第五章 賢者は弟子に魔法を教える②

 弟子たちに魔法を体験させるため、田んぼのすぐ近くにある貯水槽まで移動した。

 ここなら綺麗な水もたくさんあるので、練習には事欠かない。


 ついでに、稲の具合も確認しておこう。

 水稲の生長点は土壌中にあるため、地温が低いと上手く育たない。

 日照が豊富で気温が高く、水温と地温を高く維持することが育成の必須条件となる。

 そこで貯水槽に水を貯め、日照で水温を上げようと考えたわけだけど。


 なんかね、上手くいかなかった。

 引き込んでいる沢の水が冷たすぎるのか、温めても夜になってまた冷やされてしまうのか、思うように水温が上がらなかったんだよね。

 でも大丈夫。ノープロブレム。何も心配いりません。


 ご覧ください。

 田植えからまだ十日と経っていないけど、しっかりと大地に活着していることが、風によるしなりを物ともしていないところからも一目瞭然でしょう。

 いいねー。順調だよー。

 今から収穫が楽しみだ。ご飯を炊いた時の香りを想像すると、涎が出てきてちゃう。


 こんなにもスムーズに進んでいるのは、もちろん魔法に頼っているところもある。

 田植え後は、3~4センチの深水にして水温を25~30度に保ち、低温や風による植え傷みを防ぐ。活着後は、2~3センチのやや浅水とし、地温の上昇を図りつつ早期分げつを促進する。←今ココ


『言うは易く、行うは難し』という格言があるように、言葉で言うほど容易なことじゃない。

 だがしかし、この水質管理を完璧にこなせるプロフェッショナルが、我が家にいる。

 私じゃないよ。

 ご存じ、リヴァイアサンのリヴちゃんです。


 私もねー、現地にいる間だけならできなくもないんだけどね。

 リヴちゃんは、対象が液体でさえあれば、水に限定せず、たとえ家の中でご飯を食べている時でも、すやすや寝息を立てている時でも、ちょっと世界の反対側まで旅行している時でも、一度行使した魔力を半永久的に維持することができるのです。

 さすがにこれは、私でも無理。

 水属性を扱った魔素の制御が、世界中の魔法使いと比べても、頭一つどころか、雲の上まで飛び抜けているからこそできる芸当だ。

 やっぱりロレーヌちゃんの師匠は、リヴちゃんの方が向いていそうだよね。


「お師匠様、これからロレたちは何をするのですか?」

「ロレーヌちゃんとアグリは属性も違うし、別々なことをやってもらうつもりだよ」


 そう肩肘張らないで。修業なんて言うと仰々しいけど、要はレクリエーションだから。


「アオバ、アオバ」

「ん、なーに?」


 アグリが声をすぼめてきたので、私は膝を曲げて耳を近づけた。


「あのね……。ドキドキしてきた……」


 んっふぅぅうん!

 内緒話っぽくした意図はわからないが、息が耳に触れるほどの超至近距離から甘く囁かれ、脳を直接撫でられるような、ぞくぞくとした快感に見舞われた。


「アオバ、へんな顔してる」

「あひぇ!? あ、んん、耳元で喋られて、ちょっとくすぐったかったかなーって」

「ごめんなさい?」

「謝らなくていいよ! むしろ、またいつでも――じゃなくて! 何事も、楽しむのが上達の一番の近道だから、気楽にね」

「うん、楽しみ」



 アグリは【耳打ち】を覚えた。

 効果:特定の人種を骨抜きにし、数秒間行動不能にする。一定確率で即死効果。



「俺は? 俺は何をすりゃいいんだ?」

「え、さあ? 腕立て伏せとかすればいいんじゃない?」


 嫌がらせとかじゃないよ。勇者志望の子の修業なんて、本当にわからないもの。


「たく、それでも勇者の仲間かよ。仕方ねーな」

「あ、お帰り? 気をつけてね」

「まだ帰らねーよ!」

「え?」

「え? じゃねえ! 何をするのか知らねーけど、未来の勇者が手伝ってやるぜ。将来的には姉ちゃんとアグリも俺のパーティーに入るかもしれないだろ? こうして初期の頃から一緒に成長していくのって、なんかいいじゃん?」


 という夢を見たのかな?

 悪いけど、この二人を危険な冒険に出すとか、ありえないから。行くなら一人で行って。

 もしアグリたちが、悪を懲らしめる世直しの旅に出るとか言い出したら、私は先回りして、この世の悪という悪を滅ぼし尽くしてしまうだろう。


「愚弟が何やら寝言を吐いていますが、ロレは、クソザコナメクジのパーティーに入るなんて御免ですね。弟といえども、情で命を預けるわけにはいきませんから」

「だ、だったら姉ちゃんはいらねーよ! 後でパーティーに入れてくれって言っても、絶対に入れてやらねーからな!」

「わたしも、あぶないことはしたくない……。ごめんね」

「仲間がいねえ!」


 あらら、アグリにもフラれちゃったね。心からお祝い申し上げます。

 クソザコウジムシ……ナメクジだっけ? どっちでもいいか。

 大願を掲げるのは結構だよ。ただね、それを実現する力がない、夢を見ているだけの無茶に巻き込まれて他の誰かが傷つくなんて、これほど馬鹿らしいこともない。


「というわけだから、カーライトくん、君の手伝いは――……」


 そこで、はたと言葉を区切る。

 ……待てよ。


「なんだよ、腕立て伏せだろ? やればいいんだろ、やれば。腹筋だってしてやらあ」

「いや、カーライトくんには、ロレーヌちゃんのお手伝いをしてもらおうかな」

「姉ちゃんの方かよ」


 は? それって、アグリの手伝いをするつもりだったってこと?

 おこがましい。色気づくのは十年早いよ。十年経っても許さないけど。


「まーいいけど。何すりゃいいんだ?」

「慌てないで。まずはロレーヌちゃんから」


 私は貯水槽に向け、右手の中指と人差し指を立てた。

 それを、くいっと引き寄せるようにして曲げる。

 すると、ザパアッ、と浴槽一杯分くらいの水が空中に浮き上がった。

 ロレーヌちゃんとアグリから、割れんばかりの拍手喝采が送られる。


「じゃ、ロレーヌちゃんも同じようにやってみて」

「え、ロレが、ですか!? いきなりできるとは思えないのですが……」

「これができちゃうんだなー。魔素を扱える基本的な素質があれば、簡単に干渉できるよう、この貯水槽に私の魔力を通してあるから」


 例えるなら、ホットケーキと同じようなものだ。

 ちょちょいと加工した貯水槽の水が生地。そして、ロレーヌちゃんはフライパンだ。

 火の調節とか、上手にひっくり返す技術なんかは、試行錯誤して慣れていくしかないけど、焼くだけなら初心者でもできる。


「や、やってみます! お師匠様、見ていてください!」

「最初は両手を使ってみて。掌に換気扇がついていて、そこから魔素を吸い込むイメージだとやりやすいかも」


 エネルギー吸収口でもいいけど、伝わらないよね。


「こ、こう、でしょうか」

「そうそう。焦らないでいいからね」


 頬をぷっくり膨らませて力むこと、十数秒――

 水面を摘まんで引っ張り上げるようにして、小さな山ができた。

 その山が次第に、ゆっくり、ゆっくりと持ち上がり、大きくなっていく。

 この時点で喜び出したいはずだけど、一瞬でも集中を解いたら呆気なく崩れてしまうことが直感でわかるんだろう。リスみたいな頬袋は、まだまだ元に戻らない。


 やがて、バスタオルくらいの水の塊が、ティッシュボックスから一枚抜き取るみたいにして水面から切り離された。ふよふよと、宙を漂うクラゲを連想させる。


「ど、どう、でしょう、か」

「うん、ばっちりだよ」


 アグリがひっきりなしに「ふわー。ふわー」と感嘆の声を漏らし、目を爛々とさせている。


「少しずつ、やり方がわかってきた気がします、ですが、お師匠様の助けなしにできるようになるには、どれくらいかかるのでしょうか?」

「すぐすぐ。明日にでもできるよ」

「あ、明日ですか?」


 私はただ、発車するまで自転車を支えていたにすぎない。

 一度でも走り出し、運転の感覚を覚えたなら、あとは加速度的に上達していく。


「今はその量が限界だろうけど、慣れていくにつれてたくさん持ち上げられるようになるよ。私が今やっているくらいの量までいけば、立派に初級魔法使いを名乗れるね」

「お師匠様の弟子に恥じぬよう、精進致します!」

「その意気だ」


 教えたことをすぐ実践し、覚え、それを感謝して驕らない。師匠冥利に尽きますな。


「それじゃ、次のステップ。水魔法で最初に覚えておいてほしいのは、操った水を使って身を守ること。その水を壁にして、私の攻撃を防いでもらおうかな」


 そう言って、宙に浮かべた水の塊から、ソフトボールくらいの大きさを百個ほど切り取っていく。それをジャグリングのように、頭上でくるくると回した。


「お師匠様の攻撃を防ぐ、ですか……」

「大丈夫だよ。そんなに強く撃たないから」

「ぷぷー、姉ちゃんビビってらー」

「ぶつけるのはカーライトくんにだし」

「なんでだよ!?」


 やれやれ。自分で吐いた台詞にすら責任を持てないなんて。勇者見習い失格だね。


「カーライトくん、君は勇者になりたいんでしょう? もしパーティーに魔法使いが加わったとしたら、それを守るのは誰の役目?」

「そ、それは……勇者?」

「正解だよ。勇者は時に、その身を盾にして仲間を守らなきゃいけないことだってあるよね。それができてこそ、仲間もついてきてくれるんだから。その覚悟もなく、勇者なんて務まると思う?」


 厳しいことを言っていると思う。

 でも、本当に大事なことだから、

 今代の勇者を近くで見てきた者として、心を鬼にして教えておかないといけない。

 これを機に水弾ぶつけまくってやるぜー。なんて子供じみたことは考えていない。


「つまり、これはその予行練習ってことか」

「そのとおり」

「いいぜ、やってやる。何百発でも受け切ってやらあ!」


 はい、言質とりましたー。


「つーか、そんなもんを何発ぶつけられたところで全然痛そうじゃないしな。水魔法なんて、思ったほど強そうじゃ――」


 チュン!


 と、カーライトくんの顔の真横を、水弾の一個がレーザービームのような速度で走った。

 それは背後の岩に命中し、30センチはあった厚みに風穴を開けた。


「ちなみに、やろうと思えば、これくらいの威力は余裕で出せるから」

「お、おお、おおおう」


 膝、がっくがくになってますけど。


「す、凄まじいですね。ロレも、いつかその域に辿り着けるのでしょうか」

「練習次第かな。でも、水魔法の真骨頂は、やっぱり守りにあると私は思うの。これくらいの威力があっても、練り上げた水の壁なら容易に防ぐことができるんだよ」


 ここで私は、リヴちゃんに視線と一緒に念話を飛ばした。


『実践してみせたいんだけど、手伝ってくれる?』

『正体を隠しているのに、アタシが魔法を使ってもいいのかしら?』

『素人目には、誰が使ったかわからないだろうし。それにどのみち、リヴちゃんとモスくんのことは紹介するつもりだから。もちろん、リヴちゃんが承諾してくれるならだけど』

『わざわざ危うい橋を渡る必要はないと思うけれど』

『渡るだけの価値が、ロレーヌちゃんにはあると思わない?』

『あなたに心酔しているという点で、不安を感じる理由は充分じゃないかしら』

『失礼な。そこは、見る目があると言ってほしいね』

『まあ、好きにやってみればいいわ。最悪、村ごと洗い流せばいいだけのことだし』

『物騒すぎる』

『物騒だなんて、あなたにだけは言われたくないわね。それはそうと、男の子の方に対して、もう少し年長者らしい対応はできないの? さっきから、大人気なさが際立っているわよ』


 私はこれ見よがしに、大きな溜め息をついた。


『リヴちゃんは男の子のことをわかってないなー。相手が子供だからと言って、なんの危険もないと考えるのは大間違いだよ。今は大丈夫だとしても、あと二、三年もしたら、好きな子の縦笛を吹いてみたりするんだから』

『どこの世界の話よ』

『リヴちゃんは、もう少し周りの男子に目を向けて見た方がいいかもね』

『…………』

『それじゃ、いくよー。盾の展開をお願いね』


 さっきカーライトくんに放ったものと同じ水弾を、今度はリヴちゃんに狙いを定める。

 外しはしない。そのふくよかな肉体を貫かんとする軌道だ。


「え、おい、まさか、そのアザラシに撃つ気か!?」

「心配ないって」


 カーライトくんの制止を振り切り、私はリヴちゃんに向けて水弾を放った。


 チュン!(発射)

 キンッ!(命中)

 チュン!(反射)


 先のカーライトくんと同じように、私の顔面の10センチ傍を、リヴちゃんが作った水壁にリフレクトされた水弾が駆け抜けていった。


「あ、あぶ、あぶぶぶぶ」

「……お、おい? アンタも膝がっくがくだぞ?」

「き、きき、気のせいじゃないかななな。そ、それより、見たでしょ? このとおり、強力な攻撃だって跳ね返せちゃうんだから。水魔法は凄いんだよ」


 言ってない。

 反射させろなんて言ってないいぃぃ。

 キッ、とリヴちゃんを睨む。


『リヴちゃん、どういうつもりさ!? 危ないじゃない!』

『弟子ができて浮かれているみたいだから、ちょっと気を引き締めてあげただけよ』


 意趣返しのつもりか。可愛い顔をしているくせに、なんて憎たらしい。

 それよりも、引き締めるどころか、かえって緩く……。

 危うく、マジションの二つ名が再発するところだった。


 これはもう、当初の予定とは違うけど、カーライトくんをメッタ撃ちにして気を晴らすしかないね。そんなつもりは全然なかったのに、やれやれだよ。

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