第四章 賢者は勇者にお引き取り願いたい③

「アオバ。力を貸してくれ」

「いやだよ。面倒臭い」


 ちょっと言い方にトゲがあったかな。

 世界の危機が訪れるかはともかく、切羽詰まっているのは伝わった。

 仮に四帝獣と戦うことになったら、私の力が必要だってのもわかる。

 でもごめん。

 何があっても、ここを、あの子の傍を離れるつもりはないから。もう決めたから。


「本当の理由を教えてくれないか。ボクとしても、簡単に引き下がるわけにはいかないんだ。面倒などという理由で、君が他人の言葉を無下にする人間じゃないことは知っている」

「他に優先したいことがあるからだよ」


 有無を言わせないつもりで語調を強くした。

 だけど、フィアルニアが折れることはないだろうね。世界平和以上に優先するべきことなどありはしない。それが全人類の共通認識だと、彼女は信じてい疑っていないから。


 案の定、フィアルニアは眉をひそめ、理解できないといった顔をしている。

 そんな彼女の視線が、不意に私の背後に向けられた。


「優先したいことというのは、あの子が関係していたりするのか?」


 言われて後ろを振り返ると、麦わら帽子のツバが、奥の部屋からひょっこり覗いていた。

 リヴちゃんとモスくんが出てきちゃったし、こっちの様子が気になるんだろう。ちらちらと顔を出しては、ぴゃっと引っ込めるを繰り返している。

 体はともかく、可愛さがハミ出しまくりだ。


 見つかってしまったなら、隠しても意味はない。堅物には、口で説明するよりも早いか。

 ただ、できることなら、この二人を会わせたくはなかった。

 そりゃそうだろう。勇者はある意味、私以上に親の仇なんだから。

 幸いと言っていいのか、私に対してそうであるように、アグリにフィアルニアを憎む感情は持ち合わせていない。少なからず、思うところはあるだろうけれど。

 でも、一生隠れてこそこそ暮らさなきゃいけないなんて、そんなの可哀想すぎる。


 魔王は私に言った。

 人間の世界で、光の下で生きさせてやってほしいって。

 そのためにも、いつかは勇者という最大の障害を乗り越えなくちゃいけない。

 今日のところは、顔見せだけできれば充分だ。


「紹介するよ。アグリ、こっちにおいで」


 もちろん、魔王の子という点は秘密にする。リヴちゃんもそれをわかってくれているため、特に何も言ってこなかった。

 初対面でもそうだったように、アグリは人見知りする性格らしく、すぐには出てこない。

 もう一度呼ぶと、戸惑いながらもタイミングを伺い、勢いをつけて物陰から出てきた。

 刮目せよ。これが我が家の天使だ。


 とててて、と駆け寄ってきたかと思えば、アグリは膝の上に乗せているリヴちゃんの背中に覆い被さるようにしてくっついてきた。間に挟まれたリヴちゃんが「モキュ」と鳴いた。

 そんなアグリの行為は、なんというか、まるで……。

 私をフィアルニアに取られまいとしているみたいじゃない?

 どこにも行かないでと言っているみたいじゃない?

 そう考えると、胸がきゅんきゅんしすぎて不整脈を起こしそうになる。


「驚いたな……。王都でも、これほどまでに愛らしい少女はお目にかかったことがない」

「それほどでもありまくりかな」


 自慢の娘を褒められ、天井に届きそうになるくらい鼻高々だ。


「アグリ、ご挨拶して」

「…………こんにちは」

「こんにちは。フィアルニア・ディスカリカだ。アオバとは共に死線をくぐった仲間であり、永遠のライバルを誓った間柄でもある」


 後半初耳なんですけど。それ、どこのアオバさん? なんのライバル?


「ふぃある……にゃー?」

「フィアルニアだ。発音しづらい名前ですまない」

「ふぃにゃ、るにゃー?」

「フィ、ア、ル、ニ、ア」

「ふ、ふにゃ、ふにゃ?」

「どんどん遠ざかっていくな。アオバ、これはどうすればいい?」

「もう愛称【ふにゃふにゃ】さんでいいと思います」

「仮にも勇者を名乗っているのに、そんな気骨の一本も無さそうな愛称では示しが……」

「カッコ良くはないかもだけど、前より親しみやすい感じはするよ。私はいいと思う」

「そ、そうか? 君がそう言うのなら……。うん、確かに悪くないかもしれないな」

「私は呼ばないけどね」

「――ッ!?」


 初対面のアグリはともかく、私が今さら呼び方を変えても違和感あるじゃない?

 それに知ってのとおり、私には、あだ名に関する良い思い出があまりない。

 不満そうに唇を尖らせていたフィアルニアが、アグリに視線を移した。


「その子は、この家によく遊びに来ているのか?」

「遊びに来るっていうか、一緒に暮らしているんだよ」

「……孤児、なのか?」

「まあ、そうだね」

「それを君が引き取ったと?」

「そうだよ」


 よほど意外だったのか、フィアルニアが、呆気に取られたまま黙りこくってしまった。

 そんな表情が、次第に渋面へと変わっていく。


「立派なことだとは思うが……」

「立派?」

「アオバが身を削る必要はあるんだろうか? 君の力は国の――いや、世界の宝だ。なくてはならない存在だ。こんな片田舎で腐らせているのは、人類にとっての損失じゃないか?」

「何が言いたいの?」

「君の慈善行為を否定するつもりはない。しかし将来的に見れば、今世界平和に尽力することこそが、その子のような孤児を増やさない道に繋がるんじゃないだろうか」


 身を削る? 慈善行為? そんな風に見えたの?

 私はくすりと笑った。面白いからじゃない。苛立ちが笑みの形になって漏れたからだ。

 よくもまあ、勝手な想像で物を言ってくれる。

 しかも、アグリが聞いている前で。

 それだけじゃない。フィアルニアは、ダメ押しの一言まで口にしてしまう。


「その子は然るべき施設に預けるべきだ。心配せずとも、教団が運営している孤児院もある。こういうことは早い方がいい。情が移りすぎると、離れるのが辛く――」

「黙って」


 フィアルニアが、びくりと跳ねるように背筋を伸ばした。

 さっきとは比較にならないほど強く、自分でもわかるくらい声に怒気を孕んでいた。


「高く評価してくれているところ悪いけどね、情が移るだとか、そんな低い段階はとうの昔に超えているの。一から説明する必要はないよね? 誰かに意見されるいわれはないもの」

「しかし、力を持つ者の責任として」

「知ったことじゃないよ。欲しくて身につけた力でもないし。力を使うことに責任が伴うって言うのなら、私はこの先、一生魔法を使えなくていい」


 もともと、魔法なんてない世界で生きていた。あれば便利だけど、その程度だ。


「私は、この子の親になるって決めた。他の誰でもない、私自身がそうしたいの。それが私にとっての幸せでもあるから。文句は言わせない。他人の幸せを奪う権利なんて、勇者にだってありはしない。覚えておいて。さっきのは私の逆鱗だから、二度と言わないでね」


 復唱することすら腹立たしい。

 勇者パーティーにいた頃の私は、自分の意見を通そうとすることを、ほとんどしなかった。

 何せ、周りは自分より一回りも年下だ。我を通しても大人げないと考えていた。

 そのせいもあってか、フィアルニアは二の句が継げないほど気圧されてしまっている。


「怒鳴るように言ってごめん。悪気がなかったのは、わかっているから」

「……こちらこそ、失言だった。……申し訳ない」


 私と、そしてアグリに向けて、フィアルニアが頭を下げた。

 価値観の違いは大きいけど、自分に非があると感じたことは素直に認め、謝罪できる。

 やっぱり悪い子じゃない。だからこそ、突き放しきれないんだけど。

 フィアルニアが、剥製みたいに硬直したままのモスくんを、そっと床に降ろした。


「ボクは勇者だ。個人の感情を押し殺してでも、人類の未来を優先しなければならない」

「いい台詞に聞こえるけど、他人の感情まで殺そうとしないで。巻き添えは嫌だよ」

「……ボクに、人の生き方にまで口を出す権利はない」

「教団にもね」

「だから、これはお願いだ。君の協力が欲しい。切実に!」

「一日二日の手伝いならまだしも、それって無期限でしょ? 無理だよ。諦めて」

「そこを曲げて頼む! 承諾してくれるまで、ボクはここを死んでも動かない!」


 迷惑すぎる。

 空間魔法で遠くに飛ばしてやろうかと思ったけど、それだとまた戻ってきちゃうだろうし、根本的な解決にはならない。というか、フィアルニアの防具は全て、超々強力な魔法抵抗力(レジスト)を有しているため、私の魔法でも弾かれる恐れがある。

 彼女の目は本気だ。私が首を縦に振らない限り、何日でもここに居座るだろう。


『これはもう、本当に死んでも動かないのか、試すしかないわね』

『待って。リヴちゃん、お願い待って抑えて』


 鬱陶しいのは心底同意だし、さっきは私も、一瞬暗殺が頭を過ったけども、相手は全人類の希望的存在だ。下手に何かしたら、国が傾くレベルでややこしいことになっちゃう。

 とはいえ、話し合いで引き下がってくれる気が欠片もしない。

 ああもう、面倒くさいったらありゃしない。

 私はアグリとのんびり、もふもふスローライフを送りたいだけなのに。


「……わかったよ」

「本当か!?」

「勘違いしないで。あくまでも、諦めてもらうために提案したいことがあるの」


 フィアルニアは、ルールに関して馬鹿みたいに公明正大だ。最初にフェアな条件を提示しておけば、どんな結果になっても、後で文句はつけられない。一度決めたことは必ず遵守する。融通の利かない性格を利用させてもらう。


「その提案とは?」

「私と、一対一サシで勝負しよう」


 魔王ラスボスの後に、もう一戦控えているのは、RPGのお約束。

 でもまさか、それが身内。しかも勇者だなんて、よほど練り込んで作られたストーリーか、もしくはただのクソゲーだ。今の気持ち的には、圧倒的に後者だね。


「勝負……とは、戦闘という意味での勝負か?」

「そうだよ。フィアルニアが勝ったら、もう一度パーティーに入る。だけど、私が勝ったら、金輪際、そっちの都合で戦いに駆り出すような真似はしないで」

「しかし、仲間と戦うなど……」

「言っておくけど、譲歩しているのは私の方だから」


 本当なら、話すら聞かずに門前払いしてもよかった。

 それをしなかったのは、私もまた、フィアルニアのことが嫌いじゃないからだ。

 たった一人で異世界に召喚され、不安と心細さでホームシックにかかっていた私は、彼女のひたむきで真っ直ぐな姿に何度も心を救われた。後半は、暑苦しさの方が勝ったけど。

 複雑な心境と状況をたっぷり吟味し、やがてフィアルニアが「そのとおりだ」と頷いた。


「受けるってことでいいね?」

「ボクの方こそ問おう。本当にいいんだな? やるからには、手を抜くつもりはない。賢者の君を相手に手加減できるとは思えないし。全力でやらせてもらうぞ?」

「悪いけど、それはこっちの台詞だよ」


 心配そうに見つめてくるアグリとリヴちゃんを、私はぎゅっと抱き寄せた。

 手放してたまるか。この幸せな生活を、何がなんでも死守してみせる。


「覚悟しておいてね。どんな手を使ってでも勝ちにいくから」

「望むところだ。相手にとって不足なし」


 愛娘アグリとの楽しい一日になるはずだったのに、何が悲しくて勇者とバトらにゃならんのか。

 こんなに嬉しくないドリームマッチは、今回限りでありますように。

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