1 星漁師達

 旧東京、午後二十二時四十八分。

 夜遅い時間にも関わらず、サイレンは都市の各所にてその大音響を轟かせる。夜遊びに出歩いていた学生も残業帰りの会社員も、皆が空を見上げて体を緊張で硬直させた。サイレンの後に続く放送が始まる前に、多くの市民は動き始めていた。

 無機質な声の放送が響く。


『流星の成層圏突入予定時刻、十分前になりました。市民の皆さんは、地下シェルターへの避難をお願いします。流星群の成層圏突入予想位置は、北海道根室市より、北東約二百五十キロ。予想衝突位置は、香川県観音寺市。予想衝突時間は、約三十分後です。本都市は、流星進路軌道上の被弾予想範囲に該当します。速やかに避難してください。繰り返します……』

 殆どの市民の耳に、その放送は届かない。

 ただ一刻も早く、地下へと避難する事。それだけが、彼らにとって唯一の自己防衛手段なのだ。


       *


 遠い懐かしい記憶を掘り起こされて再現される夢は、六条千鶴にとって不快な回想録でしかない。

 夢を見ている間だけは、まだ幸せだ。だがその夢を夢と自覚して、急激に加速する意識の浮上を自覚した次の瞬間に目が覚めた時、その全てが幻に過ぎないのだという現実を眼前に突き付けられる。そうなった時、彼女は酷く不快になる。しかも、目を覚ました原因が非常呼集のベルとなれば尚更だ。

 しかし、そう簡単に憂鬱になる訳にもいかない。彼女は、この出動が初めての仕事となるのだ。気を引き締める必要があった。

 初めて割り当てられた寮の個室。初めての仕事。初めてだらけの完全実地任務。緊張はしていたが、同時に興奮もしていた。その事を、夢の不快感の向こうで改めて自覚し始めると、徐々に眠気は消え失せ、ベッドから飛び出してから着替えるまでも早くなる。

 セミロングの髪を後ろに一本で束ね、千鶴は下ろしたての繋ぎの作業着を身に付け、部屋の扉を引いて廊下へ飛び出した。作業着は防寒機能も備えている為、地上で動き回るには少し暑い。だが、安易にそれを脱ぐ訳には行かなかった。

 既に漁師達は、慌ただしく準備をし、それぞれの船のドックに向かっている。千鶴は壁の表記を見ながら、自分の配属された船のある一番ドックへと足早に向かった。

 途中、何故ここに作業着を着た女が居るんだ、という目で何人かに見られるが、それをいちいち気にしている暇など無い。通り過ぎたり、自分を追い越していく漁師達の会話が途切れ途切れで千鶴の耳に入った。

「予定より随分早いな。一時間くらいか」

「最近多いな、予測が外れる。一日単位じゃないのが幸いだが」

「進藤は今日来ていたか?」

「非番だ。だからラオには集中してもらう必要がある、今日は巻き上げに集中させろ」

 自分より背の高い男達の影に揉まれながら、千鶴はまだ知らない事情や人の名前をなるべくしっかり記憶しようと努めていた。しかしその冷静な努力も、人波が次第に一方向へと集約し始め、その流れに自分の体が勝手に進んでいくようになり、目的とするドックが近い事を悟ると、興奮が抑えられなくなっていた。

 やがて道は広くなり、閉塞感の強かった通路の先が開ける。薄暗い間接照明が照らす濡れたコンクリートの臭いで充満していた場所から出た千鶴は一瞬、その光に視界を奪われる。

 そこは、空船の発着場の広場だった。

 照明塔が照らす発着場に、星漁師達と整備士達がひしめき合い、駆け回っていた。それぞれが指示を飛ばし、搭乗の準備を進めている。一ヘクタール程も開けているだろうか。

 そんな広場は、海沿いから三十キロ程離れた山中にある。それ故に、二級星漁船が七隻も、五メートル程の高さを持つ特殊な引き揚げドックの上にそれぞれ安置されている光景は、異様に思えた。補助台で固定されているとは言え、これが落ちてきたらと想像するだけで震えてしまいそうだ。

「おい、そこの新顔」

 大声で呼ばれ、千鶴はハッとして声のした方を向く。四、五十歳程らしい、体躯のいい男が訝しげに、睨む様な目で千鶴を見ていた。その風格と態度からして、船長かそれに近い立場の人間である事が窺い知れる。

 急いで踵を返し、千鶴は男の方へと駆け寄った。

「何でしょう」

「どうして女子が作業着を着て現場に居る?」

 見下ろしながら、男はそう訊いた。それを聞いて千鶴は、ああそうか、と心の中で合点した。急な人員の補充であるが故に、まだ自分に関しての詳細な情報は伝達されていなかったのだろう、と。

 千鶴は喧騒と雑踏の中で姿勢を正し、凛として答えた。

「本日より第一部隊に配属となりました、六条千鶴です。船長職の方にはご連絡が行っていると伺いましたが」

 すると、頭髪と同じく白くなった眉毛をちょっとの間顰めた後、アッという風な表情をして、男は頭を掻いた。

「あ、ああ。聞いてる。だが……そうか、女性か」

 予期していた反応だった。だが、その女が他の男の受験者を皆差し押さえてこの現場に立っているという事が何を意味しているか、目の前の男にも十分理解出来ているだろう。

 星漁師は体力的な適正面から言って、男にしか出来ない仕事だと言われている。その常識があるからこそ、彼らも性別欄に注意を払わなかったのだろう。そして、千鶴が女である事を理由として同乗を渋るその態度も当然だと思った。

 だがだからこそ、千鶴は堂々と居る事が出来る。

「絶対に、がっかりさせません」

 それでも少し躊躇していた風だったが、男は再び面構えに威厳を保たせ、答えた。

「俺が第一部隊の船長の、竹田ローランドだ。好きに呼んでいい」

 船はあれだと、ローランドは千鶴の肩越しに斜め上を指差す。振り返ると、他の船と比べても一際年季の入った、しかし良く整備されている二級漁船が目に入る。

 恐らく、その大きさからして搭乗船員は五十名くらいだろうか。網と銛の射出機は、千鶴の見える方角で右舷側に三門ずつ。恐らく船尾にも一門あるだろう。一門に二人の通常配置をするとして、それだけで二十六人の船員が必要となる筈だ。空船はその目的と用途故に漁船に酷似した形態を取っていると写真を見たし、実技試験の為のシミュレーターで一部を目にした事はある。が、千鶴にとって実物を見るのはこれが初めての事だった。

「ボンベは持ったか」

 ローランドに訊かれ、千鶴は振り返って首を振る。

「済みません。まだ場所の把握が……」

「じゃあこれを持って行け」

 言いながら、船長はボンベを千鶴に押し付ける。圧縮技術が採用されている、呼吸可能時間は約二時間の酸素ボンベだ。千鶴は突然押し付けられたそれに一瞬よろめくが、すぐに体勢を立て直し、手早く背負ってマスクもセットする。重たいそれを楽々準備する様子を見て、にやりとローランドは微笑んだ。「確かに、動きも体力も問題無い様だな」

 自分を試したのか、と納得し、そしてまずは一つ認められた、と確信して、千鶴も不敵に微笑んで見せた。ローランドは言う。

「搭乗しろ。シミュレーションで最低限の仕事と注意事項は分かってるだろうから、実践的な技術や知識については仕事しながら教える」

 言うと、ローランドは再び自分のボンベを取りにその場を離れてしまう。千鶴は無言で、彼に指差された船へと駆けて行った。

 引き揚げドック隣接の運搬式階段を上っていく。折り返しに来る度、千鶴はちらちらと階段から発着場を見下ろしていた。徐々に高くなっていく視界。自分を守るのは、無駄な機能を排した必要最小限の強度しかない手摺だけだ。まだ、腰の係留フックを掛けるワイヤーも無い。

 そろそろ船に到着する、という高さまで来た時に見下ろす世界は、新鮮だった。

 広場に灯る幾つもの光。六隻の船。駆け回る整備班と星漁師達。喧騒と緊張と高揚が、広くも狭いこの空間でないまぜになり、千鶴の心を刺激する。これから自分は、本当に星漁へ出るのだという実感が、一層強くなった。

 後続に促されて慌てて船に乗ると、丁度船尾両舷に、整備を終えたエンボイがドッキングされるところだった。

 どちらも車体が薄紅色を基調とした塗料でデザインされており、搭乗部位は、タイヤの無い陸上バイクとあまり変わり無い。バイクよりも少し、搭乗員の姿勢が直立に近くなる構造だろうか、という程度だ。

 エンボイの外見で最も特徴的なのは、その車体から伸びるセンターボードだ。ヨットのそれと同様、しかしそれ以上の長さを持つボードは、搭乗部位の車体が高さ七、八十センチメートル強なのに対し三メートル程もある。そのシルエットは、正にリュウグウノツカイの泳ぐ姿に似ている。

 故に、遣い、若しくは使者……ENVOYの名を受けているというのも納得だった。

 エンボイには、シミュレーションでも乗った事は無い。通常、新人がそれを乗り回す事は無いからだ。例外は今までに何件かあるらしいが、いずれも稀有なケースだったとだけ答え、講師が明言しなかった事を思い出す。

 操作感だけであればエアロバイクを使う事で体得可能だが、最大でも地上十メートルも上昇出来ないエアロバイクでエンボイと同等の操作を行うのは難しいだろう。星売り子が調整するの違法改造エアロに乗った事でもなければ。

 運転出来る、って知られたら、何か言われるかな。そんな不安を隠して、しかし千鶴は心を密かに踊らせていた。

『星崩し』を撃てる射手のみが搭乗を許されるその機体に乗る。そして、星崩しを扱い、人を救う。

 それが、千鶴の夢なのだ。

 デッキでしばらくそれを見ている彼女が目についたのだろう、漁師の一人に怒鳴られてしまう。慌てて謝り、千鶴は自分の持ち場もまだよく分からないまま、行き交う漁師を避けながら空船を観察する。網と銛の射出装置は既に整備が済んでいるのか、あまり人は集まっていない。船体の至る箇所に、千鶴達漁師の着ている作業着から伸びる係留フックを掛ける鉄製リングが幾つも備えられている。獲った星を入れる為の『生け簀』周辺にも、リングはあった。新人である自分は今日、何処に配備されるのだろう。

「新しい人?」

 慌ただしく、殺伐とした雰囲気さえも感じさせる現場には似つかわしくない、穏やかな声が千鶴に掛けられた。振り返ると、背が高く浅黒い肌をした男が一人、柔和な笑みを浮かべて立っている。「女性が乗船しているのはどうして?」

 千鶴は姿勢を正し、自分が正規採用されて今日、配属された漁師である事を告げる。その声に、二人の周囲で動き回る何人かの漁師がちらり、と千鶴達を盗み見た。

 千鶴の答えを聞いて「ああ!」と納得した様子の青年は、すぐにごめんね、と手を合わせて謝った。「失礼な事訊いちゃった」

「いえ、よくあるので」

 入寮した日から今日まで、何度も訊かれた。寮には女性用の流しや浴場もあるが、利用者は管理人や事務方職員ばかりで数自体も少なく、物珍しがられるのは当然の事だと思っていた。

 恐らく漁師の多くは、女だからという性差の意識以上に、女の力とスタミナでは碌に船での仕事など出来ず足手まといになるだろう、という懸念と気遣いから自分に質問をするのだろう、と考えている。そして恐らく、千鶴のその考えは間違っていない。

 物怖じせずに誰にも話し掛ける姿勢の千鶴に対し、声を掛けてきたラオ・チェンという好青年は言った。

「今日は星の回収を中心に仕事をする予定だから、僕と一緒に居るといいよ。網と銛の方は、取り敢えず今日は他の先輩漁師を観察してればいいから」

 分かりました、と答えはしたが、他の人の許可や船長であるローランドの許可無しに、彼の指示に従っていいものだろうか、と少し戸惑った千鶴を見て、ラオは微笑んで答える。

「大丈夫。僕は星崩し射手だから、みんな特に反対はしない筈」

 ハッとして、千鶴は男を改めて観察してしまう。東南アジア移民の血が濃い様で、肌は浅黒い。よく見れば浅黒い肌の色は、日焼けではなく地肌らしかった。体のシルエットは細い印象を受けたが、確かに射手だけが着る鎧を身に付けている。培養液が塗布されているというその鎧は、間接部位の稼働箇所を除く全身を、薄い板状の物で保護していた。エアクッション素材が裏生地に縫い込まれただけの作業着を着ている千鶴ら他の漁師とは、明らかに装備が違う。

 これが、星崩しの射手か。

 唖然としていると、引き揚げドックの階段からローランドが昇り、姿を見せて大きな声を上げた。

「離陸準備だ! ペアかトリオを組んで、近くの係留フックに相手のフックが掛かっているか入念に確認しろ!」

 応、と男達の大きな呼応の声が、夜の闇を引き裂いた。皆、防護服の襟元から伸びる無線機のイヤホンを耳に装着する。千鶴も慌てて、それに倣った。

 ローランドの声と、副船長らしい男の応酬が続く。

「培養液燃料は?」

「満タンです」

「射出機とエンボイの整備は」

「全て異常無し」

「よし、エンジン掛けろ!」

 その掛け声と共に、漁師達が全ての道具を固定収納に放り込み、ロックを掛けた。そうして係留フックを身近なリングに掛け、パートナー同士で確認し、フックを両手でしっかりと握り締める。そしてそのまま腰を落とし、全力で突っ張る姿勢を取った。

 千鶴も急いで真似をし、ラオに確認をしてもらう。

「シミュレーションで経験しただろう? 緊張しなくて大丈夫だよ」

 やはり柔らかい声で言うラオだったが、千鶴の鼓動は既に早鐘の様に鳴り始めていた。吹き出す汗で滲む繋ぎの作業着越しの両手で、自分の係留チェーンをしっかりと掴みながら、彼女は答えた。

「無理ですよ。シミュレータなんて、全部屋内ですよ。実地なんて初めてで……」

「手を離しても、発射時に顎を打って骨が折れるだけだって」

 笑いながらの冗談。だが、千鶴は笑えなかった。

 唯一操舵士のみが椅子に座り、ベルトを厳重に締めて声を張り上げる。

「準備完了。エンジン始動」

 言い終えて、彼はエンジンを掛ける。

 瞬間、地鳴りの様なエンジン音が船体を震わせた。トルクが振動し、船が呼吸を始める。それを契機として、離れた第二部隊、第三部隊の船が、次々にエンジンを始動させていく音が遠くに聞こえた。千鶴の両腕に、一層力が籠る。汗が止まらない。

「ロック解除」

 操舵士の合図。同時に、船の両舷側を固定していた大きな爪が重い音を立てて外れ、一時的に船体を不安定な状態にさせた。いよいよだ。

「反重力エンジン作動五秒前。四、三、二、一、始動」

 操舵士が、カバーを開いてボタンを押すのが、千鶴の位置から見えた。

 瞬間。

 重力の方向が反転し、体がそれまでと真逆の方向へと引っ張られる感覚が襲う。今まで船の床と自分を繋ぐフックチェーンにしがみついて引っ張っていた千鶴の感覚は、突然上方向に反転した一Gの重力の為、天井に吊り下げられている感覚へと変化した。

 自分の体重と作業着、そして酸素ボンベ装備を含む全ての力が、チェーンに掛かるのを感じる。自分は確かに床に『立っている』にも関わらず、天井に『逆さまに吊るされている』様な、奇妙な感覚が千鶴の平衡感覚を狂わせた。

 痛む程に手に力を籠め、歯を食いしばりながら耐えるその力だけが、正常な感覚を保とうとする千鶴の唯一の手綱だった。操舵士の重力加圧を読み上げる大声が、耳殻を打つ。

「マイナス一・二G、マイナス一・四G、マイナス一・六G……」

 重力加圧度が緩やかに上がるにつれ、千鶴の両腕に掛かる負荷は莫大な強さになっていった。先程まで飄々としていた隣のラオも、今は舌を噛まない様にしっかり口を閉ざしている。

 ……と思ったが、二倍近い引力が首に掛かって上方向へ引き千切れてしまいそうになるにも関わらず、彼はゆっくりと頭を上げ、空を見上げた。何をしているんだ、と困惑した千鶴だったが、苦しそうな声で「見てみなよ」と言う彼の言葉につられ、彼女も視線を頭上へ向ける。

 重力の作用が狂わせた千鶴の感覚は、星の瞬く黒い天球が、何処までも続く海に見えた。星の砂粒が光り輝く、宇宙の広がる漆黒の海に。

「綺麗……」

 思わず、声が漏れる。

 そんな千鶴の声に、読み上げの声が重なった。

「マイナス二・四G、アンカー切り離し用意! マイナス二・六G、切り離し五秒前、四、三、二……切り離し!」

 意を決した声に、漁師達の誰もが身構える。頭上へと引き摺られているらしい腕を必死に下ろしていく操舵士は再び、別のカバーボタンを押した。

 ビーッ、という音がすると同時に、船底と地上を繋ぐ強靭な係留アンカーが切り離される。

 刹那、引力と逆方向へ、そして引力の二・六倍の重力に引かれ、空船は物凄い勢いで上昇を始めた。

 必然的に、頭上方向へと引っ張られる力に抗っていた千鶴達は、一気にそれまでとは逆方向……踏ん張っていた甲板方向へと、今度は同じ二・六倍の力で引っ張られる事となった。その瞬間的重力落差は、五・二Gになる。筋力の弱い者は、下手をすればこの時点で体の骨の何処かが折れてしまうだろう。

 確かに体力勝負の仕事だ、と千鶴は心中で嘆息して何とか立っていようと努力し、甲板に膝をつくも、耐え切れずに横になってしまった体は甲板に押さえつけられる。頑張れ、と声を張り上げて励ますラオの声はかろうじて聞こえるが、船全体を貫く様なエンジンの轟音がそれを掻き消さんばかりに唸っていた。

 ……空船で流星群に近付く為には、短時間で一気に成層圏近くまでこの方法で上昇するより他に手段は無い。それは何度も座学で聞かされて承知していた事ではあったし、シミュレーションで何度も経験した事ではあったのだが、実際の離陸加圧がここまで過酷だとは思わなかった。

 やがてエンジンの轟音が徐々に治まり、千鶴の体に掛かる重力負荷も弱くなっていく。更にしばらくして、ようやく自分で体を起こせる様になる頃、周りの漁師は既に酸素マスクの装着準備をしていた。上空四十八キロメートルの大気はとても薄いのだ。

 ほら、と既にマスクを付けたラオが、足元のふらついている千鶴の体を起こしてマスクを被せ、彼女が背負っているボンベのバルブをゆっくり開いた。徐々に呼吸が楽になり、普通に息が出来るようになる頃には、重力も安定し、船上で普通に歩く事が出来るようになっていた。

「ありがとうございます」

 貧血で少し揺れる頭を押さえて千鶴が言うと、ラオは笑顔で答えた。

「初めてだったら全然珍しくないよ。寧ろ、凄いね。シミュレーションで優秀な男でも、初離陸で手を離して怪我したり、上昇する時の加圧で気絶する子も珍しくないんだけど、女性の六条さんがどっちにも耐えてた方が驚きだ」

 話している内に、船は前方へと加速を始める。二十秒を掛けて音速に近い速度まで加速し飛行する船の漁師達は、船の先端から霧状に噴射・散布される培養液の効果のお蔭で、海の上を疾走する船程度の風圧の影響しか受けない。故に超高速で空を駆ける船の上でも、ラオの声はちゃんと聞き取る事が出来た。

 千鶴が無事に離陸に付き合い、問題無く動いているのを見て、ラオを含む数人の漁師が声を掛けてくる。多くは、そんな彼女の身体能力を賞賛する声だ。

「どんな訓練をしてきたんだ?」

 ラオに訊かれ、褒められているのが嬉しくて、少し自慢したくなるのを我慢し、胸を張ってみせる。

「今日のこの仕事が終わるまでに、当ててみて下さい」

 生け簀の縁にしがみつきながらそんな話を続けていると、船が速度を落とす。いつの間にか近くを並走していた他の船も、千鶴達の第一部隊の船に合わせていた。そのタイミングで、装着したイヤホンから声が聴こえてくる。大音量で、各船の船長や副船長からのやり取りが聴こえてきた。マイクは、船長や星崩しの射手を始めとする幹部の防護服にしか無い。不要な情報の錯綜と混乱を防ぐ為だ。

『こちら四番。二時方向上空より流星群発見。距離約三キロ。六秒後にコンタクト』

『取り舵。進行角度まで転回しろ』

『了解。みんな掴まれ!』

 言うが早いか、操舵士は舵を左へ切る。慣性により、千鶴達は思い切り右舷側に引き摺られそうになり、必死に自分達の係留フックを握り締めていた。

 空船は、流星の進入路に舵を取った後、加速と減速を繰り返しながら、『隕石』に近付いていく。

 座学と映像講習でしか見た事の無い実物が、徐々にその姿を明瞭にさせていった。

 ……通常の地球への衝突隕石であれば、その大気圏への侵入速度は秒速十五キロメートルを下る事は無い。音速にして、マッハ五十から百の間で推移する。当然、ソニックブームの衝撃が発生し、仮に同等の速度で隕石と並走する事が出来たとして、近くを飛んでいるだけで互いの衝撃波を受けてバラバラに砕け散ってしまうだろう。


 だが、この『隕石』は。

 三十年前に初めて地球に降り注いだこの『隕石』達は違う。


 秒速二百メートル、時速にして七百二十キロという非常に遅い速度で大気圏に突入し、そしてそれ以上の加速も減速もする事は無い。そしてその速度故に発熱・発火は抑えられ、平均表面温度は摂氏約四十七度と、大気圏で燃え尽きる事など有り得ない温度のまま、その巨躯を地球にぶつけて爆発四散する。

 隕石としては驚くべきこの超スロースピードへと隕石が減速する理由は、この隕石が必ず流星群として数十個単位で地球に飛来するが故、互いを衝撃波で破壊しないようにしているのではないか……そんな仮説が学会で論じられているが、それをハッキリと証明した記録は、まだ無かった。その奇妙で超自然的なメカニズムは、しかし確かに何かの自然法則や物理的法則に従って生まれている筈なのだけれど。

 その解明されるべき謎の法則を生んでいる全ての原因こそ、この隕石からしか抽出出来ない、反重力粒子にある。

 隕石が、近くに迫った。

 空を引き裂く様な轟音と熱を帯びながら、隕石は地表へと向かっている。スケール1と呼ばれる小さい物は人の頭程度の大きさのものから、スケール3の大きい物はちょっとした鯨程の大きさまで、大小様々な数十の隕石が、浅い角度で飛び続けていた。一番近い隕石までの距離は、たったの二十メートル程度しかない。今回、スケール3は三つ確認出来ている。

 そんな隕石の群れに七つの船から成る船団が並走し、囲む様に飛んでいた。

 黒い空を背景に、高らかな雄叫びの様な轟音を立てながら、隕石が飛んでいる。

 その日常から遠く離れた光景があまりにも美しくて、千鶴は自分の仕事も一時忘れ、見惚れていた。

『現在位置は!』

『北海道上空! あと三十秒で青森に入る!』

『急げ、網と銛の射出用意!』

 各船に伝令が入る。第一部隊は隕石(最早星と呼ぶにはその姿は禍々し過ぎた)を右舷に臨み、漁師が射出装置のグリップに手を掛ける。いつ見てもやはりその姿勢は、漁師のそれと言うよりも銃座で構えに入る兵士のそれにしか見えない。

『発射!』

 号令一下、漁師達は一斉に網と銛を打ち込む。船体の燃料貯蔵タンクに直結した射出装置は、吸い上げた培養液を常に網と銛に供給して培養液まみれにしている事だろう。

 そんな網は、小さな隕石群を一斉に包み込む為の道具だ。培養液の効果により秒速〇・二キロの強風の中でも大きな影響を受けず、網はほぼ真っ直ぐに隕石の中へ飛び込み、放たれた弾頭が隕石に当たると同時に網が解放され、巨大な手を広げる。そのまま手近の小隕石を粗方包み込んで口を閉じ、網を撃った漁師のパートナーがウインチを使い、隕石の入った網を引き揚げる。

 銛は、網に入りきらない大きさの隕石目掛けて放たれる。対象となる大きさは、牛程度の大きさのものから軽自動車程の隕石だ。しかし銛と言っても、強い衝撃を受けると爆発してしまう隕石の性質上、銛その物を打ち込んで砕き、網で捕獲可能な大きさにする事は出来ない。故に、一般的に言う銛とは性質が大きく異なる。

 銛の先端は、網と同じく衝撃を感知してギミックが作動する仕掛けになっている。銛の先端が隕石にぶつかると暴徒鎮圧弾同様に四つの爪状に裂けるのだが、裂けた銛が一番奥まで隕石に達すると、広がった爪の先端が、今度は縮小を始める。そしてまるでクレーンのアームの様に、隕石を損傷させる事無く掴み取り、動きを封じるのだ。

 千鶴は、これら星漁の道具が実際に使用されているのを見るのは、初めてだった。次々に放たれる網と銛、そしてそれで捉えた隕石を回収する漁師達の緊張が、肌に伝わってくる。

 これが、星漁か。

 圧倒される千鶴を他所に、ラオがマスク越しに声を張り上げた。

「揚がるぞ、引き受けろ!」

 良く通る声だった。ハッとして、右舷に進んでいくラオの後を追う。

 漁師の引き上げた網が、射手とそのパートナー、共に二人掛かりで丁寧に甲板に下ろされる。中には、小さな握り拳程の砕けたものや直径に十センチ程の隕石まで、様々な大きさが詰まっている。それらがまだ光り輝き、僅かな熱を発していた。恐らく、辛うじて素手でも触れる程度の熱だろう。手袋越しに伝わるその熱を感じながら、千鶴はラオと二人、網を船の中央、生け簀の近くまで引き摺っていく。その途中、ラオが訊いた。

「隕石の強度がどれくらいか、習ったね?」

「はい。ガラスコップ程度の強度しかないって」

 しかも薄い材質のそれに近く、つまりは、うっかり胸の高さから甲板に隕石を一つ落とそうものなら、爆発してしまうという事だ。隕石の爆発が他の隕石に飛び火し、誘爆する危険はその性質上無いものの、発火による船上の火事やパニックは何としても避けなければならなかった。大切な『商品』に傷を付けないという意味でも、梱包作業は必要不可欠なのだ。

 生け簀の蓋は既に開けられている。その生け簀の中、下の方で漁師達が包装の準備をしていた。

「彼らに渡す。丁寧に下ろすぞ、だが急げよ」

「はい」

 射出された際に残っている網の綱部分を二人で握り、二、三十キロはあるだろう隕石の詰まったそれを、生け簀の中に下ろしていく。下では、十数人の漁師が待機しており、その内の三人が千鶴達の隕石をそっと受け、机に下ろした。これから彼らは網を切り開き、一つ一つを特殊繊維の布で覆い、包む作業に入る。多少の衝撃が加わっても決して爆発しない様に、爆発しても他の隕石に被害が及ばない様に。

 一回の星漁に許された時間は、限られている。星工船と呼ばれるこの二級漁船での作業は、一分一秒が自分達の、そして国民の生死を分けてしまう。

 網と銛の射出、回収、格納、梱包。

 その作業を全力で、集中し、どれだけ時間が経っただろうか。体感としては三十分以上も獲っていた気がするのだが、実際には二十分程度だろう。星の衝突時間まで、残り僅かだ。気付けば、夜空に降り注ぐ流星群の数は大分減っていた。

 無線の声がイヤホンから飛んでくる。

『高度、二十キロを切った。釣果は?』

『あと三十ってところだ。二分で終わる』

『スケール3は幾つ確認した?』

『三つだけだが、それぞれ距離がある。そろそろ出ないとマズい』

『ラオ、出番だ』

 言うが早いか、ラオは立ち上がる。やはり彼はマスクの上からでも分かる笑顔を向けて、千鶴に挨拶をした。

「じゃあ、またね」

 本当に、気持ちのいい青年だと思った。

 少しだけ去っていくラオの後ろ姿を観察した。彼は小走りに船尾方向へと手摺を伝っていき、エンボイのすぐ傍に用意されていたヘルメットを被る。鎧武者が戦闘機のヘルメットとマスクを装着している様な、不思議な出で立ちだった。

 そうして、エンボイ近くの扉式になっている床板を一枚開けて、ラオは一丁の銃を取り出した。

「おっしゃ、行けラオ!」

 周りの漁師達が一人、また一人と、作業の手を休めないままに囃し立て、ラオを鼓舞する。彼は無言で片手拳を高く掲げ、もう一方の腕で銃を……『星崩し』と呼ばれるその銃のスリングを肩に掛けた。

 ……ボルトアクション式の対物ライフル、通称『星崩し』。二十ミリ口径弾を撃ち出すそれは、個人が携行出来る対物ライフルとしては最大の威力と精度を誇る。

 嘗ての南アフリカ共和国で製造された軍用ライフルをモデルとしたこの銃は、通常の弾頭を使用しない。目的は、ただの破壊ではないのだ。銛でも捕獲出来ない、スケール3の隕石を貫徹し、内部からの爆発を生じさせる事無く、文字通り崩し落とす事を目的とした弾頭を射出する為だけの重火器だ。捕獲した隕石から作り出した特殊な弾頭は、その為にある。

 千鶴は二週間前の配属事前訓練の中、サンプルとして寄贈されていた旧モデルの星崩しを持ち、通常の弾丸で試射した経験があった。装弾から構え方、撃つ時のコツ。銃を取ってから一発撃つまでの流れを三セット。弾は、どれも七十メートル先の的から外れてしまったけれど。

 ……将来の目標は星崩しの射手になる事だと堂々と宣言した時、教官の殆どは失笑して千鶴を馬鹿にした。それは恐らく、彼女が女だからという理由ではなく、まだまだ青い夢を見て現実を知らない若造だ、と思われての失笑だった様に思う。

 だが一人だけ、千鶴を笑わずに試射させてくれた人が居た。

 君にはその両腕がある。だから女であるにも関わらず星漁師として採用された。可能性を切り開ける活路は充分にあるだろうと。

 彼の言葉を信じて。星崩しの射手に憧れて。

 千鶴は、堂々と星崩しを構えるラオに見惚れていた。

 この国に一人しか居ない、星漁師の頂点を象徴する、星崩しの射手に。

 歓声と声援を受けながらラオはエンボイに飛び乗り、二人の星漁師の力を借りながらエンジンを掛け、船から離れる。一瞬だけ落下する様な動作を見せる機体は、しかし重い振動音を轟かせながら浮遊した。スロットルを開き、ラオの操縦するエンボイは上昇を始め、第一部隊船から離れ、隕石へと接近していく。徐々に離れていくエンボイのシルエットは、正にリュウグウノツカイの姿そのものにも見えた。

 一番近い巨大隕石の距離は、千鶴達の船から三十メートル程離れている。大きさは、十トントラック程だろうか。漁師達は射撃を一時中断する。エンボイは、他の隕石の欠片にぶつからない様に上下左右前後に移動しながら、巨大隕石に近付いていった。

 ……星崩しは、対物ライフルの一種でありながら、通常の用法である固定銃座を使った伏せ姿勢からの遠・中距離狙撃に向いていない。船の揺れは勿論だが、網や銛よりも遠い距離にある標的を狙わなければならず、且つより高速で銃弾を撃ち出さなければならないからだ。

 これは、網と銛の様に、射出する物質への培養液の塗布が無意味であることを示している。液体でしか状態が安定しない培養液を固形状に加工して銃弾を作る事は不可能に近く、また培養液を塗布しても、高速で撃ち出される弾丸は瞬時にそれを空中へ撒き散らしてしまう。

 つまり、暴風が吹き荒れる上空十数キロメートルでは、どれだけ正確に狙っても弾は真っ直ぐに飛ばない。対物ライフルであるにも関わらず、エンボイを利用して巨大隕石十メートル以内に接近しなければならない理由の一つがこれだった。

 二つ目の理由は、銃弾の希少性にある。

 隕石は、戦闘機を用いてバルカン砲やガトリングで『崩す』事が出来ない。反重力粒子を多分に含んだ隕石は強い衝撃による爆発性に富む為、通常の銃弾を撃ち込んで破壊する事は可能でも、破壊された隕石は爆発・四散し、周囲の小隕石や空船までも巻き込む危険性が大きい。

 では、隕石を破壊せずに回収するにはどうするか。

 その答えは、隕石自体に存在した。反重力粒子を含有する隕石を、科学技術の粋を結集して加工し、銃弾の弾頭にする。

 隕石同士の衝突では爆発反応が互いに干渉しないので、何かの衝撃で流星群の一つが爆発を起こしてしまっても、飛散した石の欠片が隣り合って墜落している隕石に激突して連鎖的に爆発する事は無い、という隕石のメカニズムを利用した苦肉の策である。

 大きな隕石はそれだけで余りある価値が存在するが故に、容易に破壊する事が出来ない。それこそ、星崩しの射手がその身の危険を冒したとしても、その命と同等以上の価値が存在してしまう程に。

 だからこそ星崩しの射手を複数人採用する事は逆に効率的ではないし、その圧倒的存在感故に、星漁師の憧れの的となる。

 流星群をかいくぐり、ラオは一番近い巨大隕石の射程距離、十メートル以内に近付いた。エンボイの車体に自分の係留フックを掛け、両手で星崩しを構え、狙いを定める姿が千鶴達の目に映る。天頂に輝く月明かりで、その様子がはっきりと見えた。

 ラオが、引き金を引いたらしい。射撃の反動で車体ごとスピンを描きそうな程揺れ動くが、長いセンターボードがバランスを取り、すぐに安定を取り戻す。射撃と同時に、彼と並走していた巨大隕石が大きく揺れ動き、亀裂が走る。そうしてからようやく、銃声が船に届く。

 次の瞬間には、隕石は砕けて崩壊を始めていた。これにより、この隕石は最大でも子牛程度の大きさの物へとバラバラになる。そして、その欠片がお互いを刺激して爆発する事も無かった。

 船に湧き上がる、漁師達の歓声。千鶴も堪らず、声を上げた。他の船でも、甲板で漁師達が拳を高々と上げる姿が目に入った。

 砕けた隕石を銛で回収する為、船が二隻、近付いていく。その間にもラオはもう一つの巨大隕石に近付き、またも砕く事に成功した。

 残りは、一つ。

 最初に砕けた隕石を粗方回収し、二つ目に向かう千鶴達は、そんなラオと最後の一つを目で追っていた。

 ……そしてそこで、奇妙な光景を目の当たりにする。

 三つ目の巨大隕石は、その後ろに続く様に小さな隕石群を十個程度、引きつれていた。その小隕石が突然、落下速度を上げたようだった。

 最初は気の所為だろうかと思った千鶴だが、すぐにそれが錯覚ではないと気付く。小隕石群は、巨大隕石の周囲にすぐに追いつき、周囲を周る様な回転を始めたのだ。まるで、近付こうとするラオを遠ざける様に。

 彼はまだ、星崩しの有効射程距離の外に居た。

 一人、二人と漁師がざわめき始める。まるで見計らったかの様なその現象は、千鶴が読んだどの過去の事例にも無く、また映像で目にした事も無い。それは、この場数を踏んできた筈の漁師も同じだったのだ。

『何だ?』

『何かヤバい。急げ、援護しろ!』

『衝突予測時間まで、残り五分を切ったぞ! 回収猶予限界時間まで、あと三分!』

 各船の船長が慌てて連絡を取り合い、それぞれが船を近付けていく。急げ、急げとはやる気持ちを押さえながら、千鶴は緊張の面持ちでラオを見上げていた。

 ラオまであと三十メートル程、という所で、彼は痺れを切らした様だった。改めてハンドルグリップに手を掛け、エンボイを強引に、隕石へと近付けていく。取り囲む小隕石の群れの隙間を、タイミングを見計らって飛び込もうかという様に。

 やめろ、という船長達の無線が届く。その声はラオの耳にも届いている筈だったが、彼は無視し、有効射程距離になるべく近付こうとエンボイを減速・上昇させる。隕石の後方へ回り込む気だ、と千鶴は悟った。途中、隕石が一つラオの体に当たりそうになり、悲鳴を上げてしまうところだった。

 巨大隕石と千鶴達の船との距離が十五メートルと少しまで差し掛かった時、ラオは隕石の落下方向やや後方に居た。かなり危険な場所だった。星崩しの射手の為にあるその鎧も、握り拳大の隕石の直撃を受けてしまえばひとたまりもない。鎧はあくまで、爆発の破片から身を守る為のものでしかないのだ。

 七隻の船の漁師達が、固唾を呑んでラオの動きを見守る。

 ラオはエンボイの騎上で腰を据え、若干バランスを崩しながらもしっかりと銃口を隕石に向ける。直径約八メートルのその隕石も、たった一発さえ命中させれば崩れ、即座に漁船が網で捕獲を開始する。その瞬間に備え、皆が構えた。

 ラオが引き金を引こうと、衝撃に備えて体に力を込めたその瞬間だった。

 ……巨大隕石が、ぐん、と動いた。

 動いたと言っても、それはほんの一瞬。そして僅かな距離だった。だが弾道を逸らし、隕石全体が破壊されてしまう様な重心への致命的な一撃を躱すには十分な移動距離だ。

 銃弾は、隕石の重心を外れ、上部一メートル程度の場所へ当たったに過ぎない。一部が砕けても、網や銛で全てを回収して勢いを殺し、地表への衝突を回避させるだけの破壊は与えられないままだ。

 千鶴を含む皆が、その一瞬の隕石の動きを目の当たりにした。誰もが言葉を無くし、唖然とした。

 そして。

 何だ今のは、と誰かが口にする暇も無く、巨大隕石は突然の減速をした。あまりにも突然で、急激な減速だった。壊れていない隕石の核も、そして崩された隕石の一部も、欠片も、急ブレーキが掛かったかの様に千鶴達の船の後方へと取り残されていく。

 ……隕石の後方で射撃をしていたラオは、予測不可能な動きをしたその隕石群を、正面からまともに食らった。

 全ては、彼が射撃をしてから一秒足らずの間に起きた。野球ボール程度の大きさの隕石とサッカーボール大の隕石が、ラオの頭部と腹部に激突した光景は、千鶴の目にもハッキリと見えた。

 誰も、自分達が見た光景を信じられなかった。体から完全に力の抜けたラオの首が折れている事は、彼の後頭部が背中にくっついている姿を見れば明らかだ。

 たった一秒前まで銃を構えて活躍していた男は、死んだのである。

 星崩しが落下していく。それを追う様にエンボイが、主を失ってバランスを失い、ぐにゃりと全身から力の抜けたラオの体を係留チェーンで繋いだまま、真っ逆さまに落ちて行った。

『嘘だろ……』

『ラオ、聞こえるか!』

『しっかりしろお前ら! 狼狽えてる暇なんてねえぞ、あと四分であれが国内に落ちる! 東京の二の舞にしたいのか!』

『どうしろってんだ!』

『とにかく、銛をありったけ叩き込め! 七隻全部の銛を打ち込んで牽引して、せめて海に引っ張って落とさなきゃならん!』

『進藤はどうした、次期の射手候補だろうが!』

『非番だよ!』

 怒号。怒声。困惑と動揺が広がる中でも果たすべき責務を果たす為、男達は配置につき、銛を打ち込もうとする。だが小さな隕石が銛の打ち込みを阻んだり、巨大隕石に命中しても銛が対象とする捕獲サイズを大きく上回っている為に上手く掴めない。

 網と銛以外に隕石を止める方法は……体当たりしかない。そうなれば、いずれの船が実行する事になろうと、大惨事は免れないだろう。

 自衛隊の射撃要請も間に合わない。星崩しの着る鎧の電動アシストが無ければ、生身で星崩しを担いでエンボイを乗り回し、隕石を撃墜する事など不可能だ。

 だが、それでも。

(私なら、出来る……)

 千鶴は、そう確信した。

 気付けば体は動き、もう一台の予備エンボイに向かって走り出していた。講習も実技も優秀な成績を収めた彼女は流れる様な仕草で、スペアとして収納されている星崩しを取り出す。こっそりとあの教官に試射させてもらったあの感覚そのままに、しっかりとした重量が千鶴の両腕に掛かった。

 突然動き出した新人漁師の行動に、周囲の漁師が戸惑い、声を荒げる。だが、千鶴の体は止まらなかった。誰も動けない。この行動を起こす判断をしない。事態は一秒を争う。ならば、他に選択肢は無い。そう信じて疑わなかった。

 スリングをたすき掛けにして星崩しを背負い、エンボイに飛び乗る。二十キロ以上ある銃は、しかし今の千鶴には軽く感じられた。

 エンボイのエンジンと動力は見た目の通り、殆ど陸上バイクと大きな違いは無い。動力推進らしい装置が幾つか追加されているだけだ。友人に誘われて乗り回していた違法改造のエアロバイクと大きな違いは無い。

 千鶴はロックを外して係留フックを掛け、エンジンを始動させる。そして船体を蹴って、急いで車体を船から離した。千鶴を止めようと駆け寄っていた二人の漁師が船べりから手を伸ばすが、あっという間にその手が届かない距離まで、千鶴はバイクを飛ばしていた。動力推進装置のスロットルを全開にすると、機体は上昇し、隕石へと近付いていく。

 当然だが、地上十数キロの高度を飛行するのは初めての経験だ。バイクに乗って、視界の果てに雲と夜空の境界線の見える景色が広がっているなど!

(下を見ちゃ駄目だ……)

 自分に言い聞かせ、ただ先を行く巨大隕石に向かって、エンボイを寄せに行った。不慣れな操作故に、時々大きく車体のバランスが崩れてしまうが、センターボードの空気抵抗によりかろうじてバランスを保つ事が出来た。

『馬鹿野郎、新入り、戻れ!』

『もう遅い、周囲を飛んでいる小さいのを、取り敢えず片っ端から取り除け!』

 迷惑を掛けている事は分かっている。だが、講習での非公式な試射。そして地上での違法改造バイクの運転。この二つは、確かに射手を務める上での重要な体験になっている筈だ。そしてこの行動は今、自分にしか取れないだろう。

 出力を上げ、高度を調整する。エンボイの先頭部位から霧状に噴出される培養液は、運転手の運動機能を失わない為の必要最低限度の量しかない。自分の腕力に絶対の自信を持つ千鶴ではあったが、そんな状況下での星崩しの取り回しは、困難を極めた。ただでさえ重量のあるライフルは本来、星崩しの射手が着る鎧の電動駆動によるアシストがあって初めてまともな射撃が可能となるのだ。

 それを、素人の自分が鎧無しでやろうとしている。どう考えても、馬鹿だ。

(それでも……)

 崩さなければならない。街が一つ消えてしまわない様に。

 まだエンボイの扱いに慣れていない自分は、長時間動けない。そう判断した千鶴は、必要以上に周囲を飛び交う隕石の欠片に注意を払わない事にした。幸いにも巨大隕石を周回する小隕石群は、その垂直線軌道上だけを周回している。ラオが行った様に、前後から回り込めば射程距離まで詰め寄る事は可能だろう。

 しかし、と千鶴の脳裏を先程の光景がよぎる。

 まるで発射のタイミングに合わせたかの様に不自然極まりない動きをした隕石は、一体何が原因であんな動きが生まれたのだろう。通常射程距離からもう一度狙撃して、再びあの挙動が生まれないとは限らないだろうか?

 何を疑問に思っている。対象はただの隕石だ。ただの無機物に過ぎない。たった数秒の間で何度もそう自分に言い聞かせる千鶴だったが、やはり疑念が拭えなかった。まして彼女は、地上で固定脚を使って伏せ撃ちしたに過ぎない。例え何の問題も起きなかったとして、十メートルの距離でさえ弾を外す可能性もある。

 もっと、近付かなければならない。

 だが、長時間の運転と隕石破壊の後の離脱を、迅速に行う自信は無かった。

 取るべき行動の答えは、一つだけだった。

 千鶴は両手を離し、ややバランスを崩しながらも何とか星崩しを両手で持つ。再度片手でハンドルを掴み、もう一方の手で星崩しのグリップをしっかりと握り、銃身をエンボイ側面に密着させ、固定した。銃口は、エンボイの前方斜め下を向く形になる。

 準備は整った。

 アクセルをふかせると同時に粒子解放出力を上げ、速度を落とした隕石に向かって、更に上昇しながら接近する。無線から船長らが何か叫ぶ声が聞こえるが、集中している千鶴にその声は届かなかった。

 飛来する隕石の欠片を抜け、一瞬で巨大隕石との距離を詰める。

 エンボイのセンターボードが当たらないギリギリの距離、隕石の斜め上二メートルまで迫ったその瞬間。

 千鶴は躊躇い無く、一切の減速をせず走り抜けながら、引き金を引いた。

 強烈な反動が肩を襲う。片手でしか支えていなかった星崩しは千鶴の制御を離れて暴れ、千鶴の体ごと後方へと吹き飛ばそうとする。振動が彼女の体を貫いた。

 星崩しが、千鶴の腕から離れていく。が、希少なそれは彼女が肩に掛けるスリングによって落下を免れた。しかし射撃の反動により、エンボイはセンターボードの軌道修正も大きな役目を果たせず、千鶴を乗せたままスピンを描き始めていた。隕石がどうなったか分からない。自分が、上下左右どちらを向いているのかも分からない。それでも、ハンドルは決して左手から離さなかった。

 エンボイを撃った右腕の感覚が無い。動かそうとしても、動く気配が無かった。

『新入り、下だ!』

 無線からの声がようやく耳に届くようになる。遠心力で吹き飛ばされそうになる感覚に襲われながら、千鶴は高速で回転する視界の一瞬に、第一部隊の船の姿を捉えた。恐らく、引力方向真下から、自分を見上げているのだ……

 もう自分でエンボイを操縦し、上手くドッキングをして戻る事は出来ない。そう自覚した千鶴は脳を揺さぶられる遠心力の中でかろうじてハンドルを切り……空船に、落下する。

 エンボイが甲板に叩きつけられ、千鶴の体も投げ飛ばされそうになる。が、エンボイと彼女を繋ぐ係留チェーンがそれを妨げた。エンボイも甲板も一部が破損し、星漁師達は慌てて身構える。

 甲板に叩きつけられた千鶴は、エンボイが中破してエンジンを止め、船上で停止しているのをやや離れたところで見ていた。

 右舷上方へと目をやれば、千鶴の乗る第一部隊の船を除く殆どの宙船が砕けた隕石を取り囲み、次々と網や銛で欠片を回収しているところだった。

 間に合ったのだ。破壊も、捕獲も。これで、取り逃がした隕石があっても精々が握り拳程度の大きさのものばかりになるだろう。市街に落ちても、大きな問題にはならない大きさの筈である。

「良かった……」

 千鶴は甲板で力無く仰向けに転がりながら、思わずそう呟いた。が、ふと見たローランドの顔や他の漁師達の顔は青褪め、沈痛な面持ちだ。船長が口を開く。

「良くねえだろう。お前、腕が……」

 言われて、感覚の無かった右腕を見る。星崩しを無理な姿勢で撃った反動は、確かに千鶴に痕跡を残していた。

 千鶴の右肩から先は、千切れて無くなっていた。作業着も破れて消え、ボロボロになった作業着の腕部分が、彼女の傷口を隠している。

 しかし、一切の出血も痛みも無い。当然だ。

「大丈夫ですよ」

 苦笑しながら千鶴は、左手で作業着の襟から股まで続くジッパーを掴み、引き下ろす。防寒機能も備えていたそれが無くなった事で、シャツ一枚の姿になった自分の体に、上空七千メートルの冷気が刺さった。その寒さを堪えて、千鶴は開いた襟元を掴み、左腕が二の腕まで露出する程度に引き開ける。

 それを見ていた誰もが、アッと息を呑んだ。

 義手だ。両腕とも、肩の付け根に機械製のジョイント接合部位がある。右腕は、その肩から先が完全に脱落していたのだ。

 高出力義手、三十八年モデル。美しい装飾が彫られていた義手の片方は失われたが、今夜街を救ったその美しい腕は、見事に仕事をこなしたのである。

「男顔負けの腕力の理由は、これか」

「船長にだって負けませんよ。腕相撲」

 ニヤリと笑ってから、しかしすぐに気分は沈んでしまった。

 ……正解を当てたのは、船長。

 あんなにも親しく、心の垣根を越えて明るく話してくれたラオは、千鶴の出した問題に答える暇を与えられず、死んでしまった。彼は答えられない。これから、永久に。

 残る六隻の船は、砕けた隕石の欠片を全て回収し終わったらしい。しかし、国の危機を回避したこの夜、歓声が上がる事は無かった。

 あの星崩しの射手は、もう二度と帰ってこないのだから。



 西暦二五四一年、三月の話である。

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