第二章 繰り返す死 06


 5


「ふおお……肉厚がすごい……」


 アナは星宿の双眸を煌めかせながら、目の前に置かれた熱々の鉄板を見つめる。

 場所はわりとよく来る商業地区南部のステーキハウス。

 飯時を外していたこともあり、注文はすぐにやって来た。


 感嘆の声を上げるアナ。そこまで喜んでくれると俺も連れてきた甲斐があるというものだ。何せ普段一緒にいる妹はめったに感情表現をしてくれないわけで。


「……兄さん。何か失礼なこと考えていませんか?」


「何も考えてないよ! さあ、冷めないうちにいただこう!」


 やたらと勘の鋭いカナンの追撃を躱しつつ、俺は肉にかぶりつく。

 熱々の肉汁と、噛み応えのある赤身の旨味で、口の中がカーニバル状態になる。

 大味ではあるが満足感がすごい。


 ちらりと隣のアナを窺うと、俯いて髪が鉄板に触れないようにどこからか取り出したシュシュで長い金髪を無造作に結ってから、一切の躊躇なく肉にむさぼりついた。

 もきゅもきゅと咀嚼をし、コクンと嚥下すると恍惚の声を上げる。


「ほああ……おいちい……おにくおいちい……」


「知能退行してるぞ」


「それくらい美味しいのさ……イザヤくんにも一切れあげるね」


 こちらの確認も取らずに俺の鉄板に一切れの肉を置き、ついでとばかりに俺の鉄板から肉を一切れ奪っていく。

 その強引さに何故か懐かしさのようなものを覚えていると反対側から、


「……兄さん。カナンのお肉もどうぞ」


 スッと。どこか不機嫌そうな面持ちで、カナンも肉を一切れ置いていく。心なしか、アナがくれたものよりも大きいような気がする。


「……え、なに怖いんだけど。おまえ普段絶対自分の分くれたりしないじゃん……」


「今日はとても機嫌が良いので特別です」


「むしろ普段よりも不機嫌に見えるんだけど……おまえそんな感情豊かだったっけ……?」


「心外ですね。カナンはいつもミュージカルの登場人物並に感情豊かですよ」


「いや、おまえが高らかに感情を歌い上げてるとこ見たことねえよ……」


 呆れながらも肉を食べていると、反対側のアナがくすくすと笑う。


「仲いいんだね。羨ましいな、わたし兄妹とかいないから」


「羨ましいですか、そうでしょうとも。カナンと兄さんは一般的な兄妹を超越して仲良しなのです。アナさんが分け入る隙はありませんよ」


「おい、適当なこと言うな。超越なんかしてない」


「あはは、いいなあ。カナンちゃん、お兄ちゃん大好きなんだね」


「――ええ、死ぬほど」


「…………」


 妹の愛が重すぎて怖い……。

 妙に殺伐とした会話の中、それでもアナの人柄によるものか食事は和やかに進む。


「イザヤくんたちって神智学院の学生さんなんだよね。学校楽しい?」


「――そんなに楽しくはないな。俺、友達いないし成績も悪いから。でも……そんな俺のことをお節介にも心配してくれるやつもいたりして……そう悪いとこでもないかな」


 ふと脳裏にいつもの怒ったシズクの顔が浮かび、俺は苦笑を浮かべる。


「それ女の子?」


「まあ、うん」


「彼女?」


「そんなんじゃない……ただのクラス委員長だよ。というかなんで女だって思ったんだ?」


「え? いや、何となくイザヤくんって、放っておけないオーラ出してるというか、捨て犬みたいなイメージだから、そういうの気にするのはやっぱり女の子かなあって」


「……あの女、また兄さんにちょっかい掛けているのですか。今度ちょっと話し合う必要がありそうですね」


「おまえ一応先輩なんだから、『あの女』とか言うなよ……」


 何故か敵意を剥き出しにするカナンをやんわりと窘める。それからカナンはアナに向き直り、


「――しかし、出会って数分で兄の本質を見抜くとはさすがアナさんです」


 と、どこか忌々しげに続ける。


「そうなのです。兄は自堕落で不真面目で厭世的でどうしようもない社会不適合者なのですが、その反面他人のためならば無茶なことでも平気で実行してしまう自己犠牲も持ち合わせていて、見ていて危ういというか、母性本能をくすぐるのです。子宮が疼くと言いますか」


「……さっきも思ったけど、頼むから年頃の娘が人前で子宮とか言わないで……」


「ですのでアナさん。間違いなくとても苦労するので、兄さんに手を出すのはやめてください」


 俺の心からの願いを無視して、カナンはきっぱりと告げる。しかしアナは、あくまでも余裕の対応で笑う。


「あはは、大丈夫だよー。カナンちゃんの大好きなお兄ちゃん取ったりしないからー。それにわたし、カナンちゃんと仲良くなりたいからカナンちゃんの嫌がることはしないよー」


「……もしかして、アナさんいい人です?」


「うーん、どうかなあ。でも、少なくとも悪い人じゃないと思うから仲良くしてくれると嬉しいな。ほら、カナンちゃんにもお肉あげる」


 俺をまたいで肉の交換が行われる。色々と突っ込みたいところではあったが、人見知りのカナンに友だちができるのであればそれはとても良いことなので黙っておく。

 それから、せっかくの機会なのでアナに尋ねてみる。


「――そういえば、この町が初めてとか言ってたけど、これまではどこにいたんだ?」


「ん? わたしはずっとこの町に住んでたよ。ただずっと研究所で過ごしてきたから、お外に出るのが初めてってだけだよー」


「……えっ?」


 予想外の言葉に――思わず素で聞き返してしまった。

 どういう、ことだ……?


 夢の中のアナは確か、外国にいた、と言っていたような……。まあ、夢の発言を現実に引っ張ってくるのもおかしな話だが、これまでの符合から考えると、この不一致は少し気になる。


 それに研究所って……さらりと言ってるが、わりと重たい話なのでは……?

 訝しげな視線を向ける。するとアナは慌てたように首を横に振る。


「ああ、違う違う! えっと、その……うん、まあ、ちょっと訳あって、病気とかじゃないんだけど、とにかく研究のためにずっと研究所で暮らしてたのさ。それに何か変な実験されてたとか、そういうのじゃ全然なくて、むしろ研究所の人たちにめちゃめちゃ甘やかされてたよ。口を開けば、アナちゃん可愛い可愛いって。まあ、実際アナちゃん可愛いから仕方ないんですけどー?」


 満足げに鼻息を漏らしながら胸を張るアナ。念のため、一応確認してみる。


「ちなみにこれまで海外に行ったことってある?」


「海外? いや、一度もないね。少なくとも覚えてる限りは」


 意外な質問だったのか不思議そうに小首を傾げてアナは答えた。

 そうか……じゃあ、やはり所詮、夢は夢ってことか……。


 その結論に、俺は少しだけ安堵する。いずれにせよ、アナがこれまで大切にされてきたというのは素直に嬉しい。この天真爛漫さはきっとたくさんの愛情を注がれてきた結果なのだろう。俺のような人間からしたら、眩しくすら思えるほどに――。


「ん? どうしたの? 何か海外絡みでつらいことでも思い出しちゃった?」


 アナが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。どうやら食事の手を止めて余計なことを考えてしまっていたようだ。慌てて思考を中断して、適当に誤魔化す。


「……いや、何でもないよ。ただ、アナに見とれてた。ポニーテイルも似合うんだな」


「ふおおっ!?」


 一瞬で顔を発火させ、アナは頓狂な声を上げる。


「び、びっくりしたなあ……急に変なこと言わないでよ……っ!」


「変じゃないよ。本当に似合ってる。すごく可愛い。世界一可愛い」


「や……やめ……やめろぉ!」


 恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、ナイフとフォークをテーブルへ戻し、両手に顔を埋める。コミカルな動作がまた愛らしい。


 そんなアナを見ていたら、先ほどまでのもやもやした気持ちが霧散してしまった。

 何となく上機嫌でいたら、黙って肉を食べていたカナンがぽつりと一言。


「――兄さん。食事中に女性を口説くのは些か品がないかと」


「…………」


 おまえ数分まえに俺への愛を暴露してたじゃん、とは思ったがどことなく不機嫌そうな口調だったので黙っておく。もしかして……やきもち妬いてる?

 恐る恐る俺はご機嫌伺いを試みる。


「……でも、カナンも負けないくらい可愛いぞ? 実は俺はポニーテイルと同じくらいに黒髪のミディアムボブが好きなんだ。チャーミングで実にいい」


「――ありがとうございます。実はカナンも兄さんのすべてが格好良いと思っています」


 無表情のまま礼を述べ、カナンは切り分けた肉を再び俺の鉄板の上に載せた。

 おまえ……チョロすぎだろ……。お兄ちゃん、マジでおまえの将来心配だよ……。

 複雑な心境を抱く俺。そして一連のやりとりを眺めていたアナが楽しそうに笑う。


「あはは、イザヤくんは、ジゴロだなあ。そうやって今まで女の子を泣かせてきたんだなあ?」


「そうなのです。兄には無自覚系ラブコメ主人公の気質があるのです」


「……そんな気質ねえよ」


 首肯するカナンに脱力しながら――何とも不思議な食事会は粛々と進んだのだった……。

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