学校一の美少女の迎え

 ジリリリリリリリリ! と目覚まし時計のやかましい音が、微睡みの中にあった俺の意識を呼び覚ます。


 目覚まし時計の音の騒々しさに軽い殺意を覚えたが、そうなるように設定したのは他ならぬ俺だ。


 ここでキレてもただ虚しいだけなので、普通に目覚まし時計の音を停止させるだけに留める。ついでに時間を確認してみると、時計の針は七時を指していた。


「ふあ……」


 欠伸を噛み殺しながら、俺は自室を出てリビングに向かう。


 それにしても、昨日は本当に色々あったな。最終的には、夕飯まで倉敷さんの世話になったし……倉敷さんの料理、美味かったなあ。


 昨日食べた倉敷さんの手料理が脳裏に蘇る。


 どれもこれも絶品だった。今日もあれと同じくらいのものを昼と夜に食えると思うと、今から楽しみだ。男子の嫉妬は怖いが、まあ今から考えてもどうしようもないことだ。……決して現実逃避とかではない。


「ん……?」


 リビングに着いたところで、不意に軽快なインターホンの音が耳に届いた。


 平日のこんな朝早くから、いったい誰だ? この時間帯に我が家を訪ねる人間に心当たりはない。


 疑問に思いながらも、とりあえず玄関に向かう。


「どちら様ですか?」


 扉越しに訊ねる。


「私です」


「…………」


 どこかで……というか、つい昨日うんざりするほど俺の世話を焼いてくれた学校一の美少女の声に似てるように感じるのは、俺の気のせいか?


 いやいやまさかな。いくら倉敷さんでも、こんな朝早くから人の家に押し掛けてくるほど非常識なはずは、


「七倉君。私です、倉敷蛍です。迎えに来ました、一緒に学校に行きましょう」


 クソ、やっぱり倉敷さんか。まさかこんな朝早くから家に来るとはな……。


「七倉君、聞こえてますよね? 早く開けてください」


「はいはい。今開けるよ」


 このまま無視してもいいが、そうすると後が怖いので素直に扉を開ける。扉の向こうには、昨日と同じ制服姿の倉敷さんがいた。


「……おはよう、倉敷さん」


「はい。おはようございます、七倉君」


 花のような笑みを浮かべる倉敷さん。写真を撮って額縁に飾っておきたいくらい可愛い。


「倉敷さん、何でこんな朝早くからウチに来てるんだよ?」


「さっきも言った通り、七倉君と一緒に登校するためです。いけませんか?」


「いや、いけなくはないけど……」


 昨日倉敷さんを送って分かったことだが、彼女の家は結構遠い。俺の家から歩いて三十分ほどの距離だ。


 現在の時刻が七時を少し過ぎたくらいなので、倉敷さんが家を出たのは大体六時半といったところだろう。


 朝練のある部活動生ならともかく、そうではない倉敷さんが家を出るには早すぎる時間帯だ。


「……倉敷さん、無理してないか?」


「別に無理なんてしてませんよ? いきなりどうしたんですか?」


「こんな早い時間に人の家に来たから、ちょっと心配になってな。もしキツいなら、こうやって迎えに来たり、弁当を作ったりしなくていいんだぞ?」


 倉敷さんの身を案じての言葉に、一瞬軽く目を見張る倉敷さんだったが、次の瞬間には口元に手を当ててクスクスと笑い出した。


「……何がおかしいんだよ?」


「いえ、別に何がおかしいというわけではありません。ただ、七倉君って意外と優しいな、と思っただけです」


「何でそうなる?」


 倉敷さんの発言の意味が分からず、首を傾げてしまう。


「ええとですね、今までの七倉君は何と言いますか……少し、距離を感じていたんです。目の前で話しているのに、まるで遠くにいる人に話しかけてるような感じでした」


 ……意外と鋭いな、倉敷さん。


 俺は常に広く浅くを主義として行動している。そのため、たくさんの友達を持ちながらも、特定の誰かと親密になることは決してない。


 つまり、常に相手と一定の距離を保ちながら接しているということだ。


 多分倉敷さんが距離を感じると言ったのは、この点を指してのことだろう。


 実は、昨日の倉敷さんの異様な押しの強さのせいで、彼女との距離感がいまいち掴めなくなっている。


「ですが、昨日と今日の七倉君はいつもよりずっと近くにいて、親しみやすいように感じます。私は今の七倉君の方が好きです」


「…………!」


 落ち着け、俺。今の『好き』はあくまで友人としてのものだ。決して異性として好きというわけではない。


「どうかしましたか、七倉君。顔が赤いですよ?」


「……何でもない。それよりも、いつまでも玄関前ってのもあれだから中入れよ。お茶くらいなら出すからさ」


「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……」


 倉敷さんを伴ってリビングに戻る。


「ところで七倉、朝食はもう食べましたか?」


「まだだな」


「そうですか。なら丁度良かったです」


 倉敷さんがカバンに手を突っ込み、中から小さな弁当箱を取り出した。


「七倉君のために朝食として、サンドイッチを作ってきました。どうぞ食べてください」


「あ、ありがとう……」


 礼を言いながら、弁当箱を受け取る。


 まさか朝食まで作ってくれたのか……。昼は弁当、夜は夕飯まで用意してもらっているのに、更に朝食まで作ってもらうとか……俺はこの腕の完治後、倉敷さんなしで生きていけるのか?


「七倉君は座って待っていてください。今お茶の準備をしてきますから」


「え? それは俺が――」


「ダメです。片腕の使えない七倉君にお茶を淹れさせるなんて、そんな危ないことはさせられません。火傷でもしたら大変です」


「流石に考えすぎだろ……」


 というか倉敷さん、ちょっと過保護すぎないか? 小学生並の扱いだぞ。


「七倉君は何が飲みたいですか? インスタントですが、紅茶と緑茶とコーヒーなら持ってきてますよ」


「……準備がいいな。ならコーヒーで頼む」


「砂糖とミルクは入れますか?」


「いや、俺はそのままでいい」


 そう答えると、倉敷さんは軽く目を見開いた。


「七倉君は随分と大人なんですね? 私は砂糖とミルクがないと飲めないので、憧れちゃいます」


「へえ……倉敷さん、苦いのダメなのか?」


「はい、お恥ずかしい話ですが……」


「別に恥ずかしくはないだろ? 好き嫌いは人それぞれだし」


 つうか、人に『あーん』とかは平気でさせるくせに、苦いものが苦手なのを知られるのは、恥ずかしいのか。


 倉敷さんの羞恥心のポイントがいまいち分からない。


「それでは七倉君、お茶を淹れてくるので大人しく座って待っててくださいね?」


 倉敷さんはカバンを片手に台所へ向かった。


 しばらくすると、二人分のカップを手にした倉敷さんが台所から出てきた。


「私も朝食はまだなので、ご一緒してもいいですか?」


「俺は別にいいけど」


「そうですか。では、お言葉に甘えて」


 倉敷さんが俺の隣の席に腰を下ろす。


「……何でわざわざ俺の隣に座るんだよ?」


「こちらの方が食べさせやすいからですよ。昨日だってそうしてましたよね?」


「……確かにそうだな。昨日は本当に世話になった」


 倉敷さんが笑みを浮かべながら、俺の口に食べ物を運んでくれた光景が思い起こされる。


 今思い出しても死ぬほど恥ずかしい。もし家に俺以外に誰もいなかったら、今頃壁に頭を打ち付けていたことだろう。


「けど今から食べるのはサンドイッチ、片腕が使えない俺でも簡単に食べられる。だから、倉敷さんがわざわざ食べさせる必要はないだろ?」


「それはそうですけど……」


 不服そうな様子の倉敷さん。いったい何が気に食わないんだ?


「まあそんなわけだから、倉敷さんも俺のことは気にせず朝食を食べてくれ」


「嫌です」


「……おい」


 いっそ清々しいほどの言葉に、思わずツッコんでしまう。


「七倉君にご飯を食べさせるのは私の仕事です。たとえ七倉君本人であろうと、私からこの仕事を奪うことは許しません」


「何で食べさせることに、そこまでやる気出してるんだよ……」


「私の義務ですから。さあ七倉君、大人しくしてください。抵抗は無駄ですよ?」


「クソ……」


 どうやら、一人で食べたいという俺の願いは聞き届けられないようだ。


 ――その後俺は昨日同様、倉敷さんサンドイッチを食べさせてもらうハメになった。


 ちなみにサンドイッチの味については、多分美味かっただろうが、朝から心臓に悪い食べさせ方をされたせいで味が全く分からなかった。

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