3-3 先何十年経てど

 予期せぬ登場人物に、僕の思考は数秒間止まってしまった。皆本は、自身の膝の上のオムライス入り弁当箱へ視線を落とす。

「皆本の……」

[ば、ばーさんやて?]

 困惑しているライナルト。僕から言葉をさらって、思考を巡らせている。

[ワシにゃらんぜ? 日本人のばーさんの知り合いなんて]

 いくらライナルトが忘れていることが多いとしても、一体それはどういうことなのだろう? 見当がつかない。

「真志進くん、お願い。わたし、おばあちゃんの力になりたいの」

 痛切な表情で、皆本が僕を向く。まるで僕の瓶底みたいなメガネの奥をくぐり、精神の中にむライナルトを直に見るかのようだ。

「おばあちゃん、思い出話すると必ず最後に『ライナルト』のことちょっと口にするの。どれだけ大切な人なんだろうって、想像しなくたってわかる」

 皆本の言葉ひとつひとつから、迫る想いをうかがい知れる。

「ライナルトを捜すこと頼まれてたの? おばあさんに」

「ううんっ、わたしが勝手に捜すことにしただけ。きちんとお願いされたわけじゃないの。だから得られた手懸かりをきっかけに、これからおばあちゃんにも詳しく話を訊かなくちゃって思ってるんだ」

 やがて目を伏せて、僕から顔を背けた。

「おばあちゃんね、数年前に視神経の病気やってから目がほとんど見えなくなっちゃって、そうしたらぱったり出掛けなくなっちゃったのね。なんかそれがますます寂しそうに見えて。わたし、何かしてあげたくて。けど『ライナルト』って名前くらいしか手懸かりなくて、絶望的な感じでね」

 外国系の名前しか手懸かりがなければ、確かに捜しようがない。そんな中で突如『僕』が、手懸かりのその名を発したのだ。話を訊きたくなって当然と言えよう。

「なるほど。皆本の話はよくわかったよ」

「うん……」

「僕も、出来る限り協力するよ。僕の知ってるライナルトについてになるけど、説明させてくれる?」

 柔く笑んで、皆本へ首を傾ぐ。眉を上げた皆本は頬を紅潮して、「よかった」を溜め息に混ぜた。

「ありがとう真志進くん。『変なこと訊かれた』って思われるかもってドキドキしてたから」

「そんなことっ。どんなことだろうと、皆本には絶対にネガティブなこと思わないよ!」

 わっ、言っちゃった、とすぐに後悔して、しかし皆本は柔く小さく笑んでいた。

「ふふっ、嬉しい。ちょっと安心した」

 置いていたスプーンを手に、皆本は再びオムライスを一口含む。僕も慌てて弁当をポコポコと食べ進めていく。

 僕は内心のライナルトへ、相談を持ちかけるために声をかけた。

[相談? なんじゃい]

 少しずつなりとも、皆本に僕とライナルトの現状を含めて、伝えてみてもいいと思う?

[いいも、なにもやな……]

 モジモジと言い淀みが返ってくる。戸惑っているのだろうか。ライナルトでも呑み込めない情報量なのかもしれない。

[なんて伝えんがけ]

 うーん。ひとまずいま皆本が話していた『彼女のおばあさんの話』を聞いて、ライナルトは何か思い出したことがある? それによって切り口変えようと思うよ。

[ん、その。特に、思い出せんがやちゃ……]

 そっか、わかった。

[すまんな]

 ううん。それも進展のひとつだから、そんな風に落ち込まないでよ。ライナルトらしくなくて、僕のが調子狂うよ。

 あくまでも優しく、そして落ち着いた声色を保つ。話が進むにつれもっとも緊張して不安になっているのは、他でもないライナルトだから。声が小さく低いままなのは、期待と不安の二色が魂全体で渦になっているからかもしれないと、想像に易い。

 今度は黒豆をしっかりと咀嚼そしゃくする。うん、きちんと甘く煮えている。

[……名前]

 え?

[一応、名前訊いてみてくれんけェ。そん、ミナモトのばーさんの名前]

 照れているような声色。僕は「うん、もちろん」と内心に強く告げた。

「皆本、あのっ。おばあさんのお名前、うかがっておいてもいいかな? もしかしたら聞いたことあるかも、しれない、というか」

 今一度箸を置き、顔を上げる。皆本は頬に笑みを作った。

「うん。リタだよ」

「リタ、さん」

 僕がなぞると、ライナルトもかすかに「リタ、リタ」と繰り返し呟き始めた。

「どう? 聞いたことあった?」

「いやー、どうだろう……て、その前に。皆本のおばあさんて純日本人じゃあないんだ?」

「うん、そうなの。おばあちゃんはイタリア系の血筋で、オーストリアの出身なんだ。だからわたし、実はハーフなの」

 肩を縮めて照れ笑う皆本。わあっ、なんかドラマチックな血筋だ。ライナルトには悪いけれど、皆本がハーフであることに突然きゅんとしてしまった。

 一方で、聞き捨てならない単語ワードが引っかかる。「ちょ、ちょっといい?」と僕は前のめりになる。

「じゃあ、じゃあ。オーストリア出身のリタさんは、オーストリアに居た期間にライナルトと面識があったってこと? 『ライナルト』って、明らかに向こう系の名前だもんね?」

「そうだね、多分そうなんだと思う。詳しく訊いてみないとわからないけど」

「皆本は会ったことある? ライナルトに」

「ないよ、ないない! わたし日本生まれ日本育ちだし、オーストリアに行ったことないし!」

「そっか。リタさんはいつから日本に?」

「えーっと、結婚した後、だったはず。それまではオーストリアに居たって」

「なるほど」

「だから『ライナルト』さんと最後に会ったのだって、もう六〇年前とかのことだと思うんだよね」

「なっ、ろっ?!」

 六〇年?! 本当に絶望的な年月じゃあないか!

[ほんまにワシのことかいや?]

 いやー、当人同士から話を聞いて擦り合わせつつ推測するしか――って。ライナルトはここまで聞いて、何か思い出さない?

[……まぁ、もうちょい聞いて、やな]

 ん? いままでと反応が変わってきたぞ?

「六〇年経ってもまだ、あんなに寂しそうに繰り返し思い出すほどの人なんだなって。どんな形かわからないけど、あれこそが愛情なんだろうなって思ったら、わたしたまに泣きたくなるもん」

「そっか。何かしてあげたいって気持ちになるの、わかる気がするな」

 深く濃く、いまもライナルトを想っているんだろうとわかる。若い頃のリタさんは、先何十年経てど変わらず想えるほど、ライナルトと深い仲だったのだろうか。

「あのね、皆本」

「ん?」

「僕がするライナルトの話、信じがたいことばっかりになるんだけど……」

「信じがたいことばっかり?」

「それ、急に全部受け止めなくて構わないとした上で、話してこうと思う。これ、僕もやっと慣れたところなんだ。だから呑み込めなかったら、その都度口挟んでね」

「へ? う、うん」

 僕の注釈の意味、きっと後からわかることになるだろう。皆本もいまはハテナを浮かべているけれど、それはゆっくり理解してもらうとして。ともあれリタさんのためにも、話を先に進めよう。もちろん、ライナルトのためにも。

 僕は意を決した。鼻で息を吸い込んで、フウッと短く吐き出す。

「ライナルトはね、いま、ここに居るんだ」

「え?」

 僕はみずからのペラペラな胸板に、ピトリと右掌をあてがった。

「この前から、僕にとり憑いているんだよ」


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