2 マシン、騒乱

2-1 全部正解確定

 降り続いていた昨日までの雨は、夜中の間にすっかりやんでしまった。一転して今朝は、抜けるように高い青空が涼やかな風を流している。陽光はチリチリとアスファルトを焼いていて、一般的に言うと初夏を匂い立たせる光景に相応しいだろう。

 個人的なことを言えば、晴れの気候もジリジリの陽射しも得意ではない。曇りや雨の天候の日に比べて湿度が低くなるから、バチッとやる確率が増えるためだ。

 反して『雨上がりだ』という点だけは、空気中の湿度がまだそれなりに残ってくれているので、僕の心配をほんのわずかに軽減してくれる。そこは唯一の救いかな。

「まーしー、おっはよん」

 教室に入ってきたつるぎは、一番始めに僕に声をかけてくれる。これは小学校の頃からのお決まりだ。

「おはよう、剣。昨日は図鑑ありがとう」

「なんのなんの。愛するまーしーのことなら、何でも予測したいし知りたいしねぇ」

「ぅあっ、愛っ……」

 朝から過剰な剣節つるぎぶしが炸裂。思わずグッと言葉が詰まる。

 はぁ、剣は今日も順調に発言もスマイルもイケメンだな。全方向に極まった爽やかさとカッコよさ……僕とは違って、今日の天気によぉーくお似合いだ。

[そーかァ? ワシのが数段カッコいいじィ? 晴れとるお空もワシのがよォお似合いや思わんけェ]

 ちょ、ちょっとライナルト。いちいち僕の思考に口挟むのやめてよ。

[しゃーないやんけ。お前の思考、ぜぇんぶワシに筒抜けンなっとんげん]

 困ったシステムだなぁ、と小さく溜め息。

「なんかまーしー、疲れてねぇ? ダイジョブ?」

「つかっ、憑かれてなんてそんな! ぼっ、僕はいつも一人だよっ!」

「……へ?」

 うわっ、マズイ! つい『つく』という単語に過剰反応してしまった。剣がいま言ったのは『疲れ』じゃん、tiredタイヤード!  うわあ、こんなところにまでライナルトの憑依による悪影響が……。

[ちょお待てェ! 悪影響言うな、ダラボケ!]

 悪影響だよ、日常生活もままならないなんて悪影響以外のなにものでもない。

「まーしー、マジでダイジョブ? もしかしてあんま寝てないとか? 昨日の誕生日、まーしーのパパママとはしゃぎすぎた? それとも今日が晴れだからあんま元気ない?」

 俯いていたら、剣に表情を覗かれた。条件反射的に慌ててしまって、ワタワタといいわけみたいな文言が流れ出る。

「あっ、だ、だからそのっ! つっ、つい、貰った図鑑をその、読みふけっちゃって、アハハ! き、気が付いたら朝の四時でさァ!」

 大袈裟な笑顔で「なにやってんだろうねぇ、僕!」と盛大に誤魔化す。なんなら後頭部をカシカシと掻いたりして、ドジっちゃったなというのを演出したりして。

 当然、朝の四時まで図鑑を読み耽っていたなんてのは嘘だ。だからこそ剣には早々とバレてしまうだろうか、僕の精神世界が妙なことになってるって。

 散々いぶかしんで僕を覗き込んでいた剣は眉間をそのままに、「そーか?」と近寄せていた顔を離した。

「具合悪かったら保健室で寝たっていいんだかんな? その分のノートは貸すし、俺」

「う、うんっ。ありがとう」

 ふぅ、どうやら切り抜けられたみたいだ。危ない危ない。

「お、皆本」

 ビクゥ! ドキィ! と過剰に肩を跳ね上げてしまう。剣の視線の先には、もちろん皆本が。声をかけられたことをきっかけに、一人でこっちに寄ってくる。

「おっはよん」

「あはは。おはよん、成村くん。かわいいね『おはよん』て」

「流行らせていいよ」

「フフッ! 流行らないよ」

 うぅ、早速ふんわりといい雰囲気。あ、いやいやそうじゃあなくて。

「お、おはよ皆本っ!」

 なかば叫ぶみたいになってしまった、僕の不格好挨拶。

「真志進くん、おはよーん」

[なんやちゃ、流行らん言うといてさっそくツルギの挨拶使っとんやねけ]

 い、いいんだよ別に。彼女の自由だろ。

「き、昨日、あの、ありがとう」

「いいえ、どういたしまして。あ、着けてくれてるんだ。嬉しい」

 皆本の視線が僕の左腕を向く。食いついてきた剣も「なになに?」と凝視。うう、恥ずかしいけど、まぁ、仕方がない。いつかは見つかるんだし。

 左手首をこそこそ差し出して、小さめの首肯をひとつ。

「わ、まーしーがガッコにアクセしてきてる! すごい!」

「ちゃんと用途が明確なブレスレットだよ。だから違反じゃないよ」

「ほへー、なるほどなぁ」

 あぁ、皆本の優しさが改めて染み入る……じんわりと胸が温まるような気がするなぁ。

[気のせいやそんなん]

 あーもう、うるさいな。

「いいなぁ、まーしー。似合ってる」

「ありがとう、剣」

[ちゅーかミナモトて、あのネーちゃんやんけ!]

 げっ、気付かれた。

[なんやぁ、マシン。ちゃあんとかいらし可愛らしいネーちゃんと仲良くしとんやねけ! このこのォ]

 も、もういい。無視だ無視。ライナルトに逐一構っていたら、現実世界の会話で変な間が空いてしまう。それに別に皆本は僕のことじゃなくて――。

「真志進くん、どうかしたの?」

「ひへっ?! わあ?!」

 ハッと気が付いたら目の前にあった、皆本の超絶アップ。ぎゃあ、今日も麗しっ!

「さっきから百面相してるよ? 大丈夫? お腹痛い?」

「え?」

 どうしてお腹が痛いと百面相になると思ったんだろう、皆本は? ちょっとずれている彼女のそんな観点にも、ついキュンとしたりして。

「なぁ? やっぱまーしーちょっと変だよな?」

「だ、大丈夫大丈夫! ほんとに、ちょっと寝不足かな? って感じなだけだから!」

 このままじゃいけない。二人に無駄な心配をかけてしまう。

 ライナルトとのやり取りにうっかり夢中になってしまっていけない。僕自身もライナルトに食ってかかってしまうのがいけないんだけれど、都度訂正しないと、なんだかモヤモヤしてしまうから。あぁ、さっそく僕の性分が僕の決意の邪魔をするなんて。

 ほどなくして、予鈴が鳴る。やがて授業が始まると、ライナルトはその本領を発揮した。

「はぁーい、終わりです。用紙前に廻してってぇー」

 先生のその一声で、向き合っていた紙を手放す。最後列のクラスメイトが立ち上がり、後列から順に一枚ずつ回答用紙を回収していく。僕の分も回収されたのを見届けて、僕はそこへひたいをゴチとぶつけて突っ伏した。

 終業のベルをかき消すようにして、一気に教室内がガヤガヤとなる。

「ハァー……」

 この授業の最後に、なんてことのない小テストがあった。もともと告知されていたテストだったし『普段どおりにやってさえいれば』こんな想いをしなくて済んだんだ。

 じゃあなぜ落ち込んでいるかっていうと、この教科が英語だったからだ。

 なにも、英語が苦手だとかそんな次元の話じゃない。ライナルトのお陰で意識が散漫になってしまったことが敗因だ。

[ぶゎっハハハ! マシィーン、ラッキーグルックレィヒやのォ! ワシ、英語エングリッシも出来てしまうからのォ!]

 もー、何言ってんだよ。全然出来てなかったから。ずぅっとドイツ語で邪魔してただけじゃないか!

 そう。ライナルトは誰かの邪魔をすることを嬉々としてやる男だ。僕は見事、この小テストをライナルトに邪魔された。

 僕が視界は、ライナルトにもまったく同じように見えているようで、だから僕がテスト用紙に向かう間はライナルトもテストを眺めていたというわけ。ライナルトは英字スペルが多少推測で読めるらしく、読めた読めたと騒ぎ立て、なぜか懐かしみ、ドイツ母国語で嬉々として説明なのか朗読なのかをしてくれちゃったりしていた。テストの間、ずっと。まぁ、小声でだったけれど。

[ぜぇーんぶ正解確定やじ? よかったなー、マシン!]

 んなわけないでしょ。間違えた自覚あるもん。

「まぁーしぃー、今のテストどうだった?」

「全っっっ然出来なかったよ!」

 ガバッと顔を上げて、つい叫んでしまったことに気が付いたのは、問いかけた剣のぎょっとした表情を認識したからだった。

「えっ……」

「あっ、あの、剣っ、そのっ。これにはワケが」

「ま、まーしーが、小、小テストごとき、ぜ、全然出来なかった、なんて……ウソだろ?」

「わっ、あー違う違う違う! 違うよ剣っ!」

「真志進くん、答え合わせさせてぇー!」

[あっ、チャンスションセやマシン! あのネーちゃん来よったぜ!]

 もう黙っててライナルト!

「待って皆本、まーしーがやっぱりちょっとおかしいんだ」

「えっ?」

「小テスト全然できなかったって言ってんの。さすがに変だろ?」

「ええっ?! にゅ、入学してから、ずっと学年一位保持記録を更新中の、真志進くんがっ?! じゃあやっぱり、本当はすごく具合が悪いんじゃ……」

「原因はやっぱ夜更かしか? 天候か? マジで熱あるんじゃね?」

「違う違う違うよ違う! 本っ当に大丈夫! めちゃくちゃ元気! だからみんなで答え合わせしよ! うん!」

[ヒヒィ、おもしろ。空回っとるマシンたったとてもおもろいがやけど]

 あーもう! 笑い事じゃあない!


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