第五章 賢者は裸の付き合いがしたい②

 ロレーヌちゃんをお風呂に招待する前に、アグリと二人で少し話をした。


「アグリにツノが生えていることを、ロレーヌちゃんに話したいと思う」


 人間とは異なる種族であることをロレーヌちゃんに伝える。

 もちろん、ありのままのアグリを受け入れてほしいからだ。


「いいよ」


 何も考えていないのではなく、ついにこの時がきたか。

 そんな感じの、半ば諦めを感じさせる了承だった。


 ツノが生えている種族は少なくないけど、大多数が、人間に対して友好的とは言えない。

 中でも、人の言語を操るくらい知能の高い種族ともなれば、その傾向はより顕著だろう。

 そして、それは人間側も同じだ。

 己が種族の方が格上だと主張し、互いが互いを見下している。

 そのため、人間はツノが生えている相手に対して、無条件に警戒を覚えるのだ。


「ロレーヌちゃんなら大丈夫だって思うけれど、絶対じゃない。種族の壁って、物凄く大きいみたいだから。もしかしたら、今までみたいに仲良しではいられなくなるかもしれない」

「うん」


 でも。

 アグリとロレーヌちゃん。二人の笑顔が並んでいる光景を思うと……。

 私は、ぎゅっとアグリを正面から抱きしめた。


「信じたいよね……」

「……うん」


 アグリもまた、私の背中に手を回し、抱きしめ返した。

 もし、拒絶されてしまったら。

 その時は、クレタ村を出るしかない。

 アグリは全てを受け入れた上で、審判に身を委ねる覚悟を決めた。






「かゆいところはございませんか?」

「な、ないれしゅ」


 高価な反物に触れるように、優しく丁寧な手つきで、ロレーヌちゃんがアグリの長い金髪を洗っていく。リヴちゃんの丸洗いで幾分リラックスできとはいえ、こうしていよいよとなれば緊張が込み上げてきたのか、アグリの舌が上手く回っていない。私もまた呼吸を忘れて固唾を呑み、その様子を見守っている。


 あああ……怖い。

 受験の合格発表を見に行った時の何倍も、この待ち時間が恐ろしい。怖すぎて、お湯の中で漏らしてしまいそうだ。踏ん張れ、私の骨盤底筋。


「アグリは髪が長いから大変でしょ」

「そうですね。ですが、それ以上に、指の間を流れていく髪の感触が素晴らしいです」


 まったくもって同意だよ。また今度、じっくりと語り合いたいね。

 でも、そうじゃなくて、もっと他にあると思うんだ。

 ロレーヌちゃんは、何も言ってこない。


 気づいていない?

 いや、さすがに気づかないはずがない。いくら父親の魔王と違ってツノが小さいとはいえ、湯船に入っている私からでも、はっきり見えているんだから。


「ロ、ロレーヌちゃん? あのね……」

「お待ちください!」


 強い語調で遮られる。


「もう少しだけ、考える時間をお与えください。必ずや、お師匠様より課された問題の真意を見抜いてみせますので」

「え、どゆこと?」

「真理は教わるものではなく、自らの知識と経験で導き出すもの。それを、この課題を通じてロレに教えようとしてくださっているのですよね?」

「いや、え?」


 何パターンか、ロレーヌちゃんのリアクションを想像していたけど、そのどれとも違う。


「ロレーヌちゃん、その……アグリの……見えてる?」

「ツノですか?」

「あ、見えてたんだ」

「それに関しての解答を出せとのことだと存じますが、答えはおろか、問いの意味さえ、未だ計りかねています。自分の未熟さを、今ほど呪ったことはありません」

「ちょ、ちょっと待って。これは別に、修行の一環とか、そういうことじゃないからね?」

「違うのですか?」

「全然違うよ。思ったこと、感じたことを、そのまま言ってくれればいいの」

「それでしたら、先程、指の間を流れていく髪の感触が素晴らしいと」

「そうじゃなくて! ツノが……生えていることについてだよ」


 こうまで噛み合わないなんて。そんなに回りくどいことを言ったつもりはないのに。

 眉をハの字にしていたロレーヌちゃんが何かに気づいたのか、口の形が「あ」になった。


「まさかとは思うのですが、アグリちゃんにツノが生えていることに対して、ロレがどのような反応をするか見たかっただけなのですか?」

「ま、まあ……そうだよ」


 まさかと思うようなことかな。真っ先に、それを考えると思うんだけど。


「アグリちゃんが人間以外の種族だと知って、ロレが友達を続けるかどうかを知りたかった。そういうことですか?」


 私は正直に頷いた。誤魔化せる雰囲気じゃない。

 ロレーヌちゃんが、アグリの背中にこつんと額を当てた。

 その何気ない接触行為に、私は尚早と知りつつも、かすかに喜色を浮かべた。


「これは、さすがにですよ。さすがに、わかるはずもありません」

「そ、そんなに難しい話だったかな」

「逆です。こんなくだらないことを問いかけられているとは、夢にも思いませんでした」

「くだらない、かな?」

「くだらないです。ロレは魔法使いとしてはド素人ですが、この件は魔法とは一切関係がないようですので、お師匠様に意見することをお許しくださいますか?」

「も、もちろんですとも」


 ロレーヌちゃんの剣幕に気圧され、思わず敬語で返してしまった。


「端的に申しますと、心外です。アグリちゃんにツノが生えている。それがなんだというのですか。そんなことで、アグリちゃんの可愛さが損なわれますか?」

「損なわれません」

「人間ではないとわかって、それでアグリちゃんが良い子だという事実が変わりますか?」

「変わりません」


 私はことごとく即答した。


「これを言うのは二度目になります。ロレがアグリちゃんに話しかけたのは、お師匠様とお近づきになりたかったから。ですが、アグリちゃんと友達になったのは、アグリちゃんが良い子だからです。お師匠様は関係ありません」

「そうだったね。そう言ってくれていたね」

「ツノが生えているとか、人間じゃないとか、そんなことも関係ありません。アグリちゃんはロレの友達で、掛け替えのない、可愛い可愛い妹弟子です」


 ロレーヌちゃんが怒るのも無理はない。

 本当に、改めて言葉にするのが馬鹿らしいくらい、当たり前すぎることだった。


 あばたもえくぼじゃないけど、アグリの小さなツノさえも、私には可愛く見えている。

 そんな風に思うのは、私が別の世界から来たから。

 こちらの世界の人とは、種族に対する捉え方が違うからだと、心のどこかで思っていた。

 実際、生まれ育った環境のおかげで、感性の違いっていうのも多少はあると思う。

 魔王も、それを理由に私に目をつけたわけだし。

 でも、アグリの可愛さが、感性の違いなんて些細なものに左右されるだろうか。

 断じて否だ。


「そもそもの話、賢者であるお師匠様のお連れが、只者であるはずがないと、ロレにはわかっていましたけれどね」

「まあ、只事ではないくらい可愛くはあるかな」

「違いありませんね」


 ロレーヌちゃんのドヤ顔が、この上なく頼もしい。


「ともあれ、ご理解いただけたようで何よりです。では、洗髪の続きを――あれ?」


 頭を泡だらけにしたアグリが下を向き、顔を両手で覆っていた。


「アグリちゃん? ご、ごめんなさい。泡が目に入っちゃったかな」


 アグリが俯いたまま、ふるふると小さく首を振った。

 わかるよ。

 安心したんだよね。嬉しかったんだよね。

 私はぱしゃぱしゃとお湯で顔を洗うことで、もらい泣きしそうになっているのを隠した。

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