第17話 転生帰還者、その名は福山雅治(仮名)(その二)
「まさかこれって――対象物制止の暗黒魔法じゃ!」
エリコはハッとした顔つきとなり、文太郎に向かって両手を突き出した。
そして彼女はまたしても謎の言葉を唱えはじめた。
「聖なる光の加護のもと、忌まわしき闇の力を振り払いたまえ! エクシズ!」
その瞬間――。
エリコの両手がカメラのようにフラッシュし、文太郎の硬直した体が瞬時に動きを取り戻した。
もう両手と両足に異変は感じられない。
普通に話すこともできそうだ。
もしかしたら先ほどの硬直は、先祖代々伝わる呪いかもわからない。
江戸時代の先祖が蛇を殺し、その祟りが子孫に巡ってきたのではなかろうか。
文太郎はそう思い、その呪いを解いてくれたエリコに礼を述べることにした。
「エリコ、おまえの霊能力で助かったぞ。蛇は執念深いって言うしな。ったく、江戸時代に蛇を殺した俺の先祖はどこのどいつだ。子孫の俺にまで迷惑かけやがって」
「文ちゃん! アホなこと言ってないでブレーキ! ブレーキをかけて!」
エリコの言うとおりだ。
今は呪いどころの話ではない。
転生志願者は、その容姿を確認できるほど目前に迫っているのだ。
その者は、Mのイニシャルの入ったキャップを被るチビのデブで、ランニングシャツと短パンを身に着けていた。
「くッ! 轢いてたまるか!」
文太郎はブレーキペダルを即座に踏み込んだ。
圧縮空気の解放音とともに、トラックは急激に減速。
金切り音にも似たスキール音が、鼓膜を突き刺すようにアスファルトから鳴り響く。
転生志願者との距離――。
十メートル。
五メートル。
三メートル。
そして――。
衝突まであと一メートルというギリギリのタイミングで、トラックは完全に停止した。
ブレーキが一秒でも遅れていたら、間違いなく転生志願者を轢いていた。
文太郎は脱力したように体をハンドルに預け、肺の空気をすべて吐き出した。
「文ちゃんはここにいて!」
するとエリコは血相を変えてトラックを降りていく。
そして彼女は、トラックの前で立ち尽くす転生志願者と対峙した。
「あなたは誰! なぜ魔法を使えるの!」
「光魔法でスタンドダトマリーナを打ち消したのは貴様か。貴様のほうこそ、なぜ魔法が使える?」
眼光鋭く睨みつけ、エリコは転生志願者に問う。
キャップをかぶった男はふてぶてしく訊き返す。
文太郎はグワッと目玉を丸め、そんな二人に視点が行ったり来たりする。
「あたしの質問に答えなさい! あなたは誰なの!」
「福山雅治、カッコ仮名とでも名乗っておこうか」
「どうして魔法が使えるのかも答えなさい! それにスタンドダトマリーナは、大魔導士クラスしか使うことのできない、上位暗黒魔法よ!」
「それを打ち消した貴様のほうこそ、普通ではないと思うがな」
「あなた、もしかして転生帰還者なんじゃ!」
「そういう貴様のほうこそ、転生帰還者じゃないのか?」
福山雅治(仮名)という男は、そのガマガエルのような顔でニヤリと薄笑いを浮かべた。
そんな彼の質問に、エリコは運転席を一瞥してぐっと口をつぐんだ。
なにか言えないことでもあるような顔つきだ。
文太郎はまるで状況がつかめなかった。
そもそも二人の会話が日本語に聞こえない。
とりあえず後続車の邪魔になるので、トラックは高架橋の路肩ギリギリにまで寄せておく。
「ふん、答えたくなければそれでもいい。べつにオレには関係ないことだしな。ただ、これ以上オレの邪魔をするなら、貴様をここで殺す。こいつのようにな」
雅治は文太郎の顔を見やり、トラックに向け片手を突き出した。
そして、彼は早口でこのようなことを唱えはじめた。
「冥府の闇にうごめく死霊に命ずる! 汝、我の盟約に従い、あの者の魂を刈り取れ! タマシーダカリトリーナ!」
次の瞬間――。
「カハッ!」
文太郎は息を詰まらせ、胸を押さえてハンドルに突っ伏した。
どういうわけか、息を吸い込むことも吐き出すこともできない。
まるで深海に引きずり込まれ、肺がペッタンコになったかのような地獄の苦しさだ。
「文ちゃん!」
遠のく意識の中で、エリコの叫び声がかすかに聞こえた。
そして文太郎は悟った。
自分は今から死ぬのだ。
毎日カップラーメンばかり食べていたのがいけなかった。
だから胃カメラでポリープも見つかった。
サギ子に入れ込み、毎週末キャバクラに通ったことで、肝臓の数値が高かったことも関係していると思われる。
失恋を機に禁酒はしたものの、その分、甘いものを食べることが増えた。
あらゆる面で体にダメージが蓄積されていたのだ。
なにせ体力の衰えをひしひしと感じる三十五のおっさんだけに、こうして突然死してもなんら不思議ではない。
文太郎は地獄の苦しみに悶えつつ、走馬灯のようにしてよぎる、己の不養生を悔いた。
そんなとき――。
「聖なる光の加護のもと、忌まわしき闇の力を振り払いたまえ! エクシズ!」
意識の彼方でエリコが謎の言葉を発し、それと同時に文太郎は呼吸を取り戻した。
先ほどまでの苦しみが瞬時に消え去り、高原のような清々しい空気が肺を満たしていく。
その矢継ぎ早――。
「冥府の闇にうごめく死霊に命ずる! 汝、我の盟約に従い、あの者の魂を刈り取れ! タマシーダカリトリーナ!」
「カハッ!」
文太郎の呼吸が再び停止した。
地獄の苦しみの中、やはり脳裏に浮かぶのは不養生。
せめて生野菜をもっと食べておくべきだった。
もちろんドレッシングはノンオイルだ。
「聖なる光の加護のもと、忌まわしき闇の力を振り払いたまえ! エクシズ!」
「冥府の闇にうごめく死霊に命ずる! 汝、我の盟約に従い、あの者の魂を刈り取れ! タマシーダカリトリーナ!」
「カハッ!」
「聖なる光の加護のもと、忌まわしき闇の力を振り払いたまえ! エクシズ!」
「冥府の闇にうごめく死霊に命ずる! 汝、我の盟約に従い、あの者の魂を刈り取れ! タマシーダカリトリーナ!」
「カハッ!」
「聖なる光の加護のもと、忌まわしき闇の力を振り払いたまえ! エクシズ!」
「冥府の闇にうごめく死霊に命ずる! 汝、我の盟約に従い、あの者の魂を刈り取れ! タマシーダカリトリーナ!」
「カハッ!」
文太郎は何度も回復と悪化を繰り返し、いっそのこと早く殺してくれ、と神様に願った。
そして、回復のパターンが訪れたところで――。
エリコが雅治をキッと睨みつけた。
「何度やっても無駄よ! それ以上続けるというのなら、あたしはあなたを攻撃する!」
「やれるもんならやってみろ! その前にオレが貴様を殺してやる!」
雅治はタン、と後方に跳躍。
エリコに向け片手を突き出し、さっとなにかを唱えた。
すると、彼の手のひらから、火炎放射のような炎が轟々と噴き出していく。
さらにその炎は、まるで鞭のように、あるいは蛇のようなしなりを見せながら、エリコの五体をとぐろ状に取り囲んだ。
真下のアスファルトがドロドロに溶解するほど烈火に包まれ、彼女の姿は目視できない。
だが、あの炎の中にいることだけは確かだ。
「待ってろエリコ! いま助けに行くぞ!」
この状況が一ミリも理解できなくとも、文太郎は救助へ向かうためドアをひらいた。
しかし間抜けにも、シートベルトが体にガクンと引っかかる。
それを外そうとバックルに手をかけたが、留め具がカチャカチャ鳴るだけだ。
おそらく、自分は果てしなく動揺している。
瞬刻――。
「ブリザベストマキシマイズ!」
エリコの叫声とともに、彼女を取り囲む炎が一瞬にして掻き消された。
そこから現れたのは、雪の結晶が煌めく氷のベールに守られたエリコだ。
そんな彼女の右手には、一メートルほどの両刃の剣が握られている。
ただの剣ではない。
柄(つか)から先はクリスタルのように透過し、その刀身は冷気にも似た青白い光を帯びていた。
それを見た雅治は不適な笑みをこぼす。
「ふん、シールドを発動してなおかつ聖剣まで具現化したか」
「これが聖剣とよく見抜いたわね」
「なにせそれは神話で語り継がれる伝説のクリスタルソード。しかも、俺がいた異世界では、その聖剣は現存しなかった。どうやら貴様は、俺とは違う時間軸の異世界に転生したようだな」
「そんなことはどうでもいいわ。あたしはあなたを絶対に許さない。土下座して謝ったとしても、もう遅いわよ」
「このオレが謝ると思うのか? 聖剣を具現化できるのは貴様だけじゃないんだぞ?」
雅治は薄ら笑いを浮かべ、肩越しから背中へ手を伸ばした。
空気しかないそこからスーッと引き抜かれたのは――。
なんと、二メートルはあるような大剣である。
刀身は黒曜石のように光沢があり、うっすらと紫色のエフェクトをまとっていた。
「え~と……保険証はどこだったかな……。たしか、ここにしまったはずなんだけど……」
そんな二人をよそに、文太郎は財布の中にしまった保険証を探した。
目に見えてはいけないものがたくさん見えるので、病院へ行って頭の精密検査を受けようと思ったからだ。
ゆえにこれからは、なるべく現状を静観することにした。
「やる気満々のようね」
エリコは手にした剣をシュンと振る。
すると、彼女を包み込んでいた氷のベールが、ガラスのようにバリンと砕け散った。
「存分にオレを楽しませてくれよ」
雅治は肩慣らしをするかのように、両手に握る大剣をゆらゆらと左右に振った。
そして二人は腰を落として剣を構え、一触即発の状態で睨み合う。
両者の間合いは、中央線のラバーポールを斜めにまたぐ形で、およそ十メートル。
トラックのすぐ前にエリコ、反対車線側に雅治がいる。
片側二車線なので道路幅が広いとはいえ、あくまでもここは高速道路だ。
二人の間をときおり車がビュンビュン通り過ぎ、死と隣り合わせのバトルフィールドになっていた。
むろん、ここは高架橋。
路肩のコンクリートフェンス(高さ二メートルほど)を飛び越えると、奈落の底に真っ逆さまだ。
プップーーーーーーーーーーッ!!
そこで文太郎はクラクションを鳴らした。
静観するつもりだったのだが、こんなところでケンカをしたら危ない。
その警告の意味でのクラクションだ。
しかし残念なことに、そのクラクションが試合のゴングを鳴らしてしまった。
「行くわよ!」
「望むところだ!」
エリコと雅治は疾風のごとく間合いを詰め、互いの剣を交えて火花を散らす。
車が近づくといったん距離を取り、それが通り過ぎればまた間合いを詰める。
たまに車列が続くと、二人は額の汗を拭ってしばし息を整えた。
高速道路ステージにおける、お手本のような鍔迫り合いである。
ただ、優勢なのはエリコだ。
雅治の重い一振り、それを片手剣で軽やかに受け流し、隙あらば乱れるような太刀筋で攻め立てる。
しだいに雅治は防戦一方となり、彼の手にする大剣が空高く跳ね上げられた。
そして大剣は、少し離れた場所でアスファルトに突き刺さる。
丸腰となった雅治はさっと後方へ退いたが、その顔に焦りの色は見られない。
それどころか、彼はニヤリと口角を上げ、不適な表情を浮かべていた。
「武器も持たないくせに、なにをニヤニヤと笑っているの?」
エリコは剣を突きつけて問う。
すると雅治は、よりいっそうゲスな笑みをこぼした。
「まんまと引っかかったな」
「それはどういうこと。もしかして無詠唱で罠でも仕掛けたっていうの。でもあなたは魔法を発動していない。あたしにはそれぐらいお見通しよ」
「オレがなぜ剣技でミスをしたのか、貴様はわかってないようだな」
「それが実力だからでしょ?」
「バカを言うな。おそらく、オレと貴様の実力は五分と五分。もちろん、それはオレが本気を出したときの話だ」
「手を抜いてたっていうの?」
「厳密に言えば、手を抜いたわけじゃない。オレの思惑が別なところにあるからこそ、手を抜かざるを得なかった。それがオレの仕掛けた罠だ」
雅治はそう言って後方に飛び退いた。
トラックから見て、前方およそ二十メートルの位置までひとっ飛びだ。
チビでデブのくせに、身のこなしは常人のそれを遙かに超えている。
次の瞬間――。
雅治が元いた場所のアスファルトに、ピシピシと亀裂が入っていく。
その亀裂は、高架橋を分断する形で、左右、一直線に地震のような地割れをつくった。
亀裂の手前側にいるのが、エリコ、そして文太郎の乗るトラックだ。
そこでエリコの顔色がハッと変わった。
「まさかあなた!」
「そのまさかだ。オレは貴様と戦闘していると見せかけ、高架橋そのものに攻撃を加えていたのさ。内部の鉄骨にいたるまでな」
「なんのためにそんなことをしたの!」
「もちろん、橋桁を崩落させるためだ。言っておくが、狙いは貴様らじゃない。オレの狙いは――アレだ」
雅治が指を差した先、つまり、トラックの後方より、一台のバスが走ってきた。
おそらく、あれは観光バスだ。
それも、四、五十人は乗車しているであろう、大型の観光バスだ。
「さあ、どうする? あのバスがここを通れば崩落するようなさじ加減で、橋桁にダメージを加えてある。風魔法でも使って、バスを押し返してみるか? ただし、その魔法を使った瞬間、オレは貴様を後ろから攻撃する。もちろん、魔法を使ってな。ククク……」
セーフティーゾーンにたたずむ雅治は、愉快とばかりにゲスな笑みをこぼした。
すでに路面の亀裂は網目状に広がり、その距離は二十メートルにまで渡っていた。
このままでいくと、橋桁が二十メートル、そっくりそのまま崩落することになる。
文太郎のトラック、そしてエリコもデッドゾーンの中だ。
そんな罠にも気づかず、バスは残り百メートルの距離にまで迫っていた。
文太郎がクラクションを鳴らして警告しても、バスはスピードを緩めない。
たぶん、あの観光バスは、車内全員でヨーデルでも歌っている。
だからこちらのクラクションに気づかないのだ。
「くッ!」
エリコは緊迫した迷いを面相に走らせ、雅治とバスを交互に見やる。
前には敵、後ろには大勢の人質、その板挟みの中で、彼女は判断を決めあぐねていた。
「俺はどうすれば……どうすればいいんだ……」
文太郎はチンパンジー並と自負する頭脳をフル回転させて熟慮した。
まず第一前提として、いま見ている光景は現実ではない。
どこかのパーキングエリアで仮眠をとり、こうして夢を見ている可能性が濃厚だ。
これが夢ではない場合は幻覚を意味し、お医者さんに頭を見てもらう必要がある。
いずれにせよ、目に映る光景のすべてがまやかしであり、橋桁が崩落してもなんら問題はない。
しかし、まやかしであろうと、観光バスの乗客、全員の命が失われようとしている。
それを黙って見過ごせる文太郎ではなかった。
一番手っ取り早いのは、なんとかしてバスを停車させることだ。
とはいえ、クラクションで警告してもダメだった。
旅気分で盛り上がり、車内全員でヨーデルを歌っているのなら、そのクラクションも届くまい。
ならば、バスの運転手の目に伝わる形で、危険を知らせるほかはなかった。
それが一番有効なのは――。
発煙筒である。
文太郎は頭をフル回転させていたので、限りなく引き延ばされた時間の中、この答えに辿り着いた。
ゆえにバスを停車させるにはまだ間に合う。
文太郎は助手席の足下に手を伸ばし、筒状の赤い発煙筒を用意した。
そして運転席を降り、ケースの中から本体を引っ張り抜き、ケースを本体の後ろにはめ込み、着火の役割をする白いキャップを、マッチの要領でこすったところ――。
「あれ……点かないぞ……」
なんと、火が点かない。
何度も試してみたが、しけったマッチのように、うんともすんとも言わなかった。
発煙筒をよく見たところ、使用期限がとうに過ぎている。
消化器と同じく、発煙筒にも使用期限があるので、車に乗るみなさんは日頃からチェックしておいたほうがいいだろう。
そんなことよりも、状況は一刻を争う。
バスはすぐそこまで迫ってきているのだ。
文太郎は発煙筒をそこらにぶん投げ、大慌てでトラックの荷台の上によじ登った。
「文ちゃん! なにしてるの! とうとう頭がおかしくなったの!」
「いいかエリコ! バスは俺がなんとか止めてみせる! だからおまえはそっちをなんとかしろ! わかったな!」
「でも、どうやってバスを止めるっていうのよ!」
「それを説明している暇はない! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
文太郎はそう言い放ち、雄叫びとともに丸太を一本持ち上げた。
荷台に積まれた丸太の大半は、太さが三十センチ、長さが八メートル。
もちろん、そんなものを持ち上げられるわけがない、
だが文太郎が手にしたのは、長さが三メートルぐらいの小ぶりな丸太である。
その丸太を荷台下へ落とし、自分も荷台から飛び降りると、再度丸太を両手で持ち上げ、万歳の格好のままバスに向かって突っ走る。
これが意味することは、ズバリ、視覚効果だ。
フグが体を膨らませて威嚇するように、あるいはクジャクが羽を広げて求愛するように、自身の体を大きく見せることによって、バスの運転手に危険を知らしめる。
端から見れば、自分が一番危ない奴かもしれない。
それでも発煙筒が使えない以上、こうして奇策に打って出るほかはないのだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
文太郎はあらん限りの声を振り絞って走った。
ぶっちゃけ、この丸太は細いのでそれほど重くはない。
しかし、持ち上げているのは屋久島の縄文杉。
樹齢三千年を超える日本最大級の巨木。
というような迫力を醸し出し、バス目がけて全力で突っ込んでいく。
一方、バスも真っ正面から全力で突っ込んできた。
高速道路では、大型トラックの制限速度は八十キロなのだが、大型バスは普通車と同じで百キロだ。
そのMAXのスピードが出ているであろう大型の観光バスが、いっさいスピードを緩めることなく、ハンドルを切る気配すらなく、目の前、十数メートルにまで迫ってきている。
「――ッ!!」
死の瀬戸際で文太郎は見た。
死の瀬戸際がそうさせたのか、映像が停止したような状態で、バスの車内を確認することができた。
まず、これは観光バスで間違いがない。
なぜなら、乗車している四、五十人のすべて、老若男女を交えた外国人だからである。
それもただの外国人ではない。
真っ赤な民族衣装を身に着けた、マサイ族と思しき外国人だ。
戦闘民族ゆえの誇りか、槍を手にした者もチラホラ散見された。
そんな彼らは、車内で垂直に飛び跳ねたりして、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り広げている。
マサイ族、垂直跳びでどんちゃん騒ぎ、この時点でダブル役満だ。
しかし、トリプル役満たる要因がもう一つあった。
なんと、運転手が頭をもたげ、居眠り運転をしているのだ。
しかもどこでどう間違ったのか、その運転手までもがマサイ族に入れ替わっていた。
運転手らしく見えるのは、頭にかぶっている帽子ぐらいだ。
これではクラクションを鳴らしても気づくわけがないし、ましてや丸太作戦が通用するはずもなかった。
はじめからトリプル役満で負けていたのだ。
その払いきれない点棒の代償となったのは、自分自身の命。
バスに轢かれる直前なのにもかかわらず、やけに考える時間が長かったが、そんなことはどうでもいい。
この避けようのない大型バスが目の前にいる限り、己の命運は交通死亡事故という形で決定づけられたのだ。
終わった……。
これは確実に死んだ……。
俺にはもう逃げる力も残っちゃいねぇ……。
てか、リアルすぎて全然まやかしに見えないし……。
文太郎はすべてをあきらめ、頭上に掲げた丸太をふっと手放した。
そして、力尽きた体をそのままに、前のめりとなってアスファルトに倒れ込む。
そこでようやく時が動き出し、文太郎は三十五歳(童貞)という、はかない生涯に幕を閉じた。
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