第10話 コックの刀と侍の包丁


 カピバラ家の新領主、貴族の若き跡継ぎカピとして異世界に転生した青年は、早くも想像を裏切られていた。


 執事に屋敷の中を案内され後をついていくと、普通に頭に浮かぶような使用人たちを前に挨拶をするのかと思いきや……全く違っていた。

 名前と顔との一致に苦労する、そんな数多くの人間のメイドや下男は、このカピバラ家にはいない。


 まず出会ったのは、キュートな女戦士のドワーフと優しい怪物のような大男だった。


 想像を完全に裏切られた……とてもいい意味で。



 最初の裏切り者、黒髪の美しいハーフエルフという異種族の執事の後を追って、次の使用人に会いに行く途中、カピは彼にもう一度尋ねた。


 「ルシフィスも当然、冒険者なんだから、執事という普通の職業とは別に『冒険者クラス』って呼ばれるクラスもあるんでしょ?」


 さっきまでいた、屋敷の玄関ホールから、建物正面向かって左の廊下を二人列になって歩いている。


 「こちらが、晩餐室。皆様の食堂になっております」


 屋敷の新しい主人となった青年の、その問いかけを無視して、顧みることなく前を歩きながら執事は説明する。


 食堂の扉は、両開きのドアで、シックなデザインのステンドグラスの窓が付いている。


 はぐらかす執事にカピは食い下がる。


 「う~ん、そうだなぁ。僕が思うに……レイピアなんか使う剣士? うん、似合いそう! え? 違うの? 教えてよ!」


 若い主人の意外な鋭さに少し驚きつつ、立ち止まり振り返るルシフィスは改めて言った。


 「教えたくありません。先ほどきっぱり申したはずです、内緒だと」


 頑固な使用人に、ちょっと意地悪にカピが。


 「ああ、確か……記憶違いでなければ、この家の主は……僕だったよね? それじゃあ、忠実な執事さんなら、きっと答えてくれるよね~」



 ご主人からの言葉に執事、多少は困った顔を見せるかと思いきや、そんな素振りなく、逆に皮肉屋の性分に火が付いたようだ。


 すっと左の眉を上げて、冷めた表情になりこう言った。


 「それでは、お聞きしますがカピ様。あなたは、主人であるという、強力な権力を良心の呵責もなく振りかざして! 何もあらがうことのできぬ、力なく、立場弱き、はかなき存在の召使いどもに! プライベートなあれこれを、何もかも吐かせようとお辱めなさる……『下衆の位、中の上』のような御人なんでありましょうか?」


 目を閉じ、左右に首をゆっくり振り、この言葉で締めくくる。


 「わたくし、真に……がっかりでございます」


 恐ろしいハーフエルフの執事の口撃スキルに、反撃の糸口もなく口を結ぶカピ。


 (くぅ~!!)


 そうまで言われると、真っ当なご主人様を自負する彼としては、ここはひとまず折れるしかなかった。


 でも、ちょっと悔しかったのか……。


 「ふ~ん……、じゃあ、僕のクラスも教えてあげない。思い出したけど、実はちゃ~んと、持ってました……」


 などと、小声で子供のようなつまらぬ嘘をつく……。



 食堂のドア並び、廊下のもう少し先に一見見逃しそうなシンプルな片開きのドアがあった。その前で立ち止まった執事が言う。


 「こちらが、厨房への入り口です。中に、コック長のリュウゾウマルさんがいらっしゃいます」


 彼はドアプレートに手を当て、扉を開けながら続ける。


 「ではどうぞ、お入りください。カピ様」


 やや意味深な間と目つきで執事は主人を見た。


 カピは、その様子を敏感に感じつつ思った。


 (リュウゾウ……マルか。なんか船の名前みたい。昔なら、まさに武士っぽいネーミングだなあ。きっと、頑固親父って雰囲気のおじさんだ! 怖い人なのかな?)


 中に入ると、その人が厨房台の前に立っていた。


 服装は白のコックコートに、30センチほどの高いコック帽を被っている。よく板前さんのしているような和帽子ではなかった。

 おそらく、一般的に描くであろうイメージ通りの、レストランのコック長といった服装そのものだ。


 少し、違う点があるとすれば……腰に巻いたエプロン、その左右に刀を差していた。


 足元は……ワニ革の靴…………。


 (いや…………素足か…………)


 「おお! 若様。待ってたでござるよ。なかなか良い目をしてなさる! なあ執事殿、どこか……お館様を思い出させるではござらぬか」


 若主人の、大きく見開いたびっくり眼を見ながら、リュウゾウマルは大きな口を開けて喜んだ。

 鋭い歯が無数に並んだ口を。



 カピの頭の中で、この世界で目覚めて初めて執事と対面した時の、あの奇妙な感覚が強烈に蘇っていた。


 コックの、横に大きく裂けた口、爬虫類独特のテカテカした鱗唇から、低音響く豊かな声が発せられている。


 彼はリザードマン、トカゲ人間だった。


 リザードマンは、お尻から出ている鱗で覆われた太い尻尾をリズムよく振ったり、くるっと先っぽを丸めたりしながら陽気に言った。


 「若、もしかしてぇ? トカゲ野郎に会うのは初めてで? ハッハハハ! 町ン中ではほとんど見かけぬゆえ、珍しいでござろう」


 鋭い爪の付いた4本指の手で、ちょっとコック帽の角度を整えながら続ける。


 「そのうえ、トカゲの料理人なんてえのは、この世に二匹といないでござろうな!」


 フリーズ状態から、やっと脱したカピは正直に言う。


 「ご、ごめん。ちょっとぼ~っとしちゃった。……うん、少し驚いた」


 「ハッハハハ! 結構結構! なれっこでござる。気にしなさんな」


 縦に長いひし形の瞳をした、ギョロリと丸い巨大な目の、片目をパチリと閉じて、ウインクしながらリュウゾウマルは豪快に笑った。



 カピは確かに彼の外見にも驚いた。

 が、呆然としてしまった本当の理由は、リザードマンとの会話によってだった。


 異なる種族の言葉の発声が、すんなり理解できる不思議な現象の裏で、何か特別な処理を脳が行っている。そのプロセスを通過するための一瞬の間、シナプスの電子回路が大車輪で働き、思考の方がフリーズしてしまう、そんな感じだった。



 「あのぉ、リュウゾウマルさん、もしかしてその腰の刀で料理を?」


 だんだんと、異世界の差異に順応を遂げつつある青年、カピの興味はもう次に移っていた。


 「おお、鋭いでござるね、若。ああ、そうそう……拙者を呼ぶのに『さん』付けは無用でござるよ」


 カピのうなずきを見て、話を続けるリザードマン。


 「拙者の目指す剣は、命を奪い、捨てる剣ではござらん! 命をありがたくもいただく剣でござる。ほれ、こちらの短い方は直刀。大物をさばく時に使うでござるよ」


 刀を鞘ごと腰から抜き、カピに見せる。

 短いと言っても、普通の料理で使うような柳葉包丁より遥かに長く、60センチは優にある代物だ。


 「拙者の職は、あくまで料理人。人斬りのご用命は、ほどほどにお願いいたしますぞ! 若様! ハッハハハ!」


 どこまで冗談なのか、本当にカピバラ家は変わった使用人ばかり雇っているんだなとカピはつくづく思った。


 「カピ様、ちなみに彼のクラスはサムライです。達人級の剣の使い手のみ成ることができる戦士の上級クラスです。もちろん料理の腕も素晴らしいことは、わたくしが保証いたします」


 自分のクラスは秘密にしている執事が、丁寧にリュウゾウマルの冒険者クラスの事を補足してくれた。

 そして話題を変えて言う。


 「そういえばコック長。今朝の食事はもう?」


 「できてるでござるよ、そこに」


 コックの分厚く鋭い爪の指が指し示す方に、網かごに盛られた香ばしい香りのパンと、隣の寸胴鍋に野菜のシチューが煮込まれていた。



 カピはここで朝食をとることにした。


 厨房内は、かまどに洗い場をはじめ、様々な調理器具、食器などが置かれている。料理をするための一通りの物が何でも揃っていそうだ。

 奥の壁際には、食材だろうか? 木箱や袋も積んで置いてある。


 カピの前に、丸いホカホカのパンが二つ、大きめに切られた野菜がゴロゴロ入ったシューの皿、温められたミルクが出された。


 「おいし~い!」


 お世辞ではなくそう言った。

 正直なところ、謎素材で作られ、正式な料理名も分からない品であったが、素朴な飽きの来ない味付けで、いくらでも食べられそうな美味しい朝食だった。


 満足顔で食事すませたお客を前に、嬉しさいっぱいの料理人は言う。


 「若様に気に入ってもらえて、幸せでござる! もし何かご所望あれば、予算の許す限りリクエストに応えるでござるよ」


 執事の顔色を少しコックは見た後、続ける。


 「ああ~、ぜいたくな食材は、ちょいとつらいでござるが……。なんせ、人数は少ないものの、ものすごい大食漢が何人もいるでござるから! ハッハハハ!」


 カピの脳裏に、さっき出会った二人が思い浮かんだ。


 「こちらの台所事情も火の車ですので、申し訳ございません、コック長」


 執事はそう言って、軽く頭を下げた。



 カピは思いだす。

 このカピバラ家は現在、優雅な貴族暮らしが満喫できるような、ゆとりある財政とは程遠いらしい。


 (その他にも、問題がありそうな気もするけど……、まあそのうち、ルシフィスが教えてくれるだろう)


 彼は感覚鋭く、何かお気楽ではいられない空気を感じ取っていた。



 「ところで、食事はみんな別々なの?」


 別に誰とへということなく、カピは疑問を口にする。


 ちょっと寂しそうに、リュウゾウマルが答えた。


 「以前は……隣の食堂でみんなで食べてたでござるが……今は……各々で食べてますなぁ」


 執事も少し黙って宙を見つめた後、答える。


 「そのようですね。わたくしは仕事柄、昔から自分のペースで食事をすることも多くございましたから……あまり気にしてはいませんでしたが……」


 少々しんみりとした空気になり、席を立つカピ達。


 「では、次の場所へ向かいましょうか? カピ様」



 出口へ向かう二人を見て、思い出したようにコックが呼び止める。


 「おお! そうでござる! 忘れていたでござるよ!」


 部屋の隅を指さしながら彼は言う。


 「何か、若様宛に、荷物があったでござるよ。食材と共に混じって箱のようなものが!」



 食事中のカピの目にも入っていた、部屋の壁際に野菜などが積んであるところ。

 よく見ると、そこに3,40センチぐらいの長方形の包み。


 「へ~、なんだろう!」

 興味津々で近づくと、さっそくカピは包みを調べる。


 軽くはないが、何とか踏ん張れば、カピの力でも持って運べないほどではない。

 せいぜい20キロ程度か? ここで、運ぶのを頼むというのも情けないので、自分で運ぶことにする。


 ぐっと、腰に力を入れ「よいしょ」と掛け声とともに持ち上げると、そのまま近くのテーブルの上まで運び、ドンと載せる。


 多少離れた位置で立ったままのコックは、プレゼントを開ける子供を見守るかのように微笑んで見ている。


 カピは、結んである紐をほどき、包みをバリバリっとはぎ取る。


 確かに中身は箱だった。


 (こ、これは!)


 カピの脳裏に浮かぶ、ベッドで拾ったあの謎のメモ!

 そのメッセージに記された『困ったときに開け』という、黒い箱ではないか!


 カピの心は踊る。


 箱の素材、表面は金属っぽい。色は青みがかった濃いグレー。

 真黒とは言えないが、赤い箱でも、白い箱でもないのは明白。


 箱を縁取る装飾などを見れば、いかにも宝箱のような姿形。



 執事ルシフィスは、カピのやや後ろで、その様子をうかがいながら、何故このような物が運ばれてきたのだろうと、少々経緯をいぶかしんでいた。


 (普通の荷なら、まず執務室のわたくしを通すはず……カピ様宛で?)


 執事に悪寒が走った。


 カピは箱を開けた。



 バシュ! 箱から飛び出す、鋭く歪な刃が! 箱を開ける愚か者の首を薙ぐ!!


 ザプァ……。



 若き主人の頭が…………あるべき場所が! ……空になった。

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