似しているな、と改めて思った。

 プロテクター同士を繋ぐ機構に、高出力の小型モーターが組み込まれているこの鎧は、エンボイを操縦したまま二十キロの星崩しを担ぎ、取り回し、射撃するという力技を可能にする為に不可欠な要素だ。無論、通常の星漁の作業も、他の漁師達に比べて数段機敏に動いて作業を処理出来る。

 両手の指を閉じたり開いたりを繰り返し、感覚を確かめる。甲板の床下収納から星崩しを取り出して簡単な整備をする。銃弾が装填されている事も確かめた。

 全ては、星を落とす為。

 大役を任されてから初めて、鎧を着ての出動。その事実が、どうしても進藤の体を震わせた。それが武者震いなのか緊張なのか、はたまた恐怖からくるそれなのか、彼自身にも良く分からなかった。

 ただ、何があっても立ち向かい、破壊しなければならない訳で。

 失敗は常に許されない。そんな仕事だという事を改めて心に深く刻んだ。だから、今回の漁に一層の緊張が生まれてしまう。

 二日前に報告された到着予想の流星群には、スケール3が二つ存在すると確認された。

 ただのスケール3であれば、それを問題には感じなかった事だろう。だが、今の進藤の脳裏には、あれが生命体であるという事、そしてこちらの射撃を予測した回避行動、或いは妨害行動を履行する可能性が非常に高いという事、この二つの事実がちらつき、焦燥感と恐怖を与えていた。船と地上を繋ぐ係留アンカーが切断され、数Gの重力負荷に耐える最中でも、彼の心を支配するのは星崩しとしてのプレッシャーばかりだった。

 酸素マスクが息苦しい。取り外して大きく口で深呼吸した方がいいのではと思えてしまう。地上とは比べ物にならない程酸素は薄い筈なのに。

 空を切り裂く轟音と共に流星群が間近に流れる様を見ながら、進藤は得体の知れない閉塞感を覚えていた。

『接敵から回収限界時間までの猶予は?』

『およそ三十分』

『銛と網、射的用意』

 船長の号令の下、星漁師達が配置に就く。進藤は千鶴を傍に従えて、生け簀の近くで引き上げられる網や銛を回収する準備をした。船が囲む数十の星屑達は、今までと特に変わった反応を見せる事は無い。

 ただ。

 ただ、少しだけ、スケール1や2の隕石が微震している様な、そんな風に見えた。

 この星について、ローランドら船長達幹部組と千鶴も話を聞かされている筈だが、どれだけ二人を見ても、何を考えているかは分からなかった。

 全ての不安を、断ち切らなければならない。星崩しの射手として。

『射撃開始!』

 怒号。それに触発された様に、誰もが叫び声を上げた。自分自身を鼓舞するかの様に、ただ降り注ぐ流星群を睨み据えて。

 十、二十と、小さな隕石は捕獲されていく。引き上げられるそれらを、進藤は迅速に、しかし丁寧に扱い、生け簀へと下ろしていく。工船の担当漁師が、やはり迅速に丁寧に、星々を緩衝用の包みへとしまい込んでいった。

 五分も経過した頃、ちらり、と千鶴の方を見る。すると彼女も、進藤の方を見ていた。その目に、僅かながら困惑の表情が浮かんでいた。

 優秀なだけあるな、とその様子を見ただけで進藤は判断する。彼女は気付いている。恐らく、作業に没頭している他の漁師達も何人かは、小さな違和感の正体に。

 網や銛を射出しているのは、素人ではない。いずれも一年以上漁に出続けている精鋭だ。そんな彼らが捕獲出来る星の漁や一分当たりの作業量は安定しており、大きく過不足の発生する事は無い。

 だが明らかに、星を上手く獲れていない。

 進藤ら待機班が準備し、構える時間に余裕がある。通常、射撃漁師の次の獲物の引き受けを待つ、という無駄な時間が生まれる余裕など無い筈だった。だが、実際にそれが発生している。

 目を凝らして、射出された網や銛の先を見た。

 放たれたそれは、固まって飛来する流星群の手前で傘を開く。口の広がった網は、全てを包み込もうとする。

 だが、それらが収束するよりも前に、小隕石達は僅かに揺れ動き、網の口が閉じる範囲の外へと逃げようとしている……様に見えた。

 隕石が、逃げている。

 誰も口にしようとはしないが、確かにそんな動きを見せていた。

 そして戸惑う進藤らに、更なる追い打ちが掛けられる。

 ゴッ、という重い音と同時に、何かが折れる様な音が進藤のすぐ近くで聞こえた。彼を含む数人がその方向を見る。

 すると、進藤もよく知っている星漁師三年目の男が片膝をつき、頭をぐらぐらと揺らしている。おい、と声を掛けようとすると、係留フックに体を繋がれたまま、男は船の揺れでバランスを崩し、その場にドッと倒れ込んだ。

 側頭部には、穴が開いている。血が流れ、骨が砕け、脳の一部が溢れ出していた。

 即死だ、という事だけは頭が理解したが、体が追いつかない。何故死んだのかも分からず、ただ進藤達は割れた頭を呆然と見ている。

 そうして、傷口に見慣れた、黄金色に淡く輝く液体の様な小さい雫が、ゆっくりと男の体の中へ……頭の中へ流れ込んでいくのが見えた。その瞬間、進藤は全てを理解すると同時に戦慄した。


 隕石だ。彼は、隕石と衝突して死んだのだ。


 だが、何故このタイミングなのだ。何故星漁師なのだ。何故漁を始めて間もないこの瞬間なのだ。

 答えを、進藤は知っている。この隕石は、生命体だからだ。

 そして同時にもう一つの確信を得る。

 流星群は、生物としての意思と知能を持ち合わせているのだ、と。

 次の瞬間から、船の上は地獄と化した。網で捕まえられるような小さな隕石の欠片が、次々と船上の星漁師達目掛けて降り注ぎ始めたのである。

「船内へ退避しろ!」

「姿勢を低くして物陰に隠れろ、早く!」

 ローランドと副船長の指示が飛ぶ。船内ハッチに近い者は悲鳴を上げながら、一目散に船の中へと逃げていくが、そうでない者は生け簀の影や射出装置の影に身を潜め、周囲の様子を観察しながら、身を震わせていた。そうして戸惑っている間にも二人、隕石の犠牲

になる。一人は腹に風穴を開けられて。もう一人は頭を失って。

 甲板や船体に激突する隕石の一部は、小規模な爆発を引き起こした。培養液を原液とした塗料で万一に備えているとは言え、このように集中的な隕石の『襲撃』を受ける事は想定の埒外だ。

『こちら五番、信じられないが、星の襲撃を受けてる!』

『三番も同じだ! 畜生、動けない!』

『七番、船長と副船長が倒れました! 指示が出せません、申し訳ありませんが離脱します!』

『二番と四番は一番に続け! 何とか獲れる奴だけ獲る!』

『正気か!』

 再びの混乱が、無線を通して声に乗って伝わってくる。何隻かの船が、炎を上げながらも漁を続けている。破損の一切無い船などもう無くなっていた。

 倒れている同僚に手を差し伸べる。握った筈の手からはすぐに力が抜け、同僚の体ははじけ飛び、船の外へと放り出されてしまう。係留フックなど役に立たなかった。一人二人は救えたが、それだけだ。残りは皆、体を隕石に削られるか、船から落ちるかしてしまう。涙を拭うと、作業着に付着していた血が頬にこびりつく。閉じられた生け簀の蓋の上で誘爆を始めた隕石の欠片にも構わず、怒りに任せて進藤は銛の射出器に飛びつき、撃つ。銛も網も引き上げる者は殆ど居なかったが、それでも、動きを止める為に、撃つ、撃つ。

「進藤さん! エンボイに乗って!」

 後ろから力強く進藤の肩を掴んで引き戻したのは、千鶴だった。「ここは私がやりますから!」

 マスク越しの彼女の声は、しかし不思議と進藤の耳に良く通った。彼女の他にも何人か、飛び交う隕石の脅威に怯えながらも勇気を振り絞り、叫びながら網や銛を撃つ漁師の姿が見える。皆、正気と狂気の危うい狭間に立っているかの様だ。

 きっと自分も、同じ顔をしている。

 歯の根が噛み合わずに鳴ってしまいそうになるこの瞬間に、しかし進藤は意を決する。このまま星の衝突を許せば、次の街が滅びる。また、自分の様な人間を増やしてしまう。今すべき事は、スケール3の驚異を無くす事だけだ。

「……頼んだ」

 短く言って、進藤は踵を返す。姿勢を低くしながら船尾方向まで進み、床板の収納扉を開いた。鎧の補助駆動機構が、重量級の対物ライフルを難なく持ち上げる。それでも、ずっしりとした重みをその腕に感じた。スリングを肩に掛けて銃を担ぎ、エンボイのエンジンを掛ける。手動でロックを切り離して空船から離れた後は、ただひたすら、一番近いスケール3へと進むだけだ。だが、言う程簡単ではない。

 ラオが死んだ日の録画映像を、吐き気を堪えながら何度も繰り返し見た。その映像と同様に、否、それ以上に狡猾な動きで、小隕石は彼の進路を妨害しようとする。自分の目で実際に見るまでは信じられなかったそれが、確かに目前で繰り広げられている。

 だが困惑と混乱の中にあっても尚、進藤の胸中には拭い切れない疑問があった。

(何故、今日なんだ?)

 ラオが死んだ、隕石の挙動に異常が確認された日から以降、漁には今日まで毎回出動していた進藤であったが、そのいずれも、隕石がこうも不可思議で異常な行動を見せる事は無かった。ましてや、漁師達に対して狙い澄ました様に突進し、『攻撃』してくる事など。

 違う事と言えば、スケール3の隕石が降ってきているか否かだ。

 もしも隕石がESP能力を持っているというならば、互いに情報を交信する事は可能なのだろうか? 生物の知能指数と潜在能力が脳の容量に比例する様に、隕石もその容積量の大きさで司令塔となれるかどうかが決まるのだろうか? まさにスケール3レベルの隕石が、その司令塔となるに足る最低限の容積を持てる大きさなのではないだろうか?

 ならば、周囲の小さな隕石群の捕獲を最優先に急ぐより、スケール3を先に撃破しなければいけない。進藤はエンボイの出力を落とし、飛んでくる小さな隕石の欠片をよけながら、巨大なそれの下方後ろにつける事にした。或る程度隕石は避けて位置についたつもりだったが、完全に見逃してもらえる程甘い相手ではない。正確に狙って射撃準備をする時間も、あまり許されてはいない様だ。

 ならば、と急いで星崩しを構え、ハンドルから両手を離して狙いを定める。呼吸を止め、一瞬で照準を合わせ、引き金を引いた。

 だが予期した通り、隕石はその直前で、今度は先日の映像で見た時よりも大きく角度を変え、弾を避ける。それでも弾は隕石の一部を砕いたが、勢いを殺し、銛で捕獲出来るまでの大きさへと破壊した訳ではない。

『進藤。六条がやった様に、近距離で撃つしかない。やるなら急げ。無理なら自衛隊機に完全破壊を支持する。既に待機済みだ』

 イヤホンから流れるローランドの声に、マスク内に備えられたマイクから進藤は反論する。

「破壊なんて駄目です。資源が……」

『そんな事言っている場合か! お前みたいな家族がまた増えるんだぞ!』

 叫ばれて、ぎり、と歯を強く噛み締める。もう、悩んでいる暇は無かった。新しく弾薬を装填し、エンボイの出力を上げて上昇する。幾つか流星群の欠片が体にぶつかってきたが、鎧がそれをはじいてくれる。それでも、すぐ傍に迫り続ける死の恐怖に体が震えた。目標は、十五メートルまで近付いていた。こんなに近くまでスケール3に近付くのは、初めての事だ。空気を切り裂く轟音と熱風が、容赦無く進藤に襲い掛かる。

 仕事、まだ続けなきゃ駄目なの。

 理香の言葉と泣きそうな顔が脳裏に蘇る。縁起でもなかった。

 やらなきゃ駄目なんだ。義務とか責任とか、そういうものじゃない。自分の使命そのものなんだ。そうやって、心の中で自分に何度も強く言い聞かせる。そうでもしなければ、恐怖に負けてしまいそうだった。

 星崩しを構えながら、十メートルの距離まで近付いた。もう、時間が無い。銃口を向けて星の重心目掛け、引き金を引く。轟音と衝撃が進藤の体を貫き、体が反動で持って行かれそうになった。大きくエンボイが揺れる視界の中で、星が一つ、大きく砕けた。

 イヤホン越しの歓声。星崩しの射手としての、初めての釣果。

 やったよ、お母さん。

 叫び、拳を掲げたくなるはやる気持ちを抑えながら、進藤はもう一つ残るスケール3の隕石へと近付いていく。

 近付きながら砕いた隕石をちらりと見ると、先程まで漁師達への攻撃を続け、隕石や空船の周囲を動き回っていたスケール1や2の隕石はその動きを、通常の平坦な動きへと変えている。一方、まだ健在な方のスケール3では、周囲をまだ小型の隕石が不規則な軌道で動き回っており、船への意図的に見える妨害衝突もまだ存在する。

 やはり、司令塔らしい巨大隕石を崩さなければ駄目らしい。進藤は再度弾を装填した。一発数十万円に相当する贅沢な狩猟道具は、しかし今、値千金の価値を持つ。

 エンボイを駆り、飛び交う隕石群の間を縫いながら巨大な星へと近付いていく。

『衝突予定まで四分、退避限界まであと二分!』

 イヤホンから誰かの声が聞こえる。「カウントを続けろ!」と叫びつつ、間に合え、間に合えと心で叫びながら、スロットルを開く。両掌から流れる汗がとてつもない。落下に伴い高度はどんどんと下がり、気温も上がっていく。

 ……あと少しで射程距離内だ、というところで、予期せぬ事が起きた。

 それまで、隕石の欠片はスケール3と並走する形に準じ、そこから加速・減速を使い分けて漁師達に体当たりをして攻撃してきた。しかしそれは、隕石が人体への接触では爆発が生じない性質故に、鎧を身にまとう進藤にとって致命的な脅威には成り得ない。破片が極度の減速や加速で衝突しない限り、ラオの様な事故で死ぬ事はまずないのだ。

 だが、そんな隕石が進藤の隣数メートルまで近付いた時、握り拳大のそれは、爆発した。ガソリン燃料にとって代わるエネルギー粒子を持つ隕石の爆発は、時速七百キロを超える速度で高度数千メートルを走る進藤とエンボイのバランスを不安定にするには、十分なものであった。

『今のは?』

 ローランドの困惑した声が聞こえる。

 疑問の声と現象について答えを導く暇も無く、星は次々と、進藤の近くで爆発を始めた。正確には、スケール3と進藤との間で、彼の進行を阻むかの様に。

 弾幕だ。気付いた瞬間、進藤は爆発から離れる事を決めた。高高度・高速度での行動を可能にする為に空船やエンボイの機体全面から常に噴出されている培養液の霧は、隕石同士の衝撃接触により爆発する事は無いが、隕石の爆発そのものに晒された場合、ガススプレーのそれと同様に引火を引き起こす可能性があった。

 近付けない。この手を取られては。

 先程までの威勢は消え失せ、進藤の胸中に絶望の闇が広がり始めた。

 駄目だ。もう、近付けない。

『残り一分!』

 叫び声。このままではもう間に合わない。周囲を見回す。空船は、小さな隕石の多くを収穫していた。もう、獲れる距離の星は全て獲り尽くしたのだろう。もう、これ以上の援助は望めない。遠くに、千鶴の不安そうな、絶望にも似た表情が見える。

 お前がそんな顔してどうするんだよ。心の中で呟いて、その真っ直ぐな目に射抜かれて。

 覚悟を決めて、エンボイを一気にスケール3へと近付ける。集中し、飛んでくる流星をギリギリで避けていった。爆発する星は、その爆風の向こうへと突っ込む様にして乗り切る。無茶苦茶もいいところの戦法であったが、隕石も虚をつかれたのか(奇妙な言い方だ)進藤のその急激な動きに対応出来ない様だ。これで再び、否、先程よりも近い、十メートル以内まで近付けた。もう、この機は逃さない。

 銃を構えて、目の前に迫った目標に照準を合わせ……

 予期せぬ事が起きた。


 スケール2の一つが上空から、勢いよくスケール3に衝突したのである。


 何が起きたのか、始めは分からなかった。だが、スケール2の衝突により、スケール3は二つに割れた。一つは小さく、一つは大きく。そして小さく割れた星は、進藤が撃った星崩しの弾丸に貫かれ、更に細かく砕け散った。

 大きい星は、砕けて押し出された勢いで一層加速し、進藤達の居る地点からずっと遠くへと飛び去っていった。

 蜥蜴が自分の尻尾を切って逃げる様に、この隕石もまた、自ら星を壊して分離する事で星漁師から逃げたのだ。

 雲海の中へ星が沈んで、十数秒後。ドン、と空気の震える音が響いた。

 空に吹き荒れる風の音さえ、何処か遠くに聞こえる。進藤は何も出来ず、ただその場で心を砕かれていた。イヤホンから、短いやり取りが聞こえる。

『落下地点は……』

『……大阪です』

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