6-5 凛々しくて素敵

 明らかに東洋人系ではない、健康的な肌色。

 頼もしい二の腕の筋肉と、厚みある胸筋。

 金の延べ棒のような濃い金色の頭髪。

 左目目尻の傍に一本垂れ下がる細い三つ編み。

 かすかに覗いている、愛らしい八重歯。

 美しい孔雀石マラカイトのような双眸そうぼう――。


[……ほんまに、ワシやねか]

 そう。写真には、僕が精神世界で対面したライナルトそのものの姿が映っていた。

 しかし違うところもきちんとある。写真のライナルトは肌に血色が感じられ、かつあの怪しげな真っ黒いローブを着ていない。身に付けているのは古めかしい簡素な衣服で、ところどころにつぎが当ててある。

 なにより、出逢ってまだ数日しか経っていない僕では見たことがないほどの、優しい笑みをたたえている。それはまるで、慈しむ相手を振り返ったその瞬間を切り取ったかのようだ。

[この写真、わたしも小さいときから何度も見てた。カッコいいよね。それにこの写真、すごく素敵で好き]

 耳打ちに似た小声で笑む皆本。うう、近い、かわいい、緊張!

[ほーや? ワシかなりイケメンやしィんね、たったとてもいい写真やんなァ]

[ふふっ、うんうん。全面同意っ]

 わあ、自分で言っちゃってるもの……しかも孫娘ににこやかに頷かれて、気を良くしている。まぁ確かに事実そうなのだから、納得せざるを得ないけれども。

[『彼を亡くしたこと、彼を死なす原因を作ってしまったこと。それはわたしにとって、酷くつらい現実だったわ。ライナルトには、とんでもない迷惑をかけてしまったと後悔しているし、けれどもそのライナルトは、もういないし、二度と戻らないのよね』]

[『それが、あなたがライナルトについて話を進められなかった、最大の理由でしたか』]

[『そうね。彼のことを話すと、やはりね……彼を強く求めてしまうもの。夢にまで視るわ』]

 固く目を閉じるリタさんは、そのまつげにうっすらと涙を滲ませていた。

[『ライナルトにただ一言……ごめんなさいと伝えたかった。わたしは彼の子を宿し、育て、その子はわたしたちの孫を産んでくれたけれど、喜びを分かち合いたい唯一の彼を、わたし自身が失くしてしまったから。そのことだけは、後悔してもしきれなくて』]

 そんなふうに、リタさんはライナルトのことを想っていたのか。胸が苦しい。そして同時に、ライナルトの存在をわかっている僕は嬉しいとも思えている。

[『妊娠がわかったあと、あなた方はどうなったのでしょう?』]

[『みんな無事、家に戻ってきたわ』]

[『そこから死者や怪我人は出ましたか』]

[『いいえ、目立った外傷は誰一人いなかったわね』]

 よかった、特になんでもなかったようで。ライナルトも胸を撫で下ろしたのか、フーッと長い溜め息を細く吐き出していた。

[『けれどライナルトだけが戻らなくて、そしてみんな真実を知らなかった。だから、彼の弟さんの一人が、解放されたその足で、行政へ調べに向かったのよ』]

 強い弟さんだ、さすが『ライナルトの弟』といえる行動力だと思う。

[『そこでやっと、ライナルトが事故死となっていると知った。弟さんたちもわたしも、納得いかなかった』]

[わたしも納得いかない]

 意訳後にボソリと皆本が呟く。眉間を詰めて、不服そうだ。そんな顔もかわいいけれども。

[ふふ。『何度も再調査を要請したけれど、行政が動くにも、かなりお金が必要だったらしいわ。わたしの父も動くことを決めて、そうしたら、娘が産まれた頃に、きちんと調べがついた。そして、ようやく逮捕となったの』]

 幕引きまで、少なくとも半年はかかったのだろう。そして奴の逮捕後に、ライナルトはリタさんの私物かなにかに憑依しているとわかったんだったな。

[『ライナルトを死なせた奴は、逮捕に至るまでどうしていました?』]

 若いライナルトの写真を、リタさんの手元へと戻す。フレームを柔く優しく撫でるリタさんは、穏やかな口調で語る。

[あぁ、確か……『わたしの妊娠を知って、相当ショックを受けたと聞いているわ。どうもかなり潔癖で、完璧主義だったらしくて。わたしも直接悪く言われたけれど、もう早々に忘れたわ』]

[今更やけど許せんな。アイツ、リタんことまで罵りよって。仮にも嫁さんに貰お思とる女を下げること言うけェ? 正気の沙汰とは思えんがいぜ]

 僕だけに向ける声が、沸々とした怒りに巻かれている。

[『けどお陰で、一時的に、脱け殻みたいになったらしいのよ。だからわたしたちが解放されたあと、彼が正気を取り戻す前に、わたしと母だけ身を隠したわ。その潜伏先でお世話になったのが、ライナルトの弟さんが後に結婚することとなった、日本人留学生のお嬢さんの、下宿先だったの』]

「日本と、繋がった……?」

[どの弟が日本人の嫁さん貰ろたんか、気になるとこやけどな]

 いたずらそうに内心で笑んでいる。本心は喜んでいるくせに。

[そこにずっと隠れていられなかったから、日本に来たの?]

 皆本の問い。リタさんは写真をみずからの膝へ置き、背もたれに後頭部をつけた。

[うぅーん、近いわァ。『あの人、資産家でしたから、保釈金や身代わりを立てて、わりとすぐに出てきてしまってねぇ』]

[ずるいし酷い。いくら時代的背景が混沌としていたとしたってあり得ない……]

 歯噛みの皆本を、ライナルトが「落ち着かれ」となだめる。

[『そうしたら今度は、復讐があるかもしれない、って話になったの。だから荷物をある程度まとめて、遠くに身を移さないかって、父が提案したわ』]

[『……それは、ポジティブな提案?』]

 ライナルトが訊ねると、リタさんは数秒間固まったようだった。やがてニコリと笑んで、顎を引く。

[フフフ! 『ええ、ポジティブな提案でしたのよ。逃れると言うと、ビクビクしたり恐れを抱いているような印象ですけれど、むしろ新天地で新たな事業展開をしよう、という気持ちだったの』]

 明るくそう言うリタさん。

 リタさんのお父さんは、たとえどんな逆風にあっても常に前向きだったのかもしれない。それはライナルトの気質にも似ている。ライナルトも、逆境を目の前にしたときは粘着質に笑んで立ち向かっていく。

 リタさんの周りには、きっとこういう男性が多かったのだろう。頼もしいの一言に尽きる。だからこそそんなにもフットワーク軽く、安全を選んで生き抜いてこられたのだとわかる。

[『そこで、留学中だった彼女が、それならいっそのことと言うんで、日本に向かうことにしたのだったわ。留学中の彼女のご実家が、輸入業をなさっていたのでね。都合がつけやすかったのかもしれないわね。詳しいところは、わたしは聞いてないのだけれど』]

[『ライナルトの、他の家族は?』]

[『ご無事よ。さすがに日本にまでは来られなかったけれど、オーストリアの別の街に数年移住して、彼から完全に逃れたわ。ほとほりの醒めた頃に、元のご自宅へ戻られて、皆さま変わらず家具を作ったり、大きな畑をなさっているわね』]

[よかった……ほうかぁ、みんな無事やってんなァ]

 安堵で、その場にヘナヘナと座り込むライナルト。僕もよかったと思う。一家離散なんてことになってなくて、本当によかった。

[『留学生の彼女と結婚となった弟さんだけは、一緒に日本に来られたのよ。数年経って、北陸へ移住なさったから、しばらくお会いしていないけれど』]

 まだご存命かもしれないのか。ライナルトの親族が北陸に……あ。

「北陸とも繋がった! ということは、ライナルトは日本に辿り着いたとき、リタさんの持ち物じゃなくて」

[弟の金属製の持ちモンに憑いとったっちゅーことやんな?]

 それでリタさんと離ればなれになってしまったのか。一緒に日本へ来たときに荷物が纏まっていたとしたら、その場で静電気を使った転移を多々繰り返した可能性が高い。そして何十年もかけて、ライナルトは弟さん親族の近くから、自力でリタさんの近くまでは移動してきたんだ。

 すごい引力だといえよう。運命という目に見えないものを信じてしまえる話だ。このことは、あとで皆本にも教えてあげなくちゃ。

[『故郷のあの地は、いまでもとても好きな場所よ。だから本当は、離れるのが寂しかった。けれどそれ以上に、あの地にライナルトかいないことの方が、もっとずっと、つらかったわ』]

[おばあちゃん……]

[『大好きな家族、大切な友人、軌道に乗っている家業。少しずつある幸せを集めて、日々大切にしていたあの頃。しかし、一度壊れてしまった……わたしの発言で。だから日本で……まったく知らない土地で、いつかきっと同じくらいの大切なものを、形成できたらいいと、思っていたわね』]

 ゆらゆらと揺れるリタさんの言葉。そして、皆本の手を取る。

[ユズキちゃん。あなたは、ライナルトが遺してくれた、大切な宝物]

 日本語を紡いだ祖母の笑みに誘われたように、涙粒が静かにポロリと皆本の右頬に転がった。

[ユズキちゃんは彼によく似てる。長いまつげと、愛らしい笑顔。あと、たまにちょっと見える、八重歯]

[……そう、なの?]

[ええ。だからユズキちゃんを見てお話ししていると、ライナルトの生き生きしていたお顔を、いつも思い出したわ]

 皆本とライナルトの表情が重なるだなんて、思ってもみなかった。皆本のあの明るい笑顔は、ライナルトに起源があるのか。うぅん……そこを考えると、なんとも複雑な心境になってしまう。

「あぁ、そういえば。『この椅子を作ったのは、彼なのよ。この椅子に揺られていると、彼のことを順々に思い出すわ』]

[あぁこれ、ワシがあんとき作ったロッキングチェアかいや]

 僕だけが聞こえる内側へ、驚愕の感情を漏らすライナルト。

[『普段はいたずらっ子のクセに、家具を作っているときは、とっても凛々しくて素敵なの』]

[見てみたかったな、わたしも。おじいちゃんが、家具作るとこ]

 すごいことだ。半世紀経ってもライナルトの手の加わったものが、この皆本家には溢れている。ロッキングチェア、子孫の存在、リタさんの記憶――ライナルトを想う人たちで充ちているんだ。

「ライナルト、本当にすごいことが起きてると思う。ライナルトの命がまだ終わっていないんだってわかって、なんだか僕、すごく嬉しい」

[ほんまに、どうしたらいいがん……喜びたい気持ちと泣いてまいそな気持ちで、ワシぐっちゃぐちゃや]

 鼻を啜るような音が聞こえて、それがライナルトのものだとわかって僕の胸が締め付けられた。

[なんだか、不思議な感覚です。あのときの出来事、簡単にお話しできてしまったわ]

[本当に、ありがとうございます。あなたのお話が聞けてよかった]

[『訊きたいことは、終わりかしら?』]

[ええ、ひとまずは]

 問題は、ここからどうやって真相を切り出すか、だ。いま話をしているのはライナルト本人の幽体なんですよ、だなんて言ってしまってもいいのだろうか?

[じゃ、わたしもお訊きしたいことが]

[ええ、なんでしょう?]

 柔い問い。ハテナの僕ら三人。

[あなたは、本当は誰なのですか?]


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