第15話 異世界の追憶(その三)

 エリコが目を覚ますとベッドの上に寝かされていた。

 いや、それはベッドと呼べる代物ではない。

 枯れ木や枯れ葉を集めて作った、まるで鳥の巣のような寝床である。

 壁や天井も木の枝で簡単に組み立てられており、十畳ていどの掘っ立て小屋といったところだ。

 木組みの隙間からは、三百六十度に墓場が広がっている。

 ということは、自分はまだ地下九十九階層にいるのだろう。

 掘っ立て小屋の真ん中では、鉄鎧の男が木株こかぶに腰を落とし、囲炉裏のような場所へ薪をくべている。

 そこでエリコはハッと立ち上がり、彼と距離を取るように壁際まで退いた。

 

「まさかあんた、あたしに変なことしたんじゃ!」


 エリコは慌てて自身の体を確かめる。

 フードが外れ、セミロングの金髪が露出する以外、とくに変化は見られない。

 ローブにも乱れはないし、ちゃんと下着もつけていた。

 だからといって安心はできない。

 気を失っている間に、なにをされたかわからないのだ。

 すると男はこちらも見ずにこう答えた。

 

「なにもしてないから心配するな」

「本当になにもしてないでしょうね!」

「俺はこう見えても童貞だ。そんなピュアなジェントルメンになにができる」

「てか、逆に童貞のほうが危ないんじゃないの!?」

「どうしてだ?」

「だって、あんたはおっさんなんでしょ!? 童貞のおっさんって響きだけで、すっごく危険な感じがするんだけど!」

「なんだかお嬢ちゃんらしくないしゃべり方だな。童貞の意味も知ってるようだし」

「そ、そんなことないもん……。童貞っていう謎めいた単語も今はじめて聞いたもん……」


 エリコはお嬢ちゃんらしく否定した。

 面倒ごとになるのは嫌なので、異世界転生については誰にも語るつもりはない。


「まあいい。それよりお嬢ちゃん、これでも飲んで落ち着け」


 男は首だけで振り返り、暖炉で温めた飲み物を差し出してきた。

 その器は怪鳥の頭蓋骨で作られており、頭頂部を横に切断した状態となっている。

 エリコはじりじりとそちらに歩み寄り、頭蓋骨の器を恐る恐る受け取った。

 そこに注がれた液体は真っ黒で、爪楊枝が立ちそうなほどドロドロとなっている。

 おまけに臭いも強烈だ。

 しいて言うなら、おっさんの加齢臭に近いかもわかれない。


「ちょっとあんた、こんな魔女が実験失敗したような暗黒物質、飲めるわけないでしょ。落ち着くもなにも、あたしはポックリと天国で落ち着くはめになるわよ」


 エリコはもう地でいくことにした。

 猫を被っていてはいいように舐められる。


「それはストロング草を煎じた栄養ドリンクだ。無理に飲めとは言わん。好きにしろ」

「ス、ストロング草ですって!? それって本当の話なの!?」


 度肝を抜かれたエリコは、液体がこぼれないように器を両手で支え直した。

 ストロング草。

 それは古代の文献に記される薬草であり、エリコ自身も目にしたことはない。

 回復作用はもちろんのこと、舌がとろけるほどの美味であるという。

 超希少種とされる薬草だけに、想像もつかない高値で取り引きされるはずだ。

 そんなとんでもないお宝が、出がらしの番茶のように差し出された。


「なんなら鑑定してみればいいんじゃないか? お嬢ちゃんならそれぐらい朝飯前なんだろ?」


 言われたとおり、エリコはスキルで鑑定を試みる。

 すると、これはストロング草で間違いがなかった。

 おっさんの加齢臭などというエッセンスも入ってはいなかった。


「でもおじさん、こんなお宝、どこで手に入れたの?」

「それがお宝かどうか知らんが、ここらにはそんなものがうじゃうじゃ生えてる。ただ、お嬢ちゃんの実力なら、そこに辿り着く前にあの世行きだけどな」


 エリコはなにも言い返せない。

 このタリア迷宮において、自分の実力では地下五階層がやっとなのだ。

 ましてやここは地下九十九階層。

 本来であれば、今ごろそこらに落ちている人骨に変わり果てている。

 エリコは九死に一生を得た心持ちで、煎じたストロング草をゴクリと口にふくんだ。

 すると――。


「おいしい! これ、めちゃくちゃおいしい!」


 エリコはパッと瞳を輝かせて感嘆の声を発した。

 なんとも表現しがたい味なのだが、本当に舌がとろけそうなほどの美味だ。

 エリコはその場にペタンと座り込み、残りのストロング草を一気に飲み干した。

 すると頭のタンコブが引っ込み、お尻の腫れも治まった。

 回復効果も抜群だ。


「お嬢ちゃん、飲みたいならまだあるぞ。飲むか?」

「飲む! 飲む! 飲む! もっと飲ませて!」

「だけどな、これを飲み過ぎると、屁が止まらなくなるぞ。それでもいいのか?」

「ならいらないわよ……てか、速攻でお腹ふくらんできたし……」


 エリコはげんなりとおかわりを諦め、「ゲフ」、と小さくゲップを漏らした。

 おそらく、本当にオナラが止まらなくなるのだろう。

 さすがに人前でオナラはできない。

 その後、彼と雑談を交わすうちに、いろいろわかったことがある。

 彼の名前は『ゴンベイ』。

 とうの昔に名前を捨てたことから、名無しのゴンベイにちなんで『ゴンベイ』というらしい。

 年齢は四十五歳で結婚歴はなし。

 その歳になるまで彼女すらつくったことはなく、死ぬまで童貞を貫く覚悟だそうだ。

 この迷宮にいる限り女性との出会いはないだろうが、これは彼が進んで選んだ道。

 魔物との戦いに日々没頭し、終わりの見えないタリア迷宮最深部を目指している。

 その根幹にあるものは、懺悔の念。

 かつて犯した取り返しのつかない過ち、その罪滅ぼしとして、修行僧のごとく過酷な環境に身を置いているのだ。

 大雑把にはそんな身の上話なのだが、エリコはその過ちとやらが気になった。


「ねえゴンちゃん、ちょっと訊いていい?」


 もちろんゴンちゃんとはゴンベイのことである。

 少し打ち解けたのでそう呼ばせてもらった。


「なんだ?」


 ゴンベイはぶっきらぼうに聞き返す。

 相も変わらず鉄兜で面相を隠し、囲炉裏の中へ淡々と薪をくべている。


「ゴンちゃんが犯した過ちって、どんなこと?」

「人殺しだ」

「ゴンちゃん、人を殺したんだ」


 エリコはそれ以上の詮索はしなかった。

 赤の他人である自分が、根掘り葉掘り訊けるようなことではない。

 ただ、とうの昔に名前を捨てた理由が、これでわかった気がする。

 自身の名前を捨て去ることも、彼にとっては贖罪のひとつなのだろう。

 しかし、自虐にも等しいこの戦いを終えたのち、彼はいったいどこへ向かおうというのか。

 終わり見えない迷宮とて必ず終わりはあるのだ。

 エリコは一抹の不安を覚え、それについて問うことにした。


「ねえゴンちゃん、この迷宮の最深部を攻略したあと、もしかして死のうと思ってる?」

「それはない」

「そっか」


 エリコはほっと息をついた。

 知り合ったばかりとはいえ、ゴンベイは命の恩人である。

 それに悪い人とも思えない。

 そんな彼に自ら死を選んでほしくはなかった。

 するとゴンベイは突拍子もないことを口にした。


「そもそも、俺は一度死んでるからな。もう一回死んだところで罪滅ぼしにはならんだろ」

「え? それってどういうこと?」

「自ら命を絶ったんだ。肥溜め――いや、とても苦しくて汚らしい死に方でな」


 今、変な単語が聞こえたような気もする。

 しかし、自ら命を絶ったという彼が、どうして生きているのか、それが話の焦点だ。

 ゆえにエリコは、そこついての質問をぶつけることにした。

 

「でも、ゴンちゃんは生きてるでしょ? それとも今のゴンちゃんは幽霊なの?」

「バカ言うな。俺はちゃんと生きてる。だがよくよく考えれば、俺は幽霊みたいなもんかもしれん。死んだと思ったのに、気がつけばこんな世界にいたんだからな」


 ゴンベイは鉄兜の下で、「フッ」、と笑みらしき声を漏らした。

 エリコはてんで話が理解できない。

 このままでは気になって夜も眠れないし、こうなったら一から十まで話を訊くまでだ。


「ねえゴンちゃん! どうやって人を殺したのよ! まずそこからちゃんと教えなさいよね!」


 エリコはゴンベイの鉄鎧をガシガシと揺らし、彼の心の傷を深くえぐった。

 赤の他人でも、グイグイ踏み込まねばならないときもある。

 それに彼は赤の他人であっても、どういうわけか親近感を覚えた。

 漠然とした感覚ではあるが、遠いどこかで繋がっているのような気がするのだ。

 しかし、ゴンベイはそれ以上語らない。

 もう昔の話だ、忘れたさ、と、軽くあしらうだけだった。

 だからエリコはしょぼんと腰を落とし、未練たらしく地面にへのへのもへじを書いた。

 未練たらしく書くのがコツである。

 そんなとき――。


「え? なにこれ?」


 エリコが身に付けるローブのポケット。

 腰の位置に二つある、そのポケットの片側から、深紅の光が四方八方に拡散した。

 この光には見覚えがある。

 そう、女神像からかっぱらった宝石だ。

 落とし穴に落とされながらも、無意識のうちにポケットへしまい込んでいたらしい。

 エリコはポケットに手を突っ込み、宝石を手のひらの上に載せて確かめる。

 ダイヤモンドのようにカットされた、拳大の真っ赤な宝石。

 いったんは輝きを失っていたようだが、突然、眩いほどの光量を放ちはじめた。

 それだけではない。

 まるで宝石の光に呼応するかのように、周囲の墓場からは無数のうめき声が轟いている。


「お嬢ちゃん! いったいなにが起きた!」

「あたしにわかるわけないでしょ!」


 ゴンベイは狼狽した様子で掘っ立て小屋を飛び出した。

 エリコもそのあとを追いかけ、緊迫しながら周囲の状況を見定める。

 すると――。

 墓石の下から骸骨が這い出していた。

 地平線の彼方まで続く途方もない墓場、その墓石のすべてから、おびただしい数の骸骨が這い出していた。

 ざっと目算すると十万単位――いや、百万単位かもわからない。

 そんな無限とも思える骸骨の大群が、うめき声を上げて地中から這い出してきたのだ。

 その骸骨どもがどこに向かっているのかは一目瞭然。

 この掘っ立て小屋である。

 周囲三百六十度から波のように押し寄せている。


「ゴンちゃん! あの骸骨はなんなの!」

「あれはデスペアースケルトンだ!」

「そのなんとかスケルトンの強さはどれぐらいなの!」

「俺でも一度に相手できるのは三十体が限度だ! お嬢ちゃんならその一体に百回殺される!」

「そんな魔物が、どうしてこんなべらぼうな数で湧いて出てきたのよ!」

「おろらくその宝石が原因だ! お嬢ちゃん、その宝石はどこで手に入れた!」

「地下五階層の女神像からかっぱらったのよ! それで落とし穴のトラップが発動してあたしはここまで落とされたの!」

「クッ! 本当のトラップはこれだったのか!」


 その声に焦りの色を深く浮かべ、ゴンベイは大剣を両手に身構えた。

 片やエリコはどうしていいかわからず、その場に立ち尽くしたままだった。

 自分が戦ってもなんの役にも立たないし、仮に戦ったとしても彼の足を引っ張るだけとなる。

 だからといって逃げることもできない。

 三百六十度、全方向において退路は完全に塞がれているのだ。

 スケルトンゆえか、それほど機敏性は高くないものの、この大地を揺るがす奔流に飲み込まれるのは時間の問題。

 自分だけが死ぬのならまだいい。

 しかし、自分が招いた結果により、ゴンベイまでもが巻き添えになろうとしている。

 そんな彼に対し、せめてもの罪滅ぼしは――。

 もうひとつしかなかった。


「ゴンちゃん……ごめんね……あたしを許して……」


 エリコはボロボロと涙をこぼし、ポケットの中からタガーを取り出した。

 そして目をつぶり、タガーの刃先を真っ白な首元にあてたところ――。


「バカヤロウ!」


 ゴンベイの鬼の一喝と同時。

 エリコはほっぺたに彼の平手打ちを食らった。

 その衝撃でタガーは遠くへ飛ばされ、エリコは空中で何回転かしてから地面に倒れ込む。

 そこで彼は言い放つ。


「なんのためにおまえを助けたと思ってる! それなのに死のうとするバカがあるか!」

「で、でも……」


 エリコは頬を押さえ、ウルウルと涙声で鉄兜を見上げた。

 それはまさに、旦那にビンタをされて倒れ込む、か弱き女房の姿そのもの。


「でももへったくれもクソもない! ここでおまえを死なせたら、俺はもう一度人を殺してしまうことになるんだ! 来世の果てまでその罪を償い続けたとしても、俺は俺自身を絶対に許すことはできん! だから俺はおまえを守る! 俺の命に代えてもだ!」


 するとゴンベイは片腕をエリコに突き出した。

 そして彼は唱える。


「ダル・バルカス!」


 その言葉にエリコは耳を疑った。

 ダル・バルカス。

 それは文献に記された伝説の古代魔法。

 己の魔力をすべて使い切ることで、どんな強固な結界の中であろうと、対象物を思うがままに転移させるというものだ。

 すなわち、たった今、ゴンベイは魔力を使い切った。

 それが意味することは――。

 無力である。


「ゴ、ゴンちゃん……どうして……」

「さっきも言ったじゃないか。俺は命に代えてもおまえを守るってな。なあ、お嬢ちゃん?」


 ゴンベイはその口振りに微笑みを湛え、目線を合わせてエリコの頭を優しく撫でた。

 鉄兜の隙間から見えるその瞳の色は、慈愛に満ちた黒だった。

 そして彼は立ち上がり、剣を構えて何百万という敵勢と向かい合う。

 無力であるはずなのに、彼の背中はどこまでもどこまでも力強かった。


「ゴンちゃん! ゴンちゃん! ゴンちゃん!」


 エリコは溢れる涙で視界が歪む中、何度も何度も名前を呼び続けた。

 その声はしっかりと届いているはずなのに、彼はもう振り返らない。

 魔力を使い切り、足がフラフラとなりながらも、押し寄せる波の中へ切り込んでいく。

 やがてエリコの体は魔法の光に包まる。

 そして、奔流に飲み込まれる彼の姿を最後に、エリコは地獄の底から地上へと転移した。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 エリコは異世界の追憶から現実に引き戻された。

 回想はやけに長かったような気もするが、てか、超長かったような気もするが、実際の時間経過は数分程度と思われる。

 それでも、あの場面を事細かに思い出し、気がつけば涙がホロホロとこぼれていた。

 今の自分がいるのはゴンベイのおかけだ。

 そして、今度は彼の意思を引き継ぐように、自分の命に代えて文太郎を救おうとしている。

 こんな運命も悪くないかな、と思い、エリコは湯船のお湯で涙を洗い流した。

 それと、これは後日談になるのだが、女神像からかっぱらった宝石は大金に化けた。

 もちろんその金は、スライムレース単勝一番人気に一点張り。

 それで手にしたものは、外れ券一枚と、どこまでも愚かな自分の空しさだけだった。

 そんな後日談を思い出し、エリコはもう一度涙を流した。

 そんなところに――。


「おーいエリコ、なんかしくしく聞こえるけど、もしかして泣いてるのか?」


 さして心配するふうでもなく、文太郎がのほほんと声をかけてきた。

 そんな彼の言葉が己の空しさを倍増させる。

 なんだかエリコはカチンときた。


「泣いてないわよ。ちょっと目にハエが入っただけよ。ったく、せっかく風呂に来たのに、ますます汚れた気分だわ」

「それはおまえの心が汚れてるからじゃないのか?」


 エリコは完全にプッツン切れた。


「うるさい! 童貞の文ちゃんに言われたなくないわよ!」

「あ、また童貞って言ったな! おまえ、またぶり返しやがったな!」

「何度でも言ってやるわよ! この童貞!」

「俺は怒ったぞ! 本気で怒ったぞ! もう絶対に許してやらないんだからな!」

「それはこっちのセリフよ!」

「よし、なら戦争だ!」

「望むところよ! 童貞のまま死ぬことを覚悟しなさいよね!」


 そんな小学生レベルの戦争が勃発し、男湯と女湯で風呂桶がビュンビュン飛び交った。

 そしてエリコと文太郎は風呂屋の店主にこっぴどく怒られ、休戦協定を結んだのは言うまでもない。

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