第12話 キャバクラ嬢
下関に着いた。
山口ジャンクションから下関までの中国自動車道(65・3㎞)では、数人の転生志願者が現れただけだった。
太陽が昇るのと同時に、転生志願者もどこかに身を潜めるのだろう。
まるでドラキュラやゾンビのようだが、彼らを一人も殺すことはできないので、なおのことたちが悪い。
それはさておき、現在の時刻は朝の八時。
文太郎は朝飯を食べようと思い、下関の壇之浦パーキングエリアに立ち寄ることにした。
ここは本州最西端のパーキングエリアとして有名だ。
展望レストランでは、関門海峡の壮大なパノラマを眺めながら、地元ならではの料理を堪能することができる。
文太郎は駐車場にトラックを止めると、エリコと一緒に展望レストランのテーブル席に着いた。
「エリコ、なににする? やっぱり下関といったらフグだぞ」
「う~ん、どうしようかな。ハンバーグも食べたいし……」
「朝からハンバーグはないだろ」
「あたしは朝からでも肉を食べるわよ。食べられるときに食べるのは冒険者の鉄則だもの」
「冒険者ってなんのことだ?」
「なんでもないわ。こっちの話。あ、トンカツもあるんだ。どれにしようかな……」
エリコはメニューの隅から隅に目を通し、物欲しそうに唇に指先をあてている。
朝から食欲旺盛なのは元気の印。
そこは文太郎もひと安心なのだが、財布の中身はいささか不安が残る。
なにせコンビニの買い物で一万オーバーだ。
レストランの飲食ともなれば、相当高くつくだろう。
「え~っと、俺はこれにしようかな」
そんなエリコをよそに、文太郎は『フク汁定食』を頼むことにした。
下関で捕れたトラフグを使った汁物定食だ。
『フク天重』も食べてみたいところだが、朝から天ぷらはさすがに胃がもたれる。
自分はエリコのように若くはない。
去年は胃カメラでポリープが見つかり、医者からは油物を控えるように注意を受けた。
体が資本のトラック運転手だけに、食事には気をつけねばならないのだ。
ちなみに話はそれるが、下関では福を呼ぶことから、フグのことを『フク』と呼んでいる。
「じゃあ、あたしも文ちゃんと同じものでいいや」
「遠慮しなくていいんだぞ? ハンバーグとカツ丼も一緒に頼むか?」
「ううん、いいの。文ちゃんと同じものを食べることにした」
そう言って口角を上げるエリコだが、文太郎はそんな彼女がどこか悲しげに見えた。
ハンバーグやカツ丼に未練があるのだろうが、ここは人の目の多いレストラン。
朝から肉をがっつく猛獣に見られたくないゆえの、苦渋の決断かと思われる。
やはりエリコも年頃の女の子だ。
文太郎は彼女の気持ちをくみ取り、フク汁定食を二人分注文した。
そして食事を終え、たわいもない雑談を交わしていたところ――。
「ケンちゃん、ここに座ろうよ」
「そうだね。ここにしようか」
カップルらしき二人の男女が、文太郎の背後のテーブル席に着いた。
後ろから声が聞こえるだけで、文太郎に二人の姿は見えない。
「ケンちゃんお疲れさま。転生志願者のせいで、運転大変だったでしょ?」
「なに、たいしたことないさ。僕の車はシボレーコンバーチブルだからね。転生志願者はトラックにしか興味がないから安心だよ」
文太郎はカップルの会話を耳にし、はて? と疑問符を浮かべた。
考えてみれば、車はトラックだけではない。
普通の乗用車であっても、飛び込み自殺はじゅうぶん可能である。
ならばなぜ、転生志願者たちはトラックだけに狙いを定めるのか。
「ねえ、ケンちゃん。なんで転生志願者はトラックにしか興味がないの?」
「トラックならタイヤも大きいし死ねる確率も高いからだよ。死に損なって植物人間とかになったら最悪でしょ?」
それを聞いて文太郎は、なるほどな、と腕を組んだ。
そこで新たな疑問がふと浮かぶ。
トラックに轢かれるのではなく、飛び降り自殺ではダメなのだろうか。
難易度的には飛び降り自殺のほうが簡単だ。
するとカップルは、文太郎の疑問を解消していくかのように話を進めていった。
「でもケンちゃん。トラックじゃなくても死ねるよね?」
「高層マンションから飛び降りれば、確実に死ねるだろうね」
「それじゃダメなの?」
「それじゃダメだよ。トラックだからこその、トラック転生なんだ。飛び降り転生とか聞いたことないでしょ?」
「それもそうだよね。やっぱ、トラック転生のほうがしっくりくるもんね」
文太郎は被害を受ける立場ながらもウンウンと頷いた。
トラック転生。
やけにしっくりくる言葉だ。
「でも僕は、トラックの運転手に感謝してるよ」
「どうして?」
「トラックの運転手がいるからこそ、僕たちに危険が及ばないからさ」
「ケンちゃんの車はかっこいいスポーツカーだもんね」
「必死に勉強していい大学を出てよかったよ。しょせん、トラックの運転手なんて、車を運転するしか能がない社会の底辺だからね」
「そういえばわたしも、バカなトラックの運転手、一人知ってるんだ。その人、すっごくバカなんだよ」
「どんなところがバカなんだい?」
「頭からつま先まで全部だよ」
「「アハハハ」」
そして二人は声を重ねて笑い合う。
トラックの運転手をバカ扱いされ、文太郎はどんよりと気落ちした。
たしかに自分は頭がいいほうではない。
チンパンジーでも合格できる高校に入学し、高卒のままで今の職についた。
それでも文太郎は、トラックの運転手という仕事に、誇りだけは持っている。
たとえこの職業が社会の底辺だとしても、なくてはならない歯車の一部なのだ。
そう反論してやりたいところだが、自分に学がないのも事実。
いい大学を出たというケンちゃんに、言い争ったところで勝てるはずもない。
それでも文太郎は悔しいので、
「ケンちゃんは洗濯屋でもやってろ」
と、聞こえないように嫌味を言っておいた。
このネタがわからないお子ちゃまは、決してググってはいけない。
そんなとき――。
「ちょっと、あなたたち!」
エリコが立ち上がり、カップルのテーブル席へ詰め寄った。
そして彼女はテーブルに両手を叩きつけ、激高の様相で言い放つ。
「トラックの運転手のなにが悪いのよ! あなたたちにトラックの運転手をバカにする資格なんてないわよ! それにここで食事ができるのだって、トラックで各地から食材が運ばれてくるからでしょ! 馬車の到着が遅れて、何十人も飢え死にした村だってあるんだから!」
エリコの知るどこかの地方では、馬車が遅れて村人が飢え死にしたらしい。
文太郎が実際に馬車を見たのは一度だけだ。
親戚の結婚式で長崎に行ったとき、ハウステンボスで馬車を見た。
「君、頭がおかしいんじゃないのか? サギ子ちゃん、ここを出よう」
ケンちゃんはその声色に不快感を示し、連れの女とともにレストランを離れていく。
その瞬間――。
「ま、まさか――」
文太郎はハッと立ち上がり、女の後ろ姿に目が釘付けとなる。
なぜなら、サギ子という名前に聞き覚えがあったからだ。
「もしかして……サギ子ちゃんなのか……?」
「え、嘘……文ちゃん……?」
文太郎の問いかけに、女はくるりと振り返る。
茶髪のクルクルロンゲ、文鎮が載りそうなほど反り返った長いまつげ、肩を大きく見せたキャミソール姿。
間違いがない。
それは文太郎が知るサギ子本人だった。
そんな彼女の名前は、嘘付田サギ子。
文太郎が先月、告白してフラれたキャバクラ嬢だ。
エリコはよもやの展開に虚を突かれたのか、瞬きしながら視線を交互に動かしている。
ケンちゃんもまた同様だ。
「やっぱりサギ子ちゃんだったか。こんなところで会うなんて偶然だな」
「そ、そうだね……わたしもほんとビックリしちゃった……」
やけに落ち着きなく答えるサギ子だが、ここは地元の旭川ではなく下関。
そんな遠いところでバッタリ会ったのだ。
彼女が驚くのも無理はない。
それよりもなにも、文太郎はサギ子に訊いておきたいことがある。
「なあ、サギ子ちゃん、あれからどうなった?」
「あれからって……なんのこと……?」
「お母さんの手術、うまくいったのか?」
「ま、まあ……おかげさまで……」
文太郎はそれを聞いてほっとした。
サギ子とアフター(店が終わってから個人的に会うこと)したときのことである。
彼女の母親が未知のウイルスに感染したらしく、手術には百万円が必要だと打ち明けられた。
惚れた女性の母親が一大事ということで、文太郎は全額を現金で用立てた。
そのときは義理の母親になるかもしれないと思っていた。
ジェントルメンとして、あたりまえのことをしたまでだ。
「それとサギ子ちゃん、お父さんの手術も成功したのか?」
「え、ええ……そっちもおかげさまで……」
その翌月には、サギ子の父親が謎の寄生虫に脳を支配されたと聞かされた。
手術にはまた百万円が必要ということで、文太郎は全額を現金で手渡した。
そのときは義理の父親になるかもしれないと思っていた。
脳の支配を解除しなければ、お義父さんではなく、もはやエイリアンだ。
それに両親の手術が無事成功すれば、交際を承諾するとサギ子は言っていた。
だからこそ、文太郎は全力で彼女の力になってあげたのだ。
それとは別に、誕生日に高価なアクセサリーをプレゼントしたこともある。
どこでどう間違ったのか、誕生日は年に二回あったが、サギ子はとても喜んでくれた。
「そうか、手術は成功したのか。サギ子ちゃん、これからも親孝行するんだぞ」
「あ、ありがとう……。それじゃ文ちゃん、またどこかでね……」
「おう! 元気でな!」
文太郎はグズリと鼻の下に拳をあて、サギ子たちカップルを見送った。
告白してフラれてからは、音信不通になってしまい、彼女はキャバクラも辞めていた。
それゆえ、手術の結果もわからずじまいだったのだ。
しかしそれが無事に成功したと聞き、文太郎は涙ぐむほど愁眉をひらいた。
「ねえ、文ちゃん……ちょっといい……?」
そこへエリコが文太郎の作業着を指先で引っ張った。
そんな彼女は目を細め、冷ややかな面差しでオデコに縦線を浮かべている。
「どうしたエリコ? 誰かアホな奴でも見つけたのか?」
「なんか手術どうこう話してたけど、あの人にお金渡したんじゃないでしょうね……」
「いや~お恥ずかしながら二百万ほどばかり……」
文太郎はこそばゆくて頭をかいた。
金額どうこうではなく、サギ子にフラれた事実そのものが恥ずかしい。
「たぶん、騙されてるわよ……。ていうか、百パーセント騙されてるわよ……」
「まっさか~、サギ子ちゃんに限って、そんなことあるわけないだろ~。アハハハ」
「しかたないわね……」
するとエリコは遠ざかるサギ子とケンちゃんに目を向け、
「ちょっと、あなたたち! 待ちなさい!」
と、続けざまに大声で呼び止めた。
サギ子らは立ち止まってこちらを見やるも、二人揃ってうんざりと眉をひそめている。
「二人とも文ちゃんに謝りなさい。ちゃんと謝るまで帰さないわよ」
「なんで僕たちが謝らないといけないんだい?」
「ケンちゃんとかいったわね。あんたはトラックの運転手をバカにしたからよ。サギ子とかいうそっちのクズは、文ちゃんからお金を騙し取ったから。両親の手術にお金が必要だと嘘をついて、二百万もの大金を騙し取ったでしょ。覚えがないとは言わせないわよ」
「エ、エリコ……洗濯屋のほうはまだしも、サギ子ちゃんがそんなことするはず――」
「文ちゃんは黙ってて!」
文太郎はオロオロと止めに入ったが、エリコにピシャリと遮られた。
この猛獣は気が荒立っているのだ。
ハンバーグをキログラム単位で注文しておけば、こうなることはなかった。
文太郎はそう思い、激しく後悔を募らせた。
するとケンちゃんは、勘ぐるような目でサギ子へ視線を移す。
「サギ子ちゃん、あの男から金をもらったのかい?」
「ま、まあ……」
「僕も君にお金を渡したよね? 君の両親が手術をするっていうから、二百万円渡したよね?」
「ま、まあ……」
ケンちゃんの顔はみるみる赤くなる。
サギ子はどんどん血の気が引いていく。
「手術なんてデタラメだったんだね。あの男と同じように、僕のことも騙してたんだね」
「……………………………………」
サギ子は完全に言葉を失った。
ここまでくれば文太郎にも理解できる。
彼女は金を騙し取ったのだ。
嘘付田サギ子をいう女は、大嘘つきの詐欺師だった。
「サギ子ちゃん、悪いけどこのまま君を警察に連れていくよ」
ケンちゃんはサギ子に引導を突きつけた。
かたや彼女は観念したらしく、がっくりと肩を落としてうなだれている。
そしてケンちゃんはこちらに向き直り、
「トラックの運転手をバカにして悪かった。こんな詐欺に騙された僕が一番バカだったよ。本当にすまない」
と、深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
そんな彼はサギ子を連行し、壇ノ浦パーキングをあとにした。
「文ちゃん、被害届は出さなくていいの?」
「それは今回の仕事が終わってからにするか。あんまりチンタラして丸太の納品が遅れても困るしな」
文太郎としても本当は、光の速さで警察に駆け込みたい。
騙し取られた二百万はさすがにでかすぎる。
とはいえ、納品先に迷惑はかけられないので、被害届は後回しだ。
「てか、あの女、最後まで謝らなかったわね」
「まあ、そんなにプンプンするな。サギ子ちゃんもこれから罪を償うことになるんだ。そこはよしとしようじゃないか」
その後、文太郎はレストランの支払いを済ませ、エリコとともにトラックに乗り込んだ。
そして、九州への架け橋、9・4㎞にまたがる、関門自動車道にトラックを走らせた。
雲ひとつない澄み渡る空。
マリンブルーの穏やかな海。
そんな関門海峡を一望する道中で、エリコは前を向いたまま静かに口をひらいた。
「文ちゃんは、これからもトラックの運転手を続けるの?」
「そうだな、俺にはこれしかないし、やっぱり続けるんだろうな」
「そうだよね。文ちゃんは根っからのトラック運転手だもんね」
エリコはそう思っているかもしれないが、そこは少し語弊がある。
文太郎は高校時代、カリスマ美容師に憧れて髪を伸ばしていた。
そのときのあだ名は金八だ。
自分にもそんな青春時代があった。
もちろんエリコに黒歴史は語れないので、文太郎は口を一文字にギュッと結んだ。
「もし、文ちゃんが転生志願者を轢いて殺しちゃったとしても、絶対変なことは考えないで。それは転生志願者が悪いんであって、文ちゃんに罪はないんだから」
エリコは思いを巡らすように、どこか遠くへ視線を向けている。
そんな彼女の横顔が、太陽の光よりも眩しくて美しい。
それはまるで、なにか偉業を成し遂げた、勇者の顔に見えなくもなかった。
やっぱ、告白したらフラれるのかな……。
俺なんかにはもったいない美人だしさ……。
三十五年間彼女もいない童貞の俺が、こんなかわいくて性格のいい子と付き合えるわけないよな……。
文太郎は心の中で臆病になっていた。
叶うことのない恋に想いを馳せても、傷がどんどん深くなる。
これまでは、三度の飯を食うかのように失恋が常態化していたが、もしエリコにフラれようものなら、向こう三ヵ月は立ち直れそうにもなかった。
それだけ本気で惚れているということだ。
エリコにだって迷惑をかけたくはない。
好きでもないむさくるしいおっさんから告白され、嫌な思いをするに決まっている。
これを逆の立場で考えるとわかりやすい。
自分は二十一歳の女の子、告白してくるのは三十五歳童貞のおっさん。
告白を断るどうこうよりも、真っ先に警察へ通報している。
つまり、そういうことだ。
今回の恋に関しては、はじめから勝負にすらなっていなかった。
ならば潔く身を引き、エリコとは熊本で綺麗さっぱりお別れするほかはない。
それが双方にとっての最善策なのだ。
文太郎はそう決断し、今にも溢れ出そうな失意の涙を必死にこらえた。
すると――。
「あたし、文ちゃんに会えてよかった。ちょっとお人好しなところはいただけないけど、文ちゃんは男らしくてカッコいいもんね!」
エリコは運転席を向き、肩をすくめてペロリと舌を出す。
その瞬間、文太郎の失意の涙は眼球の裏側まで引っ込んだ。
「な、なにバカなこと言ってんだ……。大人をからかっちゃいけねえぜ……」
「あれ? 文ちゃん、なんか照れてる?」
「て、照れるわけないだろ……。俺は男気あふれるジェントルメン、泣く子も黙る菅原文太郎なんだじぇ……」
「あ、噛んだ。今、じぇ、って噛んだでしょ? カッコわるー」
エリコはからかうように指を差す。
「う、うるさい! 噛むのが専売特許の猛獣に言われたくないっつーの!」
「猛獣って誰のことよ!」
「俺のトラックの助手席に乗ってるのが猛獣だ! それも、とびきり大食いの猛獣がな!」
「言ったわね! この童貞のくせに!」
「なんで俺が童貞だって知ってる! かわいい彼女を見つけて早く童貞を捨てれますように、ってお願いした神社の神様しか知らない俺の秘め事を、なんでおまえが知ってる!」
「神様みたいな人から聞いたのよ!」
「その神様みたいな奴を今すぐここに連れてこい! 事と次第によっては全面戦争だ!」
文太郎とエリコは、熾烈で低レベルな言い争いを延々と繰り広げた。
そんな二人の目指す熊本は、残すところあと170㎞である。
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