第六章 賢者は教団に悩まされる②

「ロレちゃん、おはよー」

「おはよう、アグリちゃん」


 仲良し二人が鏡合わせのように互いの手を添え、にこやかに朝の挨拶を交わした。

 女の子たちがきゃっきゃしていると、場が華やぐね。少しだけ、学生時代を思い出した。


「カールくんも、いらっしゃい」

「おう。さすが、俺のお嫁さん候補だぜ。今日もアグリは一段と可愛いな」

「しょ、しょんなこと、ないょ」


 本日一回目の殺意がわきました。

 畏れ多くもアグリを赤面させたカーライトくんを、頭の中で木端微塵に爆裂させていると、モスくんが私の右足に、てしっと前足を乗せてきた。


『姐さん、殺気を抑えてください』

『ああ、ごめん。こんな所で、はしたないよね』

『場所の問題じゃないッス』

『わかっているって。るなら日が沈んでからって言いたいんでしょ?』

『時間の問題でもないッス』

『じゃあ、り方? あまり苦しめるのは、良心が痛むっていうか』

『今さら良心とか言い出す姐さんに驚愕ッス』

『幸い、今のところは実害に至るほどじゃなさそうだし、もう少しだけ様子を見てみるよ』

『そうしてください……』


 カーライトくん、命拾いしたね。


「そうだ。ねえねえ、ロレーヌちゃん」


 膝を曲げ、ロレーヌちゃんの耳元でひそひそと囁きかける。


「なんでしょうか?」

「カーライトくんに、まだ話していないの? アグリが魔王の娘だって」

「まだですね。カールに話すのは、他の村人たちに話す以上に慎重になった方がいいと考えています」

「どうして?」

「この事実は、アグリちゃんの弱みになるからです。まだ毛の一本も生えていないとはいえ、カールも男。秘密をバラさられたくなければ大人しく言うことを聞け、などとアグリちゃんを恐喝し、いかがわしい行為に走らないとは限りません」

「限らないかな」

「ロレは母に、そう教わりました。尊敬できる母です」


 ロレーヌちゃんのお父さんには何度か会っているけど、お母さんはまだなんだよね。

 歳もそう離れてはいないだろうし、一度お会いしてみたい。


「ご心配でしたら、早々に去勢しておくことをオススメします」

「ロレーヌちゃんとカーライトくんって、血のつながった姉弟なんだよね?」

「弟を信じることと、犯罪の可能性に目を瞑ることは、また別だと思います」

「可能性だけで去勢してしまうのは……。いやしかし、頼もしいよ。ロレーヌちゃんの方でも引き続き、警戒を怠らないようにしてもらえるかな」

「了解いたしました」


 やっぱり、当面の要注意人物はカーライトくんだね。

 モンペと罵られようとも、これからは、よりいっそう厳しく当たらせてもらおう。


「カーライトくん、悪いけど、今日も構ってあげられないよ?」

「はぁ? いらねーし。俺は姉ちゃんと違って、あんたに会いに来てるわけじゃねーもん」

「あと、今日のおやつね、カーライトくんの分だけ無いの。村長さんの分ならあるんだけど、カーライトくんの分だけ無いの」


 大事なことなので、二回言いました。お望みとあらば、もう一回くらい言います。


「村長の分があって、なんで俺の分が無いんだよ!?」

「この世には、どうにもならない不条理なことがたくさんあるんだよ」

「いやいや、これくらい、割とどうにかなりそうな話じゃねーの!?」


 普通なら、大人であり、ホストである私が譲るべきなんだろうけど、下ごしらえをアグリと一緒にやり、ロレーヌちゃんに仕上げてもらう予定の一品。それを諦めるなんて無体なこと、たとえこの国の王様が献上しろと言ってきたとしても、私は徹底的に抗戦する。

 不貞腐れて、このまま帰ってくれたら儲け物、くらいに考えていると――。


「カールくん、わたしと半分こしよ」


 あろうことか、天使が手を差し伸べてしまった。

 それはさながら、戦場で傷ついた戦士たちを献身的に介護するナイチンゲールのように。

 圧倒的な神々しさと慈悲深さで。


「半分こ、いや?」


 さらに上目遣い。反則的なまでの可愛らしさです。無理無理無理無理、そんな目で見られてNoと言える男の子なんているわけがない。ああああああ、きゅんきゅんが止まらない。


「………………いやじゃないです」


 これはまずい。余裕で惚れる。いや、惚れ直す。

 生意気だった少年が瞬時にタコのように赤く茹り、熱に浮かされたみたいにふにゃふにゃになった。まさに骨抜き。

 パッッッッッッない。8歳でこれ。ウチの子、本気でハンパない。

 今後は男の子の方だけじゃなく、アグリ自身の言動にも気をつけた方がよさそうだ。

 愛娘の将来に戦慄していると、ここで息を荒らげた村長さんが、ようやく到着した。


「いやはや、子供たちの足にはついていけません」

「おはようございます、村長さん」


 私に続き、アグリも同じように「おはよーございます」と丁寧に挨拶をした。

 尋ねたことはないけど、顔や首に刻まれた皺、白髪混じりの頭などから、50代後半あたりと見ている。私の父と同じくらいだろう。

 そんな壮年の男性が、腰を深く折って頭を下げてきた。


「賢者様、突然の訪問をお許しください」

「村長さん、いつもお願いしていますけど、そんなに畏まらないでください」

「あー、いや、はい……申し訳ありません」


 親子ほども歳が離れた相手から敬語を使われるのって、逆に疲れちゃう。


「少々、お時間よろしいでしょうか?」

「大丈夫ですよ。立ち話もなんですし、家の中でしましょう」





 木造のキッチンテーブルを挟み、村長さんと対面で座る。

 隣の空き部屋では、ロレーヌちゃんが、アイスを使った水魔法の訓練を開始した。

 私は村長さんの応対をしなければならないので、そっちはリヴちゃんに監督してもらう。

 四帝獣のことも、まだカーライトくんには話していないけれど、彼はアホみたいにアグリを視線で追うことに忙しいようなので、他のことに気をやる余裕はないだろう。


「そ茶ですが」


 気を利かせたアグリが、私と村長さんの前に、麦茶の入ったグラスを置いてくれた。

 私と村長さんが「ありがとう」と言うと、アグリは嬉しそうにハニかんだ。

 ぺこりと村長さんに一礼をしてから、ロレーヌちゃんたちのいる部屋に引っ込んでいく。

 私も早くそちらに合流したいので、世間話の前振りも省いて用件に入っていった。


「それで、お話というのは?」

「実は、今朝早くに、王都から私宛に手紙が届いたのです」


 あーー。

 この時点で、内容はまだわからないけど、喜ばしくない話であることが想像できた。


「私がこの村にいるってこと、バレている風でした?」

「はい……。把握されている文面でした」


 フィアルニアを見直したと言ったけど、あれは嘘だ。

 全然誤魔化せていないじゃない。今度会ったら説教してやる。


「具体的には、どんな内容なんですか?」

「表向きは、クレタ村で採れる作物の生産量調査というものでした」

「誰かこの村に来るんですか?」


 私の存在がバレているなら、もう隠れる意味はもうないんだけど、うーん……。

 面倒臭い。この一言に尽きるよね。


「賢者様は、【赤銅しゃくどう魔法師団】という団体をご存じですか?」

「あ、知ってます知ってます。と言っても、名前くらいのものですけど」


 バロル教団の中にもいくつか派閥がある。その一つが赤銅魔法師団だ。

 上昇志向が強く、上級魔法使いを何人も抱えているエリート集団だって話だ。


「そこに所属されている、ギビル・アドラヌスという方が来られるそうで」

「あらら。ギビルさんなら、挨拶程度ですけど、何度か喋ったこともありますよ」


 私よりも一回りくらい年上の男性だ。

 選民思想の強い魔法使いの中でも、特にその傾向が強い印象だった。

 その実力を見たことはないけど、赤銅魔法師団の中でも特に優秀だとかなんとか。


「王都の魔法使いの中でも、特級の位に一番近い逸材だとか言われているみたいですね」

「ええ……。だからなのでしょうね。この村での滞在は、肌に合わなかったようで」

「え、この村に滞在されていたことがあるんですか?」

「二年前に、わずかな期間ですが」


 あ、もしかして。

 不思議に思っていた。私が来るまで、クレタ村には常駐魔法使いがいなかったのに、魔力を通しさえすれば、すぐにでも魔工機械を動かせる設備が整っていたことに。

 いたのか。常駐の魔法使い。


「なんとなく察しました」

「賢者様が、ご想像されているとおりかと……」

「ロレは、あの男が大嫌いです!!」


 村長さんとの話を聞いていたらしく、訓練中だったロレーヌちゃんがいきり立った。


「こら、ロレーヌ」

「村長、止めないでください! だって、許し難いじゃないですか! 村の皆で少しずつ出し合ったお金なのに、あの男は! あの男のせいで!」

「彼のせいではないよ。済んだことに文句を言っても、失ったものは戻ってこない」

「だからこそ、腹立たしいんじゃないですか!」

「それなら、こう考えたらどうだろう。彼の代わりに賢者様が来てくださった。もしこの村に他の魔法使いが常駐していたら、賢者様は、この村を選んでくださっただろうか?」


 ロレーヌちゃんが、ぐ、と言葉に詰まった。

 クレタ村に、他の魔法使いが常駐していたら。

 まず間違いなく、私はこの村を候補から外していただろうね。

 それがわかったからか、ロレーヌちゃんが、声を張り上げるのをやめた。


 聞けば、ギビル・アドラヌスという男は、今から二年前に、クレタ村の常駐魔法使いとして派遣されてきたのだという。

 契約期間は三年。一括前払い。これは相手の要望だったそうだ。

 クレタ村は、お世辞にも裕福とは言えない。村人全員で少しずつ積み立てたのだという。

 王都でも指折りの魔法使いという噂を信じ、村人たちは、一括前払いの条件を快諾した。

 そして、いざ派遣されてきたギビルを村人たちは歓迎した。


 しかし、ギビルがまともに働いたのは、最初の数日だけだったという。

 以降は、やれ飯がまずいだの、ベッドが硬いだの、事ある毎に不満を漏らし、待遇の悪さを理由に、一ヶ月と経たずに王都へ帰ってしまったのだという。

 高額の契約金だけを持ち去って。


「うーわー。あの人、そんなことしていたんですか」

「もちろん、ギルドに相談したのですが、魔法使い滞在の環境を整えていなかったクレタ村に非があるとされ、返金は一切されませんでした」


 マジでー。

 ギルドに対して不信感募っちゃうなー。


「お師匠様は、あの男と面識があるとおっしゃっていましたが、不快に思われるようなことはなかったのですか?」

「私は別に、あの人のこと、嫌いじゃなかったんだけどな」

「なんと。それは、お師匠様からすれば、取るに足らない小物。相手にするのも馬鹿らしい。そういうことなのですね。さすがです」


 んー、才能だけでのし上がれるほど、魔法は甘くないとか、勇者パーティーに加わるのは、自分こそが相応しいとか、何かといちゃもんをつけてはこられたけど。

 あの人、私のことを、陰で「小娘」って言っているみたいなんだよね。

 どう考えても嘲弄なのに、若く見られていると思うと、それがむしろ喜ばしいというか。

 十代のフィアルニアたちと一括りにされているのが、なんだか嬉しかったのだ。


「村長さん、最初に表向きはって言いましたよね。生産量調査なんて、魔法使いじゃなくてもできますし、言ってしまえば、ただの雑用です。私には、自尊心の高いギビルさんが、進んで引き受けると思えません。何か別のところに意図があるんですよね?」

「いかにもです。手紙には、こうも書かれていました」


〝賢者アオバ・オサダがギルドを介さず、魔力で違法な商いをしている恐れがある。真偽を調査する故、事を内密に運びたい。赤銅魔法師団が到着するまで被疑者を村に引き留めよ〟


「被疑者? 言うに事欠いて、お師匠様を被疑者とほざいたのですか?」

「うーん、急展開だなー」


 でも、なるほど。概ね理解した。

 魔法使いは強大だ。一人で兵士何十人分もの戦力にだってなり得る。

 そんな魔法使いを、私的に囲おうとする者はいくらでもいる。

 だが、それは戦争の火種になる。

 だからギルドは、魔法使いが独立して雇用されることを禁止している。

 しかし、ギルドを介する。ギルドが斡旋する。

 そうなれば、ギルドにいくらかの手数料を支払う必要がある。それを私がケチくさく拒み、純利益を貪っていると、そういう建て前を持ち出してきたわけか。


 そう、建て前だ。

 彼の本音は別のところにある。

 それは、私の失脚だろう。

 自分より魔法使いとして、格上に見られている私の存在が気に食わないのだ。

 なんでもいいからスキャンダルを掴み、私から賢者の称号を剥がそうとしているんだろう。

 私を疎む兆候は、賢者と呼ばれるようになる以前からあったけども、魔王を倒したことで、もはや名声が手の届かないところまで昇ってしまった。そのため、力技に出たってことか。


「村長さん、赤銅魔法師団がここに到着するのはいつ頃ですか?」

「明日の昼頃と書かれていました」


 どうしたものかなー。

 魔力で違法商売云々は事実無根だけど、スキャンダルなら実際あるからねー。

 それも、世界を震撼させるほどビッグなやつが。


「お師匠様、いかがなさいますか? 先回りして、道中に罠を仕掛けるのも得策かと」

「やらないやらない」

「失礼いたしました。そんな回りくどいことをせずとも、お師匠様なら、容易く正面から一網打尽にできるというのに。愚かにも賢者を過小評価してしまった非礼をお許しください」

「許す許す」

「ロレに手伝えることがあれば、なんなりとお申しつけください。お師匠様を愚弄した罪は、一億の命を支える大陸よりも、遥かに重い。死すら生温い責苦を味わわせ、この世に生まれてきたことを後悔させてやりましょう」


 カーライトくんに対して、しょっちゅう殺意を向けているお前が言うなと思われるかもしれないけど、私はロレーヌちゃんの思考回路が、たまに怖くなります。


「村長さん、ありがとうございます」

「なんのお礼でしょうか?」

「内密にとあったのに、手紙の内容を開示してくださったことにです」

「そんなことは、当たり前ではないですか。ただただ、当たり前ではないですか」

「そうですよ、お師匠様。ロレたちがお師匠様の味方なのは、当たり前のことです」


 当たり前か。

 でも、当たり前だと言ってくれる人と出会えたのは、まぎれもなく奇跡だと思う。

 この村を選んで、本当によかった。



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※次の更新まで、一週間ほどお休みをいただければと思います。

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